海辺にベルが鳴る_03


「えっと、よろしくね、金雀枝さん」

 桜沢さんは、ふふ、と可愛らしく小首を傾げて握手の手を差し出して来た。はあ、どうも、と言って、おざなりにその手を握る。

「で? どこで練習しますか?」

 ぶっきらぼうに言ったら、桜沢さんはチラリと他の部員達が台本の読み合わせをしている視聴覚室の方を見て、少し寂しそうな表情でへらりと笑った。

「みんなの台詞合せの邪魔になっちゃうから、防波堤のところでどうかな?」

「え? でも、潮風でベルが傷んだりしない?」

「多少錆びてもいい、練習用の安いベルだから使い潰すつもりでやれ――って椿木先輩が……」

「ふうん……なら良いけど……」

 口では同意したが、安物だと言われても、なんとなく抵抗がある。音楽をやってる人って、普通は、楽器をすごく大事にするものなんじゃなかろうか……

「椿木先輩は音楽はやってないんだ?」

「ううん。そんなことないよ。先輩は中学生の頃、ピアノの地区コンクールで入賞した事もあるんだよ。すっごく上手だったんだから」

「へえ、詳しいね?」

「あっ……!」

 桜沢さんは両手を口に当てて、急にしおしおと萎れてしまった。

「今の話、他の誰にも言わないで」

「なんで?」

「先輩、中学三年生の時に事故に遭って、もうピアノは弾けないから……」

「ふうん、そうなんだ……」

 冷たいかもしれないけど、私は、「はあ、なるほどね、そんな事情があったんですか」としか思わなかった。

 怪我をしてピアノが弾けなくなったから、代わりに演劇を始めたのかな。それであんなに熱中して演劇好きな顔をしている椿木先輩も迷惑なら、同情してメロメロしている桜沢さんも迷惑だ。熱血したり乙女ちっくしたりするのは勝手だけれど、無関係の私を巻き込まず、やりたい人達だけで青春しててくれればいのに。


   ◆◆◆


 その日の夕食は、冷やしたぬきうどんにした。

 うちは母子家庭で、母は残業の多いデザイン事務所で仕事をしている。朝は十時出勤なので余裕があるが、帰宅は深夜になることが多い。そんな訳で、食材の買い出しや、料理、洗濯、掃除などの家事は私がやっている。

 ちなみに、デザイン事務所と言えば聞こえはいいが、就業時間が長い割に母の収入は多くなく、だから、私は奨学金で大学へ行かねばならない。ありていに言えば、それが私の「内申書に傷をつけられない理由」である。そんなモノを人質に取るのだから椿木先輩はかなりエグめの性格だと言えるだろう。

 一人で夕食を食べながら、見るともなしにつけていたテレビの画面に目を留めて、はああ、と溜息をつく。

「面倒な事になっちゃったなぁ……」

 あの後、学校から徒歩三分の防波堤まで桜沢さんと二人で行き、日陰でハンドベルの練習をしてみたのだが、酷い有り様だった。

 全然、音楽にならない。

 参考にする為に、スマートフォンでYouTubeのハンドベル演奏の動画を見てみたが、とてもあんな風には出来そうもない。

 音を出すタイミングが合わないのは、桜沢さんと気が合わないからだ、と私はこっそり不貞腐れた。

 うちの学校は生徒全員に部活動を強制している。しかも、途中で所属する部を変えたら「協調性に難あり」と内申書に書かれて、推薦受験で不利になる、とまことしやかに囁かれているのだ。事の真偽は確かめようがないが、敢えて、不利になるかもしれない状況に陥る事だけは避けたい。

 一日一時間程度でいいなら……と思ったのに、ハンドベルは意外と難題だ。二週間で三曲、きちんと演奏できるようにならなければ、椿木先輩は私達を糾弾すると言った。具体的に何をするつもりか想像もつかないが、退部させられるのは困る。

「本当に困った。どうしよう……」

 私は頭を抱え、ぐむむ、と呻いた。


   ◆◆◆


 翌日も、まずは部室にハンドベルを取りに行き、そこで桜沢さんと落ち合って、午前十時から十一時までの一時間、防波堤でハンドベルの練習をした。

 部活と演劇を楽しめと言われたわりに、他の部員と交わるでもなく、演技をするでもなく、ただただハンドベルを鳴らしているのは妙な感じだが、桜沢さん一人を相手にしていれば済むのは気が楽だった。厭味な横暴君主の椿木先輩もいないし、一時間きっかりで練習は終わりにして、部室までハンドベルを持ち帰って片付ければ解散になる。

 私は少しだけ、悪くないな、と思い始めていた。

 実のところ、苦手だと思っていた桜沢さんが、意外と良い子で楽しくなってきてしまったという事情もある。彼女とハンドベルを鳴らしながら、他愛の無い事――好きなお菓子や音楽の事などを話すのは、勉強の合間の良い気晴らしになった。

 相変わらず、私達の鳴らすベルの音はきちんとした曲には聴こえて来なかったが、少しは曲らしく聴こえなくもない部分もあるようになりつつあり、私としたことが、らしくもなく、本番までに出来るように頑張ろう、と思うようになってしまってすらいた。

 そんな調子で十日ほどが過ぎた頃――

 事件が起こった。


   ◆◆◆



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る