第4話 深夜の舞踏会

 王宮の離れに存在するかつて教会だったはずの建築物。

 先々代の国王が大陸の教会との関係を打ち切って以来、現在ではあまり表立って使用されることのない建物と成り果てていた。


 そんな旧教会の前で、深夜にも拘らず武装した数名の女性が、やや疲れた表情を浮かべながら言葉を交わしていた。


「お姉さま、ここに来るまでに特に怪しい人影は見かけませんでした」

「……こちらも問題なしです」

「そうか、ありがとう」

 本日結成されたばかりの女性近衛部隊。

 その新たな一員となった明るい黒髪少女と、無口な長身の女性に向かい、クローネは満足そうに一つ頷く。


 すると黒髪の少女は、なぜかうっとりした表情を浮かべながら、新たに彼らの隊長となった近衛十人長であるクローネの腕を取った。


「いえ、お安い御用です。何しろお姉様と一緒に肩を並べて護衛ができるのですから」

「……そのお姉さまというのは止めてくれないか。私は別に君の姉というわけではない」

 掴まれた腕をゆっくりと解きながら、クローネは軽く咳払いしつつそう口にする。

 その発言に対し、少女は心底残念そうな表情を浮かべながら、ひとまずはクローネの発言を尊重した。


「ええ……わかりました。では今日は隊長のご命令通りに」

 明らかに不満そうな発言に対し、クローネは思わず注意を口にしかける。

 しかしながら、彼女が心の底から悲しそうな表情を浮かべていたため、結局それ以上の言葉を紡ぐことはなかった。


 クローネとしては、正直戸惑いが圧倒的に強くはあった。

 つい昨日までは、自分は王女付きの一近衛に過ぎなかったのである。

 しかしながら何の因果か、たった一日で彼女は十人長への昇進辞令を受け取り、その部下として新たな女性隊員を近衛は補充することとなった。それが目の前の二人の女性である。


 お飾りとしてならばともかく、これまでまともに誰かの上に立った経験など無いクローネは、正直初めての部下を前にしてどう振る舞うべきかまさに困惑の最中にあった。


「くそ、それもこれも全部あの居候のせいだ」

 良かったことは全て棚に上げ、悪かった事象を、自らが毛嫌いする司書の責任へと転嫁する。環境の変化に戸惑うクローネにとって、その結論の置き方だけがどうにか心の安定をもたらす形となっていた。


 もっとも、その忌ま忌ましい相手がいなければ、こうしていきなり与えられた部下に、初日から戸惑うこともなかっただろうが。


「それでお姉……じゃなく、隊長。警備到着の報告はされないのですか」

「……そうだな。しておいたほうが良さそうだ。もっとも奴があの場にいなければ最善なのだが」

 こんな深夜に彼女たちが警備動員される原因を作った人物。その男のことを考えるだけで、クローネはモヤモヤとした感情を抱かずにはいられなかった。


 だがしかし彼女に護衛任務を拒絶する選択肢はない。なぜならばこんな深夜に、あの男と主を至近距離で放置することなど、彼女にとっては絶対にあり得ない選択肢であった。

 それ故、彼女は不快な感情をどうにか落ち着けながら、シャトランジ会場などと説明を受けた教会の中へと足を踏み入れる。


「ん? 薄暗いな」

 最初に感じた違和感、それはあまりに中が暗いことであった。


 もちろん深夜であることから、通常ならば暗いこと自体には問題がない。

 だがシャトランジと呼ばれる卓上遊戯をするならば、この月明かりに毛が生えた程度の光度では、少なからず支障がでると彼女には思われた。


「まさか……謀られたのか!?」

 思わず口にした呟き。

 それは彼女にとって信じがたい可能性であった。


 つまり王女とあの忌ま忌ましい司書が、クローネを騙して何処かで逢瀬を重ねていると言う悪夢の如き可能性である。


 しかしながら、そんな彼女の心配は杞憂であった。

 なぜならば想像もしない人物たちが、彼女の存在に気づいて声をかけてきたためである。


「む、同志か? どうした、何があった?」

 それは聞き覚えのある声であった。

 だからこそ、クローネは目を凝らしながら声の主へと視線を向ける。


「レンベルク隊長? 貴方もシャトランジに参加されているのですか」

 彼女が目にした人物、それは近衛の上層部の一角とされる近衛部隊長のレンベルクであった。

 彼は屋敷の中に入ってきた人物を理解すると、手元にあった抜き身の剣を片手にして、小さく頭を振る。


「クローネ・フレイザー……なるほど、そういうことか」

「そういうこととは、一体どういうことですか?」

 まったく話の見えなかったクローネは、戸惑いを露わにしながらそう問いかける。

 するとそんな彼女に向かい、レンベルクはその重い口を開いた。


「無知のふりは無用だ。君が我々の命令ではなく、王家の勅令で動いていることは既に理解している。何しろ、あれだけ華々しく我らのアジトを襲撃してくれたのだからね」

「我々の命令? いや、それよりもまさか貴方も……ということなのですか?」

 信じられないという思いでクローネはそう口にする。


 その言葉に対し、レンベルクからの返答は存在しない。

 ただ返答代わりに、レンベルクの首元にある蛇をかたどったペンダントが、月明かりを反射してキラリと光った。


「お姉さま、囲まれています」

 先程の約束を忘れてしまった少女の声、それがクローネの鼓膜を震わせる。

 するとそれに続くかのように、もうひとりの人物の声が屋敷内に響き渡った。


「実に残念だよ、フレイザー君。剣聖の娘たる君と対峙することになるとはね」

「ブローフェ将軍……まさか貴方までも……」

 ぐるりと彼女の周囲を取り巻いた男たち。そんな彼らの中枢には、見覚えのある一人の男性の姿が存在した。


「意外かね? 私としては当然だと思っているのだがね。この小国が生き延びるには、彼の国の傘下に入るしか無い。だからこそ、我らは決断したのだ。そして敢えて君に問う、我々と共に来たまえ」

 謹厳的な表情を浮かべながら、ブローフェはクローネに向かいまっすぐにそう呼びかける。

 だがクローネはすぐに首を左右に振った。


「あなた方が誰と繋がり、何をなそうとしているのかは知らない。だが裏切り者と共に歩く足を私は持たない」

「……決裂か。いやはや、実に残念だ、ならば君はただのネズミとしてここで処理させてもらう」

 ブローフェは薄ら笑いを浮かべたまま、それだけを口にする。そして周囲に潜んでいた者たちに指示をくださんと、ゆっくりと片手を上げたまさにその時、突然その腕の先から赤い液体が吹き出した。


「うぐぅぅ!?」

 周囲に吹き出す血液、地面に落下した右手、そしてうずくまるブローフェ。


 その全ての事柄をクローネは理解ができなかった。

 そう、何が起こったのか、そして何が起こらんとしているのか。


 ただ一つわかったこと。

 それは二階の天窓近くに、先程までは存在しなかったはずの人影が存在していることだった。


「害虫、俗物、そしてネズミ。それは貴方のための呼称です。ええ、不要なものは排除いたします。そう、我が主にとって不要なものは全て」

「ミリナ……さん」

 クローネが向けた視線の先、そこにはあの冷たい美貌のメイドの姿が存在した。


 彼女はクローネの反応に気がつくと、まるで重力を無視するかのように上空からふわりと地面に着地する。

 そして地面をのたうち回るブローフェから視線を動かすこと無く、彼女はその口を開いた。


「お手柄です、クローネさん。この国に潜む彼の国との内通者をあぶり出してくださるとは。きっと、我が主もお喜びのことでしょう」

「本当……なのですか。本当に将軍と隊長が内通を……」

「ええ。ですので、お掃除の時間です。我が主にとっての害虫は、全て駆除させて頂きます。あしからずご了承下さいませ」

 戸惑うクローネをそのままに、ミリナは感情のないその顔を近衛隊長へと向ける。

 途端、紳士で知られるレンベルクは、隠していたその本性を露わにした。


「……調子にのるなよ、メイド長。貴様一人で何ができる」

「残念ながら、私一人では貴方をそちらの将軍と同じ目に遭わせるのが精一杯。ですので、少しばかりの準備はしてまいりました」

 ミリナはそう口にすると、わずかにその視線を動かす。

 その先には、かつて近衛の一員であった三人の男の姿があった。


「これから口説いたばかりのお姉ちゃんとお楽しみのはずだったというのに、まったく人使いの荒いことだ」

 元近衛であるも主に女性関係の素行不良のため、現在は在野に下ったランテル・マッカーシー。

 そんな彼を、小柄ながらも引き締まった体躯の傭兵であるムバール・アルフェスタが直ちに窘める。


「ランテル、これは仕事だ。グダグダ言うな」

「実は僕もランテルさんに賛成なんです。何しろ夜更かしは美容の敵ですから」

 中性的というよりもボーイッシュな美少女という見た目のグレン・フレッグは、用心棒にも拘らず夜間は働かないという彼なりの価値観の下にムバールに抗議する。

 そんな彼ら三人のやり取りは、クーデター派の殲滅の為にやって来たという気概が全く感じ取れなかった。


「ランテル、ムバール、グレン……まさか貴様達も王家派だったのか」

 いずれもかつての部下であり、そして既に在野の人となったはずの三人組を目にして、レンベルクは思わず目を見開く。

 だがそんな彼とは対象的に、抜き身の剣を肩に担いだランテルは、生あくびをしながら自らの疑問をそのまま口にした。


「おい、王家派ってなんだ?」

「いわゆる、陛下や王女様の命令で動く人間のことですよ。ランテルさん」

「常識だ。むしろ知らないことを恥じろ」

 グレンの回答に続く形で、ランテルは再びムバールに窘められる。

 だがそんな彼の説教を、ランテルは軽く鼻で笑った。


「知らねえよ、そんなもん。おれはただ、飯食わせてくれるやつのために働いているんだ。なあクローネ、お前もそうだろ」

「教官……」

 突然向けられた声に、クローネは自らの叔父であり、そして父亡きあとに剣の師を務めてくれたランテルのかつての呼び名を口にする。

 だがランテル自身は特に感慨など持たないのか、話の矛先をこの場にいない男へと向けた。


「そう言えば、雇い主は?」

「さあ、あの人は時間通りに動くことができない人ですから」

「まったく、好き勝手生きていそうで羨ましいねぇ。あの司書さんは」

 ランテルが口にしたのは、思いもかけぬ人物の役職名であった。


 だからこそ、彼女は思わずその人物の詳細を問いただそうと口を開きかける。

 しかしそれよりも早く、収まりの悪いボサボサの髪の男が、一人の美少女を連れてだるそうに三人の後方から屋敷の中へとその姿を現した。


「おや、どうやら少しばかり遅刻してしまったかな。やはりこんな深夜に大会を開くというのは、無理があったということですね」

「でも別の催しがちょうど始まりそうですから、それを見学するのも一考ですよ、お師さま」

 隣でだるそうに立つ男性に向かい、メアは彼の服の裾を軽く掴みながらそう口にする。

 一方、自らの服を巻きつけて無理やり止血を行ったブローフェは、最後に現れた少女に向かい怒りを露わにした。


「メア王女、やはり貴様の仕業か!」

「私の仕業かと言われると、ある意味正解で、ある意味間違いです。この絵を描いた人物と、実行に移す権限を持つ人間が異なりますから」

 メアは薄く笑いながらそれだけを口にすると、隣に立つセナを見上げる。

 するとセナは、軽く頭を掻きながら誰も想像さえしなかったことをその口にした。


「レンベルクさんに、ブローフェさんでしたね。今までお疲れ様でした。そしてありがとうございます。組織をここまで大きくしてくださって。これで彼の国を十分に騙すことができるでしょう」

「どういう意味だ、貴様何を言っている?」

 レンベルクは眉間にしわを寄せながら、セナに向かってそう問いかける。

 それに対し、セナの隣に立つメアがくすりと意味ありげに笑った。


「言葉通り、彼は心から感謝しているのですよ。もちろん私も同様ですが。というわけで、あとは荒事で片をつけましょう。クローネ、よろしくね」

「おい、居候。貴様はなんだ、これはどういうことなのだ」

 流石に王女にあたることはためらわれたのか、クローネはもっとも怒りを向けやすい相手を選別すると彼の襟首を掴む。

 だがセナは困ったように苦笑を浮かべると、そのままゆっくりと前方を指差した。


「えっと……あの人達、迫ってきていますよ」

「くそ、あとで覚えていろ!」

 クローネはそう口にするなり、反転とともに剣を一閃させる。

 同時に崩れ落ちるクーデター派の男性。


「なるほど、腕は落ちていないか。ちっ、なまっていたら勝負を挑もうって思っていたんだけどな」

「ランテルさんって確か教え子に負けて、むしゃくしゃして大臣の娘に手を出した結果、近衛を首になったような……」

「うるせえ、もう終わったことだ!」

 グレンによって近衛を辞めさせられたきっかけを掘り起こされ、ランテルは苛立ち混じりに手近な敵兵を斬りつける。


「八つ当たりで仕事をこなすのはスマートではないな」

「戦いにスマートなんてねえよ、真面目野郎!」

 舌打ちしながら大剣を振るうランテルは、双剣を振るいながら敵兵を切り刻みつつあるムバールに向かい反論を口にする。

 そこで生まれた光景はまさに一方的なものであり、見るものが見れば虐殺などと非難されうるものであった。


「馬鹿な、ここまで一方的とは……近衛の中でも、この計画に参加させたのは選りすぐりのものだったはずだ。それがこんな……」

 瞬く間に駆逐されつつある部下たちの光景。それを目の当たりにして、右手首から先を失ったブローフェは思わず一歩後ずさる。

 しかしそこで彼は、背中に柔らかい感触のものが当たるのを感じ取った。


「規律と家柄、そして服従精神で軍の人事を弄べば、残念ながら選りすぐりなど大した意味を持ちません。貴方は上に立つべき人間ではなかった。つまりはそういうことです」

 まるで甘い囁きごとのような口調で、そんな言葉がブローフェの鼓膜を震わせる。同時に彼は首元に何か糸のようなものが触れる感触を覚えた。


 次の瞬間、赤い血しぶきとともに、彼の首は地面に向かって落下する。

 そしてその場には一人のメイドだけが暗闇に溶け込むかのように佇んでいた。


 しかし彼女のメイド服には、一滴たりとも返り血は付着してはいない。

 そのことを喜ぶかのように、ミリナは無表情を崩し、少しだけ目を細めて微笑した。


「最期まで周りに迷惑をかけようとする御方ですね。危うくこの服が汚れてしまうところでした。下衆の血を浴びた服でお仕事をするわけにはまいりませんのに」

 それは彼女なりの冗談であったのだろう。

 しかし一人残ったレンベルクは、もはや笑うことなどできなかった。


「なんということだ……英雄戦争が終わり、この国の危機を理解した日から五年。我々は準備し続けてきたのだ。にも拘らず、こんな結末など認めん」

 瞬く間に盟友と部下たちを失った事実。

 信じがたいその一部始終を目の当たりにしたレンベルクは、これが現実とは理解できず何度も何度も左右に首を振った。


 すると、そんな彼の前に一人の女性が立つ。


「隊長、事情も状況も何もかも私にはわかりません。ですが、どうやら一つだけ確実なことがあるようです。それは貴方が裏切りを企てていたということ。申し訳ありませんが、投降して下さい」

「断る。こんないい加減でわけのわからぬ結末など、断じて認めるわけにはいかん。私はこの国を救うのだ。奴らの……大陸の魔の手から」

 レンベルクはそれだけを述べると、ゆっくりと腰に下げた剣を引き抜く。そしてまっすぐにクローネに向けて構えた。


 そんな彼の行為を目の当たりにして、クローネは小さく息を吐き出す。


「やむを得ませんか。もちろん奴は信頼できませんし、メア様に尋ねるしかなさそうですね」

 背後でだるそうに壁にもたれかかったままの男。

 そんな彼への反発心を胸に秘めながら、クローネはレンベルクにむかい構え直した。


 一瞬の静寂。


 後に二つの刃が空間を切り裂く。

 鋼は相交わること無く、一方は空を切り、もう一方は人を斬った。


 そして一本の赤い筋が一方の体に刻まれる。


「いい腕だ。お父上と同じ高みにたどり着くのを……あの世で……」

 そこまで口にしたところで、敗者となった男は、前のめりに床へと崩れ落ちる。

 そして未だその場に立ち続ける勝者は、対峙した男性の亡骸をその目にしながら、わずかに寂しそうに呟いた。


「外でどんな陰謀に加担されていたかは知りませんが、私は近衛隊長としての貴方のあり方は嫌いではありませんでした。安らかにお眠り下さい」

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