5章 オルフレンダ


 鬼の居ぬ間に、というわけではないが珍しく随分と深く眠っている彼女の事を話そう。

 我が国の神官にして騎士。

 盾にして矛。

 頭脳にして力。

 優秀にしてポンコツ。

 相克そうこくする長所をいくつも持ち合わせた護国の美女。

 そう、オルフレンダである。

 あくの強い面子の中にあってどうにも埋もれがちな彼女の魅力を、今日は熱く語ろうではないか!



   ***



 彼女は俺の周囲に居る者達のなかで、内面的な意味で言えば実に普通である。

 飛び抜けた信仰思想があるわけでもなく、加虐エスでも被虐エムでもなく、客観的で常識的で、道徳の教本に描かれていたとしても何ら違和感を覚えない。

 忠誠心にも揺らぎは無く、叛意も二心もその芽どころか土壌すら見受けられない。その割に別に傀儡であるわけでもなく、言う事はザクザク言ってくる。俺を正座に追い込む機会はいっそ、綺真よりも多いであろう。もっとも、その最たる理由は綺真の場合、正座を通り越して土下座を強要してくるからなのだが。

 良くも悪くも、彼女は均衡バランス感覚の優れた人格者なのである。

 ところがしかし、外見的な面で意味で言えば、彼女は間違いなく最強の衝撃インパクトの持ち主であるといえる。

 もちろん素材からして逸材だ。

 蒼穹を融かしたスープをトロリと器へ注ぐ様を思わせる空色の長髪は実に見事で、下ろすと膝裏近くまで至る。ほぼまっすぐなのだが毛先数寸だけふんわりくせっ毛になってるのが魅力的チャーミングだ。雨季の長引く曇天に滅入る日々も、彼女を眺めているだけできっと色んな意味で晴れやかな気持ちになれることだろう。

 女にしては高い上背としなやかで均整のとれた身体は、女体美と肉体美を同時に兼ね備えている。その美しさたるや、ファリャを極上の御馳走、綺真を耽美な劇薬とするなら、彼女は長き歴史の積み重ねによって研鑚された工芸品の如し。

 とはいえ俺の周りには基本、美人しか居ない。美しさだけでは特徴足りえない。だから彼女の印象を強めているのはおもに、その持ち物に寄る。

 左腕にはめた黒く武骨で刺々しい手甲ガントレット

 長躯のオルフレンダをしてその背丈を上回る長戦棍ロングメイス

 とにかくこの二つがド派手なのである。

 それぞれに銘を『毒手《ギンヌンガガップ》』、そして『母杖《アウズンブラ》』と言うらしい。

 なんでも彼女の一族に代々受け継がれてきた三種の神器、その内の二つだそうだ。

 最後の一つは俺もまだ見せてもらったことが無い。相当危険な代物で、平時にはおいそれと外に出せないのだと。

 曰く──


「それが抜き放たれしとき、炎と氷が吹き荒れ、星が墜ち地が割れ、世界の終焉が顕現すると伝えられております」

「なにそれやめて!」


 ところで今、俺が『彼女の一族』と言ったことに、或いは違和感を覚えた者が居るかもしれない。自国の民なのだから、彼女もまたお前の眷属ではないのかと。

 そう、実はその答えは厳密に言えば否であるのだ。

 彼女は元々この地の出身ではなく、流浪の民であった。

 幼いころに、既に数少なくなっていた同族と共にこの地に流れ着き、当時の神官長の計らいで神殿の近衛として迎えられたのだそうだ。

 丁度、ほぼ同じころファリャが産まれて神殿に連れてこられていたこともあり、オルフレンダは世話係兼、遊び相手として仕えることになった。

 仕えると言っても特に主従という関係性を強制されるわけでもなく、二人の仲は非常に良好だったという。互いに呼び方が気安いのはそのためで、つまり所謂ところの幼馴染というやつなわけだ。

 幼馴染……良い言葉だ。美しき絆を感じさせる。

 そういえばこの間、勉強をサボって居眠りをしていた時に、彼女らの会話が良く聞こえてきたことがあった。


   *


 王たる者、たとえ単なる怠業サボタージュであろうともコソコソするようなみっともない真似は出来ない。

 だからその時も、オルフレンダの授業をすっぽかした俺は堂々と居眠りを敢行していたのだ。

 神殿よりほど近い、日当たりのよい森の切れ間に。ファリャの膝枕で。


「主上! 主上は居られますか!!」


 微睡まどろみの向こう側でそんなオルフレンダの声が聞こえていた。

 慌ただしく響く足音は、不思議な事に淀みなく近づいてきていたように思う。神出鬼没な俺の行動が読まれていたとは考えにくいのだが。


「あぁ、やはりこちらに居られましたか……」

「ふふ、お疲れ様、オフィ」

「くかー」


 俺、渾身の寝たふりを強行。

 愛おしそうに撫でてくれるファリャの手と頭の下にある太ももの感触は素晴らしく、何なら意識の半分くらいはフリでなく本気で寝入っていた。


「ファリャ……あんまり主上を甘やかさないでちょうだい」

「まぁ、オフィったらご主人様に対して随分と不遜な言いようをするのね」

「いじわるしないで。私だってこんな……でも、必要な事なのよ?」

「昔からオフィは損な役ばかりね」


 おや、オルフレンダの口調が俺との時とだいぶ違うぞ? 新鮮だ。

 興味を惹かれて意識を引き戻した俺は、薄目を開けて様子をうかがってみる。

 すると何やら複雑な表情のオルフレンダ目が合った。あ、いやそんなはずはない。くかー。


「……ファリャ。主上を起こして」

「わたくしにそんな事できると思う?」

「貴女か、綺真様にしかできない事よ」

「そんなことないわ。オフィだってわたくしたちと同じ、ご主人様のお嫁さんなのだから」

「同じだなんて、そんな」


 そうだそうだ。

 オルフレンダよ、お前はちょっとお硬過ぎるのだ。もっとファリャを見習って俺を甘やかしてくれてええんやで?


「……いえ、そう、そうよね。私も、綺真様を見習ってこういう時びしっと、主上を叩き起こせるくらいにならなきゃよね」


 そっちかー、そっち見習っちゃうのかー。

 有言実行、思い立ったが吉日とばかりにオルフレンダはいつも携えている長戦棍ロングメイスをひょいと柄尻に持ち替えて打点である柄頭を高く掲げたかと思うと、なんと一切の躊躇なく振り下ろした!

 ──ばごんっ!

 すさまじい衝撃音。しかしこれは何かを打撃した音ではない。あまりの速さで振り下ろされた戦棍が空気を砕いた音である。想像を絶する攻撃力を秘めた彼女の一振りはあやまたず、吸い込まれるように俺の頭部めがけて落ちてきた。

 おれはしんだ。


「………………」

「ふふ」

「く、くかー」


 いやいきてた。

 振り下ろされた戦棍の柄頭は、俺の鼻先薄絹一枚分ほどのところでぴたりと寸止めされていた。

 驚嘆すべき絶技であり、そして恐るべき腕力である。

 オルフレンダの携行する母杖《アウズンブラ》は並みの逸品ではないのだ。角の無い肥沃な乳房を二対持つ雌牛をかたどった装飾を持つその神器は、見た目は人の頭より一回り大きい程度だが、重さがなんと成熟した乳牛四頭分はあるという。竜の怪力があれど、普通なら片手で振るう事すらままなるまい。

 鼻先にあるその超重量に俺は生きた心地がしない。だが王たる矜持でどうにか寝たふりを維持した。

 ちなみにその剛撃はファリャの鼻先すら掠めていたはずなのだが、彼女はまつ毛一本すらピクリとも動かさなかった。恐らく互いの長き信頼の成せることなのであろう。


「起きないわね。ご主人様はきっとお疲れなのよ。ちょっとくらい休ませてあげても良いでしょう?」

「はぁ……まったくもう」


 ため息とともに、オルフレンダは長戦棍を小枝のようにくるりと回して俺の顔面から引きはがし、いつものように携えた。何度も言うが牛四頭を片手で小枝のようにぶん回す女、オルフレンダさん。


「オフィも、あんまり働き過ぎちゃだめよ。折角だし一緒にお休みしていく?」

「そういうわけにもいかないわ。やることがいっぱいあるの」


 言ってその場で回れ右するオルフレンダ。

 追ってなびく空色の毛先は降り注ぐ日差しを反射して白いが入ったように見え、それは流れゆく雲を引き連れて天を駆ける女神を思わせた。


「主上、半刻だけですよ」


 その幻想的な後ろ姿とは裏腹に、置き土産の言葉はおかんの小言みたいな素朴さであった。


「ですってよ、ご主人様?」

「くかー」


 毒を食らわば皿までと、頑なに寝たふりを続けた俺は結局──約束の倍の時間を寝過ごし、そのさらに倍の時間、正座させられることになった。


   *


 ここまで聞いて気づいたかもしれないが、彼女は殊更に『二面性』を感じさせる女だ。

 裏表がある、なんて言うと悪く言うように聞こえるかもしれないが、彼女の場合裏も表も可愛いので隙が無い。

 オルフレンダさんは裏表のある素敵な人です。


「裏表の無い者など、私は主上を置いて他に出会ったことがありません」


 彼女はいつだったかそう言って苦笑していた。

 二面性と言えば、彼女はそのいでたちも二通りある。

 神官として神殿に詰めている時や俺の家庭教師をしている時と、騎士としての鍛錬したり各防衛拠点の見回りをしている時で、髪型や装いが違うのだ。

 後者はまだあまりちゃんと見たことはない。所謂戦装束というやつで、それはそれで洗練されていて凛々しく美しいのだが、どうしても物々しさがあるのでやはり俺は、俺にとってのいつものオルフレンダが好ましい。

 上衣は前合せの立襟で裾が足首くらいまで届く長衣。

 下衣はゆったりとした薄手の長袴ズボンという恰好スタイルだ。

 青と白の生地に金銀の刺繍がなされたなかなかに上質そうな服を、上から下まですっぽり着込んでおり顔以外の肌の露出がほとんどない。聖職者らしい実に貞淑な姿である。

 ──嘘だ。

 ハッキリ言っておくが、このオルフレンダさん。非常に扇情的である。

 まず、上半身は体にぴったり張り付いたような仕立てであちこち体のラインがはっきり出ている。

 下半身も直接の露出はほとんどないのだが、袴の生地が非常に薄手の白い生地なもんだから、その長く美しい脚線が透けて見えるのだ。

 極めつけに長衣は左右に深く、脇腹の上くらいまで切込スリットが入っているおかげで、両腰の当たりにわずかな肌の露出がある。こいつがたまらない。眼にするたび手を入れたい衝動に駆られるのを抑えられる者が居るだろうか。いや居ない(反語)。

 だが初心者にはオススメできない。そんなことした日には、正座や土下座では済まない。あんなん、俺で無かったら星座の彼方までぶっ飛ばされてたぞ。


「それにしてもすごいなその服は」

「ど、どういう意味でしょうか?」


 しみじみと漏らした俺の言葉をどう邪推したのか知らんが、両手で己の肩を抱きちょっと身を引いて警戒態勢を維持するオルフレンダである。


「そうも身体にぴったりだと脱ぎ着すら大変だろう。体系が少しでも変わったりしたら台無しになるし」


 肥って着れなくなる……なんて醜態を晒すなど、彼女ほど自分に厳しい者がするはずも無かろうが、俺が思うに、この服はうっかり痩せすぎても見栄えが墜ちる。余った布地が弛んで余計な陰影を作ってしまえば、小皺が気になり始めた中年女性ミドルレディのすっぴんみたいな残念感を漂わせかねない。


「それは……仰る通りですが、だからこそ意味があるのです」

「意味?」

「神器とは違いますが、この衣装も我が一族で代々母から娘に伝えられてきたものです。これを仕立ててもらい、またその手法を教えられることが裳着もぎの習わしでした。そしてその時測った寸法を生涯維持し続ける事が、私達にとっての矜持であり自負でもあるのです」

「しょ、生涯……!?」


 つまりオルフレンダのないすばでぃは一生もの! やったぜ!

 ……ところで一つ気になったのだが、もしかしてオルフレンダの御母堂も素晴らしい身体の持ち主なのではっ!? 俺、気になります!


「我が一族の女は皆、その為ならば己を殺す覚悟を持ってこの衣装に袖を通すのです。栗とか葡萄酒とか、好きな物だって、我慢するのです!」

「お、おう……いや、俺はお前に美味しいもの食べて欲しいよ? 涼しくなってきたら栗拾い行こうな?」

「主上がそうおっしゃるのなら。その分日々の鍛練を増やします。無論、職務に支障をきたすようなことは事はいたしません」


 なんてこった。

 わがまま肢体ボディを維持するための努力が禁欲的ストイック過ぎる。とんちか!

 これは下手に甘やかしちゃうと別のところで無理しちゃうやつだ。ご褒美とかお祝いとかあげるとき気を使うな……。

 この時はそう思ったのだが、解決策はまた別の意外なところで見つかることになる。



   ***



「ふーむ……」


 ある夜の事。

 俺はふと、頭に過った疑問を口にすべきかどうか、深く思慮していた。


「どうかなさいましたか、主上?」

「うむ、やはり考えても仕方ないな」


 深く思慮した結果、俺は考えるのをやめた。

 無知の知の極意にこうもあっさり到達してしまうとは、これが賢者の境地……っ!

 しかし不思議だ、オルフレンダが隣に居る時は何故かこういう感覚に至ることが多い気がする。

 天丼と言う単語が脳内に浮かんだ気がした。


「オルフレンダ。もし気を悪くするようなら応えてくれなくて良いのだが……お前は、こうして俺の隣に居て、辛かったりしないか?」

「……はい?」

「いやなに、よくよく思い返してみればお前にはあまりはっきりと同意を得ぬまま迎え入れてしまっていた気がしてな」


 もちろん、俺は彼女が本気でいやがることを無理強いしてきたつもりはない。だが彼女はどんな時も何かとちょっとずつ無理してこなしている様な所がある。

 だからそういうのに紛れてしまって本当は嫌がっていたことを、いつもの戯れのようにスルーしてしまっていたことが、もしかしたらあったかもしれない。

 なにぶん、彼女は俺のいう事でよくオロオロとした様子を見せる。普段優秀で生真面目と評判のオルフレンダが見せるそういう姿が可愛らしくて、俺はわざと少しだけからかってしまうような事がよくあった。

 それはそれでコミュニケーションになると思っての事だが、もしかしたらそういうことの積み重ねで、うっぷんが溜まってしまっているのではないかと、この時の俺は心配してしまったのである。

 何故そんなことを思ったのかって?

 だってあんまりにも──楽しそうなのだ、ねやでのオルフレンダは。

 多分、俺がこのとこに呼ぶ者達の中で、この時間をもっとも有意義に楽しんでいるのは彼女だろうと、そう思わせるほどに。

 今にして思えば、この時の俺はまだ、オルフレンダの素敵で顕著な二面性について理解が及んでいなかった。

 だから平時とのあまりの格差ギャップに、少々戸惑ってしまったのだ。どうしてこうも、まるで別人のような姿を見せてくれるのだろうかと。

 彼女との時間はいつだって、東の稜線が輝きだす直前まで続く。

 そのくせ翌朝──っつうかもう、ほんの数刻後には朝食の席で本日のご予定なんかを、普段通りキリリとした真顔で上から読み上げてくれるのである。別人かと疑う切替具合に俺困惑。

 あれあれ? これってまさか、愛情ラヴでも好意ライクでもない、もしや仕事ビジネスライクで、従ってくれているのではないかと。だから、そんな下らない勘繰りをしてしまったのだ。

 まったく、何が賢者だろうか。こんな良い娘を前にしてそんな下世話な事を考えるなど、これほどの愚者は他に探してもそうは居るまい。


「ふふっ、珍しく難しいお顔をされているかと思えば、そんなことを考えていたのですか」

「珍しくとは失敬な、俺はいつだって難しい事を考えているんだぞ」

「そうですね、確かに主上はいつも、私などには及びもつかないことをお考えになっておいでです」

「そうであろう、そうであろう」


 気を良くして俺は鷹揚に頷くのだった。

 はて、何の話だったっけ。


「見てください、主上。この腕を」


 こちらの質問には直接答えず、オルフレンダは己の左腕をまっすぐ持ち上げ開いた掌を握って見せた。

 ミシリ、と骨身を軋ませるほどの、それは力強い拳だ。手の甲にきらめく黒曜は彼女の逆鱗か。


「硬く武骨な腕です。およそ、女として魅力的なものとは言い難い」


 そんなことはない。

 その肌は白磁の如し、と言い表すのにこれほど相応しいモノは無いであろう。

 特にその左腕は普段から手甲ガントレットをしている所為か、より色素が薄く肌理きめ細やかだ。どんなに上等な大理石を用意し、どんなに高名な彫刻家を呼び、どんなに時間をかけようとも、これほどの美は創りだすことのできないであろう。

 美の女神ですら、彼女と並べば比較されることを避けてそっと羽衣ベールを着込むに違いない。


「腕だけではありません。肩も二の腕も、腹も腰も足も。鍛えていない処など私の身体にはほとんど無い。汗と血と砂塵が、私が最も慣れ親しんだ化粧です。纏うのは匂い立つ色香でなく、鎧のような力ばかり」


 違う、間違っているぞオルフレンダ。

 お前の身体には美の女神すら嫉妬する魅力があって、なおかつ戦の神すら恐れる力があるだけなのだ。

 長所は何も一人一つでなければいけないことはない。互いを潰しあうなんてこともない、良いところはあればあるだけ良いものだ。だからオルフレンダは魅力的なのである。

 そう、俺の独創的かつ前衛的な表現力で比喩するなら、彼女はまさに魅力の宝石箱や!!

 諧謔ユーモアに富んだ言葉でオルフレンダの自己評価を改めさせようとした俺の機先はしかし、そっと押し当てられた彼女の人差し指によって優しく遮られる。


「大丈夫、判っています。そのお気持ち嬉しく思います。でももうちょっとだけ聞いてください」

「うん」

「私はこの身体も力も卑下したことなど一度だってありませんでした。これが当たり前だったのです。仕える方のために振るう力こそが美徳でした。身体の維持だって、戦士として最高の状態を保つための事だと信じて疑わなかった」


 もったいない考え方だ。力も美しさも、もうちょっと自分のために使うことを知っていればもっと器用になれただろうに。

 だが、巡り巡ってそのおかげでこうして俺の元に納まってくれたのだと思えば愛おしくもある。


「主上は御存知ないでしょうが、私が貴方にお仕えすることは何年も前から知っていました。もちろん近衛としてです。知らされてからの私は今まで以上に鍛錬を重ねました。あの日、主上が玉座についたあの日まで、一日だって欠かさず……いえ、それからも欠かした日はもちろんないのですが」


 もちろん、なのか……?

 俺は夜の仕事以外の雑事は、三日に二度はサボるのに。


「主上が、最初に私にお命じになったことを覚えていますか?」

「えっ」


 覚えてない。

 が、なんかこう雰囲気的に覚えていないのは王の沽券に係わる気がする!

 俺はとっさに、俺が彼女を見たら最初に何を言うだろうかと考え、それを口にすることにした。間違っているかもしれないが、そうしたらしようが無い。間違いを恐れていては王ではない。


「俺の嫁になれ、かな?」

「ふふっ、覚えていなかったでしょう?」

「ぬーん……」

「でも、正解です」

「っ! はは、そうであろう、そうであろう!」


 言ってみるものである。さすが俺、成せば成る!


「想像もしていなかったお言葉の意味を、私は全く理解できていませんでした。最初に寝所へ呼ばれたその日まで。全く生まれ変わったような気分でした……あの夜を境に、私はすっかり戦士から女になってしまった」


 自嘲するようにも、増長するようにも聞こえる吐息を漏らすオルフレンダ。


「いえ違いますね、ただの戦士だった私を、戦士であり女でもあるのだと教えてくれた。自分の存在をただ一面からしか捉えていなかった私の目を開かせてくれた」


 濡れたようにも、燃えたようにも見える瞳で見上げてくるオルフレンダ。

 あらゆる表裏の狭間を行き来する彼女の言葉はしかし、曖昧さなど欠片もなく、ただただまっすぐだ。


「だから主上……いいえ、こういう時くらいこう呼ばせてください。──旦那様」


 どこか距離を感じていた呼びかけが、ぐっと縮まる。まるで伴侶に抱擁をせがむような、そんな距離に。


「先ほどの質問にお応えします。──旦那様、私は貴方を心より愛しております。この気持ちに嘘偽りも、義務や忠誠もありません」

「そうか、そうか。それは良かった」


 気の利いた台詞をいくつか考えてみたが、俺は結局、彼女の頭をそっと撫でてやることだけに留めた。

 あまり言葉は求められていない気がしたのだ。


「ふふ、こういうのもこそばゆくて嬉しいのですが旦那様」

「うん?」

「今宵は、夜明けにはまだ時間がありそうですね」

「そうだな、まだまだ草木も眠る頃合いだろうとも」

「ならこの場にはもっと相応しい事がありませんか?」

「ん~?」

「いつも頑張ってる私に、旦那様からのご褒美欲しいなぁ?」

「おっと、おっとぉ! いいのかな、オルフレンダよ。実はかなりテンションの上がっている今の俺にそんな事言って。ただごとじゃ済まないぜ!」

「今夜はただごとで済むと、いつから勘違いなされていたのですか?」

「なん……だと……っ!?」

「私は、こと体力と肉体の丈夫さには自信がありますよ?」


 その挑戦的な言葉と笑みを前に、撤退など王として、いやおとことしてあり得なかった。

 据え膳……そんな生易しいものではない、これは強烈な毒だ。皿まで、隅々まで食い尽くさねば治まらぬほどに中毒性を持つ、魅力と言う名の猛毒。

 聖職者たるはずの彼女は今、俺の上で己が領域テリトリーたる毒の沼に獲物を引きずり込む邪竜の本性をあらわにしていた。

 昼の顔と夜の顔。

 こういう二面性も彼女にはあるのだなという感慨と共に、俺は一つの気づきを得る。

 空が白むその時まで、終始満たされ、幸せそうに悦ぶ彼女の顔は、常頃つねごろ懸念していたことに対する答えに繋がったのだ。


 ──なるほど、こう言う『ご褒美』も、彼女にはアリなのか、と。


 翌日、もちろん寝不足である俺は、いつも通りシャッキリしているオルフレンダの授業を昼寝で盛大に寝過ごし、その倍の時間正座させられたのだ。……ん? これはさっき話したな。

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