嘘つきハニー/34

 ──と、まあ、いい感じで片は付いたのだけど……

 センチメンタルなまま終わるわけにはいかない。

 我々は仕事をしなければならないのだ。

 可奈はお父さんの建築事務所でアシスタントをしながら設計士として経験を積まなければならないし、時々は建築現場にも出向かねばならないし、建材の仕入れや依頼主との打ち合わせにも同行しなければならない。

 それに、可奈は一級建築士の試験の真っ最中だった。七月中に行われた学科試験の合否は九月上旬に発表され、それに合格した者だけが十月に行われる設計製図の試験を受けられる。これがとんでもなく難関らしい。

 私は私で、漫画の原稿を集中して描き上げなければならない。

 そう言えば。

 作画中、一息入れる為に駅前のファミレスで可奈とランチを食べていたら、家族連れの美優ちゃんに偶然出くわした。

 ちょうど土曜日で旦那さんの仕事が休みだったのだろう。旦那さんと沙英ちゃんだけでなく、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん──美優ちゃんとは似ていないので旦那さんのご両親だと思う──も一緒で、すごく穏やかな雰囲気のご家族だった。

 沙英ちゃんを抱いた美優ちゃんは私達に気付いて席まで歩いて来て、久しぶり、と可奈に声をかけた。

「久しぶり、美優ちゃん。ご家族と一緒? お子さん可愛いわね」

「ありがとう。でも旦那に似ちゃって、ガサツにならないかちょっと心配かな」

「大丈夫よ、美優ちゃんが育てるんだもの」

 そんな感じで和やかな会話を交わし、じゃあね、と美優ちゃんは家族の待つ席に戻って行った。

 驚いた。

 高校生の頃、可奈は私以外の友達に対してはあまり喋らず頑なに心を閉ざしていたのに、大人の対応が出来るようになったんだなぁ、と。

 つうか、美優ちゃんもすげえ。この間は、可奈ちゃんには嫌われてたと思うって言ってたのに、あんなにこやかに……

 いやぁ、大人ってすごい。

 でも安心した。美優ちゃんと可奈が仲良く話している姿を見られて良かった。

 ついでに、と言っては失礼だけど、エウレカと寧々ちゃんにも事の顛末を報告した。

 多忙な二人がうちの近所までわざわざ出向いてくれて、少し高級な焼肉店で明るいうちから夕食会をした。気前の良いエウレカ先生の奢りだ。

 ジュージューと良い音を立てて香ばしいねぎ塩カルビが焼ける前で、

「良かったじゃん」

 エウレカは仏頂面でふんぞり返ったまま興味なさげに言い捨て、

「ほらね、言った通りだったでしょ」

 寧々ちゃんは得意満面でお箸を立て、うふっ、と笑った。アラサーのくせにロリ顔で無駄に可愛い。ちょっと意地悪がしたくなり、不要な事実を告げて水を差す。

「でも、ポストカードは推理が外れてたよ。あれはうちの妹が黒幕だった」

「えっ、マジで? そこまでは読めなかった。悔しいな~~っ!」

 寧々ちゃんは本気で悔しがっていた。

「次こそは完璧に当てて見せるから」

「いや、無いよ、次なんて……」

 こんな嵐のような煩悶にそうそう襲われてなるものかっ。

 美味しい焼肉を食べてビールを飲み、ひとしきり話を聞いて気が済んだのか、エウレカと寧々ちゃんはとんぼ返りで仕事場兼住居の高級タワーマンションへ帰って行った。

 そんな息抜きの時間以外は、ひたすらパソコンに向かって作業を続けた。食事はきちんと栄養バランスを考えて食べて、毎日七時間以上の睡眠は確保して、規則正しく……は難しいので午前中には起きて、体調を崩さないように気を付けながら根を詰める。気分に流されず、すべき仕事をコツコツとこなす。プロなら当然だ。まあ、正直いって、今まではちょっと出来てなかったけど、そこはご愛嬌。

 私はこの作品で生まれ変わるのだ。

 初めて、自分のすべてを出し切ったと思えるネームが出来た。一度も褒めてくれなかった担当氏も、漫画に対しては超絶厳しいエウレカも、よくやったと言ってくれた。作画で手を抜くわけにはいかない。

 過去最高のクオリティで仕上げたい。

 時間が許す限りこだわって丁寧に描き上げる。ヒロインの表情、髪の一筋、布のしわ、背景、トーンの削りまで、魂を込める。

 たかがエロ漫画と言われても構わない。これが私の仕事だ。私は今、この作品に命を賭けなきゃならないんだ。自分を火にくべるように、私は描いた。

 可奈は毎日、建築事務所の仕事が終わってから差し入れを持って来てくれた。

 人に見られながら原稿を描くのは照れ臭いと言うか、恥ずかしい。しかも男性向けのエロ漫画なのだ。プライドを持って描いているのだけど、それとこれとは別物……的な人間の複雑さだな。それなりに過激なエッチシーンがあるし、お嬢様の可奈にそんな諸々を見られるのは奇妙な罪悪感と言うか背徳感と言うかがあるようなないような……

「何言ってるの? 真里の作品は全部読んでるわよ」

 そう言われて、改めてギョッとする。県道で派手に言い合った時にも作品を読んでいたというような事は言われていたけど、冷静になって考えてみると信じ難い事だ。いったいどうやって私の仕事情報を得ていたのだろう。

「つうか、なんでペンネーム分かったの?」

「千香ちゃんが教えてくれたわよ。私、千香ちゃんとLINEもしてるし」

「あいつ~~っ!」

 可奈はアッサリ種を明かし、私は妹の顔を思い浮かべて拳を握った。なんて奴だ、こっそり情報を流していたとは。とんでもない妹だ。

「怒らないで。私がどうしてもってお願いしたから……」

「うう……」

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