嘘つきハニー/25
勇者は左手に福井の地酒、右手にはピンクの薔薇の花束を持ち、大塚酒店の軽トラックから意気揚々と降り立った。
目指すは魔女の塔に囚われた麗しの可奈王女。
あまたの魔物を打ち倒し、勇者は可奈王女の愛を得る事は出来るのか。
気分はそんな冒険譚──
まあ、実際は、アポ無しで夕方にいきなり押し掛けるわけで、その非礼を詫びたり、挨拶をしたり、言い訳をしたり、可奈さんに会わせて下さいと懇願したり、それらのすべてを大人のマナーでしっかりきっちり礼儀正しく進めねばならないのだけど……
ちなみに、大塚酒店から橘家まで、車でも三十分はかかる。田舎は生活範囲がだだっ広いのでそれでも近い方なんだけど、他にも酒店はあるのに可奈のお母さんがわざわざ駅近くの大塚酒店を贔屓にするのは、この辺りでは珍しくラフロイグを取り扱っているかららしい。ラフロイグは可奈のお父さんの一番好きなウイスキーなんだとか。
そんなこんなを来る途中の車内で話してくれたが、大塚は何も質問してこなかった。
はっきり言って、同性愛は奇異の目で見られやすい、と思う。まだ自分が体験したわけじゃないけど、偏見や苦難があるだろう事は想像に難くない。
無神経な人ならあれこれ詮索してくるところなのに、大塚は、上手くいくといいな、と言っただけで後は他愛の無い世間話や野球の話をなんでもない調子で勝手に喋り続けた。気を遣ってくれたのだと思う。ありがたい。
そうして橘家の前に付く頃には夕方の六時になってしまっていた。
夏の六時はまだ明るい。橘家は相変わらずの豪邸だ。高校生の頃、毎日のように遊びに来させて頂いて馴染んだ場所ではあるけれど、六年四ヶ月もの空隙は、充分に私を部外者にしてしまっていた。
はあ、とひとつ深呼吸。
「大丈夫か? あそこの角で待ってるから、困ったら呼べよ」
大塚が車のドアから半分体を乗り出して心配そうに声をかけてくれた。指差している、あそこの角、というのは少し離れた雑木林と竹林の間の細い道路に折れる角の事だ。橘家の門前に車を停めっぱなしにするわけにもいかないので気を遣ってくれたのだろう。
緊張で顔が引き攣るが、感謝を込めて、少々ぎこちない笑顔で頷き返した。
「うん、大丈夫。ありがとう」
大塚は軽く片手を上げてドアを閉め、軽トラックは滑らかに角を曲がって停車した。あの道を真っ直ぐ行くとうちの実家に続く道に出る。高校生の頃、毎日のように通った道だ。
こほん、とひとつ咳払い。
門のインターフォンを押し、橘家の誰かが応答してくれるのを待つ。心臓がドクンドクンとうるさく鳴って、すうっと指先が冷えていった。
「はい? どちら様ですか?」
可奈のお母さんだった。
「突然の訪問失礼します。谷中真里です。可奈さんに直接お会いしてお話をさせて頂きたく、まことに勝手ながらお邪魔しました」
まあ、とインターフォンの向こうで可奈のお母さんは鋭い声を上げた。
「どういうつもり? 突然来るなんて失礼でしょう?」
「はい、ですからお詫び申し上げました」
「ちょっと待ってちょうだい。すぐ出ますから」
ブツンッとインターフォンは切れ、十秒と経たずに可奈のお母さんが玄関から現れた。
「何のご用? いったい何をしにいらしたの?」
突然訪問したにも関わらず、可奈のお母さんはきちんとした格好をしていた。上品なワンピースを着て化粧も髪も隙が無い。橘建築デザイン事務所の社屋は橘家本宅と同じ敷地内にあるので、いつ顧客が訪ねて来ても良いように、可奈のお母さんは昔から常に身綺麗だった。
さすがだなぁ、と感心しつつ、毅然と顔を上げて告げる。
「お母さんではなく、可奈さんにお話があるんです」
「可奈はまだ帰っていません」
取りつく島もない返答に、
「じゃあ、ここで待たせて頂きます」
私は門柱に背中を預けて梃子でも動かない姿勢を取った。
可奈のお母さんは柳眉を逆立てた。
「どういうつもり? もう可奈に会わないようお願いしましたよね?」
おいおい、あれがお願いですと? 脅迫の間違いじゃないか?
内心では少し怯んだが、もう迷いは無い。
そもそも、一生添い遂げる覚悟が無ければ会わないでくれ、とは言われたけど、それって、覚悟が出来たら会って良いって事じゃないのか──
「すみませんが、これは私と可奈さんの問題です。可奈さんに会うまで帰りません」
可奈のお母さんは怒りで顔面蒼白になっていた。ひくひくっ、と口の端が痙攣している。
「あなた本気なの? 可奈と一生添い遂げる覚悟が出来たって言うの?」
さすがは可奈のお母さん。ご自身の言葉は覚えておられた。
「はい。私は添い遂げるつもりですが、可奈さんと話し合ってみなければ結果は分かりません。振られるかも知れませんから」
くわっ、と可奈のお母さんは両の眼を見開いた。
「釘は刺したはずですよ。可奈の心に波風立てないでちょうだい。やっと落ち着いたところなのよ。あなたさえいなければ、あの子も他の人に目を向けて幸せになれるかも知れないでしょう。あの子の時間を無駄にさせたいの?」
「私じゃ可奈さんを幸せに出来ないって意味ですか?」
「そうよ。あなたじゃ無理よ」
「無理かどうか、やってみなければ分かりません」
「あなたって人は──」
可奈のお母さんがカッとして手を振り上げた時、青いBMWが眩しい西陽を受けて、県道から橘家の前の道路に曲がって来た。
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