嘘つきハニー/23
寧々ちゃんが腐女子だという事は知ってたけど、自分を冷静に分析している姿を見せつけられると改めてビックリした。
「あ、もちろん生身の人間と付き合うとかエッチするとか無理。吐きそう」
──うわあ、衝撃の事実!
だいぶ前にテレビで見たけど、最近はこういう性欲の薄い若者が増えてるらしい。
そんなに特別な事じゃないと思ってたけど、まさか、この二人がそうだとは……
いや、っていうか……
「寧々ちゃんとエウレカは付き合ってるんだと思ってたよ」
「あ、来年結婚するよ」
「うん、結婚する」
アッサリ、告げられてあんぐりと口を開けてしまった。
「はあっ?」
初耳ですけど。
「意味わかんない、あんたら……」
エウレカは祈るように目を閉じた。
「セックスなんて重要じゃないのだよ。自分の人生にその人が必要かどうか、その人のことを大切にしたいかどうか、それだけだ」
寧々ちゃんは片目を瞑って悪戯っぽく口角を上げる。
「ね? 形なんて、人それぞれでしょ?」
そう言われると、よく分からないけど、暖かい何かが染み込んでくるような気がした。
「責任取っちゃえばいいんだよ。さっさと可奈さんに会いに行って、真里の気持ちを伝えればいい。それで許して貰えたら一生側にいればいいじゃないか」
なんでもない事のようにエウレカは言う。
「そんな簡単に……」
この二人と可奈は違うと思う。だって、中学生の頃に家庭教師の女性と裸でベッドに入っていたのだから、たぶん、きっと、可奈は恋人とはエッチしたい人だ。自分にそれが出来るのか、可奈とエッチしたいのか、それが最大の難問なのだと、やっと悟った。
可奈のお母さんに言われた言葉の意味もやっと理解出来た。
「やっぱり無理でした、じゃ困るのよ」
というのは、そういう意味なんだ。
確かに、エッチする段階で「やっぱり無理」なんて言われたら、普通の人は立ち直れないくらい傷付くよ。
あの王女様のように美しい可奈がそんな風に拒絶されるべきではない、と思う。
六年と四ヶ月前にはサッパリ分からなくて、というか、可奈に偶然出くわして無視されてショックを受けるまで考えもしなかった問題に、今、答えを出すなんて無理だ。
ぐむむむ、と唸っていたら、エウレカに蔑むような視線で睨まれた。
「だいたい真里は図々しいんだよ。僕達も無責任な推理をしておいてなんだけど、それが全部間違っていて、実は可奈さんには六年前からずっと恨まれ続けていて、会いに行ったら思いっきり拒絶されるかも、とかは思わないわけ?」
あ……その可能性は考慮してなかった。
◆◆◆
「それはともかく、ネーム持って来たんでしょ?」
「見せてよ」
いきなり話が変わって、ほえっ、と妙な声を出してしまった。専門学校時代からこの二人はマイペースで空気を読まないというか、気にしないというか、人の気持ちが落ち着くのを待つというような気遣いは一切無かった。
──おいおい、こっちは悩んでんのによぅ。
そうは言ってもエウレカは忙しい。アシスタントはさせられたけど、私の為に貴重な時間を割いてくれているのだ。よし、と気持ちを切り替え、可奈の事は一旦心の隅に追いやった。
「う……うん。いいけど……エウレカと比べないでよ?」
この時は、可奈の問題と無関係だと思っていたのだけど、後になって振り返ってみれば、一番新しい漫画のネームを第一線で連載を持っている人気漫画家に見てもらうという事は、今の自分の実力を漫画というものよくよく理解している全き裁定者に見てもらうという事で、私がぐずぐずと話した悩みのひとつ「可奈と比べて自分が惨めだ」という情けない劣等感をどう解消するか、その答えを見出す為の重要なステップだったのだ。
エウレカと寧々ちゃんは恐いくらい頭が良い。
私が任された分のトーン処理は終わっていたので、パソコンをスリープにする。それから、仮眠部屋に置いてあったトートバッグからネームデータの入ったUSBメモリを持って来て、両手で捧げ持って頭を下げながら、椅子にふんぞり返って足を組んでいるエウレカ先生にお渡しした。
「よろしくお願いします、先生」
うむ、と鷹揚に頷いてエウレカはUSBポートにメモリを挿した。データはすべて解像度200のJPGにしてある。フォトビューアーですぐに開ける。
エウレカの椅子の後ろから寧々ちゃんと私も立ったままパソコン画面を覗き込む。
カチッ、とエウレカがマウスをクリックする音が響いた。
私のネームが表示され、緊張でごくりと唾を飲む。
カチッ、カチッ、カチッ、とクリック音だけがやけに大きく聞こえる。
短いページ数のエロ漫画なのに、メジャーな月刊少年誌で連載をしている人気漫画家のエウレカと、そのチーフアシスタントをしている寧々ちゃんは真剣に読んでくれた。
エロがどうとかこうとか小馬鹿にしたように茶化す人達とは違う。漫画として、作品としてどうかを、彼らは大真面目に考えてくれる。恥ずかしがったり、誤魔化したり、ふざけたり、ましてや見下したりは絶対にしない。本気で漫画に向き合っている二人は漫画に対してはいつだって真剣だ。
漫画が死ぬほど好きだからだ。
最後のページを読み終えて、エウレカは、うん、と頷いた。
「やっと情が乗ったじゃん」
「え……?」
くるりと椅子を回転させてエウレカは私を正面から見た。
「正直、真里には才能が無いと思ってた。描くモノ描くモノ流行りモノの上澄みを掬っただけの寄せ集めで、キャラは可愛いだけのお人形、血も通ってなければ生きてもいない、ストーリーなんて無い、ただ出来事を羅列して、それらしく漫画の上っ面を撫でて無難に纏めただけの偽物、漫画っぽいモノでしかなかった。作者の情念がこもってなかったんだよ。それじゃ読者の心には届かない、愛されない。描けない奴だと思ってた」
うぐっ、と私は言葉を詰まらせた。そこまで言うことねえだろ。
「けど、これは漫画だ。面白い。惹き込まれるよ」
「へ?」
エウレカは初めて見る爽やかな笑顔で言った。
「漫画に魂が入ったって言ったんだよ。真里、やっと漫画家になったな」
おめでとう、と肩を叩かれてふらふらとよろめき、どすんと床に尻もちをついた。
寧々ちゃんも私の顔を覗き込みながら、おめでとう、と言ってくれた。
「なに、この状況……?」
ヤバイ、涙腺が崩壊する……ッ!
──私、漫画家になれた? エウレカに認められた? 人気作家に褒められた!
「うっ、うえっ、エウレカ、寧々ちゃん」
うん、とエウレカが頷いた。
うんうん、と寧々ちゃんも頷いた。
「ありが……うわあああぁぁぁぁぁんっ!」
私は堪え切れず声を上げて大泣きしてしまった。寧々ちゃんがそっと抱いてくれて、子供をあやすように背中をぽんぽんと撫でてくれる。
「よしよし、お疲れ様。頑張ったね……」
うん、頑張った。やっと頑張ったよ、私──
◆◆◆
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