嘘つきハニー/24

 どうするか、決めた。

 可奈に会いに行く。それでどうなるかは考えない。でも責任は取る。許してくれるかどうかは可奈に任せる。可奈が側にいてと言ってくれたらそうする。顔も見たくない、消えろ、と言うならそれでもいい。従おう。ただ、もう可奈の本当の気持ちを知らないまま、ぼんやり、いつか和解の時が訪れる、と思い込んで待つのは嫌だ。

 無視されるのは嫌だ。

 私は行動する。

 残る問題はひとつ。

 エッチできるかどうか。

 ええい、ままよ。成せば成る。成して成らなくても、私は可奈が好きだ。

 もしも出来なかったとしても居直ってやるぜ。

 そこで、はたと思い至った。

 ──可奈は、中学生の時の……事件で、傷付いたんだろうか?


   ◆◆◆


 愛というものを、私は生まれて初めて真剣に考えていた。

 オモチャの指輪を左手の薬指にはめた可奈は世界中の誰よりも幸せそうに見えた。

 誕生日に買わされた一万円のぬいぐるみよりも、たった二千円の指輪が可奈は嬉しかったのだ。あれが愛の証だったから。

 わずかな額だったけど、あの時期の私に取っては痛い出費で、一週間、ジュースもパンもおにぎりも買えない不便を我慢する事で、結構な犠牲を払ったつもりになっていた。

 誰かの為に何かを我慢する。自分を手離す。それが愛なのだと、私は思っていたのだ。

 あの時は──


   ◆◆◆

 焼けたアスファルトから熱気が立ち上がり、ゆらゆらと陽炎が揺らめく。

 昨夜は大泣きした後、お風呂を使わせて貰い、近所の洋食屋からケータリングしてあった豪華な夜食の御相伴に預かり、しっかり寝て、アシスタント代もきっちり頂き、遅い朝食に寧々ちゃんお手製フレンチトーストまで食べさせて貰って帰って来た。

 駅舎の時計は午後二時を指している。

 今日も良く晴れている。青い空が眩しいぜ。

 じりじりと肌を焼く陽射しを浴びて、さて、と歩き出した時、駅前のロータリーに見覚えのある軽トラックが入ってきた。くっきりした太い黒文字で描かれた《大塚酒店》のロゴが夏の日射しに照り映える。

 私の近くで車を停め、大塚は窓を開け、スチャッと片手を上げた。

「よう、谷中、最近よく会うな」

「大塚、丁度良かった!」

 たたっ、と大塚酒店の軽トラックに駆け寄る。よし、決めた。これぞ天啓。

「後で店に行くから、この前の日本酒、贈答用に包んどいてよ」

 試飲で飲ませてもらった福井の地酒、水のように澄んで、甘く、キレもあって、まさに神の雫だった。あれくらいのモノを捧げれば、可奈のお母さんの祟りも鎮まるだろう。

 大塚は営業が身を結んだことに気を良くして身を乗り出した。

「おっ、珍しいじゃん。何に使うの? 誰かの祝いか?」

「プロポーズ。あと、親に挨拶」

 にっ、と不敵に笑って宣言。考えていたわけではなく、今、ポロッと口を突いて出た言葉だけど、言ってしまえばしっくりはまった。そうだ、可奈にプロポーズしよう。それが相応しい。

 大塚はびっくりし過ぎて窓に掛けていた手を滑らせ飛び出しそうになった。

「えっ? プロポーズ? 誰が誰に──っ?」

「私が、可奈に」

「え? は? 可奈って橘さんか?」

 えええええええええっ、と大塚は絶叫した。

「はあっ? マジで? おまえらそんな関係だったの? 全然知らなかったわ。つうか、親に挨拶も同時? それは返事貰ってから、後日にしたほうがいいんじゃね?」

 仰天しつつも常識的なアドバイスをしてくれる。嫌悪や蔑み、否定や、厭らしい好奇心は無い。大塚は高校時代からずっとサッパリした良い奴だ。

 あんたはやっぱり良い奴だ。

 今ここであんたに会えて良かった。

「いや、決心が鈍る。やるなら徹底的にやる!」

「いやいやいや、なんつうか……色々ツッコミ所が多いんですけど、大丈夫か?」

「大丈夫かどうかは問題じゃない。やるかやらないかだ!」

 どん、と拳で胸を叩いたら、大塚は、しょうがねえな、と笑った。

「よっしゃ。なんかよく分からんけど、応援するよ。サービスで花束も用意しておいてやろうか。隣の花屋のおばちゃんに安く頼めるからさ。予算二千円でどうだ?」

 二千円か。今なら、余裕じゃないけど、普通に出せる。

「サンキュー、頼むわ」

 にっと笑ったら、大塚もにっと笑った。

「何時に取りに来る?」

「五時に」

「了解。五時な。今日は店早仕舞いにして、ついでに橘さん宅まで送ってやるよ」

「良いの? 助かるけど」

「うん。おまえがそんなに頑張るつもりになってると手伝ってやりたくなるわ」

 大塚は眩しそうに目を細めた。

「ありがとう。じゃあ、また後で」

 勢い良く手を振って走り出す。

「おう、待ってるぜ」

 大塚の声が追い掛けて来たけど振り返らなかった。気が急く。早く準備して、可奈に会いに行きたい。

 小走りでアパートに戻り、禊のつもりでシャワーを浴びて念入りに歯を磨いた。クーラーの効いた部屋で濡れ髪にドライヤーをかけて、いつもよりちょっと綺麗めにブローする。

 さて、何を着るか。

 下着姿で床に胡坐をかいて思案する。

 プロポーズなので衣装は大事な気がする。可奈は王女様のようなので、そうすると私が男役だろうか、と考えて、なんか変だな、と笑った。

「王子様なんてガラじゃないな」

 パッとしない、眼鏡のオタクっぽい女。実際オタク。しかもエロ漫画家。太ってはいないはずだけど、身長は百五十九センチで背が高いわけでもないし、美貌でもない。髪は適当なレイヤーボブでカラーリングもしていない。化粧もしないしスカートが似合うようなフェミニンな容姿ではないけど、私が男装しても似合わないし様にもならない。

 ううむ、ホント、どうしよう。

 法事用にブラックフォーマルのスーツは持っているけど、あれじゃおかしいよな。

 散々悩んで、結局いつも通りのラフな服装に落ち着いた。

 ジーンズにシャツとスニーカー。財布とスマートフォンとハンドタオルを入れたいつものボディバッグを背負って、よし、と気合を入れた。

 さあ、行こう。いざ出陣だ──!


   ◆◆◆

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