嘘つきハニー/35

 可奈に縋られると相変わらず私は弱い。一度、骨の髄まで染み込んだ習性は六年四ヶ月程度の空白では抜けないらしい。

「はあ……」

 まあ、しょうがないか。

 二か月に一度くらいの頻度で会ってたなら、その程度の話はするよな。

 なんと言うか、色々分かってみると、なんつうか、みんな色々なんだな。

 自分の知らない場所で、みんな、色々な事を考え、思って、感じて、それぞれの行動で世界を構成している。

 美優ちゃん、千香、大塚、可奈のお母さん、それに私。誰から見た可奈も、本当の可奈ではなくて、可奈から見た私も本当の私ではなかった。目を離さずに見詰め続けなければ本当の誰かには決して出会えないのではないだろうか。いや、そこまでしても、本当の姿なんて分からないのかも。

 だけど、それでも……

 大切な人は、自分の目できちんと見詰めて、きちんと向き合って、捕まえないと。

 誰をどんなに愛しても、きっと全部知ることは出来ない。それで良いんだ。時間を惜しまず、ゆっくりと、相手の事を知っていけば良い。

「そう言えば、駅ビルで会った時、どうして無視したの?」

「あれは……」

 笑わないでね、と言って可奈は話し始めた。

「本当は一級建築士になってから真里に会いに行こうと思ってたの。それなのに、まだ資格も取れてないうちに、あんな場所であんな風に再会しちゃうなんて嫌だったのよ。もっとロマンチックでドラマチックな再会を演出したかったの」

 おっと、エウレカと寧々ちゃん、正解だ。ビックリした。さすが人気漫画家とチーフアシスタント。観察眼が鋭い。

「でも、どうして一級建築士になってからじゃなきゃダメだと思ったの?」

 資格が取れるまで、どこかで私と顔を合わせても、その度に無視するつもりだったのか……と少し呆れたが、自分の六年四ヶ月のだらしなさを思えば、文句も言えない。

 ちなみに一級建築士は、四年制大学の建築系学科を卒業し二年間の実務経験を積むか、二年制大学あるいは二年制専門学校を卒業して四年間の実務経験を積む、または建築系専門学校や高専卒業してから受験資格を得られる二級建築士の国家試験に合格し、二級建築士の資格を得てから四年間の実務経験を経て、やっと国家試験を受ける資格が得られるという狭き門の国家資格だ。試験は難関で取得までかなりの時間がかかるらしい。取得年齢の平均は三十歳を少し超えるらしい。ストレートで取得できても二十四歳か二十五歳。

 可奈は今年合格すればストレート取得だ。

 可奈はぴっと人差し指を立てた。

「真里が漫画家になったって知ってから、漫画家のコト色々調べたんだから。仕事の内容も少しは分かってるつもり。デビューできる人はほんの一握りで、しかも三年続けられれば運が良くてで、十年続けられたら奇跡なんでしょ?」

「えっと……まあ、そう言われてるね」

 エウレカみたいに人気が出れば、それなりに収入も増えて現金一括払いでマンションを買えたりもするけど、そうでない人のほうが多い。

 メジャー誌でデビューする事だけでも困難なのに、二作目の壁がバカ高くて乗り越えられずに消えて行ったり、諦めてエロ漫画に転向する人もいる。私はメジャー誌でのデビュー自体を諦めて最初からエロ漫画に行ったクチだ。けど、エロ漫画もそれなりにハードルが高い。可愛い女の子をあらゆる角度、構図で描けなければならないのだ。見下される事が多いけど、かなり必死でデッサンや上手い人の模写をして画力を上げようと努力した。

 どういう作品を描くにしても、三年、漫画家でいられる人は稀だ。

 十年は奇跡。ましてや一生なんて、うん、ほぼ有り得ない。漫画神だ。

 可奈は少し言い難そうに口籠りつつ遠慮がちに言った。

「私ね、真里が生活に困ったら養ってあげようと思ってたの」

「えええ~~っ!?」

 それは結構、屈辱的かも。いや、確かに、私なんぞは早晩食えなくなるのが目に見えてるけど、でも、まだ諦めたくない。

「私、このまま終わるつもりはないよ。メジャー誌で連載取れるように頑張るから」

「うん、応援する」

「私も可奈が一級建築士の試験にストレートで合格するよう応援する」

「あ、それは取れると思う」

 こいつ、よく言う。

 相変わらずだなぁ。高校生の頃、可奈は自信家だった。私の前でだけ。

 ああ、やっぱり懐かしいな。

 なんだか、すごくしっくり来る。六年四ヶ月の空白が嘘みたいに、可奈とは呼吸が合う。

 エウレカに取っての寧々ちゃん、寧々ちゃんに取ってのエウレカ、美優ちゃんに取っての旦那さん、たぶん、可奈は、私に取ってそういう相手なんだ。

 ──私の片翼。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る