嘘つきハニー/36

 可奈は、はにかむように頬を染めて、肩にかかった髪を手の甲で背中に流した。

「一級建築士になるまで会わない、なんて思い詰めて意地を張っていてバカだったな。こうして会って話せば気持ちは通じたのに、六年も損しちゃった」

「私も、逃げててバカだった」

「私、真里を見返してやろうって思ってたのよ。スゴイ資格を取って、沢山お金を稼いで、別れた事を後悔させてやろう、よりを戻してって懇願させてやろうと思ってた」

 可奈はクスッと口元に手を当てて笑った。

「それなのに、ちょっと無視しただけでプロポーズまでしてくれるなんて、資格なんて取らなくても、真里は私を愛してくれていたのね」

 思わず呆れて口を開けてしまう。

 相変わらずの自信過剰と言うか、なんというか……

 これが私のグラーニアか。

「どうしたの?」

 うっかり苦笑いを浮かべてしまっていたようで、可奈は怒ったような上目遣いで私の顔を覗き込んでくる。

「やっぱり、可奈が居てくれないとダメだな、と思って」

 膝に乗せられていた可奈の手に自分の手を重ねる。

 彼女がグラーニアならば、私はディルムッドか。英雄を気取って、なるべく可奈を守ってあげられるように頑張りたいと思った。私じゃ、ちょっと、いや、だいぶ貧相過ぎる気もするけど、努力はしよう。

 愛について──この一か月、私は一生分くらい悩んで迷って考えた。

 高校生の頃は、誰かの為に何かを我慢し、自分を手離す事が愛なのだと思っていた。

 今は違う。

 愛は、一緒に頑張る事だ。


   ◆◆◆


 三か月後──

 私は仕事の合間に時間を見繕って、人気少女漫画誌・月刊コサージュの新人漫画賞に投稿する作品を描き上げた。

 持ち込みではなく、敢えて、新人としての投稿を選んだ。

 まあ一応、私は新人ではないのだけれど、心機一転というか、初心に返るべきだと思ったし、応募規定に「他社でデビュー済みの方もご応募いただけます」と書いてあったので、規定違反になる事は無いだろう。

 かつて挫折した少女漫画に、再び真っ向から挑戦する事が、私の漫画家としての再スタートに相応しい気がしたのだ。

 描いた作品は広大無辺なファンタジーではなく、現代モノで、普通の女子高生が主人公だ。少し変わっているとすれば、主人公が好きになる相手が親友の女の子だって事くらいかな。田舎の高校を舞台に、平凡な日常と、こぢんまりとした恋を描いた。

 主人公の女の子は、今度こそ本当に可奈をモデルにした。

「ちょっと照れ臭いかも」

 完成してプリントアウトした原稿を眺めながら、可奈は頬を染めた。

 満開の桜の樹の下で、長い黒髪を風に舞わせ、ヒロインが泣き笑いで振り返るシーンだ。我ながらなかなか情感たっぷりドラマチックに描けたと思う。

「今さら何言ってんの? 散々、モデルは自分だって言い張ってたくせに」

「だって、あれは──」

 言い訳の途中で揶揄われていた事に気付いて、可奈はぷうと頬をふくらませた。

「もうっ、今度言ったらヒドイからね」

 可愛く言って、ぐーで私の肩を殴って来た。あ……意外と痛い。

 念の為に言っておくが、エロ漫画の仕事は辞めない。

 エロ漫画が描けるようになるまでにそれなりの時間を費やして来たし、普段はあまり描かない構図や人体デッサンや、キャラの独特の艶っぽさなど、エロ漫画でなければ学べないモノもあった。上手く言えないけど、プライドを持ってエロ漫画を描いて来たので、仕事を頂けるうちは読者さんに楽しんで貰えるよう努力したい。もしも少女誌でも仕事が頂けるなら、しばらくは二足のわらじで……などと調子に乗って考えてしまったが……

 先の事は分からないな。

 投稿したからと言って必ずしも良い結果が出るとは限らない。

 一応はプロであっても、土俵が変わればそれまで培ってきたモノは通用しない。

 自分の実力には自信が無い。以前少女漫画誌に投稿していた時と同じように、また箸にも棒にも引っ掛からず落選するんじゃないかなぁ、とうっすら思って……いや、ほぼ確信してる。

 それくらい新人賞は難関だ。絵の上手い人なんて星の数ほどいる。漫画が描ける人も数えきれないほどいる。趣味で描いてる人だってビックリするほど上手い。そんな中でそれなりに良い作品を描いても、頭ひとつ抜け出す事は容易じゃない。レベルは高くても、うちのカラーじゃない、と敬遠されて落選する人だって大勢いる。

 絵はそこそこ描けても、ストーリーが面白くなければどうしようもない。

 いや、私は絵も話もダメだと言われるかもしれない。

 上には上がいて果てしがない。

 私如きでは太刀打ちできない人が大勢いる世界なのだ。

 有名誌で活躍する作家先生たちはみんな才能のモンスターだ。

 そういう人達と肩を並べられる力が無ければいけない。

 ああ、ホント、甘くないんだ、創作業ってやつは。

 ふう、と溜息をつく。

 目の前のディスプレイに映っているのは、月刊コサージュの新人漫画賞応募用サイトのデータ入力ページ。

 作品タイトル、ペンネーム、連絡先、経歴など、ひとつひとつ丁寧に書き込んだ。

 後は描き上がった漫画原稿のデータをアップロードするだけだ。

「じゃあ、いくよ」

 可奈と二人、震える手で、ドキドキしながらアップロードボタンをクリックすべくマウスを握った。たった一押しで挑戦が始まる。

 と、その前に──

 可奈に袖を引っ張られた。じっと、何か言いたそうな視線を向けてくる。

 ああ、そうか、と以心伝心。

「最後にちゃんと」

「うん」

 パンッ、と可奈と二人、画面に向かって手を合わせてお祈りした。


 どうか、これを読んでくれる方が少しでも楽しんでくれますように……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る