嘘付きハニー/27

 可奈には先にスタートしたアドバンテージがあったが、なにしろ足元は走りにくいパンプスだ。スニーカーの私が追い付けないわけがない。ピンクの薔薇の花束を掴んだまま猛ダッシュする。バサバサとリボンとレースペーパーが風に嬲られ、せっかくの薔薇の花びらも景気良く舞い散っていく。

 西陽を背に私達は県道の歩道をアホのように疾走した。白いガードレールがほのかにオレンジ色に染まっている。日没までの三十分、夕陽が一番美しい時間だそうだ。つうか、太陽を背にして走っているのだから、そんなもん見れるかっ。

 進行方向の東の空は淡い夜に侵食されつつある。

 この時間の県道はそれなりに交通量がある。大型車両が排気ガスを吐き出して走り抜けていく。歩道には定間隔でプラタナスが植えてある。横手は雑木林と畑と時々民家が順々連なっている。ジョギングには見えない私達に、揶揄うようなクラクションを鳴らして通り過ぎていく車もあった。くっそぅ、うるさいんだよっ。

「可奈、お願いだから待って!」

 背の高いヒマワリ畑の前でやっと可奈に追いついた。手首を掴んだら、ぱしんと振り払い、またも駆け出す。ああ、もう、いい加減にしろ。どこまで逃げるつもりだ──

「何で追いかけて来るのよっ!?」

「可奈が逃げるからでしょっ!」

 ヒステリックに怒鳴られて、私も思わず怒鳴り返す。

「追いかけて来ないで! まだ時期じゃないのよ、放っておいて!」

「時期じゃないって何っ?」

「時期じゃないから時期じゃないのよっ!」

「意味わかんない、ちゃんと説明してよ」

「説明なんかしたって意味ない」

「なんで?」

「真里には分からない」

「分からないかどうか言ってくれなきゃわかんないだろ」

「分かるわけないから言いたくないのよ」

「こん……の、ラスボスっ!」

「はあ? なによそれ?」

 ぴたっと可奈は足を止めた。くるりと振り向き、キッと私を睨みつけて来る。結構な距離を走ったので息を乱して肩が激しく上下していた。夕陽に照らされて額の汗が光っている。

 思わず口を突いて出た。ラスボス。だって、可奈に話を聞いて貰う為に、よりにもよって可奈自身を攻略するのがこんなに大変だと思ってもみなかったから。

 ゲームは幾らかやったけど、こんな最強クラスのラスボス、初めてだよ。

 ぜいぜいと息を切らせながら、私も立ち止まる。膝に手を当て、前かがみになって呼吸を整える。汗がこめかみから顎を伝ってしたたり落ちた。アスファルトにぽたぽたと濃い色の点が増えていく。

「さ……さっきまでは、可奈は塔に閉じ込められた王女様だと思ってたけど、あんた、王女様じゃなくてラスボスだ。なんつうメンドクサイ女だ」

「私がモンスターだって言うのっ!?」

 腰に両手を当て、仁王立ちで可奈は怒る。

「そうだよ。勇者が最後に倒さなきゃならないモンスターだ。モンスターを倒さなきゃ、本当の可奈には会えないんだ」

「なによそれ……」

 私の言葉を届かせる為には、可奈のわからずやの鎧を、言葉の剣で斬り裂かなきゃいけない。

「可奈、お願いだから話を聞いて」

 喘ぐように懇願を吐き出す。可奈は腕組みをし、憮然とした表情を浮かべた。

「今さら何しに来たのよ?」

 振り回して全力疾走した為にぐしゃぐしゃになってしまったピンクの薔薇の花束を、可奈の眼前に突き付けた。

「プロポーズしに来たんだよ」

 可奈は目を見開き、しばらく私を凝視していたけれど、キッと眦を決して薔薇の花束を奪い取ると私の横っ面に叩き付けた。

「ふざけんなっ!」

 バサッ、とレースペーパーが大きな音を立てる。

 嘘だろう、花束で殴るか、普通?

 痛いわけじゃないけど、それなりのダメージはある。特にメンタルに。花屋のおばちゃんが棘を取っておいてくれて良かった。これ、棘が未処理だったら顔中ひっかき傷だらけになるぞ。

 一度では気が済まなかったのか、可奈は二度三度と薔薇の花束を私の顔に叩き付けた。

 バサッ、バサッ、バサッ、と大きな鳥の羽音にも似た風切り音が何度も起こる。

 八分咲きで綺麗だった花は無残に蹂躙され、ピンクの薔薇の花びらが辺り一面に舞い散っていた。

「もったいない……」

 可奈は怒りを爆発させた名残りで、目に涙を滲ませ、はあはあと肩で息をしていた。

「真里は勝手なのよ!」

「うん、分かってる。ごめん……」

「なんで今なのよ……」

「ごめん」

 ふううっ、と唇を震わせて、可奈はボロボロ泣き出した。

「私……髪、切れなかった」

「へ? ああ、長くてサラサラで綺麗だもんね」

 なんの話が分からず、場当たり的な返事をする。可奈は子供のように首を横に振った。

「違うよ。真里が髪の長いヒロインばっか描くから」

「読んでくれてたんだ。じゃなくて、いや、なんですと?」

「ヒロイン、みんな、私に似てる」

「ええぇっ?」

 私は思いっきりうろたえた。

 特に意識していなかった。というか、可奈をモデルにしたことなんか無い。担当さんの言う通りに読者ウケの良いデザインにすると、メインヒロインは自然と黒髪ロングになってしまうのだ。ただのテンプレだ。清楚な女の子は黒髪ロングと相場が決まってる。

「違う、違う。ぜんぜんそんなつもりなくて……」

「嘘。適当な誤魔化しを言ってるんでしょ?」

「だから偶然だって。つうか、髪が長いだけで、他は別に似てないよね」

 可奈は、似ていないという事実を断じて認めず、駄々をこねるように首を振った。

 ああ、そうか。これは──最初の間違いからのやり直しだ。またというのか、

「真里の描くヒロインは、いつも私に似てる」

「別に可奈はモデルにしてない。だから全然似てないよ」

 私は可奈を睨んで言った。可奈も頑是なく睨み返してくる。

 ここで引くわけにはいかない。

 もう勘違いや誤魔化しで流してしまうわけにはいかない。

 ちゃんと真正面から向き合って、自覚して、その上で、可奈を好きでいたい。

「真里の描くヒロインは私に似てなきゃダメなのよ」

「似てないよ」

「似てるのっ! じゃなかったら、真里は私のことなんかどうでもよかったって事になる。三年間ずっと一緒だったのに、私を好きだって言って付き合ったのに、それなのに何も残せてないなんて、そんなの耐えられない!」

「待て待て待てっ。おかしいっ。全体的に論理がおかしいっ!」

「真里が私を覚えている証拠なんだもん。ヒロインは私に似てなきゃダメなのよ!」

「可奈、それ本気で言ってる?」

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