Sugary Walk/07

 ごめんなさい、と言いかけた時、異変に気付いて私は息を飲んだ。

 小路の先、ツツジの花が満開に咲き誇っている生垣の向こうに、あのストーカーがいた。

 初めて追いかけられた時と同じようなダークカラーのスーツ着て、怪しいサングラスをかけている。辺りをきょろきょろと見回して、何か……いや誰かを探しているように見える。きっと麻紀を探しているのだ。

「隠れて、あいつだわ」

 私は麻紀の腕を引いて、近くの板塀の陰に隠れた。

「あいつって?」

「あのストーカーが……」

「ストーカー?」

 板塀の陰から少し顔を出して、うろついているストーカーを姿を認めても、麻紀は呆れたように溜息をついただけで、なぜか呑気な顔をしていた。

「こんなに付き纏われているのに、どうして警察に届けないのよ?」

 カッとなって私は怒鳴ってしまった。近くに居るストーカーに気付かれないように声は低く抑えておいたが、気持ちは十分に伝わったはずだ。

 私と一緒にいる時だけでも、すでに二度も後をつけられているほど粘着質な男だ。何をされるか分からないのに、どうしてそんなに危機感が無いのだろう。危害を加えられたらどうするつもりなのか。

「それはその……言っても無駄だから」

 麻紀は煮え切らない調子で誤魔化し笑いをする。何を考えているのか理解できない。

「何言ってるのよ、危ないじゃない」

「まあ、なんとかなるわよ」

「それより、返事を聞かせて欲しい。私にはチャンスは無い?」

 なんてバカなの、と私は心底呆れ果てて、完璧に頭に来た。

 いいかげんにして、と怒鳴ろうとした時、

「姉さん」

 重低音の声が聞こえ、振り向くと、ストーカーがほんの数歩の距離に立っていた。

「やっと見つけた。二度も見合いすっぽかして何やってんだよ。母さんカンカンだぞ」

 サングラスを外した男は、意外にも優しい目をしていた。

「え……この人……姉さんって?」

「どうも、姉がお世話になっています。弟の康之です」

 麻紀の弟だと名乗った彼は、人懐こい笑みを浮かべて丁寧に頭を下げた。理解が追い付かなくてぽかんとしてしまう。最近のストーカーは、こんな風に礼儀正しく挨拶をするものなのだろうか……

 説明を求めて麻紀の方を向いたら、額に手を当てて、しまった、という顔をしていた。

「どういうこと? ストーカーじゃなかったの?」

「ストーカー? それ、俺の事ですか?」

 いやあ参ったなぁ、と彼は後頭部を掻いた。

「姉が何か馬鹿な事を言ったかも知れませんが信じないでください。時々、人を揶揄うような悪ふざけをする人なんです」

 こうして間近で見ると、強面だが、感じの良い青年だった。整った面差しは、少しだけ麻紀と似ている。血の繋がりのなせるわざだろう。

 それが、すべてを物語っていた。

「お姉さんは、よく嘘をつくんですか?」

「ええ、まあ。本人に悪気はないんでしょうが、姉は適当な性格で、家族は困ってます」

 弟さんは屈託なく笑って、ぺこぺこと頭を下げた。そういう振る舞いをすると、鍛え上げられた筋肉質なガタイも途端に明るく優しい雰囲気になって、ホームドラマでよく見る出来の良い弟そのものだった。

 愛想笑いをすることも出来ず、私は凍り付いたように無表情になっていた。何かおかしいと気付いた弟さんは、表情を真顔に改めて私を気遣ってくれた。

「すいません。何かご迷惑を……」

 秀でてすっきりとした鼻筋は麻紀とそっくりだ。

「なんでもありません」

「でも……」

「本当になんでもないんです」

 我ながら、なんでもないという声音ではなかった。

 弟さんは困惑して押し黙ってしまったし、麻紀も私のただならぬ様子に顔色を変えていた。

「実桜さん?」

 嘘……──

 嘘だったんだ。ストーカーに付け狙われていると言った事も、だから相談に乗って欲しいと言った事も、ぜんぶ嘘。

《人を揶揄うような悪ふざけをする人なんです──》

 ついさっき、弟さんが行った言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡った。

 私を好きだと言ってくれた事さえも、嘘だったのかもしれない。

 眩暈がした。ぐらぐらと地面が揺れて、揶揄われていたのだという恥辱と、怒りと、わけの分からない恐怖にもみくちゃにされた。

 麻紀のようなハイソな人に好かれていると思い込んで調子に乗ったバカな私を、彼女は内心で嘲笑っていたのかもしれない。

 平凡な、つまらない女のくせに。そう考えただけで、全身が震えた。

「嘘をつくような人だったのね」

 あっ、と麻紀は息を飲んで、蒼褪めた。

 演技にしては真に迫っている。

「違うの。それとこれは全然違う。話の次元が違うわ」

「同じよ」

 鼓膜を打つ自分の声がやけに冷たく硬かった。知らない人の声みたいだ。

「下らない嘘をつく人は嫌い」

 私は踵を返し、そのまま振り向かずに歩き出した。

「実桜さん、どこへ行くの?」

 麻紀は慌てた様子で後を追って来た。

「帰るんです」

「待って、お願いだから話を聞いて」

 腕を掴まれ、振り払う。

「実桜さん」

「付いて来ないで!」

 きつい調子で怒鳴ったら、麻紀は傷付いた顔をして足を止めた。呆然と立ち尽くす麻紀を無視して、私はすたすたと歩き続けた。もうこの場には一秒たりとも居たくなかった。

 嘘をつくような人の側には居たくない。

 どうしてそこまで激しい反応をしたのか。

 私に取っては、揶揄われていたのかも知れないという、その可能性だけで十分だった。

 もう二度と、麻紀には会うまいと心に誓った。

 私はもう三十五歳だ。この歳で心惹かれた相手には裏切られたくない。

 裏切られたくないのだ。

 麻紀にだけは……


   ◆◆◆

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