9話 『雑音野郎』

 アトラナートは身をよじり、必死に何かを耐えている様子だ。

 俺は親身を装い、優しく声をかける。


「どうしたんだ? ひどく辛そうじゃないか。俺でよければ相談に乗るぞ」


 ガアッ! アトラナートは顎を開き、一声吼えた。


「オ、前がソれをイうのカ……! 『ノイジー』! ――仲間、たチが言っテいた……。『ノイジー』が来ると、殺サれる、ト……!」


 怒りと苦しみがせめぎあっているような様子。

 こんな虚獣の姿を見たのは初めてだ。

 俺は喜びに声が上ずらないよう、強いて努める。


「『ノイジー』? 俺は虚獣にそう呼ばれていたのか。まるで知らなかったよ。――なあ、その『音』ってのは、どんな音なんだ?」


 シュイイィィ、アアア……。息の漏れるような声を発するアトラナートは、何かを堪えるように言葉を吐き捨てる。


「頭ノ中を掻き乱サレるよウな、大キな、大きナ! 不快ナ音ダ! 止メろ! とメロォォォォォォ!!」


 牙を剥いてアトラナートが襲いかかってきた。

 ちぃ、こらえ性のない奴だ。まだまだ話を聞き出したいのに。


 俺は目を細め、体の内にある『ポート』を意識した。そこから魔力を引き出し、額から放出する。

 放たれた俺の魔力はアトラナートの体内に侵入し、奴の脳に到達した。笑いが込み上げ唇の端が吊り上がるのを感じながら、おちょくるように言葉をぶつける。


「あっち、向いてえぇ――――」


 脳は、体を動かしたり思考するために神経を通して信号を送り出す。そして、脳はその信号と『パレット』によって指向性を与えられていない純粋な魔力を区別することが出来ないのだ。これは全ての生物に共通する特徴だった。

 俺は魔力を対象生物の神経中に流すことで脳を騙し、意識の流れや肉体の動きを一瞬だけ操ることが出来た。

 『パレット』がないからなのか、生まれつきなのかは分からないが、俺は純粋な状態の魔力を感じ取り、自在に操る能力に長けている。


 アトラナートの脳を縦横に巡る神経内に俺の魔力が浸透していく。

 ここまでをコンマ3秒程で行った。

 魔力の操作に時間はいらない。ただ『そう』あれと想うだけで、俺の魔力はその通りに動いてくれた。


「――ほいっ!」


 俺の頭蓋を砕こうと迫っていたアトラナートの牙は軌道を逸らし、俺を覆う白い繭を切り裂いた。

 跳ねるように体を起こす。

 ずるり、と繭から体が抜けた。付着した糸でまだ全身がベタベタしてはいるが、なんとか動くことが出来るようになった。


「おっとと。悪いな、せっかく付けた糸を外してもらって。助かるよ」


 微笑み、左腕に巻きつけた包帯の結び目を右の手でつまんだ。

 アトラナートは地団太を踏み、ギリギリと顎のハサミを軋らせている。


「『ノイジー』、『雑音野郎ノイジー』! そノ、左腕は……!」


 俺は破顔した。

 自分では分からないが、アトラナートにその顔はこう映ったことだろう。


 ――殺しを楽しむ、悪鬼のように。


 包帯の結び目を引く。

 しゅるり、と鉄線混じりの包帯が解け、地に落ちた。

 俺の左腕が現れる。


 肩の付け根から指先までを、目まぐるしく変化する黒い文字列――ガキの頃は知らなかったが、これは数字だった――が覆い尽くした俺の腕。

 ゆっくり左手を握りこむ。すると、いつものように硬質な手ごたえが返ってきて俺は嬉しくなった。

 不可視の銃。俺の左腕でしか触れられない、虚獣を殺すための武器だ。


「アンチ・イマジナリー・イコライザー。起動オン


 ひゅいいいぃぃーーーー。風を切るような音をさせながら見えざる銃が目を覚まし、その内部の弾倉に虚ろな弾丸が装填されるのを感じた。

 続いて設定術式アンロックの呪文を舌に乗せる。


通信方式プロトコル走査スキャンアトラナートを構成する仮想数値を読み取れ」


 ぴぽぽぱぴぴぽ。間抜けな高い音が響いた。

 俺の左腕に持つ、アンチ・イマジナリー・イコライザーは虚獣の体を構成する仮想の肉体、それを数値化したものを読み取る。そして――。


通信方式プロトコル固着ロック。数値を固定しろ」


 俺は銃口を向け、引金を引いた。

 アトラナートの足を覆う黒い数列が青く変わった。半開きの口から見える体内の数字も。

 そして、震えていたアトラナートの動きが止まった。

 イコライザーの持つ機能の一つ、固着ロック。絶え間なく変化する構成数値を、変動しないように一定の数値に保つことができる。


 虚獣を形作る仮想の値には位置情報も含まれているらしい。数値を固着された虚獣は身動きが全くとれなくなる。

 アトラナートが悲痛な声を上げた。


「ア、あア! 『ノイジー』! 貴様が、ヤはり仲間達ヲ……!」

「ふむ。動けなくても喋れるのか。そのデカイ口から言葉が出ているわけじゃなさそうだな」


 どうやら、虚獣は声帯を震わせて発声しているわけじゃないらしい。だから体が動かずとも声が聞こえるのだ。


 興味深く観察していた俺に、蜘蛛の化け物は更に怒声を浴びせる。


「にん、ゲんどもの『ギルド』にハ、貴様の情報は無かった! なゼだ!? ナぜ、貴様のヨうな人間が我々から隠れてイられル!?」


 はああ。大きく溜息をついた。


「俺だって好きで底辺生活してるワケじゃねえよ。てめえらが俺の存在に気づいたら、やりにくいだろうが」


 全く動けないアトラナートの体の中で、たった一つだけ感情を現すものがあった。

 目玉だ。

 その真紅の球体が、青くなったり緑になったりして点滅を繰り返している。

 恐怖に怯えているとこんな反応をするのか。面白い。マジで面白い。


「やリ、にクい……ダと!?」


 おっ。目玉が赤くなった。敵意を持っているときは赤くなるらしい。

 俺はウインクした。更にアトラナートの神経を逆撫でしてやる。


「ああ。やりにくいね。油断したお前らを殺るのには、目立たないほうがいいんだ」


 虚獣は、人間をナメている。

 一握りの強力な魔法使いだけに気を付けていれば、人はただのエサだと思っている。

 だから、そこにつけ込むことにした。


 魔法の使えない無能であれば、名が売れない。

 虚獣は不遜でありながら妙に臆病で神経質だ。奴らは人里の情報を仕入れ、強大な力を持つ人間の存在を知り、仲間にそれを周知して徹底的に避ける傾向がある。

 逆に言えば、名の売れてない人間には無頓着だということだ。


 しかし。


「お前、俺のことを『ノイジー』と呼んだな? 俺が近くにいると、そういった不快な雑音が聞こえるってのか?」


 緑、赤、青。くるくる変わるアトラナートの目玉は、「もう勘弁してくれ」と言っているかのようだった。

 まあ、嫌なんだが。


「アア、あアア! ……同胞ハ、「雑音ガ聞こエたラ注意しロ。雑音野郎ノイジーガやってクる」、と言ッて、イた……!」


 つまり、俺が近づくと虚獣は不協和音を感じるらしい。

 イコライザーが放つ音か? それとも俺自身から発しているのか? それは分からないが、とにかく虚獣は俺の接近を知ることができる。

 くそ、最近妙に虚獣と出会うことが減ったと思ったが、そういうカラクリかよ。


「そうかい、ありがとうな。これからは気を付けるよ」


 にっこり笑って、仕上げにかかる。

 目を閉じ、見えない銃を額に当てて言葉を紡ぐ。


通信方式プロトコル均一化イコライズ。――さよなら、アトラナート。人型でなくとも言葉を交わせるということを教えてくれて、ありがとう」


 きぃん、きぃん、きぃぃぃぃーーーー。

 俺の左手に持つ銃が、“力”を充填チャージする。

 走査スキャンした虚獣を構成するマイナスの数値をプラスに反転したエネルギーを。


 怯えるアトラナートに銃を向け、


「さあ、虚獣アトラナート! その虚ろな命を終わらせろ!

 アンチ・イマジナリー・イコライザー、形態モード極点への均一化ゼロ・イコライズ!」


 呪文が銃に更なるエネルギーを与え、この世にあらざる物質を具現化する。


 俺の掌が掴んでいる虚空を囲うように格子グリッド状の青白い光が縦横に走り、銃の形を形成。

 アンチ・イマジナリー・イコライザーが姿を現した。


 バシャッ! チャージ完了の音が銃から迸った。

 俺は引金を絞って叫ぶ。


「――発射ファイア!」


 轟音と共に銃口からオレンジ色のエネルギーが放たれた。

 反動で俺の体は弾かれ、大きく後ろに跳ね飛ばされる。


 直進する橙の光がアトラナートの体に着弾した。

 “それ”は、虚獣の肉体を構成する仮想数値と全く同値だ。――ただ一点を除いて。

 仮想マイナスゼロへと変え、消滅させる、プラスのエネルギー。

 アトラナートを覆う青かった数値が全てオレンジ色になり、その値が変化していく。

 即ち、完全消滅オール・ゼロ


「ア、ああアあアアアアア!!」


 陶器が砕けるような音をさせてアトラナートの肉体が消し飛んだ。

 残ったのは胴体部分の外皮だけ。


 ずん、とそれが地に落ちるのを横目で見ながら歩き出す。

 ふと、蜘蛛の糸でべたついていた体が軽くなっていることに気がついた。


「おっ、やはり糸も仮想物質だったか。――ロブ達、まさか死んでないだろうな?」


 落ちた包帯を拾い、左腕に巻き付ける。

 久しぶりに虚獣を殺したことで、喜びに弾む気持ちを抑えようと努力しながら“仲間”たちを探して駆け出した。

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