悦楽の時
初仕事の機会はまもなく訪れた。数日後、郷須都からメールが届き「テーマは特に設けないから、まず一本書いてみてくれないか」との依頼があった。ここは腕の見せ所だ。そこで村瀬は以前から温めていたテーマを披露した。
現代人は商品そのものよりも、それに付随する記号的意味作用を消費すると言われている。芸術も人々を魅了しているのは作品の内容よりもイメージだ。現代では高級なイメージはどうやって作られ、広まっていくのかをマスメディアの動向の中に位置付けようとする試みだ。
アイデアは洪水のようにわいてきた。筆は実に早く進み、二週間ほどで一気に仕上げた。モーツァルトの交響曲と同じくらいの制作期間だ。村瀬は一本の論文がこんなに早く出来るのかと自分の力量に感嘆した。
書き上げてみて、こう思った。今回は今までとは毛色の違う論文になった。テクストを対象的に分析していくのではなく、様々なメディアを横断した視点から現代的なフィールドを一望できた。こんなエキサイティングな経験は初めてだ。
完成してから数分後には郷須都に電話をかけた。急ぐ必要はないからメールでも事足りるが、早く知らせたい気がしたのだ。電話がつながると、開口一番吉報を告げた。
「郷須都さん。論文が完成しました」
「もう出来たの? これは驚いたな」
郷須都も喜んだ様子だった。
「土曜の三時にハチ公前で待ち合わせよう。原稿を持って来てね」
郷須都は簡潔に用件を伝えて電話を切った。村瀬は受話器を置いた後も達成感と微かな興奮に震えていた。
その週の土曜日、二人は再び渋谷の喫茶店で会談した。
村瀬にとってはここに来るのは二回目だが、なじみの店のような気がした。同時に初仕事を終えたばかりなのに、もうゴーストライターが板に付いたような錯覚さえ覚えた。
「これが原稿です」
村瀬は紙の束が入った封筒を強く握って差し出した。その目は自信と誇りにぎらついていた。
「仕事が早いね。僕が見込んだ通りだ」
郷須都は満足気に言って、封筒を受け取った。
「書きたかったけど書けなかったテーマはたくさんありますからね」
「ストックがたくさんあるなら今後も順調だね。これが報酬だ」
郷須都は札束が入った封筒を差し出した。手渡しなのは確定申告しなくてもわからないようにするためだろう。金額は事前に知らされていたが、いざ手にしてみるといくら入っているのかわからないような感覚だった。これで契約(と言っても契約書なんて書いていないが)は成立した。
郷須都はミッションを終えたばかりの村瀬をねぎらった。
「初仕事の感想はどうだい?」
「論文を書くのがこんなに楽しかったのは初めてです」
「それはなぜだろう。報酬をもらえるからかな」
「さあ……。でも、なぜかそんな気がしました」
その答えは制約を逃れて自由に論文を書けるからだが、この時の村瀬は自分でも気付かなかった。
郷須都は次の仕事について話し始めた。
「さっそくだけど、次の論文を書いてくれるかな。テーマは日本近代文学で、ちょっと君の専門分野とは合わないかもしれないが」
「やってみせますよ。俺はもうプロですからね」
「頼もしいねえ。ただし今回は手堅く控えめに頼むよ」
手堅く控えめにという言葉の意味は説明されなくてもわかった。奇抜なテーマに沿って大胆な結論を述べず、地味で平凡な論文に仕上げてくれという意味だ。これは学生の卒業論文か修士論文で、教授から審査されるからだろう。
「次も期待に応えてみせます」
「どんな依頼もこなせるなんて、すっかり論文職人だね」
「論文職人って何ですか?」
「研究者は芸術家型と職人型に分かれる。前者は自分の研究成果を論文に表わそうと苦心するが、後者は論文を整えるために研究の方を柔軟に加工する。芸術家型の頑固者は学術的には優れた論文を書けるだろうが、融通がきかないから出世できない。教授になれるのは周囲に合わせてカメレオンのごとく体色を変える職人型の方だよ。ゴーストライターなら、なおさらそうでなくてはね」
「そうですか。職人の仕事にも矜持という精神性がこもっていますけどね」
「では、次も早い完成を期待しているよ」
二人は義ではなく利のみによってつながっているはずだが、既に旧知の仲だ。二人は喫茶店を出ると、別の方向に歩き出した。
土曜の渋谷は人が多く、急いで歩けない。村瀬のかばんの中に大金が入っているのに群集が気付くはずはないが、なぜか知られているようで緊張してきた。だが、この感覚にも近いうちに慣れてしまうのだろう。そう思うと、顔に出さずに心の中だけでクールな笑みを浮かべた。
村瀬は電車に乗っている間、ある音楽評論家の著書にこんなことが書いてあったのを思い出した。
現代では音楽のコンクールが盛んに催され、優勝した若者は時代の寵児としてもてはやされる。しかし、それは音楽の質の向上に役立ってはいない。コンクールでは減点されないように全ての音を粒をそろえて正確に弾く方が高い評価を得られるため、それに合わせたコンクール用の演奏が出来上がってしまう。それは豊かな音楽性に富んだ演奏とは異なっており、聴衆を魅了するとは限らない。
論文もそれと同じだ。重鎮の教授という審査員の目を意識するため、大胆な試みを控えて失敗しないようにまとめようとする。まるで受験や就職の面接のようにマニュアル通りのことをやるのだ。そこに思索を深めた形跡などありはしない。論文の外形を整えただけだ。
しかし、教授になってしまえば、もう論文が他人に審査されることはない。重鎮が書いた論文は内容の優劣が問われることはない。重鎮の手による論文というだけで認められるのだ。大学が年功序列で、文化勲章や文化功労者の受賞者が年寄りばかりなのもそのためだ。
それにしても他人に審査されることが学問の発展を妨げるなんて奇妙なパラドックスだ。最終的には研究の成果は社会に還元されるはずが、社会の目を意識しても審査員の評価は上がらないのだ。
村瀬は初めて他人に審査されない論文を書いた。年功序列も通過儀礼も越えて、純粋に実力を発揮できた。そして将来、教授になれば、こんな快感をいくらでも得られるのかと憧れを募らせた。まさに悦楽の時だった。
こうして村瀬はゴーストライターとして仕事を始めた。その一方で教授になるという野望も捨ててはいない。業績を挙げるための論文は自分の名義で書き、将来のステップアップと生活の安定を両立させていた。
そして、現在に至る。
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