5話 去年のサビネさん
俺は機嫌の悪いサビネの肩を優しく押し、重い足取りの少女になんとか歩いてもらいながら先を進んでいた。
そこに、上方から漏れる光が細い線となって地面にこぼれている光景が目に飛び込んでくる。
「あっ、ほら! 上から光が漏れてますよ! 出口ですかね!?」
嫌な空気を打ち砕こうと明るく言った俺に、仏頂面のサビネが横目を向けてくる。
「はいはい。――あたしとアルドきゅんの馴れ初めが聞きたいんだっけ?」
言葉の後半はファルに向けられたものだ。また蒸し返す気かと胃がひやひやする。
「あ、うん。アルドがすごく信頼してるから、もしかして二人は恋人なのかなあって思ったの」
こっちもこっちで爆弾発言しやがる! 味方はいねえのか!
……はっ、いるじゃねえか。9年来の大親友が!
助けてくれ、ロバート・ソールマン!
「あのアルドがなあ。女に対してそっけねえなとは思ってたんだよ。まさかロリコンたぁなー……人は見かけによらねえとは正にこのこった」
俺、無事死亡!
世の中に絶望し白目を剥いていると、突然サビネの雰囲気が変わった。
まるで彼女の体温が消えうせたような、冷たい気配。意識を研ぎ澄ませている。
「何かいますか?」
サビネがほんの僅か頷いた。俺は前方を注視する。
「ロブ。何かいる。後ろを警戒しろ」
「おっ? ……おお。分かった」
ロブが背後を向き、背負った槍を構えた。
俺は腕をだらりと下ろして神経を周囲に張り巡らせる。
ファルも腰の剣を抜いたようだ。
サビネは前を見ている。
不意に、俺の耳が空気の振動を捉えた。何かが羽ばたくような音。
上方の闇の中を何かが飛んでくる。
サビネが動いた。前傾姿勢で走り出し、懐から取り出した刃渡り5センチのスローイング・ナイフを投擲した。
羽ばたく気配から甲高い声が響き渡り、“それ”はばさ、と落ちてきた。
全長60センチの体躯を持ったでかいコウモリ。暗闇に生息して生物の生き血をすするモンスター、ヴァイパイア・バットだ。
ばさばさばさばさ。前と後ろから複数匹の羽音が聞こえる。1匹やられたのを感じ、身を隠すのを止めて襲い掛かってきたのだろう。
俺は叫んだ。
「闇の中で戦うのはまずい! ロブ、ファル! 先に行け!」
暗闇は化けコウモリどもの独壇場だ。鋭敏な感覚を持ったサビネくらいしか奴らの動きを視認できないだろう。
よって隊列を変更。出口からの光で明るくなっている前方へとファルとロブを先行させることにした。
二人は俺の両脇を通り抜け、出口に突進した。
そこに2匹のヴァンパイア・バットが二人に襲いかかる。
ファルが魔力を石造りの天井に飛ばした。
すると、まるで腕のような形に変わった石材が1匹のヴァンパイア・バットを捕らえた。
ファルはそいつに敏捷に接近。
見事な腕だ。
ロブは飛来するコウモリに槍を振り下ろした。
穂先で切り裂くつもりだったのだろうが、狙いが甘く、柄の部分を叩きつける形になってしまったようだ。
鉄の棒で脳天をぶん殴られたヴァンパイア・バットはふらりと地に落ち、ロブが慌てて槍を突き出してとどめを刺した。
サビネは後ろ足に駆けながら腕を振る。
一挙動の投擲で4~5本の刃が舞い、甲高い声が響く。
サビネは一人、背後のコウモリに立ち向かい食い止めている。闇の中でも戦える技能によって俺達を救ってくれている。
が、数が多い。撃ち漏らした一匹がナイフの嵐を抜け、サビネに接近。彼女の首筋にコウモリの牙が迫る。
ヴァンパイア・バットは血液をすすると同時に悪性の病原菌を獲物に送り込む。一撃でも食らってはならない。
俺は目を細め、狙いを定めて右手を振る。
意識の矛先を逸らされたヴァンパイア・バットはサビネをすれすれで掠めて墜落。地面に激突して首を折った。
痙攣するコウモリをちらと見て、サビネは横顔で俺に笑んだ。
その顔を見て、彼女との出会いを思い出した。
一年前、俺はロブと共にガンドール鉱山を後にし、セムの街にたどり着いた。
セムの街には、モンスター、財宝、虚獣を狩って生計を立てるハンター達のためのハンターズギルドがあった。
二十歳になったのを期に、俺達はハンターになるためやってきたのだった。
「俺? やだよハンターなんか。俺は筋肉系荒くれ女子じゃなくて深窓の令嬢タイプが好みなんだ」
俺『達』というのは間違いだった、訂正する。ロブは女性との出会いを求めてやってきていた。
とにかく俺はハンターを目指してギルドの扉を叩き、魔法が使えないことで最初の一歩にいきなりつまづいた。
「え? 依頼が受けられないってどういうことでしょうか?」
俺が戸惑い聞き返すと、カウンターの向こうに居るあどけなさと女性の色気を併せ持った美貌の受付嬢、ルカは虫でも見るような感情のこもらない顔でこう言った。
「ハンターにはランク分けがございます。魔法の技術が高いほど、ランクは高くなります。
城の魔術師を務める方が行使されるような魔法を操れる方はAランク。騎士クラスの能力ならBランク。その他平民の方が一般に使えるような魔法であればCランクとさせていただいております。
あなたの場合、全く魔法が使えないということですので……」
受付嬢はきっと、笑えば花が咲いたような笑顔を見せてくれるのだろう。しかし生憎俺にはその悩殺スマイルを見せてくれる気はないようだ。
にこりともせず、ルカ――この時は名も知らぬ美人だったが――は俺の持ってきた依頼をカウンターの天板から無情にも持ち去り、代わりに3枚ほどの書類を出してきた。
「Dランクになります。Dランクの方が受けられる依頼は、薬草その他の採取依頼、人探し、荷物の運搬、それに害虫や害獣の苦情。……あ、分類するのはギルドですので、凶悪なモンスターを害獣と称して受けることは出来ませんので悪しからず。
以上の理由を持ちまして、あなたがお持ちになったこの『ハスター』の討伐依頼はお受けになることが出来ません。――ご理解のほどを」
丁寧に頭を下げる受付嬢の仕草はあまりに機械的で、一瞬俺は彼女の事が、精巧に作られた美しい彫像か何かに見えた。
「ご丁寧にどうもありがとうございます、よくわかりました。それではこの、スライムり、リザード? ……の苔を採取する依頼を受けてもよろしいでしょうか?」
あっさり諦めた俺は、彼女の持ってきてくれた別の依頼を受けることにした。
にっこり笑って羊皮紙を指し示す俺を見た受付嬢は、初めて当惑に近い表情を顔に浮かべていた。
つつがなく依頼を受諾し、俺はギルドでの初仕事に意気揚々と出かけ、始めて遭遇したスライムリザードにひどく手を焼き、それでもなんとか苔を規定量採取することに成功した。
ベール平原から街に帰還すると、深夜を回ろうかという時刻だったので既にギルドは閉まっていた。報告は明日にしようと宿に向かう俺の前に三人の男が立ち塞がった。
男たちは酒に酔っているのか、呂律が回っておらず何を言っているのかはっきりとはわからなかった。
ただ、魔法の使えない無能な俺が、割の良い仕事を受付嬢に斡旋してもらったことに腹を立てているらしいことだけは何となくわかった。
俺は誠意を尽くして謝った。
何も知らない俺が彼らの食い扶持を潰してしまったのかも。初めて訪れたギルドで、先輩である彼らへの挨拶を軽く済ませたことで逆鱗に触れてしまったのかも。今となってはわからない。
男たちはますます声高にわめき始めた。一向に矛を納める気配がない。
このままでは戦闘になるかも知れない――俺がそう思った瞬間だった。
「やめときな」
声のしたほうに目をやると、外壁によりかかり、腕を組んだ小柄な人物が気だるげに目を閉じていた。
全身を黒の装束に包んでおり、おまけに10歳前の子供くらいの体格は闇夜の中では一層小さく見え、ひどく視認しづらい。
まるで闇そのものが言葉を発しているかのようだった。
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