3章 紅き嵐の来訪


「結婚しよう!」


 その瞬間、周囲の時間が凍りついた。



   ***



「主上、お話があります」

「おん?」


 彼女との最初の夜。

 一仕事終えた俺が、さながら賢者の如く深遠なる思考に耽っていた時だった。

 国の未来とか、死後の世界についての考察とか、なんかそんな感じの。

 隣に居たオルフレンダが先ほどまでとはうって変わって、逆に言えば普段通りの生真面目な声音を急に発するものだから、少しばかり意表を突かれた。

 目を向けてみれば慣れない事に体力を大きく消耗したのであろう、身体はぐったりとさせては居るものの、その黒に近い葡萄色の目は深刻な光を帯びていた。

 彼女も賢者の領域に踏み込んだのだろうか?


「このような姿で申し訳ありません。ですがこのことは早いうちに主上に自覚を持っていただかなければと……」

「おう、言うてみ」


 彼女は無駄な事を好まない。だからきっと本当に火急の話であるのだろう。

 俺は鷹揚に頷いて先を促した。


「先日のお話で、妃は出来るだけ多く、主上の御心のままに娶るようにと致しましたが……やはり、お相手は慎重に選んだ方が良いかもしれません」

「ほう、どうしたんだ急に。俺を独り占めしたくなっちゃったか?」

「主上、申し訳ありませんが大事なお話です」

「お、おう……ごめん」


 なんかすごい迫力でたしなめられた俺は、思わず居住まいを正してしまった。


「で、どうしたんだ改まって」

「主上、貴方の御力は強すぎます」

「ん? なんだ、どっか痛かったりしたか? ごめんよ?」

「そうではありません。今問題なのは主上の竜王としての潜在的な力、広義に言えば内魔力オドの強さです」

「おど……」


 相槌の代わりにその言葉をおうむ返しする。

 聞きなれない単語は繰り返しておくと話がスムーズになるのだ。この場で講釈を乞うのはさすがに空気読めて無さすぎるだろうことくらいは俺にもわかる。


「内魔力は互いに契りを結ぶ際に、その総量が一時的に共有されます。今まで綺真様やファリャがお相手していたからこそ、この問題が露呈しなかったのでしょう。……そういう意味で、今夜私がお相手できて幸いでした」

「光栄だ」

「褒めているわけではありません」

「……で、つまり、どういうことだってばよ?」


 どうやら本気で茶化している場合じゃないようだ。大人しく話を聞いてみることにする。


「内魔力の総量が共有されるということは、つまり一時的に普段以上の力を身に宿すことになります。同程度の力の持ち主同士でも倍になるのです。ところが主上の場合、御一人でも桁が違います。これほどの力……並みの器では到底受け止めきれません」

「受け止めきれないと、どうなるんだ?」

「わかりません。多少、限界を超えた内魔力を受け取るくらいであれば極端に肉体が疲労する程度でしょう……ですが、主上ほどの力をいきなり注ぎ込まれたなら、或いは肉体を保つこともままならなくなる可能性も」

「……というと?」

「契りが最高潮に達した瞬間、お相手が爆発します」

「なにそれこわい」


 あらゆるジャンルのプレイで主導権を握れると自負している俺だが、さすがにそんなことになって興奮できるほどヤバくはない。普通に怖い、超怖い。っていうかこえぇ……。

 組み敷いた女が嬌声を上げたかと思った途端炸裂して、寝室に血と臓物がばら撒かれるとか確実にトラウマものである。その心的外傷で俺のモノが起たなくなったらどうするんだ……王様廃業だよ!


「って、えっ、あれ、じゃぁお前は? オルフレンダ大丈夫? 爆発しない?」

「幸い、こうして無事なようです。一度平気であれば恐らく心配いりません」

「そ、そうなのか?」

「主上の御力を受けて耐えきれた者は、いわば潜在能力を最大限まで拡張されたようなものです。再度同じことをしても最初より危険は低いでしょう」

「ほう」


 それは良い事を聞いた。

 この夜が最初で最後と言うのはあまりにも惜しい。オルフレンダは逸材だ。その内に眠る素晴らしい才能を俺の慧眼はたった一晩で既に見抜いていた。それを失うような事があってはならないのだ。

 いや、失わない程度で満足してはならない。この才能はさらに育て、高め、昇華しなければならない。

 彼女は弱気になっている。真面目な彼女は己の器を過信できない。

 綺真やファリャでは表出しなかった問題を身をもって感じたことで逆に、力の差を実感し、同時に使命感という殻に閉じこもろうとしている。俺の嫁ではなく、臣下の一人になろうとしてしまっている。

 オルフレンダも立派に俺の嫁なのだ。

 その厚く硬い忠義は嬉しい事だが、その為に自信や自負が揺らいでしまうなら、そういう展開はうまくない。

 だが、良い事を聞いた。

 諦めるのはまだ早いと教えてやれる機会がまだまだあるのだと、オルフレンダは可能性を示してくれたのだ。

 もしかしたらそれを気づかせようとして言ってくれたのか?

 俺の王としての器を信じ、託してくれたというのか。

 ならば、答えてやろうではないか!


「ようし、ではもう一戦行ってみよう」

「えっ」

「安心しろ、期待には必ず応えて見せるぜ!」

「えっ?」

「だからお前も応えてくれ、もっと先があることを!!」

「えっ!?」

「さあ行こう、もっと先へプルス・ウルトラ!!!」


 ──俺の見込みに、間違いはなかった。

 彼女が示した可能性を、俺は十全に開拓したはずだ。

 なにせ、結局。


 あと一戦、程度では済まなかったのだから。



   ***



 なんて小話をこの瞬間思い出していた──かというと別にそんなことはなかったのだが、まぁなんかこの瞬間に回想しておくと俺のすごさが際立つような気がしたのだ。他意は無い。


「さては聞いていませんね、御兄さま」

「おう、そんなことは無いぞ。だが一応確認しておくが、何の話だっけ?」


 俺はあくまで念のため聞き直した。開き直ったわけではない。


「……愚兄さま。ようやくの、初めての王としてのお仕事を前に意識が低すぎますよ?」

「王は多忙ゆえな……考えることが多いんだ」

「今の愚兄さまはまだ、男娼とさして違いがありませんよ」

「おっと、今のがすごい暴言なことくらいはわかるぞ! 兄の威厳を見せてやろうか?」

「では今夜を楽しみにいたしましょう」


 ククク、どうしてくれよう……。

 その挑戦的な目をどうやって従順に色めかせてやるべきか、今から楽しみだぜ。

 それはそうと、結局何の話だったっけ?


「ご主人様、これからいらっしゃる姫君のお話ですよ」

「おお、そうだそうだ。いや別に聞いてなかったとかじゃないんだ。こうして膝にあるファリャの頭を撫でているとな、その心地よさについ意識を持って行かれてしまうんだよ、な?」

「お褒めにあずかり光栄ですわ。ご主人様にはいついかなる時でも私をお楽しみいただけるよう、身体はできております」


 そう言って一層すり寄ってきてくれるファリャの髪をさらに丁寧にくしけずってやると、猫ならば喉を鳴らしていることだろう、恍惚の笑みを浮かべた。

 その胸元にはいつかあげた紐が、やはり蝶の姿で揺れている。

 そういえばこれを身に付けるようになってから余計に、身を寄せて侍ってくれるようになった気がする。

 移動のときは三歩後ろに居たのが一歩後ろくらいの距離感になったし、こうして王座に居る時は足元にしな垂れかかるようにくっ付いている。

 おかげで頭なでなでしやすい。合理的だ……。

 おっとまた脱線した。

 さらっと言ったが王座。そう、俺は今王様が座す豪華な椅子に身を納めている。

 以前の急場でとりあえず持ってきた風の、ちょっと豪華な椅子とはわけが違う。

 石造りの土台。

 頭よりなお高い背もたれ。

 なんかつやつやした革張りの座面。

 王様の椅子と言えばこれ、というまんまのやつだ。

 惜しむらくは土台が金ぴかでなく石材本来の乳灰色なのと、革が苔の新芽みたいな色のせいで彩度がやや地味な事だが座り心地は抜群だし、これはこれで趣がある。

 ちなみに椅子は違うが場所は同じだ。

 とはいえ同じ場所だが以前のような吹きさらしではなくなっている。

 だいぶ急ぎで工事してくれたようで、今ではしっかり壁も柱もあるし、十分な明かりも取られている。王が鎮座する謁見の間にふさわしい荘厳な空間となっていた。

 今こうして、新築謁見の間に居るのは王として、客人を迎えるためだ。

 ここから東へいったところに、俺たちとは別だが比較的近縁に当たる竜種の一族が治める山脈があるという。

 そこのお姫様が直々に使者として来てくれるのだそうだ。

 貴賓であるため、お好きにどうぞと言うわけにもいかないらしく、オルフレンダが迎えの対応に出てくれている。どうやらもう近くまで来ているという話だったから、間もなく対面できるであろう。


「で、その姫さんてのはどういうやつなん?」

「……その態度はもう少し本人の前では自重してくださいね、愚兄さま」


 頭痛を耐えるようにこめかみを抑える綺真。どうしたんだ、つわりか?


「良いですか御兄さま。今からいらっしゃる御方は、いわば天然の御兄さまのようなものです」

「俺が養殖みたいな言い方はやめるんだ」

「難しく言うとまた聞き流すでしょう?

 でも一応、簡単に説明しましょう。

 東の山脈に住む彼ら《シュガール》の一族は、この国の者たちと生き物としては近縁に当たりますが、司る属性や人種との関わり方という点では対極と言って良い存在です。

 その咆哮は雷であり、その息吹は雨雲であり、その羽ばたきは大風である。

 『天』の属性を司り、荒れ狂う嵐の化身として人種からおそれられてきたと言います。

 同時に農地と男女の、春を告げる豊穣と愛欲の神としておそれられてきた歴史もあります。

 そんな彼らも竜を敵視する人種共の台頭により徐々に信仰が減り、血の薄まりによる種としての力の衰えなど、我らと同様の問題を抱えていました。

 そこに現れたのが件の姫君です。

 ところで御兄さま、今現在を生きる人型竜種は全身を流れる血液中にどの程度、竜の因子を持っていると思いますか?」

「んぇ? んん……、じ、十分の一くらいか?」


 愛欲って単語以外の内容が頭に入ってこなかったんだが、その辺詳しく聞きたいんだけど?


「大外れです。とある筋の資料によると、全身を廻る血のうち、竜の因子はせいぜいの一滴ひとしずく程度であることがほとんどだそうです」

「なぜそんなことがわかるのか。表示偽装ではあるまいか?」

「人種共が色々調べたそうですよ。文字通り、切り刻んだり、煮詰めたり、搾ったりして」

「………………。」

「こうした、いわば全世界的に竜種の衰退期たるこの時代にあってしかし、《シュガール》の姫は全身の半分以上を占める竜の素養を持って産まれました。

 半分と聞くと単純な御兄さまはピンとこないかもしれませんが、半竜ハーフ以上の存在は現在、地上界にはほんの数えるほどしか生きていないのです」


 なるほど、そう言われると確かになんかすごそうだ。


「ちなみに御兄さまはほぼ完全に純粋な竜で在らせられますよ」

「ふっ、さすが俺だ」

「濃縮還元です♪」

「俺を風味の落ちたジュースみたいに言うのをやめるんだ」


 なぜ楽しそうに言うんだ……。

 俺から一体、ナニを搾り取ろうというんですかねぇ。


「ともかく、御兄さまに及ばないものの近年稀に見る超高位竜の誕生により、《シュガール》の民は急速に力を取り戻し、領地から人種を退けつつあるのです」

「たった一人居るだけでそんなに状況が変わるもんなのか?」

「それほどに圧倒的なのです、本来の竜という存在は」


 そうは言ってもやはり、ただ強いだけというわけではあるまい。

 俺の勘はそう言っている。

 だって例えば、超強い奴が居たとしてもそれが超嫌な奴だったら誰も付いてこないだろう。

 そして姫と言うからには女。……ならば美人に間違いない。

 綺麗なお姫様に付いて行くのは、生きとし生けるものならば仕方がないのだ。そうなると──


「一体どれほどに美しい姫だというんだ……?」


 そうつぶやくと、膝の上でごろにゃんしていたファリャが「そういえば──」と思い出すように口を開く。


「その特徴的な外見と、天候すら操る強大な力から『紅き台風の眼』などとも称されておりますわ」

「台風とな?」


 天災と比肩されるような容姿とは一体いかなるや。

 絶えず回転でもしているのだろうか。それは普通に怖いな……物理的に近寄りがたい。

 俺の頭上に浮かぶ疑問符に気付いたのだろう、綺真はその慎ましやかな己の胸を指差して微笑ほほえんだ。


「あるんですよ、胸の真ん中に、世界を狂わす、大きな瞳が」


 うーむ……どう見ても小さな胸しか見えんな。

 俺の頭上に浮かぶ疑問符に気付いたのだろう、綺真はその慎ましやかな己の胸を指差して冷笑ほほえんだ。

 話題を逸らさなければ、られる……っ!


「そ、そういえばまだ聞いてなかった気がするんだが、その姫さんは何ていう名前なんだ?」

「それは……と、ご本人から直接聞くのが良いでしょう」


 開きかけた口をつぐんで、綺真は正面の扉に目を向けた。

 どうやら到着したらしい。


「己の名は自分で告げるのが、竜の作法なのでしょう?」

「なるほど、道理だ」

「それに、多分聞くよりも一目見た方が早いですよ」


 間もなく、扉の向こうから声がかかった。オルフレンダだ。

 応えてやるとすぐに両開きの扉が外に向かって開き、まずはオルフレンダが入ってくる。

 すぐに横へ移動して控え、客人を迎える形となる。


「なぁに、ここ? 我が身を招待するにはちょっと貧相ではなくて?」


 そう言って胡乱気な声と視線を振りまき入って来た女の姿に、俺は目を見張った。

 それは宝石だった。

 他にどんな貴金属も身に付けていないのに、彼女はこの場の誰よりも煌びやかであった。

 荒々しくも流麗な竜巻の如く豪奢な巻癖の付いた髪は今まで見たこともない、朱を含んだ白金。

 鋭い刃すら連想させるほどの濃い緋の目は、血にも炎にも形容できない命の根源そのもの。

 剥きたてのゆで卵のように白くつやめく肢体はたとえ猛毒だと知らされたとしてもなお、齧り付きたいという欲望を抑えることが難しいに違いあるまい。

 殻の代わりに纏う衣装は、目に刺さるような蛍光性の高い紅色の着物。肩周りはゆったり着崩している割に、裾は太もものかなり上の方まで切り詰めていて、腰帯の代わりにはきつく胴を絞る革製の拘束具を装着している。

 当然胸も圧迫されて上に押し上げられ、はだけた襟周りと相まってそのやや苦しそうな胸の谷間をこれでもかと強調している。

 その中心。

 男ならばそこに、酒を注いで一杯やりたくなるだろうその谷間にはしかし、液体を注ぐことは難しいようだ。

 なぜならもう先約が収まっているのだから。

 それは宝石だった。

 他にどんな貴金属も身に付けていないのに、彼女がこの場の誰よりも宝石じみていた理由がこれだ。

 紫電を思わせる鮮烈な輝きを放つひし形の有色金剛石。

 否、そう見えるがそうではないことを俺は知っている。事前に聞いていたのも事実だが、多分そうでなくても俺は一目見て理解に及んでいたであろう。何故かは知らん。或いは竜としての本能が告げるのかもしれない。

 逆鱗。

 人型竜種が持つ二種類の鱗の一つだ。

 触れた者を例外なく殺しつくすとされる竜の逆鱗。

 それは多くの場合もっと目立たない位置に、小さく浮き出ているはずのものだ。なぜならそれは竜にとって最大の急所でもあるからだ。

 にも関わらず身体の前面に、大きく、しかも目立つ位置にある理由はただ一つ。

 隠す必要が無いほどに、彼女が強力無比な存在であるということ。


「殿下、わたくしめは、この日のために、老体を鞭打ってまで、使節として恥の無いよう、礼儀作法を、口を酸っぱく、このしわがれた唇をなお乾かせて、御教えしてきたつもりですぞ」

「もぅ、判ったわよぅ。ゴニは相変わらずしゃべり方がくどくて嫌だわぁ……」


 だが俺にとってそんなことは砂の一粒ほどにも価値は無い。

 その絢爛で豪華たる美貌。

 それは今の俺の周りには、まだ無かった華であった。

 知らず、ファリャを撫でる手が止まるほどに俺は度肝を抜かれていた。

 老紳士然とした声が聞こえた気がしたが、一呼吸ののち忘れた。

 今俺が使うべき脳の容量は別にある。

 聞かなければ。刻まなければ。彼女の名を。


「聞きなさい!

 我はそよぐ者。

 我等は凪をむ者。

 嵐竜らんりゅう《シュガール》の民。

 マリ=シュガール・アスコイティアよっ! 刻むがいいわ、この尊き名をっ!」


「マリ……そうか、マリと言うんだな」


 無意識に零れたつぶやきは、恐らく近くに居たファリャくらいにしか聞こえなかっただろう。


「あなたが新たな王? 何よぅ、一体どんな英傑かと思っていたのに、まるで人種のわっぱではないの」

「ほっ、ほっ、わたくしめには、殿下も大して、変わりありませんぞ?」

「煩いわよ、ゴニ。──ところで、そちらはいつまで黙りこくっているつもりかしらぁ?」


 熱線の如き眼光が俺を射ぬく。

 なるほど、名乗られたにもかかわらず無反応でいるなんて、あまりにも礼を失していた。

 本来なら名乗り返すのが竜の作法であるが、残念ながら今の俺には示すべき名が無い。

 但し、王として今言うべきことはわかっている。

 なるほど綺真がこれを『王としての最初の仕事』と言った意味が分かった。

 外交交渉。

 それが今俺がすべき仕事なのだ。ならば言うべきことは一つしかない。

 静かに王座から腰を上げ、一歩前へと踏み出す。

 物問いた気なマリの視線を全身で受け止めるように両腕を広げ、俺はのたまうのだった。


「結婚しよう!」


 そしてようやく、冒頭に戻る。

 停滞した世界で正気を取り戻したのは、ファリャを除けば概ね年齢順であった。


「……ほっ、ほっ」

「…………ふふっ」

「………………主上」

「……………………愚兄さま」

「──────、………………。」


 反応は様々であったが、味方陣営からの非難がましい視線の割合が多い。何故だ。俺の味方はファリャだけかよ。


「要人侮辱……同盟破綻……り、竜間戦争……」


 オルフレンダは顔が真っ青になっている。髪も青いし服装も青いしでもう全身真っ青である。


「はぁ……やはり愚兄さまには、あと十年くらいは礼儀作法や政務などについてお勉強していただかないといけなかったですね。まさか第一声で初対面の、他国の要人に求婚など……王以前にもはや知性ある者としていただけませんね」

「何!? 王族同士の男女がそこに居て外交交渉となればそれは政略結婚ではないのかっ!」

「性急過ぎるということです。大体今の我が国の状況を鑑みればですね──」


 また綺真によるお小言の絨毯爆撃が開始されることを感じ身構えた俺であったが、幸いなことに助け舟はすぐさま、意外なところからもたらされた。

 嵐と共に狂う雷鳴にすら喩えられたはずのソレは、この時ばかりはしとどに降る雨のように弱々しく静かで、染み渡るような声であった。


「我が君……」


 声の主はマリであり、


「「えっ?」」


 頓狂な声の二重奏を演じたのは、もちろん俺ではない。

 一方、予想通りなのは、オロオロしてることが何故か多いオルフレンダ。

 一方、予想外だったのは、その表情と胸部はどちらがより平坦かについて密かに議論されているという怪談話すらあったりなかったりする我が最愛の妹、綺真であった。

 ちなみになぜ怪談話かというと、仮にそんな話をしたことが本人に知れたが最後、三日と生きながらえることが不可能だからである。


「あぁ、やっと我が身の元に現れてくれたのですね我が君っ!」


 ゆで卵のようであった白磁の頬はゆでた蟹のように上気し、おかげでこっちは全身真っ赤だ。

 何人も傷つける事あたわぬ紅玉のようだった瞳も今や熟れ過ぎた果実のようにぐずついている。

 似たような目を俺は見たことがある。

 あれはそう、スイッチが入っちゃったときのオルフレンダの目もあんな感じだった……。


「あぁ、我が君! こうして我が身を求めてくれる強き雄をずぅっと待ち望んでおりましたわぁ!!」

おうとも、マリよ。お前の身も心も全部俺にくれっ! そうしたら、お前に俺を全部やろうっ!」

「はぁん!? ハァハァ……、なんて強いお言葉ぁ……まるでもうすでに我が君のかいなで激しくいだかれているよぅ……はぁ、ハァ……」


 意外に思われるかもしれないが、この時俺は正直ビビっていた。

 だってあんまりにも豹変度がすごいのだ。めっちゃ息が荒くなってきてるし。さっき燦然と名乗りあげた嵐の姫君はどこに行ったの?

 それでも表向きいつもの俺らしく泰然として見えたのなら、それはこれがある種の戦いだと理解していたからであろう。

 この勝負……先に弱みを見せた方が、ヤられるっ!!


「さぁ……サァ!! さっそく契りを、今すぐにでもぉ!!!」

「えっ、い、今? それはさすがに──あっ」


 思わず俺は応えに窮してしまった。


「もぅ、もぅ……辛抱たまりませんっ!!」


 俺は、その場で押し倒された。



   ***



「あわ、あわわわ……しゅ、主上……」

「……これは、もうだめね。仕方がない、場所を移しましょう。ゴニ老、今回の要件代わりにお伺いしても?」

「ほっ、ほっ、仕方ありませぬなぁ。殿下には折角、三日三晩かけて、要件の暗記をしていただきましたのに、無駄になってしまいましたなぁ」

「当方としても準備が足りませんでした、御兄さまがいきなりあんな不用意な発言をするとは……」

「ほっ、ほっ、なぁに若いのだから、元気でよろしい。思い出しますなぁ、わたくしめも、若いころは気に入った雌を見つけては、人目もはばからず、交わったものです」

「はばからず!?」

「《シュガール》の民が、性にとても奔放であるという話は本当なのですわね」

「ほっ、ほっ、我らからすれば、他の者たちがお硬過ぎるのですがね。ただ殿下は、その強大さゆえに、口説いてくれる雄が居らず、耐性ができてなかったのでしょうなぁ。我らが民で、あの歳まで生娘である者など、殿下しかおりませんとも」

「処女こじらせた淫乱竜だったのか……想定外だわ」

「綺真様、お客様の前ですわよ」

「ほっ、ほっ、まぁ、仰る通りですがね」

「んんっ……、とりあえず話は私とオルフレンダで聞いてきます。ファリャは人払いして、御兄さま達が落ち着くまで待機していて」

「仰せのままに、綺真様」



   ***



 この日、俺が学んだ事は一つ。

 俺の『仕事』に、時間と場所の縛りは無い、ということだった。


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