余章 戦史・アストゥリアス戦役Ⅰ
『この日は、人類史における大きな転機となるはずであった』
──《竜伐妃》聖アストゥリアスの手記より
【サイルツァ地方・北域】
剣俊なるオー・デ・レセロット連峰を指して、当地に巣くう人型竜たちは端的に『北壁』と言い表すという。語彙に乏しいその短絡的な呼称はしかし、それ故に的を射ている。
そうまさに、この山々はあらゆる意味において壁なのである。
視覚的な壁。戦略的な壁。意識的な壁。
内から外は見通せず、外から内を窺い知れない。
護るに易く、攻めるに難い。
ゆえに、戦略上考慮するに値しない断壁になる。──合理的に考えれば。
「こちら第四騎士団より本隊へ。 要注意個体02、コードネーム《ビックフット》を確認」
天と地を
帝政ペンドラゴンが誇る
彼らは地上からの視認もままならぬ高高度からその身一つで敵陣の只中に奇襲を敢行する特殊部隊だ。
専用の装備を有するとはいえ、その常軌を逸した
ここに集ったのは、その中でもさらに技量と度量を鍛えぬいた猛者ばかりの一個小隊だった。
「座標、出現予想地域内。
『仔細を報告せよ』
「……黒い柱? 形だけならば刀剣の類にも見えるが、さすがに大きすぎる。墓標か、士気のための旗印のようなものかもしれない」
『作戦遂行に対するリスクは?』
彼らにとって最も警戒すべきことは強い打撃力のある対空兵器に照準されることだ。彼らの使う強襲用の装備は、よほどの攻撃でなければ降下中ならびくともしない耐久力を誇る。
だが逆に言えば、その『よほど』のラインを上回る衝撃にさらされて姿勢を崩すと、その先に待つのは生身での自由落下だ。むろん緊急用のパラシュートは装備しているが、悠長に空を漂ったところで敵対空射撃の良い的になるだけである。生存率はどちらも大して変わらない。
であれば、望遠鏡の先に映るあの黒い柱はどうか。
「可能性は低い。仮に兵器であったとして、憂慮すべき大型対空兵装とは考えにくい」
『では、予定通りに作戦準備に取り掛かれ』
「了解」
彼らを率いる円卓第四次席ローライネンは、その直感に匹敵する速さの正確な判断力において右に出るもの無しとされる優秀な戦士であった。
事実、彼の判断は限りなく正鵠を射ていた。
未確認物体は予想通り対空用の武器ではなく、重さと大きさで誰にも扱えないものであると言う推測にも間違いはない。
しかも山頂から見下ろす先に居る敵性存在の一団は、その無防備な側面を晒している。
いかに強靭な竜の兵隊と言えど別に見上げるような巨兵であるわけでもなく、空を飛び火を吐く化け物であるわけでもない、所詮は人型だ。ローライネンが手ずから選抜した精鋭部隊にかかれば、制圧することは容易に思われた。
──そう、彼らが本当に『見た目通り』であったなら、その判断は正しかった。
【サイルツァ地方・東域】
価値ある物は、その価値が解る者の下でなければ価値を生まない。
安い人間原理のようだと揶揄を受けそうなその信念を胸に、この日戦場に立った男達がいた。
研究職上がりの彼らは通常、直接の戦闘に参加することは少ない。その類まれな手先の器用さと膨大な知識を活かして後方支援を担当するのが常であった。
そんな彼らがなぜ今、こんな最前線にまで出張っているのかといえば──
「こちら第六騎士団。要注意個体03、コードネーム《ドワーフ》を発見した。出現予想座標よりも後方の砦に陣を張っている」
双眼鏡の先で
「
『……何? どういうことか説明せよ、戦闘開始の許可はまだ出ていなかったはずだが』
「警備の気配が全くなかったため、斥候に突入を指示した。結果、予想通りもぬけの殻だったため全隊で調査を開始している。おそらくここを早々に放棄したと思われる」
いくら人間を真似ても知能は所詮、トカゲレベルのようだ。という発言を危うくボースは喉奥に止めた。
しかし心ばかりは抑えようがない。何せこれ程の宝の山を開戦前に放棄するなど、彼には考えられなかったからだ。
わざわざ命の危険がある前線まで来た目的がまさにこの場所だったのである。
──サル・デ・マサラ坑道
かつて人間の営みがあった時代にオイルディム鉱山と呼ばれたその場所は、竜共によって支配されて久しい今でなお、貴金属や
研究者にとってこれ程の理想郷もあるまい。それを、せいぜい装飾品に加工するか、火にくべるしか使い方を知らぬ蛮族に独占されていると聞いて義憤にかられたとて誰に攻められよう。
ボースはとかく利己的な男という評を受ける者ではなかったが、知識への過剰な信仰と自負から来る傲慢さを持つことでも知られていた。
彼はこの戦いに富をや名声を求めて志願したわけではない。そして国のためでもましてや己のためでもなく。たた、分不相応な資源を
『承知した、であればそこを前進拠点として、再度警戒に入れ。くれぐれも油断をするな。これは王の勅命である』
「勿論、了解している。この地は必ず死守しよう」
しっかりと、通信を切ったことを確認して彼は鼻で息をついた。そこにある明確な嘲りの感情を他者に悟らせる愚を、十三人の中で唯一武力意外の功績によって第六次席に上り詰めた男は犯さない。
その秘めたる慢心とは裏腹に、ボースは決して手を抜く事はしなかった。事前に得られるあらゆる情報を精査し、その結果想定しうるリスクに対する備えに不足を残さなかった。
──だからこの日、彼は正しく己の信仰に殉じたのだ。
【サイルツァ地方・南東域】
第十騎士団・
その規模は次点である第八騎士団と比しても実に十倍を超える。
あまりに極端な大所帯は、勿論偶然などではない。その主要任務たる攻城戦、つまり拠点に籠城した敵を攻め落とすのには多くの人員が必要だからである。
この竜族討伐作戦はしかし、普段と違い攻撃対象は一つの要塞ではなくもっと広域を包囲するいわばローラー作戦だ。
そこで彼らは団を五隊に分けてうち二隊は本国防衛に残し、三隊が戦場でそれぞれ三方面に展開している。
「こちら第十騎士団・
『
サイルツァの南東、狭き谷あいを縫うセレナドラッド街道を抜けた先、広大なる塩湖キッタイリダの輝く湖面を右手に臨む開けた平原のあちらとこちらで、人間と竜族は会敵した。
迎え撃つのは投石を得意とする竜の戦士たち。
対峙したのは平地における機動性に重きを置いて編成された第二の蔦。率いるのは第十騎士団副団長リーガルである。
「敵大将の背後に情報にない建造物がある。投石機……には見えねぇな、水車小屋に形だけなら似ているがごつい鎖でがんじがらめだ。兵器というよりは何かを運ぶ装置かもしれない」
『当該地域の竜が高度な機構を使用してきた前例がない。最大限警戒せよ』
「ああ、了解」
各騎士団の団長は円卓の列席者が兼任する。その意味において、副団長という役職は必然的に単なる補佐役程度ではありえない。真に実力を持って成り上がった者の、それは栄誉の称号に他ならないからだ。
「おあつらえ向きに、見通しの良い投石しやすい戦場だ。最も待ち伏せ奇襲を警戒していた街道でノーリアクションだったことを考えても、まぁここに引っ張り出されたのは俺たちだろう」
目の前にある『判りやすい自陣の優位』に手を出さないという決断が出来る敵は、容易に勝てる相手ではない。多くの難戦で武功を挙げてきた騎士リーガルは、この時置かれた自身の状況から、敵の智謀に敬意を表しその脅威度を上方修正した。
未確認の兵装の事を抜きにしても、開戦前の読み合いでこちらが圧倒出来るなどという過信は、無用な犠牲に直結する。ならば──
「久々の、電撃戦と行こうじゃないか! 全体、足に火ぃ入れろ!」
『『応っ!!』』
整列する兵達はその号令とともに、一斉にガシャンガシャンと足を踏み鳴らす。
ただの軍靴ではありえない硬質で重厚な激震。それは彼らペンドラゴン騎士団が、他国の追随を許さぬ驚異的な軍事力を誇る、最たる要因。
非力な人間に、他種の強大な能力を外付けで付与する甲冑である。
リーガルの隊に配備されているのは、
知略に優れた将として名をはせるリーガルだが、彼の率いる部隊は元々その足の速さを活かした乱戦や遊撃任務を得意としていた。あっという間に敵の足元に自軍を伸び這わせ、絡めとる。まさに、名に負う侵入性植物の如き働きで、数々の戦場に足跡を残している。
彼は判断したのだ。
この敵にはこちらも本領を発揮して当たらなければ、逆に絡めとられると。
智将同士の読み合いが始まれば、戦場は停滞し泥沼化する。そうなれば、いくら甲冑で膂力を補っていても、竜の持つ体力の前では根負けするのは人間の方だ。
「地の利を生かし、隠れる物のない平原に投石兵を並べる……なるほどこいつは一見、踏み込んだが最後砲弾の雨あられで総崩れにさせられる、誰が見ても危険な戦場だ」
真っ当な眼があれば迂回を検討する、この戦場。しかし、このお膳立ては誰が作ったのか? それを思えば、逆説的に相手が最も危惧する状況が何なのかを推し測ることが出来る。つまり。
「行くぞ野郎ども! 正面から最速で突っ切るぞ!!」
『『おおおおおおおおおっ!!!』』
リーガルは間違いなく、国有数の智将であった。
──だがこのときばかりは、ただの考えすぎであった。
【サイルツァ地方・南西域】
その光景に歴戦の老兵ゴラグロスは一時、ついに自分も耄碌してしまったのかと疑った。
円卓第十次席を史上最も長く温め続けてきた彼をして、それは大がかりな大衆演劇の舞台セットのようにしか見えなかったのだ。
「こ、こちら第十騎士団・
『何か
「ある意味、情報通り過ぎる光景に驚かされている……良くも、悪くもだ」
石積みの城壁。固く閉ざされた城門。壁上に居並ぶ弓兵。
それはまさに中世の戦記に描かれる籠城戦の様相そのモノであった。
事前の会議で聞かされていた通りである。ゴラグロスはそれを、比喩として受け取っていた。それくらい堅牢だから心して掛かれと、そういう王の発破であると解釈していた。
長い事、戦場を図面上でしか見ていなかったツケが回ってきたようだ、と古強者は目頭を揉む。前線を離れ指揮所に詰めることの多くなっていた彼は、久々に目の当たりにした戦場に気圧されてしまった。
だがその程度の事で場を疎かにするわけにはいかない。そんな未熟を晒してよい時期など、ゴラグロスは半世紀も前に通り過ぎている。
「……想像とは違った光景ではあるが、想定した状況からは大きく逸脱していない。作戦に支障はないだろう」
『当地は最も難所と予想されている。留意してあたれ』
「了解」
改めて、彼はそびえる城壁へ目を向ける。
丁寧に切り出された石材が見事に積み上げられた壁は広く高く、緻密に測量したことが伺える。だが……
「まさか、あれほどの城壁を備えているなんて。ボス、一体どうしたら……」
「おいおい、何をビビっているのだ。よく見なさい」
「えっ……?」
威圧的な巨石の壁は、一見堅牢そうにも思えるが冷静に考えればなんということはない所詮は石積みだ。遥か昔の刀剣と弓で相争った時代ならばともかく、現代の強力な兵器の前には大した防御力とはなりえない。
最初の印象は図らずも正しかったと言える。
あれは劇場なのだ。観るものに、本来以上の威圧感を与えるハリボテである。
「総員、破城砲を準備しろ。ただそれで終わると思って外骨格の電源を落とすんじゃないぞ!」
相手がただの籠城戦をするつもりなら、これほど楽な戦もない。こちらは敵の射程外から一方的に砲弾を降らせるだけでいいのだから。しかし、外から見える範囲に迎撃兵器が見えないことが、ゴラグロスを慎重にさせた。
もしかするとあの壁は、防御のためでなく隠蔽のためにあるのではないか、と。
そうであるならばこの戦いは、あの城壁を破壊してからが本番となる。そして現状そこに何が隠されているのかは予想が難しい。ただでさえ難所と予想され、最も人員を裂かれているポイントだ。彼の判断次第では、その大部隊が泥沼の乱戦に陥る危険もある。
「……こいつは、貧乏くじかもしれんな」
彼の部隊に配備された騎士外骨格は、一点に特化した機能のない
しかし、戦争において『数』とはそれそのものが暴力である。
総員五万人に及ぶ彼らはゴラグロス指示のもと、その『数』による強みを十全に生かして敵を制圧するのは難しくないはずだった。
──結果から言えば、この日壁に辿り着けた者は一人も居なかった。
【サイルツァ地方・西域】
拠点制圧は一辺倒な方法では立ち行かない。
攻略対象の周辺事情に合わせて臨機応変な対応が求められる。当たり前だが攻めるべき要害が、必ずしも平野の真ん中にぽつねんと建っている道理はないからだ。むしろ、入り組んだ渓谷や森林に囲まれた自然の要塞、多数の建造物に囲まれた都市要塞など、二次元的に把握するのが困難な場所のほうが多いと言える。
そういった難所への攻勢に秀でた人員が集められたのが、第十騎士団・
彼らは使用する装備と兵員の特殊性において、他の第十騎士団とは一線を隔する。
「第三蔦より本隊へ通達。要注意個体06、コードネーム《ボーイスカウト》を確認。想定通り、アルカサ・リエビア大森林の古砦にて確認」
騎士外骨格・
人間が、脆弱な運動性を克服すべく数多生み出した強化外骨格。その中でも特に、ピーキーな性能を持つモデル。
その名の通り、ヤモリの
しかし、この装備には軍用の兵装として一つ大きな欠陥があった。
『ただそれだけの機能しか無い』のだ。
装備者の身を護る装甲も、力を増強するアシストもない。いわばそれは壁や天井に張り付けるだけのボディスーツだった。
科学者の道楽と唾棄されたそれは、しかし第十騎士団に拾われたことで評価を覆す。
あらゆる面を
「
『異様な装備とは?』
「全身に大小さまざまな刀剣を括りつけている。あれでロクに動けるとは思えないが……」
大森林の西側にそびえる竜種の砦は、今回の殲滅作戦において最も物理的に攻めがたい要害である。
樹齢を重ねたブナやオークの大樹に囲まれている上に、巨大で硬い岩盤の上に立つ曲がり角の尖塔は広大なアルカサ・リエビアのどこからでも視認できる高さがあるからだ。その威容は現地で『古灯台』と称されている所以であろう。森に迷うものを誘う道標として、あれは確かに灯台足りえた。
そしてそれは、砦とした時に広く視野が通ることを意味する。
近づく敵をより早く補足することは、護る者にとり明確な有利であり、攻める者にとり大きな不利となる。
『作戦行動に支障はあるか』
「いや、無い。これは予測状況の範囲内だ」
部隊長エドモントは即断した。
地形の事前調査は当然のようにされている。もとより地の利が敵側にあることは織り込み済みだった。そしてだからこその、第三蔦なのだ。
彼らには、騎士外骨格の特殊性以外にもう二つの特徴がある。
一つは隊員のすべてが、将足りえる才覚を有している事。
そしてもう一つが、自他ともに向けられるストイックな精神構造にある。
彼らは与えられた任務に対して、配下の兵も己の命すらも無茶や無謀でなく必要に応じて使いつぶすことを躊躇わない。現部隊長エドモントが、隊の最年少であるのはその才覚が抜きん出ているからではない。部隊内の序列は単に年齢順であり、誰が先に戦死しても指示系統が乱れないための数字付けでしかないのだ。
自身を捧げ、その骸すらも敵を沈めるための呼び水とする。それはあたかも、火にくべられる氷のように。
そのあまりに献身的かつ冷酷な戦いぶりゆえに、彼らはこう呼ばれているのである。
「古今東西、塔の死角はその足元と決まっている」
この選択は、やや早計ではあったが決して大きく分の悪い博打ではなかった。
地の有利を前提とした敵の牙城を崩す。彼らの存在意義はその一点に尽きる。生い茂る大森林の只中にある塔は、その全域を見渡せたとしても隠密した少数部隊の接近を察知するのは困難である。そこに竜か人間かの違いはない。
《ボーイスカウト》が単身で見晴らしのいいポイントに陣取っているのは、自らの地の利を確信しているからであろう。だがこの場において、智の利は人間側にあった。エドモントは確信する。
竜を照らす古き灯台はもはや風前の灯火である、と。
──彼は知らない。その灯火が千年以上もの時を経てなお、一度も消えたことのない炎であることを。
【サイルツァ地方・南域】
「おかしい……《ヴァルキリー》が未だ発見されていない」
本隊前衛として進軍する傍ら、集まる各隊の報告と周辺地図を照らし合わせて円卓第五次席グルヴァンは言い知れぬ違和感を覚えていた。
彼の指揮する第五騎士団・
この世には人間に害成す生物が無数に存在する。その中でも特に強大な力を有した存在は
巨大な体、特殊な能力や魔力を持つ獣に脆弱な一般人が抗えるはずもなく、ゆえにモンスターを専門に対処する組織が数多作られるのは自然の成り行きだった。
そんな中で、特に勇名を馳せた害獣討伐専門の傭兵団・
その彼らが最も警戒している敵性個体こそ、要注意個体のトップナンバリング01に指定されている、コードネーム《ヴァルキリー》だ。
美しい女性の姿形でありながら巨獣にも勝る膂力を振るい、高い知能と深い思慮を持つことが観測されている。他国の例ではあるが、たった一体で一個師団を壊走せしめた記録もある明確な危険因子だった。
各地から上がる報告から見ても、竜たちがこちらの攻勢を察知し待ち受けていたことが確実である以上、最大戦力たる《ヴァルキリー》が、最重要ルート上に立ちふさがっているのは間違いないと思われていた。
なのに──
「東西南北の要所を抑え、残るこの北上ルートに出てこざるを得ないよう布陣しているんだぞ……この戦いに参加しないつもりなのか?」
まさか。その楽観はあまりに危険すぎる。
「だ、団長……!」
「どうした、《ヴァルキリー》を発見したかっ!?」
「いえ、それが、その……民間人が、十二時の方向です!」
「何? そんな馬鹿な……」
部下の指す方角に望遠鏡を向けたグルヴァンは絶句した。
そこには本当に、民間人にしか見えない青年が森の中を呑気に散策している姿が映し出されたからだ。やや上等な仕立ての民族衣装を身に着けている以外は完全に手ぶらで、どう見ても自分が戦場のど真ん中に居るという自覚が無い様子である。
「どうしますか団長、近い班に保護へ向かわせますか?」
「……いや」
部下の真っ当な意見に、しかし長年モンスター退治を生業としてきたグルヴァンは否定を返した。
「迫撃砲隊一番から十番、弾頭をフレシェット散弾に換装し、指示とともに一斉に前方の『
「なっ!? 団長、正気ですか!!」
指示された砲弾は、重金属の
それを、民間人にしか見えない対象たった一人に向けて十発撃てと言うのだ。
もし『不明個体』が無関係な民間人であったら、国内外での非難は免れない不祥事である。部下の杞憂は真っ当だった。
だが、第五騎士団長の判断は違った──
「こんなところに民間人がいるはずがない。あれは未確認の敵性存在だ。余計な力を発揮する前に無力化する。……万が一のことがあれば、責任は私がとる」
「し、承知しました」
指示の実行は迅速に行われる。この前線に立つ兵士に多少の動揺で手元を狂わすような未熟者はそもそも居ないのだ。
「準備完了。いつでも撃てます」
「良し、では、一番から十番、3カウントだ。3、2、1……撃て!」
コンマの誤差で一斉射されたはずの音はグルヴァンからは聞こえない。航空力学と風の魔術体系を複合して開発された弾頭は、鋭敏な知覚を持つモンスターを討つために高度に静音化されているからだ。
代わりに遮光処理した望遠レンズの先を注視する。
弾頭が高い放物線を描いて、対象の真上から降り注ぎ着弾したことをグルヴァンは違わず観測した。
一瞬遅れてきた耳を聾(ろう)する爆音も、続いて届く爆風も、その威力を十全に物語っている。
だが、彼はその違和感も見逃さなかった。
「……誰だ、指示なく撃った班は?」
「は? いえ、そんなはずは……」
「しかし、爆炎が十一度上がった──」
『ぐぅぅぅぅうううんんんっっっ……!!』
禁止兵器の爆音などよりも遥かに、本能に直接打ち響く轟爆(ごうばく)の音声(おんじょう)が響き渡った。
立ち込めていた土煙を突き破って『ソレ』は姿を現す。
「な、なぁっ!?」
あってはならない事実を前に、グルヴァンは喉を干上がらせた。
立ち上がった巨躯は目測でも三〇メートルを超える。胴体に比べてやや短くも太く強靭な四肢。全身は喉から腹にかけた剥き出しの外皮と、油膜のような虹彩を宿す
「まさか、原初の竜だと……?」
──竜。
それは本作戦の討伐目標である。だがそれは前提として『人型に身を窶(やつ)した』竜の小部族を指していた。最重要警戒対象であった《ヴァルキリー》ですら、人の姿を逸脱したなどという観測記録はない。
だから、こんなモノはあり得ない──
『なんたるか……なんたることか……っ! カッコイイ名乗りとともにイカす変身バンクをキメて登場する算段であったのにっ! ご破算、ご破算であるっ!! 人種は理知的な動物だと聞いていたのだが、どうやら戦の機微には疎いと見える!』
神話の巨獣が、子供の様に地団駄を踏む。見た目は滑稽だが、広がる惨事は笑い事では済まされない。大地が打ち震え、木々が騒めき、空気が荒れ狂う。
「なんなんだ……一体あれはなんだ!?」
誰かが思わずそう口にした。
『ぬっ!? 今俺を誰何したな? したよなっ!? 誤魔化しても聞かないぞぉ、俺は地獄耳なのだ! なんたってつい最近まで地獄暮らしだったからな! ちゃんと聞こえていたぞ、「君の名は?」と誰何した者がいただろう!!?』
そんなことは誰も言っていない。
だがそんな指摘が出来るものなど、ここには居なかった。
『良かろう! やはり戦においては名乗りこそ肝要! 聞くがよい!!』
天を仰ぎ地を踏みしめて立つ巨竜。逆光に陰るそのシルエットは何故か、十字架を排してなお荘厳に建つ古き教会を連想させた。
『我は動じぬ者。
我等は
そう、俺の名は、俺たちの名は! クエレブレであるっ!!!』
それは、遥か
『ごおおおおおおああああああああああぁぁっぁぁぁぁぁああああ!!!!!!』
名乗り上げに満足したのかひと際激しい咆哮を上げる竜。
明確な衝撃を伴ったその大音響が、打ち付けるように戦場に身を置く全ての者の体を駆け抜け──その瞬間、彼らの手にある魔力計の針がメーターを振り切ってはじけ飛んだ。
その現象が示すところを瞬時に察したグルファンは、蒼白になりながらも通信機を全体回線にして叫んだ。
「あれを止めろぉおおお!! あれはただの咆哮じゃないっ……
彼の知識の深さと判断はこの場の誰よりも優れていたが、それでもすでに、事は遅きに失していた。
竜王の祝咆。
古い伝承の中で語られる、竜族を統べる王のみが行使を許された固有魔法。己が眷属たちの能力を大幅に向上させ、己が権能を付与する
己の強大過ぎる魔力を、声に乗せて眷属へ届けるのだ。
人間の認知しうる限度を遥かに超えた魔力波を受けた魔導機器はすでにほとんどが機能しておらず、ゆえに大多数の一般兵にはもう伝令は届いていなかった。
「くそっ! こんな、こんな馬鹿なことがあっていいのかっ!」
『さあっ、試合おうぞ! 死逢おうぞっ!! そちらの大将は何処だっ!? 名を名乗れえい!!』
暴威の権化が
散開していた第五騎士団の各班が、途絶えた指示に寄らず砲撃を再開する。無線通信の号令がないにも関わらず、その射撃は僅かな誤差の一斉射。日々の訓練と多くの経験に裏打ちされた見事な連携といえる。
だが、その光景を見てグルヴァンは、優秀な部下たちの奮戦に感嘆を覚えることが出来なかった。指示を出しやすいようにやや後方の高い位置に居たからこそ、彼には分ってしまった。
彼らの行動が、津波に小石を投げるが如き儚い抵抗でしかないことが。
『ぐははははぁっ!! どうしたどうした人の子よ! 弾幕薄いぞ、何やってんのっ!? 変幻なる知略とぉ! 自在なる道具の扱いがぁ! お前たちの人種の力ではなかったのかぁあああ!!?』
クエレブレを名乗る巨竜は降り注ぐ爆撃をものともせず、むしろ砲弾の発射されている方向を見るや嬉々として突っ込んでゆく。そこに敵の攻撃を封じるという戦略的意図がないことは、警戒心のない言動からも察せられた。あれは新しい玩具を見つけた子供の振る舞いだ。
勝てない。
グルヴァンは確信した。あれは、人間が相手にしていい存在ではないと。
未だ虚しい戦を強いられている部下達に一瞬意識を向け、しかし彼らを見捨てる決断を騎士団の長は即座に下した。
すぐ後方には、王の率いる第一騎士団が居る。一刻も早く、撤退を進言しなければ。
無線の途絶えた今、部下への撤退指示も、緊急通信による全軍撤退の通達もできなくなっている。自らの足で王の元へ伝令に走るほかなかった。
『ふおぉ!? そうか、そういえばこの身体であれば尻尾があるんだったな! こいつを使わない手はないぞ。それ、ぬぉぉおおおんんん!!!』
そこで彼の意識は途絶えた。
後に残ったのは、巨大な竜の尾に薙ぎ払われてえぐれた大地のみだった。
──こうしてこの日、円卓第五の席は主を失った。
──彼の騎士はこの
竜王の花嫁たち 桜月黎 @rei_sakuraduki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。竜王の花嫁たちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます