2章 ファリャ
唐突だが俺の嫁、ファリャの自慢話をしよう!
何? そんなん聞きたくないって?
いいや、話すね! 自慢しちゃうね!
誰だってあんな嫁さんゲットしたら自慢の十や百くらいしたくもなろうというものだ。俺はいつだってしたいことはやってしまう男なのだ。
***
ファリャについて俺にとっての
なにせこの世界で目覚めて最初に触れたモノが、まずファリャのおっぱいだったのだ。そりゃーもう、母性以上の
なんとなれば、俺のこの世界に対する印象がもうおっぱい。なにそれつまりここって
まぁそれはいい、閑話休題だ。
始めこそそんな暖かく柔らかい(物理)印象だった彼女だが、次に感じたモノはもう少し寒々しい。
薄幸の美少女。
そう見えた。
格好からして何の飾り気もなくいかにもみずぼらしかったし、開口一番、自分が俺への供物だなんて言うのだ。少なくとも俺の価値観から見て幸せそうな境遇には見えなかった。
だから勝手に、つらい生い立ちだったのだろうと思い、しかし直接は聞かず心に留めていたのである。
ところがだ。
ある夜の寝物語にと聞かせてくれた彼女の話は、想像していたのとだいぶ違っていた。
「この国で成し得る最高の贅沢をつくし、最高の教育を施され、何不自由なく育って参りましたわ」
そういうのである。
産まれこそ平凡な老竜の夫婦にやっとできた一人娘であったそうだ。
ところがすぐに、ある特別な才能を宿していたことが発覚する。
両親はそれを畏れ……などと言うことはなかった。彼らはその程度で動ずるほど若くはなかった。
だがそれで幸せ家族計画が順風で満帆と言うわけにもいかなかったようだ。
当時の神官長が、彼女の誕生と同時に一つの啓示を得ていたのだ。
──主上に捧ぐべき最高の
すぐに神官長の使者が差し向けられ、彼女は神殿に迎えられた。
ファリャが両親と共に生家で過ごしたのは、結局三日足らずとなった。
なんてことだ、産まれてすぐ両親と引き離されるなんて……っ! やはりファリャは悲劇のヒロインだったのだ。これからはめいっぱい可愛がってやるからな!
と、俺は号泣したのだが。
「両親も一緒に、居を神殿に移したのでずっと一緒でしたわ」
そうか! よかった、ファリャは家族に囲まれて暮らせたんだな! ハッピーエンド! 俺は号泣した。
彼女とその両親はその後、たいそう手厚く持て成され、保護されて過ごしたという。
この国で手に入るもっとも美しい服を。
この国で手に入るもっとも美味い物を。
この国で手に入るもっとも快適な床を。
なんでもかんでも、優先的に与えられた。
よくもそんな生活で肥え太らなかったものだ。いや胸部や臀部は見事に肥えているのだが、むしろそれでよい。でも腰のくびれや四肢の引き締まり具合は、これまた良いモノだが、話の流れ通りならばこうはいくまい。
さもありなん。
彼女は贅沢と同時に厳しい躾と教育も施されていのだ。
文字の読み書き、算術、科学、魔法。
格闘術、武器術、護身術、暗殺術。
文武の両道を極限まで求められ、食事と睡眠以外の時間、そのほとんどを己を磨く時間とさせられたのだそうだ。
すべては未来に降臨せし、竜王のために捧げる供物として、その価値を高めるために。
「だからわたくし、結構すごいんですのよ? この国の民のほとんどができないような、様々な技術を身に付けているのです」
「ほう、例えばどんな?」
「そうですね……例えば、文字の読み書きができますわ」
「まじか! すげぇな!」
俺もただ今絶賛オルフレンダと綺真から教わっている最中なのだが、ファリャはとっくに習得済みのようだ。
ん? つまり逆に言うとこの国の皆はほとんどが文字の読み書きができないのか? 大丈夫なのか? 教育は国家繁栄の要なのではなかろうか。
「ご主人様の眷属はみな、文字を書くよりも森を駆ける方が好きなのです」
「なるほど、俺も筆を走らせるより外を走る方が好きだ」
気が合いそうな国民性で王としては何よりである。
「あとは……そう、剣を始め様々な武器を扱えますのよ」
「まじか! 器用だな!」
武器はただ持って振り回せば良いというものではない。きっと相当な鍛錬を積んだことであろう。
だが、我が国にも騎士団が居るはずだけど、彼らは剣を使わないのかな?
まさか徒手空拳か。それはそれでカッコイイな。
「騎士の方々はもちろん武器を使いますが、多くの方が戦鎚や戦棍などの鈍器ですから。剣のような折れやすく取扱いに繊細さを必要とするものはあまり好まれないようですわね」
確かに壊れやすい道具とか、刃物は扱いに気を使うもんな。そういうの気にして肝心の戦いに全力を出せなくなっては武器の意味が無い。やはり頑丈で壊れにくい打撃が一番! この理論により素手が最強だと証明されてしまった。
「どれもこれも、ご主人様のための力ですわ」
「そうかそうか、頑張ったんだなぁ、偉いなぁ、可愛いなぁ」
自身の事を、まるで俺の事のように誇ってくれているファリャは、ややもするとその在り様は歪にも思える。
彼女はいつもこうだ。
何が何でも俺優先。俺全肯定。
俺がああ言えば、ああする。
俺がこう言えば、こうする。
付いて来いと言えば便所にだって付いてくるし、待っていろと言うと良いというまでその場を一ミリだって動かなくなる。
……と思ったらドSな女王様役だけは頑としてやってくれなかった。その辺は単純な言いなりでなく確固とした矜持があるのだろう。残念ではあるがそういうのは綺真で事足りるので無理強いはしなかった。
とにかく、ファリャは自分の意思とか願望がちゃんとあるのか、一見して判りにくい娘である。
俺に従うことを、或いは好きでやっているのかもしれない。
しかしそうだとしても、決して楽ではなかろう。
大層、生きにくいに違いあるまい。
今のところ、表面上は完全に俺のお人形なのである。
正直に言えばあまり関心できたものではない。できればもっと自由に気ままに振る舞ってほしい。だが俺がそれを言ったら、それがもう命令になってしまう。それでは意味が無いのだ。
彼女のそういう生き方を否定するのは馬鹿でもできる。
もっとも、聡明である俺はもちろんそんな愚を犯すことはない。
代わりにただ、その触り心地の良い身体を余すと来なく撫でまわしてやるのである。
よーしよーしよしよしよしっ!!
本当にどこもかしこも柔らかく滑らかで、心地よく病み付きになってしまう。
やめられない止まらない!
モチモチスベスベのその身体は肌触りどころかもう舌触りから歯触りすら良い。どことっても美味しそう、というか美味しい(確信)。最初の頃俺はファリャをばりむしゃとカニバルする気はない、と言ったがちょっと訂正が必要だ。ぶっちゃけ食べちゃいたいと割と本気で思ってしまう健康肌だ。もちろんそんなことはしないが。はむはむ。
後やはり髪も良い。その長い黒髪は彼女を語る上ですべからく特筆すべき美点であろう。
それはさながら世界の淵を覗くような、光さえ飲み込む闇色。
撫で心地はあまりにも滑らかなで、手で梳いてやるとあたかも絹糸か、ともすれば流水にさらされるかのごとく抵抗感皆無で指が入ってゆき、そのまま吸い込まれてしまうのではないかという錯覚に陥ってしまう。
そんな喩えを聞いたらファリャの事を、見た目暗そうな娘だと勘違いしてしまうかもしれない。
だがそれは早とちりだ。
なぜならその目に、髪の暗色さえ照らすような生命の灯を湛えているからだ。
その大きくつぶらな瞳は黒。でも同じ黒でもこちらは輝く星空を詰め込んだように明るくて力強い。
どちらかと言えば感情表現の控えめなその相貌──もちろん、完全鉄面皮の綺真とは比べるべくもないが──にあって、その目は言葉よりも表情よりもより強く俺に気持ちを伝えてくれる。
うれしげな光。
ふまんげな光。
かなしげな光。
たのしげな光。
喜怒哀楽の全てがそこに在る!
普段はふわふわニコニコミステリアスなファリャだが、そういう判りやすさがあるからこそ安心してよしよししてやれるのである。
判りやすいといえば俺がここへ来て幾日か過ぎた時分、思えば実に彼女らしいと感じた、こんな出来事があった。
***
俺は裸の王様ではない。ちゃんと服を着ている。
もちろん最初からだ。最初というのはもちろん、ファリャの胸にダイブしたときからということだ。
とはいえあまりイカした格好とは言い難かった。
フード付スウェット上下という、あとは歯を磨いて寝るだけのスタイルである。
過ごしやすいのはいいが、やはり王としては相応しくない。とはいえ俺が着替えなど持っているはずもなく、またオルフレンダ達も復活する竜王がこんなナイスガイだとは予想してなかったようで、丁度良い王の衣装など用意してなかったようだ。
仕方ないので急いで仕立ててもらうこととなった。
王の衣装を誂えるというのだからさぞ上等な仕立て屋が来るに違いない、と思ったのだが。
「ご主人様の御召し物、僭越ながらわたくしが仕立てさせていただきますわ」
「まじか、ファリャは何でもできるんだな……」
「何でもは致しません。ただご主人様の望むことだけを」
うむうむ。まぁできるというのなら否やはない。謙虚な彼女がやるというのなら相当な自負があるのであろう。家臣の力を尊重してこそ君主である。
しかしもしかして、この国はあんまり予算とかないのかな? やば、俺の国費、低すぎ……?
「さぁさ、ご主人様。採寸いたしますのでお脱ぎください」
「おう」
ぽぽぽぽーーーーん!!
目にも止まらぬであろう素早さで俺は着ていたものを脱ぎ捨てた! 全部! 解放感! 自由だ!
「では失礼いたします」
言ってファリャは一糸まとわぬ俺の肢体を素手でさわさわと撫でまわし始めた。
隅から隅までである。
こそばゆい。しんぼうたまらん。
「はい、結構です」
「あれ? もう?」
「はい、わたくしはさっそく仕立てを始めさせていただきますので、ご主人様はしばしお寛ぎ下さいね」
何かやや消化不良感が否めないが、仕方あるまい。
俺のために作業をしてくれるのだから邪魔をしてはよくなかろう。その場でゴロゴロして待つことも考えたが、結局退屈に負けて外をぶらつくことにした。
──が、綺真によってすぐに部屋へ叩き戻された。
出歩くならせめて下着くらいつけろと言うのである。「下着姿で出歩かれるのもちょっと……」と、通りかかったオルフレンダも冷や汗垂らしながら言っていた。みな頭が硬い事だ。
そういうわけで仕方なく戻ってくると、既に作業に入っているだろうと思っていたファリャは何かを両手で掲げ持ってまじまじと眺めていた。
それは良く見ると、俺が来ていたスウェットのパーカーだった。
「どうかしたのか? それに変なところでもあったかね」
「あ、ご主人様。えぇ、そうですね。とても興味深い御召し物です。わたくしの知るどの国の衣装にも、このような生地や縫製技術は伝わっていないでしょう」
「ほーむ」
服のつくりなど判らん俺はもっともらしく唸ってみるしかない。
しかし、ファリャの視線は言葉の割にあまり服のつくりを観察しているようには見えない。どうにもパーカーの首回り、いやフードの紐を凝視しているようだ。
「ご主人様、この紐はどういった役割の物なのでしょうか?」
「え、えぇと、確か引っ張るとフードの口が狭まって顔をすっぽり覆えるようになったりとか……?」
「それでこの頭巾のような部分の縁に紐が通っているのですね」
たぶん、だいたいあってるはず。
しかしどうしたんだろう。ここではそんなに紐が珍しいのだろうか?
「いえ、ただ……そうですね、こうして長い紐を輪にしている物に親近感があるのです。それがご主人様の御召し物にあることがとても感慨深くて」
「不思議なこと言うんだなファリャは。どうれ、貸してみ」
そう言って彼女の手からパーカーを受け取ると、俺はフードの紐が出ている穴に指を引っ掻けて──「ぬん!」と、そのまま左右に腕を引いた。
石造りの室内に布を引き裂く鈍い音が響く。存外気持ちよい感触である。
「ご、ご主人様……なにを」
「ほら、ファリャにこれをあげよう。何も持ってない今の俺からできる数少ないプレゼントだ」
何せ今マッパだからな。
差し出したのはフードの中を通っていた、例の紐である。両端に結び目が付いている以外に何の特徴もないただの紐だ。
だが、そんな何の価値もなさそうな紐に向けたファリャの目には、堪えきれない渇望のような感情が確かに宿っていたのを俺は確かに感じた気がしたのだ。
「そんな、ダメです! 頂けません! わたくしはご主人様からこれ以上何かを頂いて良い身ではないのです!」
「大したもんじゃないぞ」
「ご主人様の御手から賜るだけでそこには大きな意味と価値があるのです」
「そう難しい事を言われると俺はよく判らんが、どうしてもいらんと言われるとここにはゴミが増えただけということになってしまう。勿体無かろう」
「それは……でも、」
頑なに渋るファリャだが、完全に目が泳いでいる。
どうしたものかと一瞬考えた俺だが、すぐにちょっとばかり意地悪な荒療治を思いついてしまった。俺は狡猾な暴君の才能もあるかもしれん。
「ああ、じゃぁいいよ。ここ放っておくから、俺が出したゴミだと思って後で掃除しておいてくれるか」
「え……あっ!?」
言って手の中からするりと紐を床に落とすと、ファリャはそれが下に着いてはならぬとばかりに慌てて飛びつき、卵でも扱うかのように大層大事そうにその小さな両手に収めた。
己の身も省みない腹から飛び込むダイビングスライディングキャッチであった。
あまりの大胆な動きに、俺やや引く。
「う……うぐぅ……」
「お、おおう……ごめんよファリャ。そんな身体張らせるつもりなかったんだが」
抱き起してやると、とりあえず怪我などはないようだった。
その両手はまだ優しく、しかし強く閉じられている。
「それどうする? もうお前の手の中だ。捨てたければそれでもいいぞ」
「……そんなこと、できません」
ゆるりと頭を振るファリャの目には微かに涙が浮かび、頬には朱が指していた。それは俺が初めて見る、顔全体を使った笑顔以外の、彼女の強い表情だったように思う。
「ご主人様からの恩賜、ありがたく頂戴いたします……生涯肌身は出さず、己の命よりも大事に致します。ほんとうに、本当に嬉しい贈り物です」
「……そうか、喜んでくれたなら何よりだ」
ただの紐だぞ。と念を押したい気持ちは山々であったが、ぽろぽろと涙を流すファリャを前に、あまり無粋な言葉をかける気にもなれないのだった。
しかしこんな紐を肌身は出さずとは一体どうするつもりなのかと思っていると、涙をぬぐって少しばかり考える素振りをしたファリャはおもむろに、己の背に垂らしていた何の飾りもない黒髪を左右の肩上から前に持ってきた。
左右ふた房となった髪を胸元でまとめ、それを手にした紐で結わえて見せる。
するとそこには、豊かな胸の谷間に抱かれた一匹の蝶が誕生していたのである。
おう、その蝶俺と場所変われ。
「ご主人様、いかがでしょう?」
「いいな、可愛さ倍々だぜ。でもなんでそんな風に? 女が髪をまとめるのって頭の後ろとか横とかじゃないのか」
「だってこうすればいつでもすぐに見えるでしょう? ご主人様に頂いた、大事な宝物が」
そう言って見せたファリャの笑顔は、控え目に言って──世界の何よりも美しかった。
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