嘘付きハニー/28
ハッと可奈は顔を上げた。その一瞬、嘘が剥げ落ちたように見えた。
ああ、と私は直感的に理解した。
可奈は分かっている。自分が理不尽な事を言っていると。
いや、そもそも勘違いなど無かったのだ。
「可奈は嘘をついてたんだ」
私も嘘をついていたけど、可奈も嘘をついていた。
可奈は何も言わず視線を落として目を逸らした。目元はまだ涙で濡れている。だけど、後ろめたさが可奈の眼差しを曇らせていた。
「やっぱり……」
あれも嘘。これも嘘。みんな嘘……
やっと気付いた。
嘘をついていたんだ。あの時から──
もう終わりにしようと私が言ったあの時から。
物分かりの良いふりをして、傷付いていないふりをして、怒っていないふりをして、その実、ずっと傷付いて怒っていた。
そう、可奈と別れたあの日から──
いや、違う。違うぞ。可奈が嘘をついていたのはもっと前からだ。
もっと前……ああ、そうか。
あの時からだ。
パチンッと風船が割れるように理解が閃いた。
「可奈、いつから嘘ついてたの?」
言い逃れはさせない、と強い意思を込めて詰問すると、可奈はわずかにたじろぎ、私と目を合わせないようガードレールを見ながら爪先を軽く引いた。
その仕草で確信する。
やっぱり──
可奈は観念したように声を絞り出した。
「……真里が、初めて漫画を見せてくれた時から」
あっ、と思わず声を上げてしまった。
ドンピシャ。予感的中だ。
私が思った通り、可奈はあの時、あの長過ぎる沈黙に私が不安になっていたあの時に、狡い考えを巡らせていたんだ。私が自分の作品の出来を心配して、面白くなかったのか、下手過ぎたのか、とぐるぐると真っ正直に悩んでいたあの時、可奈は私なんかより遥かに聡明なその頭脳で、私を絡め取る策を練っていた。
可奈はバカな勘違いなんてしてなかった。
勘違いをしたふりをして、嘘をついて、そんな卑怯な真似をして、無理矢理に私の手を掴んだ。
そうして、私をありもしない責任に縛りつけた──
「可奈。絶対、頭おかしいよ」
「うん」
「頭おかしいって言ったんだよ?」
「うん。分かってる」
可奈は諦めたように力無く微笑んで、少し首を傾げて私を見た。
「でも、真里は私を傷付けるより、言いなりになる事を選んだ。私が勘違いしてるって勝手に解釈して、私に調子を合わせて、嘘に付き合ってごまかし続けた。卒業までの半年だからいいやって思ったの? そんなのズルイ。卑怯だよ。知ってる? 頭のおかしい人の言いなりになる人も、頭がおかしいんだよ」
「可奈……」
「真里にはゲッシュが掛かってるのよ。ゲッシュは誰かが掛ける呪いじゃないの。破れば呪われろ──そう自分に掛ける誓いの魔法なのよ」
「可奈、聞いて。そんな話がしたいんじゃない。もっとちゃんと……」
「真里は、自分で自分に呪いを掛けたの」
「可奈──!」
「私の言いなりになるって、真里が自分で決めたのよ」
◆◆◆
引き戻される。高校生だったあの頃に──
三年生の三学期。卒業を間近に控え、自由登校になった冬の日。バレンタインデー。薄曇りの暗い午後。近所の公園のベンチで、今にも雪がチラつきそうな空を無視して、夢見るように可奈が言う。
「いつか話した、ディルムッド・オディナの伝説、覚えてる?」
「うん、ケルト神話だよね。フィアナ騎士団の団長フィンの花嫁になるはずだったグラーニアが、おっさんのフィンと結婚するのを嫌がって、イケメンの若い騎士に、自分を守れって誓約を押し付けたんだっけ?」
私の答えはいつも無粋だった。
可奈は私達二人のことを頻繁にディルムッド・オディナとグラーニアに例えた。出会った頃からそうだったわけじゃない。可奈の中に何か引っかかるモノがあって、もしかしたら私に嘘を付いていた罪悪感から、そんなことを言い出したんじゃないか。
「真里がディルムッド、私がグラーニアね」
「いやいや、ちょっと、それはズルイ。たしかに可奈はお姫様みたいな美少女だけどさ、私がディルムッドってどうなのよ? 男じゃんっ!」
あくまでも鈍感に、子供のままの感覚で私はいた。可奈だけが大人だった。
「嫌なの?」
「嫌とかそんなん以前に、私、そんなに女に見えない?」
「見えるけど、嫌?」
可奈の本当の気持ちは理解していなかったくせに、潤んだ瞳で強請るようにじっと見詰められると私は弱かった。
「う……分かった。じゃあ、ディルムッドでいい」
そう言って可奈の押し付けを受け入れたら、ご褒美に手ずからチョコレートを食べさせてくれた。普段食べた事もない高級なベルギー王室御用達のチョコだった。
可奈の肩にかかった白いレース編みのショールの隙間から景色を盗み見ると、植え込みの横に汚れた雪が残っていて、早く溶けてしまえばいいのに、と思った。
それから、あの卒業旅行の日──
「グラーニアはどうしてもディルムッドが欲しかったんだと思う」
私が自分勝手に別れを切り出した新宿のホテルのあの部屋で、紫色に暮れた宝石箱のような夜景を背にして、じっと可奈は私を見詰めた。
「私、やっぱりグラーニアだったのね」
苦しげに絞り出された可奈の声は私を金縛りにする。
「ケルトでは誓約をゲッシュって呼ぶのよ。ゲッシュはただの誓いじゃないの。自分で自分にかける呪いなんだよ。誓いを破ったら恐ろしい不運が降りかかる呪いを受ける代わりに、誓いを守っている間は恩恵をくださいっていう狡い取引なの。浅ましいよね」
意味を考えるのが怖くて私は黙っていた。
もう、動けない。何も考えたくない。そう自分を憐れんで、考える事を放棄した。
「私のゲッシュは、たぶん破れたんだと思う」
可奈のゲッシュは何だったのか?
私のゲッシュは──?
無意識にすべてを可奈に奪われていて息苦しかった。
でも、可奈が側にいるだけで強くなれる気もしていた。
可奈は私に、自分自身を好きでいさせてくれた。
私は、可奈が愛してくれる私が好きだった。
可奈がいなれば私はダメだった。
一人では無意味になっていた。
それが、私のゲッシュだったのだ──
◆◆◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます