4話 サビネ無双

 走っているうちに落ち着いたらしい。ファルが俺に手を引かれつつ、小さく呟いた。


「……取り乱して、ごめんなさい」


 荒い息をつきつつ、ファルに応答する。


「いえ、俺も言い過ぎました。あなたを信じますよ」


 走りながら振り向きそういってやると、ファルは僅かに微笑んだ。まなじりの涙が一滴跳ねる。


「おおい、いちゃついてる場合じゃねえだろ!?」


 ロブが叫んだ。俺は背後に注意を戻す。

 酒場から俺達を追っている荒くれどもは土煙を上げて走り、


「おい、どこに行った!?」

「ちくしょう、俺のかわいこちゃん!」

「許せん! 許せんヌ! モテ男は業火に焼かれて裁かれるがいい!」


 等と口々に好き勝手なことを喚いている。

 もし追いつかれたら、あいつらは俺達の言い分など聞かずに殴りかかってくるだろう。

 それに、ファルが持っている魔昌石。もし魔昌石の話が広まりでもしたら、俺達は縛り首だ。


 街のなかを全力で走る。

 俺も逃げ足には自信があるが、ファルは流石に騎士だというべきか、疲れる様子を見せずにぴったり俺に着いてくる。

 しかし、荒くれどもは人海戦術にでたらしい。

 背後から来るものと別れ、建物を挟んで反対側の路上を俺達と平行に並走している奴等の気配を感じる。追い抜かれたら挟み撃ちにあうだろう。

何とか身を隠さないと――。


「こっち!」


 突然、建物の隙間の路地裏から声が聞こえた。

 聞き覚えのある、信頼できる人物の声だ。俺はファルの手を引きながらその路地裏に向かう。


「ロブ! こっちだ!」


 先行しているロブを呼んだ。

 あいつは素早く踵を返し、走ってくる。

 だが、俺が指し示す路地を見て顔をひきつらせた。


「おい! 路地裏になんて入ったら袋のネズミだぞ!」


「大丈夫だ!」


 路地に飛び込む。

 両脇にそびえる家々の外壁が陽光を遮っているので薄暗く、目を慣れさせるために2回のまばたきを要した。


 地面に、穴が開いている。

 普段はその上に被せてあるらしい木の板を持ち上げて頭を覗かせ、「早く!」と叫んでいる人影がある。

 近づくと頭が下に引っ込んだ。俺はファルに頷いてみせ、躊躇せず穴に飛び込む。


 すと。3メートルほど落下して地面に降り立った。

 穴のなかは地面に置いたカンテラの光に照らされている。

 すぐさま横に退くと、俺に続いてファルも落ちてきた。ファルを引き寄せ、ロブの下敷にならないようにしてやる。

 無事にロブも降りてきた。


 耳をすますと、どやどやと地上を走る男たちの足音が聞こえる。

 段々と足音が遠ざかっていった。どうやら上手く撒けたようだ。


「ありがとうございます、サビネさん」


 礼を言うと、俺を導いてくれた超小柄な少女は眉を吊り上げ、足を踏み鳴らして俺たちに近寄り、小さな指を突きつけてきた。


「いつまでアルドきゅんの腕にしがみついてるの?」


 ファルを抱き寄せたままだった。

 慌てて離れる。


「す、すみません!」


「あっ、私こそ」


 お互いに目をそらす。気まずい沈黙が辺りをつつんだ。

 ふー、というサビネの吐息が硬直した空気を吹き飛ばす。


「まあ、アルドきゅんの浮気については後で問い詰めるとして――あんた、誰?」


 何か誤解を招くワードが含まれていたような気がするが、それは置いておく。

 サビネの目には、ファルは昨日今日で突然街に現れ、俺に厄介事を持ってきたように映っているだろう(それが事実かどうかは言わない。またファルが泣くからだ)。内情を話す必要がある。

 サビネの丸い目に見つめられて固まっているファルにゆっくり頷いてみせた。


「彼女は信頼できる人です。事情を話しても大丈夫ですよ」


「事情ぉ?」


 サビネは何故かますます肩を怒らせた。

 これ以上彼女を刺激する前に話しておいた方がいい。







「魔昌石!?」


 サビネが目を輝かせた。

 ファルが自身の身分と虚獣退治について話しているときは露骨に不機嫌になっており、今にもファルに食って掛かりそうだったのだが、話が魔昌石の事に及ぶと俄然乗り気になった。


「ちっちゃい嬢ちゃんよォ。頼むから魔昌石の事は言い触らさないでくれよな」


 彼女の人となりを知らないロブは余計なことを口にし、凍りついた笑みを浮かべたサビネに思いっきり足の甲を踏まれた。


「あいでぇぇぇ! なにしやがんだよちびっ子!」


「だーれがちびっ子だ! それに、トレジャーハンターのあたしがお宝の情報をバカみたいに言い触らすワケないでしょーが!」


「トレジャーハンタぁ? 道端に落ちてる綺麗な石でも集めてんのか?」


「ふんっ」


「いってーーーー!」


 わざとやってるのかと疑うほどに、ロブは彼女の地雷を踏み抜き続けている。

 サビネに『小さい』や『子供』を連想させる言葉は禁句だということにいつ気づくのだろうか。


 ふと、ファルがもじもじしているのに気がついた。トイレだろうか。


「ファル? どうしました?」


「う、うん。――アルドの彼女さん、元気だね」


 先程の発言を聞き流したのは大間違いだったようだ。






「サビネさん。この地下通路、よく見つけましたね?」


 今、俺達は路地裏から飛び込んだ地下道を、一列縦隊となって歩いている。

 先頭はサビネ。その後ろを俺がカンテラを持って彼女の頭越しに進む先を照らしながら続いている。

 その後ろにファル。最後尾がロブだ。

 この通路はセムの街の地下に網の目のように広がっており、いくつもの出口があるという。

 ベルランド森林を目指したい俺達のために街の外周付近の出口に案内してくれるそうだ。


「なんでも、100年くらい前にシルフ国が隣のサラマンダー国と戦争状態にあったときに建造された避難用の通路らしいね。

 歩いてるとき、なーんかこの街の地面はぽこんぽこんするなーっと思って探してみたら見つけたんだ。スゴいでしょ? ちょっと臭いのはご愛嬌」


 うにー、と鼻をつまむ真似をしているサビネの顔芸に反応する前に、俺は彼女の発言に驚かされるばかりだった。


「……さすがの直感力ですね。多分歩く際の足裏の感触だけでこの通路を発見した人はサビネさんが初めてでしょう」


「おっ。惚れ直した? ねえ惚れ直した? アルドきゅん」


 頭をぐりぐり俺の足に擦り付けてくるサビネに困った笑顔を返しつつ、先を急ぐ。確かにこの通路はカビと饐えたような臭いがこもっており、長居はしたくない環境だ。


「あの……」


 ファルが俺の背後で声をあげた。「どうしました?」と振り向く。

 薄桃の髪を弄くりながら、伏し目がちにファルが口を開いた。


「アルドは、サビネさんとどういう?」


 ぴた。サビネが突然足を止めた。

 俺は彼女を蹴っ飛ばさないよう、爪先で地面を擦りつつ慌てて止まった。


「アルド? あたしだってまだ呼び捨てしたことないのに? ――ふーん? ふーん? ふうぅぅーーーーん?」


 真顔で首を後ろに倒し、サビネは下から俺を睨めつけてくる。俺は高速で首を左右に振り、否定した。


「ちょあ、何か誤解があります!」


「1年も友達やってるあたしがまだ敬語を使われてるのに、あの女はもう呼び捨て? ――へえええぇーー?」


 サビネの発するプレッシャーに胃が押し潰されそうになり、半分涙目でファルを見た。

 彼女は失言に気づいたのか、口を手で覆っている。


「あっ! いやあの、そういう意味じゃなくて! 追われてるアルドを助けてくれるなんて、深い付き合いなのかなあ――って思って!」


 サビネがますます無表情になった。


「ほほぉぉー。あたしはあんたとそこの軽薄男も一緒に助けたと思ったんだけどねぇー」


 どんどん墓穴を掘っていくファル。手をわたつかせ、必死に弁明しようとしている。


「あっ! ごめんなさい! 勿論感謝してます! 何かお礼を――」


 意地悪くファルを詰めるサビネに対し、よせばいいのにロブが口を挟んだ。


「おーい、軽薄男ってのは俺のことか?」


「他に誰がいるのさ」


「っっだとぉ!? コラ、チビ! いくら俺がガキと女には優しいからっていつまでも調子に――」


「ほいっ」


 サビネが親指を弾いた。

 そこから飛んだ何か小さいものがロブの額にぱちん! とハデな音でぶつかり、頭を押さえて悶絶している。


「いてえええ! なんじゃこりゃあ!」


「小石」


「目に入ったら大ケガだぞ! ざけんなよ!」


「その広いデコを外すもんか。あんたと一緒にすんなっ」


 収集がつかなくなってきた。俺はひきつった笑顔でサビネに微笑む。


「あの、サビネさん? 助けてくれたのは本当にありがとうございました。でも、そろそろ行きませ――」


「アルドきゅん! あなたはあたしとあの男とどっちが大事なの!? 」


「あ、あれ? 私は?」


 半笑いで自分の顔を指差すファルをシカト。両手を合わせてサビネに頭を下げる。


「当然、ロブのバカよりサビネさんのが大事ですよ。だから早く行きましょ? 魔昌石がサビネさんを待ってますよ!」


「てめっ、こらアルドぉ! お前まで俺をバカにす――」


「はいはい、ロブ! 早く行こ? アルドの言うとおり!」


「ちょっと! またアルドきゅんを呼び捨てに!」


 ハイパーカオス空間と化した地下通路は俺の胃壁をすさまじい勢いで削り続ける。俺はもう、いい年して泣きそうだった。

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