第3話 夜会への誘い

「以上が今回の案件の顛末であり、クーデターを未然に防いだ彼女への処遇となりました。さて、満足ですか?」

 手にした戦車の駒で、盤上の歩兵の駒を次々と倒してみせた少女は、シャトランジの対戦相手である司書に向かいそう告げる。

 すると、青年は安楽椅子にもたれかかったまま、わずかに口角を吊り上げてみせた。


「ふむ、それで彼らは?」

「現在のところは動きを見せていませんね。もちろん彼女を自分たちの駒だと思っていた節がありますから、身内に噛まれたなどと考えているでしょうが」

 自らも同席した功績表彰の場においては、彼らは一切その表情に何らの感情を表すことはなかった。


 もっともその内心は推して知るべしであろう。

 極秘裏に事を進めているつもりであったことの一部が、思わぬ形で露見したのだから。


「となると、泳がすのはもうおしまいにするかな」

「それは彼らをですか、それとも彼女をですか?」

 メアの口から発せられたその問いかけ。

 それに対し薄い笑みをその口元に浮かべるのみで、司書は何らの回答を行うことはなかった。


 だからこそメアは小さく息を吐き出すと、その質問の方向性を僅かに変更する。


「……では、表舞台に出られますか?」

「いくらここが島国であると言っても、情報はどこかから漏れるものさ。彼らがその迂闊さ故に瓦解していくようにね。だからこそ、時期尚早だよ。少なくとも今はね」

 どこか遠くへとその視線を向けながら、司書は口元を歪めつつそう告げる。それに対しメアは何故か嬉しそうな笑みを浮かべてみせた。


「そのつもりはあるのですね。なら良いです。たとえそれが剣聖の娘の存在が故だとしても、多少の浮気なら目をつぶってあげますわ。それが正妻の器量というものですから」

 無い胸を強く張りながら、メアはセナに向かって微笑んで見せる。

 その反応に苦笑を浮かべつつ、セナは話の矛先を変えてみせた。


「ともかく、報告を見る限り私の目がまだ腐っていないことがわかった。となれば、用済みとなった廃棄物の有効利用を考えるとしようか。確か今晩──」

「居候、姫様はどこだ! 姫様を出せ!」

 セナの声を完全に遮る形で発せられた怒声。

 それはまさに、つい先程まで話題の対象となっていた人物によるものであった。


「えっと、ここは図書室という場所でね、君は知らないかもしれないが静粛を第一とする決まりがあるんだ。噂では近衛の一部隊を束ねる立場に昇進したと聞くし、多少はマナーや礼節には気を配ったほうが良いんじゃないかな」

 荒々しい足取りで図書室の中へ入り込んできたクローネ。

 そんな彼女に向かい、セナが呆れ気味にそう告げる。


 だが忠告を向けられた当人は、不機嫌さを隠すことは無かった。


「うるさい。お前に構う暇など無いのだ。それよりも……やはりメア様、こちらにおられましたか」

「あら、クローネ……じゃなくて、隊長さん。今日は護身訓練の予定はなかったと思いますけど」

「た、隊長さんなんて呼びかけはやめて下さい、姫様。今まで通りクローネと呼び捨てにして頂けましたら」

 メアの思わぬ呼びかけを受け、クローネは慌てて訂正を求める。

 すると、そんな二人の会話にセナが茶々を入れた。


「偉くなったんだから、それなりに振る舞ったほうが良いんじゃないかな。部下を持つ身で情けないところを見せるのは良くないと思うけど」

「部下のいない奴の話など、何故聞かねばならん。お前は黙っていろ」

「なるほど、確かに一理あるかもね」

 そう口にするなりセナは軽く肩をすくめると、苦笑を浮かべながら黙り込む。

 そんな彼らのやり取りを少し羨ましげに見つめながら、メアは改めてその口を開いた。


「で、改めて、何の用ですか?」

「……今回の昇進にあたり、姫様がご推薦下さったと伺いまして、そのお礼をと」

「なるほど。でも、不要です。貴方は優れた功績を立てた。何しろ、クーデターを謀る者たちを一網打尽にし、その計画を未然に防いだのですから」

「そのお話なのですが……本当なのですか?」

「おやおや、賊を退治した当人が面白いことを言うね」

 クローネの抱いていた疑問に対し、セナが間髪入れずに言葉を差し挟む。

 途端、クローネの中にあったもやもやとした感情は、まっすぐに彼へと向けられた。


「だから居候、お前は黙っていろ」

「クローネ、証拠は既に挙がっているのです。もっとも今回の計画を王家が掴んだのは、貴方が彼らを一網打尽にした直後でしたが」

「はぁ、確かにそうは伺いましたが……」

 そう答えはしたものの、クローネとしてはどこか狐につままれたような感があった。


 彼女としてはセナに対する反発心から、登山へ向かうとあれよあれよと事件に巻き込まれただけである。男たちを制圧したのも、勝手に襲い掛かってきた彼らを返り討ちにした結果に過ぎなかった。


 にも拘らず、気づけばクーデター鎮圧の功績者に祭り上げられ、一日にして昇進の辞令を言い渡されたのである。とてもではないが、現状をあるがまま受け止めるのは困難と言えた。


 一方、主であるメア王女は、彼女のそんな反応に困った表情を浮かべながら、やや早口で言葉を紡ぎ出した。


「もちろん経緯は伺っています。ですが、結果は結果であり、実績は実績です」

「まあ要するに、運も実力の内というやつかもね」

 睨まれるとわかっていながら、セナはさらりと口を挟む。

 彼のそんな発言に苦笑しつつ、メアは大きく頷いた。


「そう、セナさんの言うとおり。つまり貴方の実力が引き寄せた結果です。実際、今回のことで我が国に何か悪い影響がありましたか?」

「いえ、それは確かにありませんが……」

 考えてはみたものの、現段階において思いつく限り悪影響は一つも存在しない。敢えて言うなら、見えざる手によって運命を操作されているような違和感が胸の内で燻っていることくらいであった。


 そんなクローネの戸惑いを見てか、メアは改めて念を押すように言葉を紡ぐ。


「ではクーデターも防がれ、我が親愛なる忠臣も昇格となった。まさにすべての人に幸福がもたらされたわけです」

「すべての人が幸福ねぇ……いや、それはちょっとどうだろう」

「あら、セナさんは何か引っかかることでも?」

「どうにも残念なことに、当初の目的が忘れ去られている気がしてね」

 軽く肩をすくめながら、セナはそれだけを口にする。

 するとクローネは、早速彼へと食って掛かった。


「当初の目的だと?」

「ああ……やはり忘れてしまっているのかな。君は今回、誰の代わりになぜ山登りをしたのだったかな?」

「それはもちろん……」

 そこまで口にしかかったところで、クローネは苦い表情を浮かべる。

 そう、彼女はメアの代わりに登山に向かったのだった。それも目の前の気に食わぬ人物に、とある薬草を届けるために。


「思い出したようだけど、残念ながら私の求めていたロフタン草は摘んで来て貰えなかった。しかし参ったな、今晩のシャトランジ大会の景品にするつもりだったのだけどね」

「ふ、ふん、貴様のくだらん大会の景品と、クーデター。もとよりどちらが優先されるかは比べるまでもないだろう」

 僅かな後ろめたさを覚えながらも、セナに対し引くことができぬクローネは強気にそう言ってのける。

 もちろんその彼女の発言は正論であった。ただしクーデターを制圧したのが、偶然でなかったならばだが。


「一介の司書には、そのあたりの軽重は些かわからなくてね。ともかく、景品はなくなってしまったけど、シャトランジの大会は予定通りやるとしましょうか。メア様もそれでよろしいですね」

「もちろんです」

 セナの声かけに対し、メアは大きく一つ頷く。


「待て、どういうことだ。聞いていないぞ」

「だって、大会の告知をした時に君はいなかったからね」

 動揺するクローネに対し、セナはさらりとそんなことを言ってのける。

 途端、クローネは首を何度も左右に振って、強く抗議した。


「認めん、認めんぞ。クーデター計画が発覚した直後だ。夜間の行事に姫様を参加させるなど、そんな危険なことは許さん」

「危険ですか……なら、護衛にクーデターを一網打尽にした英雄を当てたら如何ですか?」

 その言葉は、まさに護衛対象となる人物の口から発せられた。

 そして護衛担当が言葉を差し挟む前に、計画の立案者が満面の笑みでその提案を受け入れる。


「ああ、それは良いですね。私とのお約束は守って頂けませんでしたし、アレも元を辿れば十連敗されたメアさまとの約束。となれば、臣下の方なら当然その責任は取っては下さいますよね」

 サラリとした口調で、セナは一人の女性に向かってそう告げる。


 そう、してやられたことへの苛立ちを露わにする護衛責任者に向かって。

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