10話 エネルギーの伝播

「だわばっ!」


 顔面を襲う強烈な衝撃に、思わず口から意味をなさない叫びが漏れた。

 ざらざらした樹皮が鼻と頬をこする。立ち並んだ木の壁に激突したようだ。


 鼻の頭を抑えて後ずさると、これまで直線に伸びていたはずの森の通路が突然行き止まりになっていた。

 いや、左右に道がある。T字路らしい。

 虚獣を殺した高揚に溺れ、前をロクに見ず走っていたことがあだとなってしまった。


「道が、変わってる……」


 四人で進んでいたときは分かれ道などなかった。先程とはダンジョンの構造が変化している。


「ちくしょう、変わるなら先に言え。一本道だと思ってボケッと直進しちまったじゃねえか」


 明らかに見えている壁にぶつかったのが恥ずかしく、誰にともなく悪態をついた。が、よく考えたらこの独り言の方がみっともなかった。


 照れ臭さを振り払おうと辺りを見回す。ロブ達が連れ去られたのはどっちだ?


 右を向けども左を向けども代わり映えのしない一本の通路でしかない。何の目印もなかった。


 ん? 何かが聞こえた気がする。

 意識の端に引っ掛かった音に集中することにした。


 かすかにだがまた聞こえた。高い、さえずるような声。鳥の声だ。

 俺は指を口に突っ込み、大きく指笛を吹く。


 ぴいぃぃぃーー……。音が森の中に染み渡っていく。


 羽の羽ばたきが聞こえる。それはだんだん近づいてきて、俺の立っているところのすぐ近くの木に止まった。


 何の変鉄もないスズメだ。

 その、ただのスズメはくちばしを開き、


『おい、アルド! なにやってんだよ、早く助けに来い! アトラナートが俺達を取り囲んでんだよ! このままじゃ蜘蛛のエサになっちまう!』


 ロブの声でがなりだした。俺は肩をすくめ、


「大丈夫だ、アトラナートは肉を食わない。精々虚獣化されるか、殺されるだけで済む」


 ばさばさばさ。抗議するようにスズメが羽を揺らした。


『バッカ野郎! いいから着いてこい!』


 そう言ってスズメが枝から飛び立った。

 が、俺が歩き出さないのを見てとると空中でホバリングしながら再びわめきだした。


『ちょっ、マジで! マジお願いしますよアルド様! ――おわー! アトラナートの糸がファルの顔に! 早く剥がせチビッ子、窒息するぞ!

 ……いや、顔面白濁してるファルはちょっとエロいな。――だー、ウソウソ! 刀を下ろせサビネ!』


 なかなか楽しそうな事になっているな。

 俺はからからと笑いながらスズメの後を追った。






『わー!』とか『どわー!』とかやかましいロブの声で悲鳴を上げるスズメの姿を頼りに、ダンジョンと化した森の中を駆ける。

 道が変わったのはあのT字路だけではなかった。

 今や分かれ道を抜けた先に新たな分岐が、それも三叉路、四叉路、五叉路までもがあり、とても道を覚えることなどできない。

 ロブの魔法がなければ彼らのもとに辿り着くことなど不可能だろう。


 ロブは、自分と波長の合う生物を操ることの出来る魔法の使い手だ。

 魔力を込めた思念を対象の生物に送ることでその者の視界や聴覚を共有し、自在に行動させることができる。

 ただ、人間や虚獣、それに大型の生物には効いた試しがない。精々がリスや鳥などの小動物だ。

 また、昆虫も操れない。意識の構造が根本から人間とは異なるからではないかとロブは言っていた。


「どへっ!」


 考え事をしていたらまた壁にぶつかった。今度は肩だ。割りと被害が少なくてよかった。

 スズメが呆れと焦りの入り混じった抗議の声を浴びせてくる。


『アルドぉぉぉ! 遊んでないでさあぁぁぁ!』

「悪かったよ、わざとじゃない! ――行くぞ!」


 泣きそうな声で叫ぶスズメを追跡し、走る。

 土の地面を強く蹴り、前へ前へと加速しながらも思考のリソースはロブ達のことでなく、先程の出来事を回想することに費やされていた。


 今まで俺が遭遇した虚獣で人語を話すのは、人型に限られていた。村を襲ったミスラなどがそうだ。

 それに、ハムナ砂漠で見たアトラナートは言葉を発したことはなかった。

 先刻相対したアトラナートが特殊な個体なのか? それとも奴等からしたら下等な生物である人間とは会話をする気など起きなかったのだろうか?

 ハンターズギルドの中でも、人語を解す虚獣の話が噂になったことはなかった。そもそもセムの街付近の虚獣はギルドに黙って俺が散々殺したから、虚獣が現れたという話題そのものが少なかったが。


 一番気になるのは、『ノイジー』と言う名で虚獣が俺を呼称していることだ。

 具体的な俺の容姿や名前はバレていないようだが、不協和音が聞こえたら用心しろとまで言われている。少なくともベルランド森林に生息するアトラナートの群れの中では『ノイジー』は虚獣に害をなす存在であるとの共通認識がなされているようだ。

 つまり、俺が仕留めるために接近した虚獣の中に生き残りがいたという事だ。


 突き止めなくてはならない事項は二つ。

 『ノイジー』の存在は虚獣全体に知られているのか?

 それと、俺が発すると言う不協和音が虚獣に伝わる距離はどのくらいなのかだ。


 もし、『ノイジー』は危険な相手だと虚獣が認識し、長距離からでも『ノイジー』の存在を感知されるのであれば、この上なくまずい。狩りが非常に難しくなる。


 セムの街に来てから俺が殺った虚獣は、ネズミ型の『ズーグ』。それに四足獣の姿をした『マンティコア』が主だ。アトラナートは1匹も殺していない。

 ハムナ砂漠で既に俺の存在は気付かれていたのか?

 だが、『マンティコア』らは特段俺を警戒していなかった。顔を見るなり襲いかかってきたくらいだ。


 なら、虚獣どもにもグループがあると考えるのが自然だ。ハムナ砂漠での殺しがアトラナートの一団に伝わっていると見るべきだろう。それ以外の虚獣どもは『ノイジー』については知らないのだ。

 だったら、アトラナートを絶滅させる。

 と、ここまで思考したところで馬鹿馬鹿しくなって鼻で笑った。自嘲の苦笑。


 ――アトラナートにだけに限らない。俺は村の皆と母さん、それにシーナへ誓ったはずだ。

 虚獣をこの世から一掃するまで殺し続ける。

 それが俺の生きる意味だ。


『止まれ、アルド』


 不意にスズメが喋った。正確にはスズメの口を借りてロブが話したのだが。


『もういいぜ、ありがとな。スズメちゃん』


 スズメは突然、自分は何をしていたのだろうと自問するようによたよたと飛び去っていった。ロブの魔法から解き放たれたのだ。

 周囲を警戒。ロブ達が近くにいるはずだ。


 どかん! でかい爆発音が聞こえた。

 樹木による通路の曲がり角に身を潜めて壁から顔を少し覗かせ、音のした方向を伺う。


 そこは今までとは違い、直線の通路ではなく長方形の壁に四方を囲まれており、部屋のようになっていた。

 中に3匹のアトラナートがいた。数字の羅列でできた足をしゃかしゃかと素早く動かし、走り回っている。


 アトラナートに取り囲まれるようにしてロブ達の姿があった。お互いの隙をカバーするように背中合わせになり、それぞれが武器を構えている。


 いきなりアトラナートの1匹が尻から糸を噴射した。粘性の白糸が投網の如く広がり、ロブ達を頭上から絡めとろうとしている。


 サビネが火炎魔法を撃ち、網状の蜘蛛糸を焼き払った。

 先程捕らえられた際も、このようにして束縛から逃れたのだろう。

 彼女は地を蹴って、矢のようにアトラナートへ飛びかかり、刀で外皮を切りつけた。立ち止まって攻撃を食らうような愚は犯さずに素早くバックステップして元の場所へ戻っていく。


 だが。

 サビネがアトラナートに負わせた傷の内側から数列が泡のように湧き出し、傷口を覆っていく。

 次の瞬間、数列が消え去る。そこにはもうダメージの痕跡は存在しなかった。


 人間が虚獣に手を焼く理由の一つがこれだ。

 虚獣の数列で覆われた肉体部――虚数イマジナリー化している部位――を魔法で実体化しない限り、虚獣は無限に肉体を再生する。

 これにより、プラスのエネルギーを与えやすい火や雷の現象を起こすタイプの魔法使いは重宝され、城の騎士や上級ハンターとして持て囃されるのだ。


 あの3人の中で『現象』タイプの魔法使いはサビネだけだ。だから戦闘が長引いているのだろう。


 ファルが細剣レイピアを地に突き刺し、両手をアトラナートに向けた。

 破裂音と共に蜘蛛が吹き飛んでいく。

 魔力によって周囲の空気を集め、運動エネルギーを与えて叩きつける。風属性の魔法だ。


 空を舞い、背中から地面に落ちたアトラナートは足をばたつかせ――起き上がった。

 足を構成する黒い数列が3割ほど減少し、生体部を覗かせている。

 それを見たロブが素早く走り出した。


「おおおッ!」


 雄叫びを上げてロブが鋭い槍撃を繰り出した。露出したアトラナートの足が穂先に貫かれ、切り飛ばされて転がっていく。

 しかし、失われた足をかたどるように数列が集合。再び蜘蛛の足が再生した。


 虚数イマジナリー化を解除するためには、エネルギーを与える必要がある。この、マイナスのベクトルに対して与えて実体化させるために必要な力を便宜上プラスのエネルギーと呼ぶ。

 運動エネルギーは虚獣の体表を実体化させるが、何故かその効果は内部に浸透していかない。だから、物質である空気をぶつけても効果が薄いのだ。

 逆に熱や電気は非常によく虚獣内部へ浸透していくため、効率よく実体化させることができる。


 虚獣に肉体を虚数化させる隙を与えずに一瞬で全身にエネルギーを伝播させ、数列に覆われている部分を完全に消滅させることにより、ようやく虚獣を殺し得るのだ。

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