嘘付きハニー/29

「卒業したら責任は終わりなんて、そんなのダメ。許さない」

 一瞬で、真夏の夕暮れに押し包まれる。湿度の高い熱気に肌が汗ばむ。

 可奈のペースで話を進めちゃダメだ。

 私は、可奈との関係を嘘や誤魔化しや勘違いの上に築きたいわけじゃない。

 本当の事だけを話して、真面目に付き合いたい。

「一度、自分に誓ったゲッシュは死んでも破ってはいけないの。破れば逃れようのない不運が降りかかるのよ」

「いやいや、いやいや、いやいやいやっ。だから、その理屈はおかしいって」

 青くなっているんだか、赤くなっているんだか、怯えているのか、怒っているのか、もう自分でも分からない。わけが分からない。

「じゃあ、なんで、別れようって言った時、そうだねって可奈は受け入れたの?」

「あの時は何を言っても無駄だと思ったから。私の為だって真里は言ったでしょう?」

「それはそうだけど……」

「嘘つき。自分が自由になる為だったんでしょ」

「う……」

 それにしたって可奈は強情だ。

「もう嘘や誤魔化しは嫌なんだ」

「ずっと嘘をついていたのは真里よ!」

 可奈は斬るように言い、私に指を突き付けた。人差し指の先には、有罪、の札でも下がっているようで、なぜだか私は打ちのめされた。可奈の言った事は、真実だった。

 私は嘘をついていて、その嘘から自分が自由になりたかったのだ。

 自由になって、何か──輝かしいモノになれる未来があると、思い込んでいた。

 結果はコレだ。

 望んでいたような立派な大人にはなれなかった自分。

 心にはぽっかり穴が開いたままで、その穴は可奈でなければ埋められない。

 可奈がいないと寂しい。虚しい。心細い。

 可奈がいない間、私の心の時間は止まったままだった。

 可奈がいてくれなければ、きっとこれからも止まったままだ。

 あうう、と漫画のような呻き方を自分がしているのが不思議だ。そんな場合じゃないのに、このシーン、コンテにしたいな、と思った。

「嘘つきには天罰が下るのよ」

「天罰なら、もう充分味わったよ」

「真里も、私も、嘘をついたから、もう逃げられないの」

「だから、ちゃんと来たじゃん」

「何しに来たか、ちゃんと分かってるの?」

「プロポーズだよ」

「本当に意味分かってる? プロポーズって……じゃあ、真里は私とキス出来るの?」

「それは……まだ分からない。それじゃダメなの?」

「あの時、真里は出来なかった」

 ──あの時……

 別れを告げたあの時……

 卒業旅行で泊まった新宿のホテルで、「自由にしていいよ」と言って距離を置こうとした私に、可奈は冗談めかして「キスしてみる?」と言った。

 あの日の夜景は良く覚えている。というか、忘れられるわけがない。

 怖気づいた私が取ってしまった消極的な態度は、拒絶となって可奈の中に今でもわだかまっているのだろう。私は子供で無神経だった。

「自分の意思でするか、それとも、脅迫されてするか、それくらいは自分で決めて」

「する以外の選択肢無いじゃんっ! とにかく、それは後で、家でっ!」

 ──するから。でも人目の無い場所で。

 私は気迫を込めてキッパリ言った。可奈は私を見詰めたまま黙り込んだ。

 重苦しい沈黙が続く。

 私が何も言わなければ、永遠にこの沈黙が続くのではないかと、そんな錯覚に陥った。

「可奈は一度も本気で好きだって言わなかったじゃん」

「言ったわ」

「別れたくないって言わなかった」

「別れるとも言ってない」

「可奈がどうしたいか聞いたこと無い」

「いつも、ずっと一緒にいたいって言ってた」

「可奈……私はどうしたらいい?」

「真里が自分で決めて」

 首に蛇が絡み付いているような、いや、むしろ首を絞められているような気がする。

 誰かに真っ直ぐ見詰められるというのは、こんなに怖い事だったのか。

 うう、と喉の奥で声が詰まる。

 見れば見るほど、可奈は綺麗だ。こんなに美人で、頭も良くて、仕事も安定していて、収入だって保障されてるし、親は金持ち。男なんていくらでも選び放題じゃないか。いや、女だって、可奈に言い寄られれば案外落ちるんじゃないかな。

 それなのに、わざわざ私みたいなハズレくじに執着するなんて、救いようのないバカだ。

「私のどこがいいんだよ」

「どこも良くないわよ」

「どこも良くないのかよっ!」

 それは予想外だった。

 私は一人前にその言葉にショックを受けた。

 だけれども。

 どこも良くないと言われると、妙に納得がいく。

 だから、可奈がその後言った言葉は、ストンと胸に落ちて納まった。

「でも仕方ないじゃない。それでも好きなんだから」

 ああ、本当に、確実に、何かが胸の底に落ちて、ハマった。

 足りなかったモノが、やっと……

「可奈はさ、本当に私のことが好きなの?」

「好きよ!」

「最初から、変な嘘なんかつかないで、そう言えば良かったんだよ」

「言ったらどうなったって言うの? どうせ、ごめんって適当に断って終わりでしょ」

「どうして決めつけるの?」

「違ったって言うの?」

「うん」

「嘘」

「嘘じゃない」

「嘘よ」

「ああ、まあ、ちょっと、嘘かも知れない」

 ぽりぽりと後頭部を掻く。

「けど、好きだって言ってもらえたら、少なくとも悩むことは出来る」

「それで?」

「可奈の望むように出来る自信は無いけど、可奈のわがままに付き合うのは、嫌じゃない」

「それで?」

 可奈は怒った声音で強く重ねた。

 ──ああ、今、キメなきゃダメか……

 パンッ、と両手で自分の頬を叩いて、気合を入れる。

 言わなきゃイカン事は、言わなきゃイカン。

 私は覚悟を決めた。

「好きです、可奈さん。改めて、結婚を前提に付き合ってください。お願いします」

 いつかのように、指を揃えて右手を差し出す。

 数瞬の沈黙。

 そして、

「バカね。まだ日本では同性婚は認められてないわよ……」

 そう言いながら、可奈はゆっくりと私の手を取った。

 やっと目を向けられた夕陽は、真っ赤で熟したトマトのように綺麗だった。


   ◆◆◆


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