6章 竜王の牙(上)


「ふん、ふん、ふふーん」


 俺は鼻歌交じりに、執務室にてとある重要な書類の作成を進めていた。

 覚えたての文字ではあるが筆の走りは軽やかだ。才能の塊である俺はどうやら事務仕事もやればできる子であるらしい。

 さすが俺。さすおれ。さす・オ・レ。ふむ……? 何故だろう。炒り豆の茶に牛乳を混ぜた飲み物が欲しくなってきた。


「失礼します、御兄さま」


 と、丁度良い機に綺真がやってきた。

 残念ながら茶の乗った盆は持っていないようだが。


「あら御兄さま、何をなさっているのですか」

「ふふん、よくぞ聞いた。これだ!」


 俺はたった今まで書いていた書類の表紙を掲げて見せてやる。あまりの出来栄えに綺真もさぞ驚くことであろう。


「……なんですか、これは」

「見て判らないか?」

「判りたくないから、一応聞いているのです」

「お前はちょくちょく難しい事を言うな。まぁよい」


 改めて自分の作成した書類の標題に目を通す。

 そこには達筆な力強い字でこう書かれていた。


 ──旅のしおり『トギっ、水着美女だらけの海水浴遠征! ポロリもあるよ!』──


 余談であるが、後日オルフレンダに校正を頼んだところ、何故か酷い頭痛を堪えるような表情で、冒頭の誤字を指摘してくれた。

 閑話休題。


「これはだな、まだ草案なのだが──」

「もういいです」

「む? しかしだな」

「そ ん な こ と より」


 有無を言わさぬ迫力に俺は仕方なく押し黙る。そんなこと、とはまた豪快なバッサリ感。心なしか不機嫌なようだがなぜだろうか……水着に自信が無いのかな? お兄ちゃん、お前の丁度手に余らない大きさも良いと思うよ。


「資料はちゃんと読みましたか?」

「ん?」

「我が国周辺の地理や、主要な防衛戦力になる者達など、今度の戦いのために把握していただかないといけない資料を渡しておきましたよね」

「お、おぉ、もちろんだとも。ちゃんと見たさ! 何を隠そう、その上で着想を得たのだよ、此度の遠征作戦は」


 先ほど袖にされた資料を再度掲げて見せる。

 胡散臭げな流し目をちろちろと向けては何やら黙考しているようだ。


「……なるほど、そういう事なら聞きましょう。御兄さまは一体どんな妙案を考えてくれたのかしら」


 一旦資料を机に戻した俺は壁に大きく張られた地図の前に移動すると、その中心部を指差した。

 先日、己の地理に対する疎さを思い知らされた俺は、こうしてでっかい周辺地図を用意してもらったのだ。その中心にあるのは、もちろん我が国である。


「此度の戦い、人種の軍勢は我が国をその数に物を言わせた全周囲一斉攻撃を仕掛けてくるのだろう?」

「その通りです」

「ところが、地図を見ていて改めて気付いたことがある。ここを見てみろ!」


 中心から少し北西に目を向ける。周囲のほとんどを深い森林か山に囲まれた領内において、そこだけは比較的小さな山を一つ越えただけですぐ、開けた海岸線に出るのだ。歩いて一日もかからないだろう距離である。

 戦略的に見て、此処は重要なところだ。


「海だ」

「海ですね」

「ならば水着だろう?」


 ──スチャ。

 綺真は静かに目を伏せると、掛けていた片目眼鏡をそっと外した。


「まて、早まるな! 今のはちょっとした冗談ジョークだ!」

「………………」


 最近、綺真は仕事の時はこうした片目眼鏡をしている。

 にばめる黄金とけぶる濃緑。左右異なる色の瞳を持つ彼女にはこうした左右非対称ア・シンメトリーの小物が良く似合う。何を隠そうその眼鏡も俺が彼女に贈ったものだ。

 ただし、綺真は目を患っているわけではないので伊達眼鏡だ。

 普段はほとんど見返りを求めない、無償の愛を地で往く彼女だが、いつだったか日課の如く俺をしばき倒して一息ついたところで思いついたように言い出したのだ。「御兄さま、私に何か贈り物プレゼントを下さい。身に付けられる、出来るだけ壊れやすいものを」と。

 気軽に出歩けない俺は買い物に行くわけにもいかず、どうしたものかと頭を捻り、神殿奥のほとんど使われて居ない物置を物色した。

 そこで見つけた、片方の鏡玉レンズが割れた眼鏡をピカピカに磨き、少し加工したものが、今綺真の手にあるそれである。

 曰く、それは歯止ストッパーなのだと、初めてかけて見せた彼女は説明してくれた。

 俺に対して唯一、痛打を与えることができる綺真は、故にこそ無二のツッコミ役を買って出てくれている。

 しかしどうにも、最近そのツッコミに力が入り過ぎているのではと思うようになったらしい。

 そこで俺からの、壊れやすい贈り物を身に付けることで自制を図ろうと思い立ったようだ。

 大事な御兄さまからの贈り物を壊してしまうわけにはいかないと衝動的な行動を抑えられる様に。

 大事な御兄さま本人を直接ぶっ壊してしまうかもしれない可能性は心配してくれないのかしらん?

 ひるがえって、彼女がおもむろに俺の前で片目眼鏡を外すその行為は、まもなく訪れる惨劇の幕開けと同義なのである。


「もちろん、ちゃんとした理由があるとも。あるともさ!」

「……ではどうぞ、仰ってください。三度みたびはありませんよ?」


 硝子板の覆いから解き放たれし金瞳こんとうの光は、強く鋭く、右の暗瞳あんとうとの対比コントラストも相まって迫力満載だ。彼女の眼光を前にしては、きっと百獣の王だって平伏へいふくすることであろう。なんなら竜王すら平伏しているくらいだ。

 うるしに蜂蜜を垂らしたような、黄金の光沢を持つ濡羽ぬればの髪を揺らめかせて立つ綺真の威圧感たるや、数多の血を吸ってなお渇きを訴える断頭台の刃が如し。左側頭部でくくった可愛らしい一房の尻尾髪も、こうなると死神の鎌に見えてくる。

 こわい。


「ほ、ほらみろ! この海に面した一帯は開けた土地がほとんどないから兵の大規模な展開ができん。すると防衛にも支障が出るだろう? それは相手も同じだが、例えば……船、多数の艦船で戦力を運んで来たらどうだ。こちらの防御は厚くできんが、向こうは船からいくらでも増援出来てしまう! 全方面から攻めてくるのに対抗しようとしたとき、もっとも突破されやすそうなのがこの北西の海側なのだ、だから早いうちに周辺調査をせねばならんと、そう考えての作戦立案なのだ!」


 一気にまくしたてる俺、喉がカラカラである。茶を、茶をくれ! ファリャー!

 と思ったらもう用意されていた。む、これは炒り豆の茶ではないか、しかも牛乳で割って甘露が混ぜてある、さすが俺の求めるものが判っているぅ!

 ごきゅごきゅ、ふぅ……うまい、味も温度もいい塩梅だ。

 はて、何の話をしていたのだったか。


「驚きました。口から出まかせにしてはとても理に適っています。さすが御兄さま」

「そうであろう、そうであろう」

「……やはり、出まかせだったのですね」

「!? ズルいぞ、誘導尋問だ」

「……なるほどやはり、出まかせだったのですね」

「!!?」


 しまった、これは隙を生じぬ二段構えの罠だ! 俺が俺自身で綺真の仮説を証明してしまった……さすが我らの頭脳ブレイン。眼鏡くいくいっ、が似合う妹、全俺中第一位なだけの事はある。

 やはり……惨劇は、回避できないというのかっ?!


「まぁ、いいです。今回は御咎めなしとしましょう。実際、御兄さまの懸念は正しい」


 と思いきや、ため息つきつつも眼鏡をかけなおし始めた綺真である。

 しかも何やら色よい返答。これは畳み掛ければ更なる希望の未来が開ける可能性が、あるっ!


「だろう? なら──」

「でも海水浴は却下です」

「なぜにっ!!?」


 喰い気味な速さで一蹴された。


「我々はこの戦いで、海に気を配る必要が無いからですよ」

「なぜだ、俺の考えは理に適っていると言ってくれたではないか」

「そうですね、ただしそれは人種の目線で言えば、という話です」

「どういうことだ?」


 俺たちと人種では、水着美女を前にしたとき最初に目線を向けてしまう部分が違うということだろうか?

 俺はやっぱり、胸見ちゃうけど、人種は違うのだろうか。真っ先にくるぶしに目が行く方が彼らの文化圏では一般的であるとかそういうん? 通だなぁ、人種よ。


「我々はもっと高い目線から世界を見ているのですよ、御兄さま。

 人種共は狡賢い生き物ですが、所詮は小さき者。そして傲慢です。彼らは自分たちの小ささを自覚できていない。

 だから勝手に決めつけてしまう。自分たちが勝手に決めただけの基準が、まるで世界の基準と同義だと。

 嗚呼愚かしい、小さき人種共! その愚昧さゆえに、彼奴等きゃつらの足掻きは、我々に届かない!」

「……お前もだいぶん、遥かなる高みから物申すなぁ」


 そしてそれよりさらに上に座する俺はもう、一周まわって地下世界とかに君臨しちゃいそう。


「仕方がありません、悲しい事にこれも私の、元来の性分なので」

「まぁそれは良いが、結局北西方面はどうするのだ」

「後になれば判りますから、今は忘れてくれていいですよ。

 ……ふふ、しかし人種共は小賢しいですが、その勤勉さだけは感心しなければいけませんね。

 なにせ、自らの愚かさを、その命という大きな勉強料を支払ってまで学びに来てくれるというのですから」

「忘れても良いというなら忘れるが……いやまて、海水浴は忘れないぞっ!」


 事の遂行は、或いは国の趨勢にも匹敵しうる大事であるぞ。

 『水着は海で見よ、海は水着で見よ』という格言だって、ある……かどうかは知らんが、あってもおかしくはない。

 それに、嫁の水着を見ずして何が王かっ!!


「さてこの話はもうおしまいです。支度してください、お出かけしますよ。

 愚兄さまに机仕事なんて馬鹿な真似をさせた私が間違っていました。直接見てもらった方が早いでしょう。

 丁度オルフレンダが『五本の牙』達のところへ視察に出るようですから、同行します」


 俺の主張をガンスルーする綺真に物申したい所であったが、耳に入って来た言葉を噛みしめた俺は思わず目をしばたたかせてしまった。そのくらい意外な申し出が、あまりにもあっさり出てきたものだから。


「お、いいのか? 俺が出歩いても。今まで頑なに出してくれなかったのに」


 何を隠そう実は俺、ここで目覚めてからというもの、ほとんど軟禁されているといって過言でないほどに神殿の外への出歩きを禁じられてきたのである。

 その掟を敷き、厳しく取り締まっていたのもまた綺真なのだ。思わず聞き直したくもなる。


「この非常時ですし、執務室に閉じ込めておいてまた無駄な事されても困ります。それに──」


 左右異なる色の瞳から、等しく見透かしたような視線を放って意味深な言葉を綺真はこぼしてゆく。

 やはり眼鏡キャラに隠し事ができないのはどんな世界でも共通の真理であるのかもしれない。


「──もう、判っているのでしょう? 自分が何者なのか」

「ふぅん、そうか。なるほど、やっと俺も、羽を伸ばせるのか」

「ご主人様、お出かけの御召し物も、お弁当も支度は万事整っておりますわ」


 そう言ってファリャは部屋のすみに置かれた荷物を指示した。

 おぉ、さすがだ。行間だけでは、実は最初から執務室に一緒に居たことすら悟らせないほどに奥ゆかしいだけでなく、何事も用意が良い。

 俺の記憶が正しければ、あの荷物は今朝からこの部屋に置いてあって一度も誰も触れていない気がするのだが。まぁ、細かい事は気にするまい。

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