嘘つきハニー/21
ドアを開けて出迎えてくれたのは家主ではなく寧々ちゃんだった。
寧々ちゃんは二つ年上の二十七歳で小柄で小動物系の可愛い人だ。肩より十センチほど長い黒髪を二つに分けて三つ編みにし、黒縁の眼鏡をかけていて、パッと見は地味だけど不思議な色気がある。今日はなぜか黒いナース服を着ていた。
「なにソレ?」
思わず凝視してしまう。
「あ、これ? ちょっとストレスが溜まってたから気付けに」
「気付けにナース服って、なんでねやん」
エセ関西弁でツッコミを入れたら、金髪の黒ナースが奥からひょっこり顔を出した。肩に届きそうな長さのサラサラのボブカットが綺麗に揺れている。
「お二人さん。玄関先で騒いでないで、さっさと中に入ってくれない?」
低い男の声で言われて、おわっ、と仰け反る。
「相変わらず……エウレカはエウレカだねぇ……」
身長百七十センチ、細身でアッサリした顔立ちの黒いナース服を着た男。二十五歳、独身。これが人気ファンタジー系月刊少年誌で絶賛連載中のエウレカ何某先生だ。
「なにじろじろ見てんの?」
「いや、メイクはしないのかな、と」
「今日は仕事中だからしないよ。なんか文句ある?」
「無いです……」
こいつが専門学校時代から注目を集めていた理由の一つに、この少し変わった服装も挙げられると思う。講義が始まってすぐに、女装で通学して来てる奴がいる、とちょっとした騒ぎになった。アッサリした顔立ちなので意外とメイク映えして美人に見える。でも、女っぽい作り声や喋り方はしない。可愛い服を着るのが好きなだけらしい。これが彼の普通なので、変だよ、とは言えない。だって、エウレカはエウレカだから。つうか、こいつの性格は女装なんか霞むくらいの超ド級の変わり種で、女装してるから変人なのではなく、服装がどうだろうが変人なのだ。
ちなみにエウレカというペンネームは、アルキメデスの原理を見付けた時アルキメデスが「エウレカ(=見付けた)」と叫んだという故事から取ったと本人は言っている。けど、それが後付けの設定だと私は知っている。元ネタは中三の時に見たアニメのクール系美少女キャラだろ。
「お邪魔します」
中に入ると広いリビングの真ん中に机が四つ向い合せの島状に並べられていて、いかにも仕事場という雰囲気だった。エウレカは──私も同じく──漫画制作ソフトを使用してネーム&下書きからデジタルで作画をしているので、紙はほとんど使わない。仕上げももちろんデジタルで、それぞれの机にデスクトップパソコンが設置されている。部屋全体が白木のインテリアで統一されていて、白い遮光カーテンが閉められていた。
珍しく他のアシスタントさんはいない。
ここ使って、と寧々ちゃんの隣の席を示される。了解、と敬礼してから、手土産を渡していなかった事に気付いた。
「これ差し入れのバウムクーヘン。寧々ちゃん好きだったよね」
「えっ、ありがとう。めっちゃ嬉しいっ!」
寧々ちゃんが紅茶を淹れている間に、通いのアシスタントさん用の仮眠部屋を借りて作業着のジャージに着替え、さっそく仕事に取り掛かる。
パソコンを立ち上げ、漫画制作ソフトを起動して、貰ったデータ原稿の指定された箇所にペンタブレットを使ってベタとトーンを施していく。
背景は寧々ちゃんが描いているので、私にお鉢が回ってくることはない。寧々ちゃんは自分でストーリーを作ることが苦手で、早々にデビューは断念し、専門学校を卒業してすぐにエウレカの専属アシスタントになった。在学中から、エウレカの作品を愛していると公言していたので、これが寧々ちゃんにとってはベストな選択なのだと思う。
「はい、紅茶とバウムさん、お待たせです」
それぞれにおやつが配られ、左手で紅茶を飲んだりバウムクーヘンを食べたりしつつ、右手はしっかり作業を続ける。行儀は悪いが、仕事中は仕方ない。
「しかし、三人そろって眼鏡って、絵ヅラ悪くないか?」
唐突にエウレカがおかしな事を言い出した。絵ヅラってなんだよ。仕事にそんなもん関係無いだろ、と内の中で突っ込んでいたら、寧々ちゃんも似たような事を言い始める。
「うん、バランス悪いね。いっそこの世界観、眼鏡モノって事にしとく?」
世界観? 世界観って何? ここは現実ですから──
「いやいや、ちょっと、ちょっと!」
呆れ顔でアホ二人にブレーキをかける。放置しておくとどんどん話がブッ飛んで宇宙の果てまで行ってしまいかねない。この二人のアホさ加減は侮れない。
「三人そろって眼鏡とかそんなん以前におまえら二人の黒ナースが異様だからな」
びしっと言ってやったら、
「じゃあ、真里もナース服着ればいいだろ」
しれっとエウレカは切り返した。着れるか、そんもんっ!
「これだから漫画家は嫌なんだよっ。うちらの絵ヅラなんかどうでもいいだろっ」
「良くないっ」
「良くないぞっ」
自分を棚上げに漫画家を非難したら、ほぼ同時に異口同音の叱責が飛んでくる。
エウレカは昔から奇妙な感覚の持ち主で、いつでも、どこでも、なんでも、漫画として描くなら如何か、と考える奴なのだ。だからこうしてただ黙々と作業をしている自分達の現在の姿さえ、俯瞰して漫画のワンシーンとして考えてしまう。どうやら眼鏡のせいでキャラクターデザインが被ってしまってお気に召さなかったようだ。じゃあ黒いナース服はどうなのかと疑問に思うのだが、おそらく、制服だから被って当然、と返されそうで訊く気になれなかった。
まあ、一種の職業病だけど、天才っぽくて実は少し羨ましい。
とはいえ、エウレカだけならまだしも、寧々ちゃんまで、今ではすっかりエウレカに感化されて、まるでエウレカが二人いるようで濃い。濃いよ。濃過ぎるよ。
すごいよ、この異空間──
「そう言えば、真里が相談したい事って何なのさ?」
唐突にエウレカに言われ、あっ、と私は声を上げた。
あまりの濃さにうっかり流されていた。
そうだった。そうだった。
可奈の事を相談したいと思って来たんだ。
はあ、と溜息をひとつ。
「うん、ちょっと、色々あって混乱しちゃってね……」
何をどう話そうか──六年四ヶ月ぶりに可奈を見かけ、ガン無視されてショックを受けたあの日から、急に停滞していた時間が流れ始めたようで、沢山の問題と悩みと感情がいっぺんに降りかかって来て、息もつけない有り様だ。
もしかしたら、逃げていた六年と四ヶ月分のツケを払え、と神様に言われているのかも知れない。
◆◆◆
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