嘘つきハニー/19
「あの……」
なんとなく……いや、ハッキリとした嫌な予感に、私は話を遮ろうとした。
その先は聞きたくない。そう思ったのに、
「二人が裸でベッドにいるところを見たわ」
可奈のお母さんは押し殺した声で、恐ろしい呪いを吐き出してしまった。
ガツンと後頭部をハンマーで殴られたような気がした。
──可奈が、中学生の時に、女の人と……?
「そんな……」
ビックリしたし、すんなりと納得もしていた。
可奈なら有り得る。中学生で誰かの心を魅了してしまう事も、その相手が女の人だという事も、あの透明な美しさなら、有り得ると思う。
けど、中学生を相手に──?
「それって、淫行じゃありませんか!」
思わず怒りを露わにしてしまった。中学生を相手にそんな事、許せない。
「そうですよ、犯罪です。可奈はまだ十四歳でしたからね。警察を呼ぶ事も考えましたけど、可奈の為に、穏便に済ませる事にしたんです」
家庭教師は、もう二度と可奈に近付かないと約束させて解雇したという事だった。
「この事は主人も知りません。私と可奈の二人だけの秘密です。私は可奈の母親です。あなたや他の人からどう見えるとしても、私は、あの子が可愛いんです。世界一大切に思っています。ですから、どんな場合でも私は可奈の味方をします」
ずっと顰められていた秀麗な眉目が微かに震えた。
ああ、この人、可奈に似ている、と初めて思った。可奈のお母さんは美人だった。いつも不機嫌そうに表情を強張らせていたので気付かなかった。それくらい、可奈をいつも心配していたのだ。
優しいお母さんだ。
「可奈は、あなたを駅ビルで見かけたと言った日から、ずっと落ち込んでいるんです」
どういう事かしら、と詰問された気がした。
うぐっ。やっぱ怖いわ、この人。
「あの……それは、ちょっと私にも理由が分からなくて……挨拶したんですけど、無視されてしまって……」
まさかここで自分に水が向けられるとは思っていなかったのでしどろもどろになる。
「あなた、鈍いのね。それとも面の皮が厚いのかしら?」
空気の鞭で鋭く撃たれる。ビシッと背筋が伸びた。
「回りくどい言い方はしないわ。可奈とは二度と会わないでちょうだい」
伸びた背筋が凍った。
「え……と、どういう意味で?」
その瞬間の私は間の抜けた顔をしていたと思う。この母にしてあの娘あり、だ。話の展開が急過ぎて感情の理解が追い付かない。
「可奈はあなたが好きなのよ。あなたが可奈とどういう関係だったのかは、可奈から聞いてよく分かっています。子供のおままごとだったようだけど、それでも可奈はあなたを好きだったのよ。気紛れに別れを告げられて、可奈がどんなに泣いて悲しんだか……」
おおぉう、と私は心の中で仰け反った。もちろん、実際には微動だにしていない。
まさか、そんな、付き合ってた事がバレバレだったとは!
その件も驚きなら、私と別れて可奈が泣いたなんて、そんな話を、よりにもよって、可奈のお母さんからされるとは思わなかった──
だって、こんな、有り得ない。私の立ち位置おかしくない? これ、女の子を弄んで捨てたロクデナシの男みたいじゃん。
うああぁっ、と再び私は脳内で呻いた。
可奈のお母さんは石像のように固まった私を見て、呆れたように溜息をついた。
「男性が好きなら、二度と可奈の前に現れないで。引っ越しの費用が必要なら工面します。可奈と顔を合わせないで済む場所へ行ってしまってちょうだい。漫画家なんてどこででも仕事は出来るのでしょう? 可奈を苦しめないで」
物凄い言われようだったが、私は少しも腹は立たなかった。むしろ、言われて当然だと思った。それどころか、可奈の前から消えるなら引っ越し費用を出してやるという言葉には魅力すら感じた。そうやって逃げてしまうのもありかもしれない。
けど……
苦しめる? 私が会いに行ったら可奈は苦しむのだろうか?
自分でもおかしいほど、私はその言葉に打ちのめされた。可奈を苦しめたいなんて、わずかでさえも思った事は無いつもりだったから。六年四ヶ月前、自分から別れを切り出しておいて図々しいけど、でも、苦しめたくて言ったんじゃない。少なくとも……
だけど、可奈のお母さんは私にじっくり考える時間をくれないのだ。
「私は子供の恋愛にうるさく口出しするつもりはありません。性別なんてどうでもいいと思っています。可奈が幸せならどんな相手でも構わないの。でも──」
決定的な言葉を口にした。
「あなたはどうなの?」
私はどうなのかって──?
「可奈があなたを想うのと同じように、可奈を想ってくれるのかしら?」
「それは……」
すぐに答えられるわけがない。
「でも、私はちゃんと可奈と会って話したいんです。あの時、どうして無視されたのか知りたい。可奈の口から理由を聞きたい」
「本当にそうしたいの?」
鋭く切り返されて、私は可奈のお母さんの気に飲まれてしまった。
「可奈の心に波風を立てて、やっぱり無理でした、じゃ困るのよ」
無理でした、じゃ困る……そうだ、可奈との関係の修復が無理だった場合の事を考えていなかった。しおしおと気持ちがしぼんでいく。
私には可奈に会う資格なんか無いのかもしれない。
過去最高傑作のネームを完成させて、頂点に達していたテンションは、完全に地の底まで落ちてしまった。
決心は、完全に揺らいでいた。
「可奈に会うという事が、どういう結果をもたらすか分かっていて? あなたに会えば可奈は平静ではいられないわ。六年経って、やっと落ち着いてきたところなのよ? 真剣に考えてちょうだい。あなた、あの子と添い遂げてくれるの?」
添い遂げる? 添い遂げるって何?
一生を可奈の為に捧げるってこと──?
「そんな……」
「答えられないのね」
可奈のお母さんは冷たく言った。
答えられるわけがない。
だって、一生ってものすごく重い。
私にそんな覚悟があるのか?
何も言えなかった。ただ、可奈が今、何をどう思っているのか、その気持ちが知りたいと思うばかりで、その先の事まで深くは考えていなかったのだ。
◆◆◆
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