6章 竜王の牙(下)


   ***


 断じて、爆発オチではない!

 ペロロスおうも言っていたではないか、そう簡単に暴発などしないと! げっほ、ごっほっ!


   ***



 戦争にしろ一騎打ちにしろ、こと単純な戦闘行為において必勝法とは何か?

 そんなものは無い。と小難しい奴なら言うかもしれない。だがそんなに難しいことなど考える必要など無いのである。世界はもっと単純に出来ているのだ。そのことを聡明な俺は知っている。

 解答を示そう。

 ズバリ、『距離』である。

 相手よりも遠くから攻撃できればよいのだ。これで必勝である。

 だがしかし。

 知っていればできるとは限らないのもまた、ままならぬ世の常なのだ。

 遠距離攻撃と言えばやはり弓矢が真っ先に思いつくものであるが、あいにくと我が民は大らかな者が多いため、細々した道具の扱いを好まない傾向がある。火や毒を吐く能力も、人の形を取った現代の竜にとっては忘れて久しい技能だ。

 しかし狡猾な人種との戦い、いくら強靭な肉体をもってしても長距離攻撃手段を何も用意せずに相対するのは骨である。

 そこで我が国に採用されているのが、投石である。

 当てられるかどうかという点ではもちろん鍛錬が必要だが、始めるにあたって予備知識が要らない点で古くから好まれているようだ。石投げりゃいいだけだからな。

 特にここ領地南東方面砦はすぐ東に大きな塩湖があり、そこを船で攻め入ってくる連中への防衛と、あとは単純に練習場所としても都合がよく、腕に覚えのある投石兵が揃っているのが特徴だそうだ。

 そんな中にあって最も命中精度が高い者が砦の長を名乗るのが伝統であり、そして歴代の誰よりも大きな石──と言うか岩──を投げて見せた強者つわものこそ、当代の長である。


「俺様の名か、俺様の名はウダイオス! 伝統ある投石兵のかしら! 南の双子街道が双璧の一翼なるぞっ!」


 ただ、その突出した才能ゆえか、彼には別の面で少し問題があった。

 それを指して端的に、知る者は呼ぶ──


「なに?『鬱陶しき岩投げ木偶の坊』? 確かにそれも、俺様のことだ! カーッヒャッヒャッヒャッ!!」


 歯の間を息が抜けるような独特の笑い声をまき散らしながら、巨大な手をばちこんばちこん叩くそいつは、噂に違わぬ鬱陶しさだった。

 というか手に金属板の入った分厚い手袋グローブをしているもんだから手拍子にあるまじきうるささである。


「ふむ、うるさいだけでなく出で立ちも、なるほど噂通りだな。……まさか本当に、地面から生えているとは」


 彼は歴代最高にして最強の投石兵だ。

 にも関わらずなぜ木偶の坊などと呼ばれているのか。その理由がこれだ。

 異常に発達した筋肉によろわれた長い両腕、それを支えるこれまた巨大な肩と胸筋、本来鍛えることが困難な首回りすらも針金の束みたいな太さの繊維に覆われ、相対的にその上に乗っかった頭は玩具のように小さく見える。そんな化物じみた巨漢の腰から上だけが、地面から生えているのである。

 もちろん、本当に上半身だけしかないわけではなく、下半身を地面に埋めているだけではあるが。


「なんでそんなことになっているのだ?」

「こうしたら、石投げるとき踏ん張りが利く。俺様頭いい」

「……っ!?」


 俺は戦慄おののいた!

 彼は本気で言っているのだ、この戦闘形態スタイルが最適解なのだと。

 ……この状態では動き回ることができず、手の届く範囲に投げる岩が無くなれば木偶の坊やくたたずになってしまうという、大きな不都合デメリットが全く眼中に入っていないのだ!

 視野の狭窄した、そのあまりに極端な発想──


「──天才かっ!!」

「カッヒャッヒャ、理解が早い。王様さすが」

「そうであろう、そうであろう」

「王様も、やるといい。つよい」

「はっはっ、馬鹿を言え。俺の下半身はな、大地の穴一つにうずめておけるほど暇ではないのだよっ! なぁ?」


 言ってファリャへ目を向ける。


「ご主人様のお好きなように」


 ニコニコ笑顔が帰ってくる。かわいい。

 次にオルフレンダへ目を向けてみる。


「…………っ」


 頬を赤らめつつ目を泳がす。かわいい。

 そして真打、綺真の反応やいかに!?


「何ですか愚兄さま、もしかして今下品な事を仰いましたか? お仕置きが必要ですか?」

「まさか、まさかぁ! 俺の口はいつだって高尚な事を言っているともっ!」


 身の毛もよだつ凄絶な笑顔。こわいい。


「王様、怒られてる! カーヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」


 ドッパンドッパン地面を叩いて大地を揺らし、豪笑をまき散らして空気を揺らすウダイオス。

 う、うっとうしい……。


「そうだ、王様。俺様、とっておきがある、見るか?」

「ほう、投げっぱなしで有名な癖にとっておきがあるとは、実に自己矛盾ロックだな、岩だけに。大丈夫か? そいつを投げたらもう、本当に弾切れになってしまうぞ」

「カヒャッヒャ! そいつを解決するための、とっておきだあ!」

「それはぜひ見てみたいものだ」


 ごつごつして堅そうな体を意外と柔軟に動かしてウダイオスはあたりを見回すと、通りかかった二人の兵に目が行ったようだ。


「おぉぅい!」

「ん……? げっ」


 おい今「げっ」とか言われたぞ大丈夫か。

 一瞬漏れたであろう気持ちを俺にもわかる度合レベルで押し隠しつつ顔を見合わせた二人は作り笑顔で渋々近づいてきた。


「どうしましたか、ウダイオスさん」

「王様がアレを見たいそうだ。準備を手伝ってくれないか」

「「えぇ……」」


 兵士たちの声が重なハモる。

 おいめっちゃ嫌そうな顔してんぞ大丈夫か。


「なんだ、忙しかったか。では仕方ない、俺様が自分で用意するか。むぬぬん……」


 ウダイオスの周りの地面がモゾモゾ動き、ひび割れ始める。

 お前それ自分で移動できんのかよ。個性アイデンティティ崩壊クライシスしちゃうじゃないか!

 そう思ったのは俺だけではなかったのか、それを見た兵士二人は血相を変えた。


「わ、わかりました! 大丈夫ですから、ウダイオスさんは此処でお待ちを!」

「そうかあ、ではすまんが頼むよ」


 鷹揚に頷くウダイオスの穏やかさとは対照的に、二人の兵の動きは迅速であった。

 一人は弾かれるように駆け出し、一人は両手を口元に添え、空に向かって咆哮する。


『三番隊から伝令ーー!!! デグがアレを使うぞぉぉ!! 急いで進路上のもん片づけろぉぉっ!!』


 反応は三度、木霊が反響するよりも早く返ってきた。


『こちら五番隊!! 三番隊は昼寝の時間か!? デカい寝言が洒落になってねぇぞぉ!!』

『残念ながら事実だよぉっ!! 各隊急げぇっ!! 間に合わなくなっても知らんぞぉ!!』

『こちら一番隊!! 今日標的まとにするのはどれだ!? 俺たちは何を除けりゃいいんだ!!』

『王様にご観覧頂くんだぞ、一番遠い標的に決まってんだろ! 櫓と土塁は放棄しろぉ!!』

『備蓄班だ! 食糧庫がドンビシャだ! 今朝水揚げした釣果がまだ未加工なんだぞぉ!?』

『諦めろ! 今からできる限り運び出せぇ!! 保存の利くもの優先しないと後が酷いぞ!』


「……なんだがお前だけでなくあたり一帯騒がしくなってきたが、大丈夫か」

「カヒャヒャ! これがうちの流儀だ。円滑な意思疎通のため、俺様たちは大声で呼び合う」


 脳筋ぽい見た目に反して、なかなか賢い事を言う。

 やはり集団の上に立つ者は、相応の裁量があるということなのだろう。部下からの信頼もさぞ篤いに違いあるまい。『アレの準備』とやらは実に速やかに完了した。少なくとも俺たちの目に見える範囲では。

 現れたのは巨大な滑車にぶっとい鎖。

 そこに繋がるのは一抱えもある酒樽のような大きさの、金属製の籠手グローブであった。


「岩のように投げることができる拳! 名付けて投拳とうけんだあ!!」

「おぉ……たった一つの拳のためにこんなものを作ってしまったのか」


 デカい。

 何がって投拳と呼ばれるこの兵器、もう軽くちょっとした小屋くらいの大きさなのだ。メインである拳よりもそこに繋がる鎖が収納されている背後の装置が大掛かり過ぎる。

 なんというばかばかしさ……そういうの、嫌いじゃないぜ!


「いくぞお! とくと見よ! 我が投拳の威力をお!!」

「いいぞぉ! 見せてみよ! 我が眷属の実力をぉ!!」


 応じたウダイオスは籠手を装着した右手を肩に乗せ、さながら弓を引き絞るように上体を捻る。


「ぐぅぅぅううううん……」


 限界まで絞られたウダイオスの身体は、今度は低いうなり声と共に比喩抜きで膨張を始めた。尋常でない力を溜めこみ、筋肉が張っているのだ。

 もはや筋肉達磨というより、筋肉風船である。生き物の身体とは筋肉だけでこれほど膨らむ物なのかと感嘆せずにはいられない。


「だああああああっっしゃぁぁぁああああいいいいいいいいいいっ!!!!!!」


 そして風船ならば、限界を超えたらどうなるか?

 無論、破裂する。

 それは内包する力に耐えかねた崩壊であり、解放される衝撃波大きく強いが無軌道で無制御なものになってしまう。

 だがウダイオスはそれを、完璧に制御して見せた。

 頑強過ぎる彼の身体が限界を超える寸前……否、超える瞬間をとらえ、引き絞った右腕を瞬時に解き放ったのである。結果は、言うよりはやい、御覧ごろうじろ!


 ──ゴオォッッッ!!!

 ──ガギャギャギャギャギャギャッッ!!!


 籠いっぱいの石炭よりも重かろう巨大な鉄拳は、総重量ならそれよりも重かろう太く長い鎖を引き連れて大空を駆け、綺麗な放物線を描いて湖の遥か沖に浮かべられた標的を違わず爆砕し、余波で巨大な水柱をぶち上げた。


「ほあー、名に負う歴代最高の投石兵の誉れは伊達ではないなぁ」


 そんな感想を漏らす俺は、てんで甘ちゃんであった。

 何を隠そう、この投拳の真なる威力が発揮されるのはこれからであったのだから。

 中空に奇跡のような軌跡を描く鎖。もちろんそれはいつまでも宙に浮いていることなどあるはずはなく、次々と重力に引かれて落ちてくるのだ。

 ウダイオスが無茶な使い方をしてもびくともしない逸品だ、鉄拳部分だけでなく鎖自体も相当な業物で重い。そんなものが空から降ってきたらどうなるか──


『ちくしょう! 櫓に直撃した! 全壊だ!』『今朝組み上がったばかりなのにっ!』『備蓄庫のど真ん中に落ちやがった! 小屋が真っ二つだ!』『ぐわああああぁぁああ!?』『アランが巻き込まれたぞ! 重症だ!』『あいつこの間も巻き込まれて腕折っただろ、なんで居るんだ!?』


 阿鼻叫喚であった。

 あまりの威力に、いや、あんまりな威力にしもの俺も絶句である。

 ところがどっこい、ぎっちょんちょん。それでもまだ、俺の読みは甘々だった。

 次の瞬間とんでもない事を、ウダイオスはのたまったのである。


「よおく見てろよ王様よ! ここからが我が投拳とうけんの、真骨頂だあっ!!」


 !?

 思わず己が耳を疑ってしまった俺は振り返り、見た。

 振りぬいた手とは逆、左手に掴んだ小さな滑車の取っ手を思い切り回し始めるおとこの姿を。

 巨大な鉄拳とそれにつながる鎖に目が行きがちだったが、どうやらこの投拳とやらは見た目の印象以上に複雑な構造をしているようだ。それはきっと人種が育んだ知恵と道具を真似た物であろう。

 但し、その使い方は人種とは全く逆の発想だった。

 彼らは往々にして小さな力で大きな結果を得ることを目的に様々な道具を生み出す。

 だがウダイオスはそれらの道具を全くの逆。大きな力で小さな結果を大量にいっぺんに獲得するために使ってしまったのだ。始まってしまえばそう、状況は劇的だった。

 あたり一帯に多大な被害をもたらした長大で重厚なる鎖は、まるで突如目を覚ました終末の大蛇の如く暴れ始めたのである。

 理由は単純、ものすごい勢いでもって、ウダイオスが地に落ちた鎖を回収すべく滑車をまわし始めたせいだ。


『うわぁああ!? 長年積み上げてきた土塁が崩れて堀が埋まっちまった!』『あっ! 沖に出してた網が引っ掛かってきてる!』『しかも大漁だ!!』『ばかやろう、備蓄庫が今さっき壊れたばかりだぞ! 生きてるうちに放流リリースしろ!』『ごぎゃああああぁぁああ!?』『アランがまた巻き込まれたぞ! もう虫の息だ!』『なんでまだ近くに居たんだ!? 誰も助けてやらなかったのかよお!!』


 地獄絵図であった。

 積み重ねられた時間も物量も、この暴虐の前には等しく、嗚呼なんと脆く儚いまるで砂上に建つ塔ではないか。


「はっはあぁ! どうだ王様よ!! こうして投げても手元に戻すことができる無限の拳!!! 最強だろうっ!!!?」

「あぁ、ウダイオス。お前の手腕は間違いなくこの国最凶だ」


 景色を蹂躙した拳が満足したように主のもとへ帰還する。

 なるほど、投げっぱなしによって木偶の坊と揶揄されてしまう彼のこれが『とっておき』の解決策というわけだ。


「ところでウダイオスよ」

「どうしたんだ王様」


 眼下の散らかり騒ぎを並んで眺めながら、俺は一応一国の主として気になったことを訪ねた。


「お前はこの状況を収拾することが可能なのか?」

「収拾! おっと! それは俺様が最も不得手な作業だ! 今日は自慢できることを見せる日なのだろう? とてもお見せできないよ」

「そうか、それは残念だ」


 後ろで悪魔のように微笑む綺真と、悪夢を見たように震えるオルフレンダから放たれる謎の威圧感プレッシャーに冷や汗を流しつつ、俺は愛しき嫁たちのご機嫌管理を想って、少しだけ先を憂うのであった。

 天使のように微笑むファリャは癒し。



   ***



「復唱! 我々は! 非常に高貴なり!」

『非常に高貴なり!』

「王に忠実なる!」

『忠実なる!』

「国のために英雄たらん!」

『英雄たらん!』

「神殿の下に敬虔であれ!」

『敬虔であれ!』

「そう! 我らは常に英雄的かつ永久不滅!!」

『常に英雄的かつ永久不滅!!』


 整列した兵士たちから唱和される戒告。

 寄せては返す波のように、重層的に叩きつけられる宣誓は、いっそうどんな軍勢の突撃よりも力強く、熱い。


「これはエキオンとは別の方向性ベクトルで暑苦しいな……」


 こんなんがもう、ここに来てから数刻続いている。

 王の訪問にはそれにふさわしい式典があるべきだと言って、その王の意向も忖度せずに。

 即席とは思えないほど上等な移動式王座にずっと座らせられて、俺はこの日一番の疲労感を味わっていた。

 それに、こんな非効率的な時間の使い方をしていたら綺真やオルフレンダが機嫌を悪くしてしま……ってアレー!?

 なんか二人ともすっごいニコニコしてる!?

 何故か今日は不機嫌気味だったり、胃痛でも耐えているかのようにすぐれない表情をしていた彼女たちのことを、俺はちょっと心配していたのだが、どういうわけか今はホクホクした面持ちである。


「こうです、やはり王の扱いというのはこうでなくては」

「えぇ、えぇ、仰る通りです綺真様!」


 仲が悪いわけではないとはいえ、普段はどちらかといえば眉間にしわを寄せて顔突き合わせてることの多い綺真とオルフレンダが、世にも珍しく微笑を浮かべて意気投合している……。うむ、そっとしておこう。

 ていうか抜き打ちの視察で来ているはずなのに、なんでこんなに俺が来る準備ができているんだ?


「南東砦ではえらく騒ぎましたものねぇ……」

「……面目次第もございません」


 あれ、いつもの表情に戻った。表情がコロコロ変わってまったく、可愛い奴らである。

 と、そんな嫁たちの様子を愛でて居ると眉間に深い縦じわを刻んだ細面で長身の男が、計ったように一定の歩幅で近づいてきた。

 この全体的に縦長っぽい印象の彼こそがここ、南西砦に立つ牙である。


「御目にかかれて光栄です、陛下。よくぞお出で下さいました」

「……そう思ってくれているならせめて、一番に顔を見せてくれたらなおうれしかったのだが」

「滅相もありません、我が身に余るお言葉、畏れ多い」

「うーむ、『気難しき縄投げ頭でっかち』という評の通りだなぁ……」


 とはいえ、こうしてある程度扱いが難しくなることはくるまえから予想されたことではあった。

 ここ、南西砦周辺には我が国では珍しく固有の名称がある。


 商口《サグラクスタ》。


 竜の間では、土地に対して名称を付ける習慣があまりないのだが、ここはその例外の一つということになる。もちろん例外になるからには相応の理由があるということだ。

 人種の形を得た竜は、もちろん祖先より受け継ぎし種の誇りを失ったりなどしないが、だからと言って生活の全てを原初のままで居る訳にはいかない。

 例えば服。

 俺は別に素っ裸でもバッチコイなのだが、皆がみんなそうではない。これは裸じゃ恥ずかしいとかそういう事よりも、かつてあった丈夫な皮や鱗が無い分、別の方法で暑さ寒さや小さな傷などから身を守る必要があるからだ。

 似た理由で雨風をしのぐ屋根と壁のある寝床も要るし、もっと能動的に身を守るなら鋭い爪や太い尻尾の代わりに武器を持たねばならないことだってある。

 他にも硬い木の実や筋張った肉を食べやすく調理したりと、細々とした問題を解決しようと思えばどうしたって人種の生活に寄せた文化も取り入れていかねばなるまい。

 見よう見まねで何とかなる事もあるが、彼らの生み出す物事はどれも複雑怪奇であり、どうしても教えを請うたり物資の融通を頼みたくなる場面が出てきてしまう。

 ところが彼らは存外にケチであり、何であってもタダではまかり通らぬと言ってきかず、仕方なく我ら竜も商いをせねばならなくなった。

 だが何度も言うように俺たちは細々した数字や道具の扱いが不得手であるがゆえに。

 ……と、いうと思ったやろ?

 どんな共同体コミュニティにも変わり者とされる奴らが必ず居る。例えば、細々した数字や道具の扱いが得意な奴らが。

 そういう奴らが集まって、人種たちと商いを行う場所としたのがここ、サグラクスタというわけだ。

 双子街道の西側は下っていくと徒歩数日程度の場所に港町がある。立地的にもこの場所に物資が集まるのは必然だった。

 物どころか、なんとこの辺りには普段から少数ではあるが人種も暮らしている。勿論、いくさの報を受けたその日に真っ先に領外へ逃がしたので今は居ないが、彼らも彼らの社会においては相当な変わり者扱いを受けていただろうことは想像に難くない。

 良くも悪くも人も竜も、しゅに囚われず変態の集う土地、それがサグラクスタである!!


「陛下……前言を覆すようで大変恐縮なのですが、恐れながら一つ進言しても?」

「何でも言うがいい! 俺は聞くだけだ!」


 後の処理は綺真とオルフレンダが何とかしてくれるはず。


「出来ればその、自分に対する風評は忘れて頂ければと……兄の通称と無理やり並び称される事はあまり好みません」

「おぉ! そうか、いやこれは俺の失点だ。まだお前から直接名を聞いていなかった!」


 竜の文化では敬意を表すべき敵と味方には堂々と名乗ることが何より重んじるべき礼儀作法とされている。この場で礼を失していたのは全面的に俺のほうであった。


「さぁ、存分に名乗れ!」

「え、えぇと自分が言いたかったことと趣旨がズレておりますが……せっかく頂いた機会、有難く頂戴いたします。自分の名はヒュペレノール。奇異な通り名は不要ですが、呼ぶのであればせめて鞭剣の者ウールーミ、あるいは肥やす者と」

「肥やす者! 骨髄ばかりに見えるヒュペレノールが言うと、実に香ばしい皮肉だな」


 だが確かに的を射た呼び名でもある。

 彼は我が国の商いを一手に担うものであるから、自然の恵みに頼れない豊かさを民に与えてくれている貴重な逸材なのだ。


「ところで、本日の来訪目的についてなのですが」

「はて、どこまで話したっけ?」

「なんでも、優れた研究成果をご視察いただけるとか」

「あれ? え、お、おう。いや、優れているかは重要じゃない。面白ければなんでもアリ!!」


 これから説明するぞ、という意図で韜晦とうかいしたはずなのだが、即座に先回りされて思わず敏腕編集者みたいなことを言ってしまったぜ。だからなぜ視察の趣旨を知っているんだ。


「面白いかどうかはわかりませんが、ぜひご覧いただきたい物がありこうして持参いたしました」

「その段取りの良さでさっきの式典をもう少し略式コンパクトにできなかったん?」

「さて、何の話しだったでしょうか。そうです、この新製品のご紹介でしたね」


 俺の言葉をさらりとシカトして、ヒュペレノールは手にしていた謎の円盤を目の前に掲げた。こやつさてはお堅い忠臣の皮を被ったただの商人だな。


「これは人種の技術者と共同研究し、開発していたものです。丁度先日、期待値にそぐう品が完成したばかりです」

「なるほど、確かに人種産らしい面妖さだ、でなんぞこれは。車輪?」

「糸にございます」

「……なんて?」


 聞き間違いを心配したが杞憂だったようだ。


「勿論、ただの糸ではありません。特殊な鋼を材料にして作った、限りなく細く強い耐久性を実現した鋼糸です」


 謎の円盤はどうやら糸巻きだったようだ。

 キュルリと端の輪を引っ張って、ご自慢の糸を引き出して見せてくれる。

 つっても、細すぎてほとんど視認できない……。かろうじて陽の光を反射して輝く軌跡が見える程度である。


「して、この糸は一体何ができるんだ?」

「できることは多岐にわたりますが、その一端をご覧に入れましょう」


 そういって彼が部下に命じて用意させたのは、太い丸太に藁を巻き付けただけの簡素で丈夫そうなカカシであった。驚くことに、サグラクスタに詰める我らが兵たちはみな、剣をたしなむという。このカカシはその鍛錬用の練習台というわけだ。


「なんだなんだ、剣の稽古ならまた今度にしてほしいのだが」

「一瞬ですよ陛下、お見逃しなく」


 俺はその瞬間が来るよりも前に、驚愕を禁じえなかった。

 ずっと気難しそうな顔をしていたヒュペレノールが、なんとここで不敵に笑って見せたのである。ただ事ではない。

 見守る俺の視線の先で彼は、芝居がかった所作で円盤状の糸巻きからさらに長く鋼糸を引き出すと、指揮棒を振るような動きで巧みに糸を操り、目の前のカカシへ巻き付けた。


「ふんっ!!」

「ファッ!?」


 そうしてすかさず糸を素早く引き絞ると、丈夫な太い丸太で作られたカカシがほとんど音もなく、輪切りになって崩れ去ったのだった。


「このように、切れ味は並みの刀剣などとは比べるべくもありません。まずは、自分の鞭剣の刃として活用することを考えております」

「こいつはヤベェ!! その剣を使いこなす事ができれば、縦横無尽に放たれる強力無比な斬撃の嵐となって、戦場を蹂躙することが出来るようになるではないか!」

「その通りでございます! 東国の戦闘部族が操るという、刀すら超える切れ味の鞭。自分はこれを鞭刀べんとうと名付けるつもりです」

「え、お、おう。そうか!」


 我が眷属はどうも一様に名付感覚ネーミングセンスが素直なようだ。

 わかりやすくて大変よろしい。


「問題は加工が非常に難しいことでして、遺憾ながら次の戦へ投入は難しいでしょう」

「ん? どういうことだってばよ」


 だが如何せん、彼の言うこと自体は大変わかりにくかった。

 一度糸状に生成仕切ると熱にも衝撃にも強くなりすぎてしまい、他の形に作り変えることも、そもそも素手で触ることすら危険な物体になってしまう。……というようなことを、なんか意識高そうな言葉で長々と説明してくれた、らしい。

 魔道具の類に造詣のあるオルフレンダが要約してくれたそれを聞いて、俺はもうこういうより他を思いつかなかった。


「ならもう、それそのまんま使えばいいじゃん」

「は?」


 難しい問題を難しい手段で解決せねばならぬという道理はない。ならば見た通り、できることだけで良いはずだ。


「ほら、それ釣独楽ヨーヨーみたいじゃぁないか。到底武器には見えないおもちゃを操り戦う、カッコイイ!! いうなればそう、超・釣独楽ハイパー・ヨーヨー!!」


 俺の冴えわたる名付感覚ネーミングセンスがまた新たな言葉を生み出してしまった……。

 それに意外性のある武器というのもまた、漢の浪漫である。


「玩具で戦うというのは……しかし、無加工で使用するという発想は見落としておりました。慧眼です」

「そうであろう、そうであろう」


 ものを加工する技術というのはもちろん素晴らしいことであるがしかし、素材本来の良さにもちゃんと目を向けてやらねばならない。元来この世界にあるものはなんだって、ただあるがままでも、十分な価値を持っているのである。

 例えば女性だって、綺麗に着飾っていたらもちろん素晴らしく魅力的になるに違いないが……生まれたままの姿もまた、良いものであろう?


「早速新たな企画の検討に入りたく……失礼ながら本日はこれにて」

「おぉ、よきにはからえ!」


 聞くが早いかその場できりのように回れ右し、来た時と寸分たがわない歩幅で去っていくヒュペレノール。良きに計らえ、ってそういう意味じゃないぞ。


「さすが御兄さま。一番役に立たなそうな局面で、意外にも視察らしいことをしましたね」

「……妹よ。兄という生き物がとりあえず『さすが』と言っておだてればおとなしくしているものと勘違いしていまいか?」

「……どうしたのですか、御兄さま? 妙に冴えている様子ですが、何か変なモノでも食べたりしていませんか、大丈夫ですか」

「おう、そのモノ言いに対して食って掛かる用意が、俺にはあるぞぅ!」


 腹に据えかねる!


「ご主人様」

「おん?」


 そこへやんわりと最愛の声がかかる。


「お腹空きませんか? お弁当に致しましょう」

「おぉ! それな、それな!!」


 瞬間。何に憤っていたかもすっかり忘れた俺は、ファリャの掲げた弁当籠バスケットに飛びついた。



   ***



「なん……だと……」

「やぁやぁ君主よ、よくぞお出でになった。ところで、お腹を空かせてはいないかい? お腹いっぱいちゃんと食べているかい? 僕は子供たちがお腹を空かせている姿がいっとう我慢ならないんだ」


 爽やかな微笑み。

 きらりと輝く歯。

 儚く小柄な体躯。

 その整った相貌は、世のあまねくお姉さまたちを魅了してやまないことは火を見るより明らかである。


「……っ!? おぉいい!! 反逆者だっ! 速やかにこやつを国外へ追放しろぉっ!! 良男イケメンは裁判無しの有罪だぁ!!」

「えぇっ!?」


 即座に反応リアクションしたのはもちろんオルフレンダだった。

 とっさのことに気が動転して口が滑ってしまったが、我ながら随分と迂闊な事を言ってしまったと、これは酷く反省が必要な事案である。

 何せ王の散策に侍る我が伴侶たちは、決してお飾りなどではないからだ。

 口ではなんだかんだ言いつつ俺のいう事は嬉々として実行してしまう正義きさな

 内心本意でない事であろうとも俺の命令ならば粛々と実行してしまう暴力ファリャ

 もしこの二人だけであったならば、俺はかくも容易く暴君へ堕ち果てていた事であろう。

 そこ行くとやはり、オルフレンダの安定感は異常。

 正義の名の下にふるわれる圧倒的な暴力を持ち前の人徳で抑えてしまう秩序オルフレンダ

 間違いなく、我が王座はこの三柱の女神に支えられている。

 

「はっは、元気いっぱいで良い事だね。どうれ君主よ、お腹を出してごらん? さすってちゃんと膨れているか確かめて上げよう」

「や、やめろぉ!!? 幼男ショタに腹さすられて喜ぶ趣味はねぇぇぇぇえええ!!!」


 お腹さするならファリャにやってもらいたい。

 むしろ俺がファリャのお腹さすりたい。もみもみ。


「ご主人様、そこはお腹ではなくお胸ですわ」

「こっちのほうが触り心地よい」


 それにである。

 人種の文化圏では古より、女性の乳房を豊穣の象徴として祀っていたそうではないか。つまりたわわなおっぱいこそ、豊かさを実感するために触るべき場所なのではなかろうか?


「一理あるかもねぇ」

「そうであろう、そうであろう」

「女性のお乳は元気な子供を育てるのに、とっても大事なものだからね。それが豊かであることはとても素晴らしいことだ」


 なかなか話の分かる少年ではないか。将来有望な人材だ、ぜひとも名前を聞いておかねばならんな。


「え……、あの主上?」

「くくっ、ふふふ。恐悦至極。君主閣下に賜った機会、無碍にしては不敬だね。では名乗らせていただこう。僕の名はクトニオス。山歩きと土いじりが趣味の、しがない炭焼きじじいさ」

「……なん、だと?」


 俺はその名を、事前に知らされている。

 曰く、その者は『越冬の守護者』として実り乏しき厳寒の中にある民を導き、山で迷いし薄弱の徒をいざなう『西の古灯台』。傑物揃いの五本の牙にあってその最初期から不動の頂点に座し続ける『永久の牙旗』。太古よりこの地を見守り続けてきた『山の生き字引』。

 そうして、幾星霜の生涯を経て無数の異名で詠われたことから『千首の怪異譚』とも称される、偉大なる古龍の名こそ、クトニオスであると俺は聞かされていた。

 だからてっきり、ムキムキマッチョな禿頭だけど口ひげだけやたら長い仙人みたいな爺さんだとばかり思っていたのだ。

 ……それが、それがまさかこんな──


幼姿高齢ショタジジイだとぉっ!?」


 偉大なる萌え要素が丸ごと反転していやがるっ!!

 冒涜! それは我らを造り給うた造物主への冒涜ではあるまいかっ!?

 あまりに事態に俺は柄にもなく錯乱し……綺真によって速やかに誅された。


 ……

 …………

 ………………


「落ち着きましたか、愚兄さま?」

「落ち着いたっていうかオチたんだが……」


 可動範囲がやや広くなった気のする首をぐりんぐりん回しつつ、俺は改めて少年の姿をした年長者に相対する。


「いやすまない。取り乱した、見苦しいところを晒してしまったな」

「なに、若い竜にはよくあることさ。元気のいい子達を見るのが年寄りには何よりの薬なんだよ」

「そう言ってくれると助かる。まだまだこういう身には慣れていないようだ」


 そうして改めて相対してみればなるほど確かに、ただの少年と判断するには不自然な佇まいであることがわかる。


すすけたベレー帽に着古しのベストというそのジジむさい出で立ちからは、若々しさを微塵も感じないな。いや、これは失礼した。俺の浅眼せんがんであった」

「歯に衣着せないねぇ……」


 若々しいよ。と言いながら慣れた手つきでパイプに火を入れるクトニオス。

 絵的に放送倫理コードに抵触しそうだが、合法である。


「さて、何の話だったかな。そうそう、君主よ。今日は何やら面白いことをしているというじゃないか」

「何で知っているんだ……」


 ヒュペレノール辺りから、視察の趣旨が筒抜けである。抜き打ちとはいったい何なのか。


「ぜひともこの老骨にも一枚かませておくれよ」

「勿論そのつもりだが」

「くく、ふふふ。実はね、若者を楽しませる鉄板ネタというやつを結構持っているんだよ、僕もね」


 年月も重ねてみるもんだろう、と笑うのはあどけなき老獪。

 静かながらに揺るがぬ自負と自信が、そのおもてにははっきりと浮かんでいた。


「それは期待できそうだな!」

「任せたまえよ」


 そうして意気揚々と彼が先導した先は、こじんまりした炭焼き小屋であった。

 大言に比しては壮語な佇まいではないかと拍子抜けしかける俺に、含み笑いで待つように言うとクトニオスは一人で小屋へ入っていった。


「これは予想ができないな! 何が出てくるか楽しみだなっ!?」

「そ、ソウデスネ……」

「オルフレンダはなぜ片言なのだ?」


 遠くを見るように目をそらすオルフレンダに首をかしげていると、ほどなくして小屋の扉が開いた。

 現れたのは……。


 ──全身を黒いベルトのようなものでぐるぐる巻きにしたクトニオスだった。


 なんなのだこれは。正面から風を受けながら歌でも歌うのか? 熱き限界に挑戦したくなっちゃったのか?


「これぞ我が秘奥! 有り余る時に任せて習得してきた数々の武具術! そのすべてを十全に発揮させるべく編み出した策こそこの姿! 都合十本の主武装に、無数の副武装をいっぺんに身に着けて持ち運べる多機能剣帯、これ名付けて十把じっぱという!」


 支配者にのみ許された程よく両手を広げるカッコイイ仕草で天を仰ぐクトニオス。

 絵面だけ見ると奇抜な格好の少年が悦に入ってキメポーズしているという、痛ましい光景なのだが。

 しかし……やはり背負ってきたモノの大きさによるものか、何とも言えない威厳のようなものも感じるような気がしないでもない。


「さて君主殿が飽き始める前に実演して見せよう」

「やはりその恰好で歌うのか」


 どこからともなく使用料を徴収する兵隊が現れるぞ。


「この十把は剣帯だよ? 勿論、武器を吊るすのさ。まぁ見ててごらんよ」


 そういって部下に持ってこさせた大量の武器に手を伸ばし始めるクトニオス。

 右腰に片手剣を、左腰に片手戦槌を。

 背の左肩から袈裟に大剣を、右肩から戦斧を。

 腰の後ろには折り畳み式の大鎌と、組み立て式の槍を。

 右太ももには柄の短い鉄杖を、左太ももには柄の無い銅矛を。

 前腕左に打刀を差し、前腕右に太刀を佩く。


「お、おぉ……」

『おぉ……っ!』


 次々と武器を身に着けていく様に俺は感嘆の息を漏らす。

 いつの間にやら集まっていた観客ギャラリーも同様にざわめく。

 そうしている間にもさらに、彼は飛針や短剣、投げナイフ、スリング弾、あらゆる副武装を体の余すところなく次々と装備していった。

 ……そうして気づけば十数人分はあった武具を、小柄な身一つに全て納め切ってしまったのだった。


「どうだね、十把の威力は!」

「想像だにしなかった得も言われぬ迫力じゃないか!」


 筆舌に尽くしがたいが、あえて表現するならこれはイカレた針鼠の仮装であろうか。

 刺々しくて物理的にも近寄りがたく、物々しくて心理的にも近寄りがたい!


「そう、まさにその所感こそ我が十把の真骨頂! 見るものを畏怖させ、二の足を踏ませるのさ!」

「……っ!? 戦わずして勝つ……まさに強者つわものが帯びるに相応しき装備だ!」

「でも、出来ることなら僕にこの十把を使わせないほうがいい……」

「む……何故だ?」


 その質問を待っていた、とばかりに古兵ふるつわものは片方の口角を吊り上げてのたまった。


「歳の所為かねぇ……全盛期に比べてすっかり衰えてしまった僕の身体では、武具の重さとそれを支える均衡を保つのが精いっぱいでろくに身動きが取れなくなってしまうからさ!」

『HAHAHAHAHA!!!』


 不自然なまでに同調した観客の平坦な大爆笑を浴びながら、クトニオスはキメ顔でそう言った。


 ***


 後日聞いたところによると、それは毎年の新年会でクトニオスが披露する定番の『年寄りあるある』宴会芸だったのだという。

 あっちこっちに目線を泳がせながら、オルフレンダはまるで自分の弁明でもするかのように必死に言ったものだ。


「クトニオス様は本当に、偉大で有能なお方なのです! ……芸事以外に、関しては」


 それを聞いた綺真は鼻で嗤い。

 俺は腹を抱えて大いに笑った。


 ***


「そういえば……」

「どうしたんだい、君主よ?」


 辺りで戦準備に取り掛かっている兵たちを、どこかクトニオスに似た穏やかな雰囲気を持つ彼らを眺めながら俺はふと気になったことを、去り際に聞いてみた。


「彼らはもしかして皆、クトニオスの家族なのか?」

「ふむ。勿論、みんな僕の大切な家族だけれど、どうやら君主の聞きたいことはそういう話ではないようだね」


 さすがに年の功。的確に空気が読めている。

 この時空気が読めていなかったのは、何を隠そう俺である。


「だってお前、その顔だろう? 雌には困らなかったはずだ。しかも誰よりも長く生きているというではないか。産めや増やせやで、一族郎党皆自分の子孫だとかそうなっていてもおかしくないのではないか」

「……はは、それはいいねぇ! しかし残念ながらそういうことはないんだ。大半が君主の眷属という意味では縁者ではあるけれど、僕の直接の子孫は居ないなぁ。もう長らく所帯も持っていないよ」


 愛おしそうに己のパイプを撫でながら苦笑を浮かべる美少年が発するにしてはあまりにも不釣り合いであるはずなのに、その言葉は何故か今日見聞きした何よりも深い含蓄を感じるものであった。


「それはまた勿体ない」


 持つ者の余裕かな?

 などと少しだけやっかんだことに俺はこの後激しく悔やむことになってしまった。

 訊ねてしまったことを、ではない。

 この話を彼自身の口からさせてしまったことを、だ。


「息子と孫娘はね、居たことがあるんだ」

「? ほう、今はどうしているんだ?」


 持って回った言い方をするな、と思った時点で何故察してやれなかったのか。


「孫娘はね、物心つくほどすらも大きくなれなかったんだ」

「……」

「当時は僕らもまだあまり人種の身での生活に慣れていなくてね。ちゃんとした食事を摂るのもままならなかった。その子の母はあまり栄養を摂ることができず、満足に乳が出なかった」


 子供にとって母の乳とは己の外部に担保された命そのものである。それが出ないということはつまり、預けた明日が戻ってこないということだ。


「自分で言うのも気恥ずかしいけどね、息子もお嫁さんも高名な竜の末裔だったからって、周囲からとても期待されていたんだよ」

「そうであろうとも」


 人種とあまり変わらないくらいの力しか持たないような、慎ましい老竜の夫妻に子が生まれたというだけでも国をあげてのお祝い騒ぎになるくらいである。優良血統サラブレッドともなれば、その期待感は否が応でも高かったに違いあるまい。


「だから早々に娘が早々に冥府へ降りてしまったことを気に病んでしまって、ある日フラッと山に入ってそのまま帰ってこなかった」

「……お転婆な嫁さんをもらって、お前の息子も大変だ」

「僕の息子とは思えないほど、強く勇敢な戦士だったよ。荒事では常に一番槍を務めてくれていた」

「その話が親バカ補正でなければ大変だ、お前の牙としての立場も危ういぞ!」


 暑くもないのに汗が止まらない。

 大らかな俺でも、この会話で意図的にはぐらかされた事実があることくらいは容易に察することができる。ジリ貧だった我ら竜種の眷属たちの戦では、強く勇敢な者たちから順に地上を去ってしまうのだ。


「親バカなもんか。間違いなく、僕の息子は次期牙の筆頭だったよ」

「……お、おう」

「くく、ふふふっ……もうこの話はやめておこう。これ以上君主をイジメたとあっては僕の首が飛んでしまいそうだ。この首一つで事足りるならまだいいが、あの剣幕ではいくつあっても足りないかもしれない」


 後ろで睨みを利かせている我が妹の放つ殺気は、どうやらこの古強者にとっても無視できないほどであるようだ。


「だからね君主よ。僕があえて、年の功で言わせてもらうことがあるとすればそれは単純なことさ。子供たちが毎日お腹いっぱい食べられて、産めや増やせやで、一族郎党皆君の子孫となるような、豊かで永く続く国にしてくれたまえよ」

「まかせろ」


 それは俺が目指すものと、何一つ競合することのないものだ。


「安請け合いして大丈夫かい? 単純であっても、これは簡単なことではないよ」

「心配するな! そうだ、今日は皆に得意なことを聞いて回ったが、最後に俺の最も得意なことも教えてやろうじゃないか」

「いいね、残り物の副があったようだ。ぜひご教授頂きたいよ」


 俺は最高のキメ顔で言った。


「俺は、単純なことが一番得意なんだ!」



***



「はっはぁ、いやはや実に有意義な視察であったな!」


 王座に深く座り直しつつ、俺は確かなやりごたえに身を浸していた。


「そうですわね」

「そうでしたか?」

「そうだったでしょうか……」


 三者が三様に返す相槌であったがどうやら二つばかり芳しくない音色である。


「どうしたんだ、二人とも。浮かない顔をして。一緒に見てきただろう、我が国の磐石を。何か不安なことでもあったのか?」


 まず仕事形態モードの片目眼鏡をした綺真に目を向ける。


「伝え聞いていた不安要素が、聞きしに勝るありさまでより不安が増したような心持ですよ……組織を束ねる頭目たちがこぞってお気楽者とは」

「牙たちの事か? ……ふむ、確かに」


 彼女の意見はもっともだろう。上に立つ者にはそれ相応のモノが必要だ。


「お分かりになってくれましたか」

「あぁ、確かにかの勇者たちにはもっと相応しい、──威厳のある二つ名が必要だな!」

「お分かりになってくれなかったようですね」

「よし、彼らのこれまでの武勲を賞し、新たな称号を与えよう。一人ひとりの固有名は追々伝えるとして。とりあえず彼ら五人を、我らが仇敵を噛み砕く俺の牙。『竜王の牙スパルトイ』と呼び習わすとしようじゃないか!」

「もうそれでいいです」


 解決!

 次に神官服に着替えたオルフレンダに目を向けると、彼女はもにもにと所在無げに身をよじる。抜群の女体美がこれでもかと強調される仕草だ。エロいなぁ。狙ってでなく天然でやってるところ点数ポイント高い。


「私は不安があるというよりは……、もともとあった懸念が想像以上に払しょくできなかったというか」

「うん」

「全体的に士気が上がっているのは良かったのですがやはり、圧倒的な物量を有する人種の軍勢に気概だけで太刀打ちできるかというと……」

「……うん?」


 何やら模糊々々もこもこした言い方をするものだから数瞬気づかなかったが、どうやら要らぬ心配をしているようだ。

 そういえばここを出るとき居なかったもんな。


「オルフレンダよ、そいつは杞憂だ!」

「えぇ……?」


 おっと、これは根拠のない自信にはしゃぐ子供を見る目ですねぇ。

 だが今回ばかりは的外れだぜ!

 なぜなら俺は──


「俺の、いやさ俺たちの『名』を、もう思い出しているぞ!」

「っ!! では主上……!」


 そう、聡いオルフレンダはこれだけでほとんどの事を察してくれている。


「お前たちはもう、人種よりちょっと強いだけの兵隊じゃない。我が号咆ごうほうが戦場に響いたとき、真に誇り高き竜の戦士として存分に力が発揮できるのだ」


 一人ひとりが一騎当千どころか一騎当万いっきとうばんにすら届く軍勢護られていると想像してみると良い。

 これほど揺るがぬ地があるだろうか。

 これほど堅牢な城塞があるだろうか。

 これほど安らげる家があるだろうか。


「だから不安がることはない。盛大に、祭りとでも思って楽しもうじゃないか。この地においてはこれが俺の初陣となるわけだが……なに、こいつは丁度良い勝ち戦チュートリアルだ」



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