1章 嫁決定!(第一次)
「ふむ…… 一つ、気になったのだが」
「どうしましたか御兄さま? ここまでの話で何かご質問が?」
厳かに。さながら国の趨勢を悩む王のように、しかつめらしく俺は問うた。
「もしかして俺は、場面が変わるたびに意識をブラックアウトさせられてしまうのだろうか?」
「……そういうメタな発言はもう少し大物になってからおっしゃってください、愚兄さま」
まだ俺は、王の器ではなかったようだった。
自分でも意味の分からない疑問など、安易に発言すべきではなかったのかもしれない。
拳で語るか、背中で語るか、それが問題だ。
うーむ、また俺らしい知的な言葉を紡いでしまった。だが俺は今学んだばかりだ、言わぬが花であるということを。
「まぁ、それはそれとして」
そう言って俺は気持ちを切り替え、目の前の光景に意識を向ける。
視界に広がるのは上半分が青い空に白い雲、真ん中をジグザグ横に走る山々の稜線、そして下半分は深い緑で敷き詰められた広い森である。右も左も、今見えないが後ろも同じだ。
実に良い眺めであり、吹き抜ける風も心地良い。何せ遮るものが何も無い。
三度目覚めてから俺たちは時間と場所を移している。
今いるのは広大な森林のど真ん中に鎮座するピラミッド型の建造物、そのてっぺんに設えられた舞台のような広い空間である。
その中心やや南寄りの位置に、いかにも急遽その辺の金持ちの書斎から持ってきましたというような、場違いだが座り心地だけはやたら良い椅子が置かれており、俺はそこに座らされている。
右隣りには綺真が控えており、左隣り一歩後ろにはファリャが侍っている。
偉くなったような気分になり、つい大物ぶった言葉が口をついてしまうのもむべなるかな。
だが、しかし。
「この俺の太い神経をもってしても、落ち着かんな……」
「面目次第もございません、主上」
ぽつりと落とした俺の声に弾む毬が如く即応する声。
目を向けると、片膝をつき頭を深く垂れた女のつむじが良く見えた。広がる青空を映したような綺麗な長い蒼髪がこぼした水のように床に落ちてしまっている。
……これは、良くないことだ。
「オルフレンダよ」
「はっ!」
「すたんっだっぷ!!」
「はっ!?」
「顔上げる!立つ!」
「し、しかし──」
「はーりーあっぷ!」
「え、えぇと……」
そこまで言うとようやく彼女は様子を窺うようにして少し顔を上げてくれたが、まだ髪は床についたままだ。
というか、わずかに見える表情に想定外の戸惑いがうかがえる。まるで未知の言語でも聞かされたかのような顔だ。
なんか俺、変な事いったかな?
「オルフレンダ。今は御兄さまの言うとおりに、正面に立って話してあげて。まだ自覚が無いところが多いの」
見かねたのだろう、綺真も声を挟む。
「では、畏れながら御前を拝します」
ようやくこれで、彼女──オルフレンダの全身を正面から見ることができた。
白と青の生地に金糸で不思議な文様が刺繍された長衣を身にまとう、背の高い美女である。
左腕の肘くらいまでを覆う禍々しい黒いガントレットと、その手にある牛を模した柄頭の
名をオルフレンダ・ナーストレンド。
この国を守る騎士にして、始祖とされる竜王を祀る神官でもあるという。
だが今はそんなことどうでもいいのだ。
その美しい空色の髪が地に落ちていたことが解せなかった。あるべき高い位置で風に梳かれる様を見て、俺は大いに満足した。
ふぅ、ひと仕事したぜ。王様ってのは全く大変だな!
「愚兄さまはまだ何一つ、王のお仕事なんて出来てないですよ」
「ばかな」
言われてみれば目の前のオルフレンダはまだまだ話し足りぬとばかりに何か小難しい事を朗々と語っている。
というか実のところ長話は今に始まったことではなくだいぶ前から続いていた。俺の頭に届いていなかっただけである。
途中で飽きてしまったとかでは断じてなく、そう、この高い場所から眺める雄大な景色を前にした高揚感により、ちょっと……だいぶ? 印象が薄くなってしまっただけなのだ。
「馬鹿な兄は高いところが好き、と言いますものね」
「そうだな、俺は高いところが好きだからな!」
とはいえさすがに。
顔を上げたことで、俺があまりしっかり話を聞いていなかったらしいことに気付いて悲しげな顔を浮かべ始めたオルフレンダを前にして少々いたたまれない気持ちになってきた。
仕方がない、俺の優秀な頭脳を持ってして今まで聞いたことをかいつまんで理解していこう。
一つ、今この国『名もなき竜の小国』は存亡の危機。
一つ、そこで、かつて冥府に降りた『始祖の竜王』復活の儀式をした。
一つ、したらば俺(と綺真)が来た。
一つ、なんか想像と違うけど儀式は成功したはず。
一つ、ならあんたが大将だ!
一つ、大将、この国を救ってくれぇい!
「──と、言う感じであってるよな?」
「大筋は。枝葉を省き過ぎて、話が丸太ん棒みたいになっちゃってますけど」
「さすが俺。本質を見抜いてしまったようだ」
「…………」
さて、問題の本質を見抜いてしまったならあとは簡単だ。解決の糸口とそれはほとんど同義と言ってよいだろう。つまり次に俺がやるべきことは……──
……うん?
「なぁ、オルフレンダよ」
「はっ」
「俺は何をすればいいんだ?」
「……は?」
真の叡智とは己が無知であることを自覚することだ。
自分が全知でないことを知っている者こそ真の賢者なのだ。
つまり近年まれに見る賢者と俺の中で評判の俺は、判らないことはちゃんと判らないと言えるのである。
「そ、それはもちろん、竜王として我らを導き国を救っていただきたく──」
「ああ、それは判ってる。そうではなく……うぅん、何から聞いたらいいかな。
具体的に何をしてほしいんだ? 存亡の危機ということだが、今何が危なくて、俺は何を解決すればいいんだろうか?」
と、正直に問うと……
あ、なんかオルフレンダが疲れたような悲しそうな表情になった。
これは俺が既に説明されてたのに聞き流しちゃったパターンですね……。
「い、いやな? 聞いてなかったとか興味なかったとかでなく、むしろ王として国を導くためのマニフェスト的なものは民主主義的に国民の意見を取り入れるべく……なぁ、綺真!」
「はぁ……、さすが愚兄さまです」
「そうだろう、そうだろう」
「良いですか、この国が今直面している問題は大きく分けて……そうですね、御兄さまにも判りやすいよう二つとしましょう」
二つは良いな、判りやすい。三つより多いとな、大変だもんな!
「まず外的要因。
近年、増えすぎた
本来、竜種が人種などに後れを取ることなどあり得ないのですが遺憾なことに、この国はかつて王を失った際に名と力を封じられてしまったため、その優位性は大きく減退しています。
それでも個体の力は人種などとは比べるべくもありませんが、多勢に無勢。劣勢と言わざるを得ません。
人種以外にも近隣の別の竜種などの動向も今後気にする必要が有るでしょう。
次に内的要因。
この地に由来する竜種の個体数減少と、血の薄まりが深刻になっています。
もともと強力な生命体である竜は極端に繁殖力が低く、人の血を受けた現行の人型竜種と言えどまだまだその出生率は高くありません。十数年に一人でも子が産まれれば、国を挙げて祝うくらい希少な事なのです。
そこへ来て近年目に余る人種の愚挙。
戦える者、古き者から数が減り、今では種族の約半数が竜の血が薄い若者です。
国の護りを担う戦士も要所を守る五人の英傑とそこのオルフレンダ、あとは彼らの部下がわずかばかりずつ。
後進の育成などする余裕もなくそもそもその後進が居ないし、産まれる見込みも薄い。
以上、二つの理由により、この国の民は種としての絶滅の危機というわけです。
お分かりいただけましたか?」
「お、おう……」
二つってなんだ?
いや待て。綺真が俺に嘘を吐くわけがない。
ということは言葉通りのはず。思い出せ彼女は何と言った?
──以上、二つの理由により、この国の民は種としての絶滅の危機。
なるほど、では以上二つとは。
──後進の育成などする余裕もない。
──産まれる見込みも薄い。
なるほど。問題は理解した。
これらを解決する方法を考えればいいわけだ。
しかもそれを俺にしてほしいと。
なら、期待には応えねばならない。
俺にできる事で。
優秀な俺の頭脳を全力回転させても、この難解な問題の解決には……三秒もかかった。
「……つまり、産めや増やせや、ということか!」
「………………」
「………………」
「………………」
俺の言葉に、さしもの綺真も他の二人同様絶句している。
当然であろう。国の未来を左右する妙案をこうも瞬時に見つけてしまったのだから。
これぞ王の器。
そうだよ、王と言えば
「……なるほど、確かに妙案です。さすが御兄さま」
「そうだろう、そうだろう」
「実際、すぐ取り掛かれることなど限られています。今の御兄さまに政治などはもってのほか、外敵に対することだってままなりません。後進の育成はそもそも長い目で取り組むしかないこと。であれば、しばらくの間は種竜として励んでいただくのが合理的です」
「何か今俺はとても酷い扱いをされたような気がしたのだが」
「気のせいです」
「だよな。よしなら嫁を集めないとな」
「御兄さまは王様です、より取り見取り選び放題ですよ」
「ひゃっほう、最高だぜ!」
とはいえさすがの俺も、見ず知らずの女を片端から食ってしまうほど無節操ではない。
しかしここへは来たばかり。知り合いなど居るはずがない。
ならば──
「まずファリャは嫁決定な!」
「えっ!?」
ここへ来てずっと黙って隣に侍っていたファリャを指差すと、驚いたように可愛い声を上げた。
忘れられていたとでも思ったのだろうか。甘いぜ! 俺はここに来てから片時も、おまえを忘れたことなんかないんだぜ!
「あとは──」
「ま、待ってください!」
「んん?」
恥ずかしがっちゃって可愛いなぁ。と、目を向けなおしてみるとそこには喜びと羞恥に顔を赤くしたファリャ……ではなく、むしろ顔面蒼白で超動揺していた。あれぇ?
「わたくしはご主人様への生贄、ただの供物です。それが、き、
「え、ダメなん?」
この場でそういう判断が一番できそうなオルフレンダに聞いてみた。
「それは主上のお決めになる事です」
「だってさ、決定な!」
「しかし、この身と命はご主人様のために
「でも、おれおまえまるかじり、とかしたくないし。むしろ別の意味で食いたいし……俺のものになってくれるっていうなら、嫁になるってのもありじゃん」
「し、しかし……いえ、承知いたしました。ならばこの身と心をご主人様にお捧します。いかようにも、お好きなようにお使いください」
あんまり渋るのも良くないと思ったのだろうか、何とか受け入れてくれたようだ。
本気で嫌そうならやめてあげようかとも思ったのだが……言質はとったぜ。
「よし、オルフレンダ」
「はっ、ご成婚おめでとうございます主上。この後さっそく、国中へ知らせ祝の準備を」
「その前に、おまえも俺の嫁な、良いでしょ?」
「はい、御心のままに…………はい? 恐れながら、今なんと? もしやそれも何か異界の言語でしょうか」
おや、聞きそびれたのかな。これが難聴系女子と言うやつかな?
それとも……
「嫁は一人だけとか、そういう決まりあったりする?」
「そのような事は。むしろできる限り多くの妃を召し取っていただかなければ」
「じゃぁいいよな。よろしく!」
「は、はぁ……み、御心のままに……?」
何か言っている意味が分かってなさそうな顔をしているが、まぁ大丈夫だろう。
うむうむ、素晴らしい。我が王政はさっそく国を豊かにする方向に舵が取られつつあるようだぞ。この国の未来は安泰だなぁ。
「よしよし、さぁ今日の話はこのくらいにしないか? 皆立ちっぱなしで疲れたろう、俺座ってたけど。他にもきっとやらなきゃならないことはいっぱいあるんだろうが、もう少し落ち着ける場所を用意して改めて決めて行こうじゃないか。
あ、そうだ。ファリャ、さっそくだが今夜俺の寝室に来て──」
「御兄さま」
「ん?」
「今夜は私からお話があります。御一人でお待ちになっていてくださいね?」
「……お、おぅ」
こうして、俺の王様としての生活初日は第一次嫁決定会議として有意義な成果を示したことで終了した。
この時点であとは、毎夜眠れぬ春色王様ライフが始まることを何も疑っていなかった俺であるが、次の日から昼間は地獄のお勉強三昧になってしまうこととなる。
聞いてねぇぞと抗議してみたものの、味方してくれる者はおらず。ファリャすらニコニコと付従ってくれつつも反論には参加してくれなかった。
まぁでも、そのおかげで俺はこの世界の事だけでなく、自分の過去も、ともすれば自分の名すら覚えていなかったという、割と重大な事実に気付けたのだが。
ちなみに、俺とファリャの初夜は綺真のおかげで一晩先へずれ込むことになった。
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