3話 魔昌石

 街に戻り、正門の衛兵に頭を下げて通り抜けようとした。

 が、背後から襟首を掴まれて首が締まり、息が詰まる。


「ぐへっ」


 何事だと衛兵を見たが、そのまま引きずられて道の端へと連行される。

 衛兵はぐいと顔を近づけ、吐息が俺にかかる程の距離で呟いた。


「おい、アルド! 誰だよあのすげえ美人は!? お前出ていくとき一人だったじゃねえか!」


 目をきらめかせて俺に詰め寄るのは、短い癖毛の金髪をあちこち跳ねさせた若い男。ロバート・ソールマンだ。

 まともに挨拶しなかったのはこうなるのを見越してだったのだが、無駄に終わったようだ。


「落ち着け、ロブ。ザルツバウトさんとは街の外で落ち合ったんだよ」


「なにい!? 逢い引きか!?」


「ちがうって。仕事だよ」


「なになに? 何の話?」


 端っこでわちゃわちゃやっていると、痺れを切らしたザルツバウトが口を挟んだ。

 ロブがいきなり背筋を正してザルツバウトに敬礼する。


「はっ、申し遅れました! 私、ここセムの街の衛兵をやっておりますロバート・ソールマンと申します! 何卒お見知りおきを!」


「はえ? あっ、ファーレン・ザルツバウトです。騎士です。宜しくお願いします」


 ザルツバウトは勢いにつられて敬礼している。

 ロブがますます姿勢を正した。


「これも何かの縁だ! なあアルド、お前飯まだだよな!? 三人で食いにいこうぜ!」


「いや、俺は金がな――」


「なあに言ってんだよ俺とお前の仲だろ!? おごってやるから行くぞ!」


 ロブが俺の腕をしっかと掴み、歩き出した。

 勢いに飲まれながらも言い返す。


「いつもは俺が金欠でピーピー言ってても助けてくれねえじゃねえか! つうか仕事はどうすんだよ!?」


「だーいじょーぶ! 俺が抜けても代わりが居るもの! 誰かがやるだろ!」


 引きずられるように連れていかれる俺の後を、所在なさげにザルツバウトが着いてきた。






 ハンター用の安酒場の一角。壁際のテーブルに着いた俺達を見渡し、ロブはグラスを掲げた。


「えー、それでは。我々の出会いを祝して、かんぱーい!」


「え、あ。か、かんぱーい?」


「うぇーす」


 声を張り上げるロブに対し、ザルツバウトは戸惑いながらも乾杯した。俺はおざなりに挨拶する。


「なんっだよ、アルド! 元気ねえな! 疲れてんのか!?」


「お前のテンションに付いていけねえだけだよ」


 大げさに天を仰ぐロブを無視し、俺はちびりと酒を飲んだ。

 ザルツバウトがテーブルに身を乗り出してくる。


「えーと、二人は友達なの?」


 よくぞ聞いてくれました! とロブが腕を広げた。


「そう、こいつと俺は十年来の腐れ縁! 共に鉱山で働き、共にこの街へ来て、共に生きております!」


「共に生きてはいねえだろ。それに会ってからまだ9年だ」


 ツッコミを入れる俺に、ロブが身を引いた。


「出会ってからの日数をちゃんとカウントしてる!? もしかしてお前、俺の事好きなの!? 怖っ!」


「気持ちわりいこと言うな!」


 立ち上がって指を突き付けてやると、ロブはおどけてステップを踏んだ。

 笑い声が聞こえ、そちらに顔を向けた。ザルツバウトがニコニコしている。


「仲いいんだね。見てて楽しいよ」


 バカにされたような気がして俺は椅子にどっかりと腰を下ろす。


「鉱山で働いていたとき、ロブに読み書きを教えてもらいました。それからの縁です」


 へー、とザルツバウトが感心したような視線をロブに向けた。ロブは顔を真っ赤にする。


「いや、バカっ。言わなくていいんだよお前そんなの!」


 気味悪く体をくねらせて照れるロブに、ザルツバウトが微笑みかけた。


「いいえ、ソールマンさん。素晴らしいことだと思います」


 ロブは距離を縮めた、と判断したらしい。相好を崩してザルツバウトの手をとった。


「ロブって呼んでください!」


 こいつは騎士と向かい合って萎縮しないのか?

 女に対して馴れ馴れしいだけか?

 と考えている俺をよそに、ザルツバウトはロブと握手を交わしている。


「うん。私もファルって呼んでね。――アルドも! いつまでも『ザルツバウトさん』じゃ堅苦しいからそう呼んで!」


 手を離したザルツバウトは、俺にも手を差し出した。


「え!? いえ、そんなご無礼は出来な――」


「ファルの言う通りだぞ、アルド!」


 順応が早すぎるロブに目眩を覚えつつ、出された手を仕方なく握る。


「わかりました、宜しくお願いします。ファル」


「よろしくね!」


 にっこり笑顔のファルを見ながら、心の中でため息をついた。






 大麦の蒸留酒を飲み、パンと干し肉の食事を取りながら雑談に興じる。

 ロブが挙手をした。


「ファルはいくつなんだ?」


 酒に弱いのか、ほんのふた口程で顔を上気させているファルが顔を上げた。


「私? 22歳」


「えっ!? 年上!? 10代かと思ってた!」


「上手いなあ。おだてても何も出ないよ?」


「いや、本音だって! なあアルド! お前もそう思ってたよな!?」


「ぶっ!?」


 いきなり水を向けられ、飲んでいた酒を少し吹いた。

 口を拭いながら笑顔を作る。


「……失礼しました。――そうですね、17、8歳かと思っておりました」


 これは本当にそう思っていた。この女は顔が幼い。おっとりした表情のせいもあるかも知れないが。


 ファルがころころ笑った。


「二人は同い年?」


 ロブが頷く。


「ああ。12歳の時に下働きしていたガンドール鉱山で初めて会って、聞いてみたら同い年だって言うじゃねえか。こりゃダチにならなきゃウソだろ?」


「ガンドール鉱山! ドワーフの?」


「そうです。工業技術に長けたドワーフ族が多く住む、ガンドール鉱山です。俺の包帯もドワーフのオヤジに設えて貰った物なんですよ」


 そういって俺は左手を掲げた。

 黒い包帯にファルの視線がぶつかる。


「俺の村は虚獣に襲われて無くなってしまいましてね。1人生き延びた俺はガンドール鉱山のオヤジに拾われ、そこで働くようになったってわけです」


「オヤジ?」


 首をかしげるファルに、ロブが答える。


「ドワーフの棟梁を慣習的にオヤジって呼ぶんだよ。......いやあキツかったよなあ、あそこは。毎日毎日鉱石を掘ってよォ」


「でも、ドワーフの奴等はみんないいやつだった」


「......そうだな」


 俺が口を挟むと、ロブは昔を懐かしむように肩を落とした。

 しんみりした空気が場を包む。俺は慌てて話題を変えようと言葉を発した。


「それより、虚獣退治の詳細を話してくれるって言ってましたよね?」


 ファルが肩を跳ねさせた。虚をつかれたらしい。


「あっ、そうだった」


 交錯する俺とファルの視線の真ん中にロブが顔をねじ込んできた。口を尖らせている。


「俺だけ仲間はずれは寂しいぜ。どういうことなのか教えてくれよ」


 ファルが吹き出した。


「ふふっ。ごめんね、話してなかったね。――私がアルドに、虚獣退治の仕事のお手伝いを依頼したの」


「――虚獣退治?」


 眉を上げるロブに頷いた。


「ファルは城から派遣されて、ベルランド森林に出没する虚獣の調査に来たそうだ。その仕事を俺に頼みたいらしい」


「そうか。どうやってこんな美人と知り合ったのかと思ったが、そう言うことか」


 ロブは腕を組み、深々と椅子に沈みこんで肩をすくめている。


「そういえば、この街で虚獣騒ぎってあまり起きないね? ギルドの依頼にも出てなかったし。大型虚獣の存在にも誰も気づいてないみたい」


 グラスを弄びながらファルが言った言葉を受け、


「そうだな、この近くじゃあまり見かけないと思ったら森に潜んでやがったのか。歴戦の俺達に恐れをなしてるんじゃねえの?」


「虚獣は思慮深いと聞きますから。人の大勢居る場所は避けるんじゃないでしょうか」


「んー」


 適当なことを並べ立てるロブと俺に、ファルは何かを考え込んでいる。


「どんなやつですか? 大型の虚獣といっても色んなヤツが居るでしょう」


「うん、これ」


 ローブで見えなかったが、中に雑嚢を入れていたらしい。ファルはそこから羊皮紙を取りだしてテーブルに置いた。

 俺とロブがそれに見入る。


『蜘蛛型の大型虚獣がベルランド森林深部で多数目撃された。

この虚獣は樹上を素早く移動する。捕らえた生物を虚獣化してしまうため、迅速な駆除が必要である』――と記載されている。


「こいつか」


「ああ。アトラナートだな」


 ファルが立ち上がった。


「知ってるの!?」


 ロブがファルに座れ、と手振りをして口を開いた。


「ガンドール鉱山の近くにある、ハムナ砂漠によく出た」


「樹上性だとは知りませんでしたが。まあ、虚獣に一般の生物と同じ生態を期待しても無駄でしょう」


 はー、と息の抜けるような感嘆を漏らしてファルが座った。


「二人とも、虚獣に詳しいんだね」


「たまたまですよ。知らない虚獣もまだ多いです」


 でもよ、とロブ。


「生物を虚獣化してしまうため、とあるぜ。虚獣はみんな生物をそうしようとするんじゃねえのか?」


「いや、生体部分の多い虚獣は栄養を補うために生物を喰う。アトラナートは魔力だけで生きていけるタイプだが」


 ファルがじっと俺を見ている。「何か?」と聞いてみた。


「いやあ、正直ね。魔法が使えないから虚獣とは戦えないって言ってたじゃない。それなのに詳しいなあ――って」


 おどけて渋面を作ってやる。


「怖いからこそ、相手を知りたい。そういうこともあるんじゃないですか?」


「むぅー」


 納得いっていない様子のファルをからかってやろうと言葉を探していると――。


「アルドさん」


 背後から柔らかい声に呼ばれた。振り向くと、ギルドの受付嬢が立っていた。


「ああ、ルカさん。どうかしました? こんなところで」


「こんなところとか言ってると、またハンターの皆に睨まれますよ? ――報酬をお持ちしました」


「報酬?」


 三つ編みの受付嬢は懐から袋を取り出し、テーブルに置いた。じゃら、と硬貨が音を立てる。


「依頼人の方とおしゃべりされておりましたので、直接報告をされたのかと思いまして」


 俺はファルを見やる。彼女は肩を縮めて姿を隠そうと努力をしていた。


「ファル?」


「ごめんなさいー!」





 問い詰めた俺に、スライムリザードの苔を依頼したのは自分だと白状した。

 なんでも、俺が受けそうな依頼をギルドに出し、それに同行しようと企んでいたらしい。


「ってことはよ、最初からこいつに目をつけてたってこと?」


「ほんとごめん! 騙すつもりじゃなかったんだよ!」


 目を丸くするロブと俺にファルが頭を下げる。俺はファルに頭を上げるよう促した。


「『間隙』の名をそんなにまで頼ってもらえて嬉しいですよ」


「お前なあ、あんまり物わかり良すぎるのもイヤミだぜ」


 半目のロブを宥め、俺は苦笑して見せる。

 ファルが辛そうに顔を歪めた。


「アトラナートの退治。それと?」


「それとって?」


 ファルの目を見ながら、アトラナートの資料が記載された羊皮紙を指で叩く。


「人里離れた森で虚獣が目撃されたからって、イルバート城が騎士を派遣するとは思えません。何かあるんじゃないですか?」


「あー……」


 ファルがローブをはだけ(ロブが口笛を吹いた)、平民服のポケットから赤い石を取り出して置いた。

 宝石のようにきらめいているわけではない。が、内側から溢れる魔力が可視化されて放たれており、赤黒く輝いているように見える。


「なんですかこれは? 禍々しく光ってますね。悪魔との契約の証ですか?」


「違うよ! どういう発想!? ――これはね、魔昌石だよ」


 魔昌石。聞いたことがある。

 人の体内にある『パレット』を結晶化したような物質で、人が流した魔力を吸収し、その魔力に指向性を付与して放出する特性があるという噂だった。

 魔昌石の種類によって、付与する指向性は異なるらしい。


 それがあればパレットを持たない俺でも魔法と同じ現象を起こすことが出来る。正直言って喉から手が出るほど欲しいと思っていた。


「魔昌石! 初めて見ました」


「おいおい、そんな貴重なものここで出すなよ!」


 ロブの焦りに満ちた小声ではっとなった俺とファルは、不自然な仕草にならないよう、そっと周りを見回す。

 他の席に着いている連中は自分のお喋りに忙しいらしく、誰も俺達の方に注意を払ってはいなかった。

 ファルが魔昌石をそっと懐に戻した。


「大丈夫、かな? ……ごめん、注意が足りなかったね。それで話を戻すけど、ベルランド森林で魔昌石が発見されたらしいって情報が城の貴族達に入ったの。それで、私の上司であるアーロン・ルグドラ卿がね」


 ここでファルは水を口に含んで舌を湿らせ、言葉を続けた。


「虚獣の噂も合わせて報告されているから、虚獣退治の名目で調査に行っておいで。ついでに世間知らずなお前は街の観光でもしてくるといいよ。……っておっしゃったの」


 ふー、と肩の荷を下ろしたような顔で息をつくファルとは対称的に、ロブが神妙な面持ちで呟いた。


「ベルランド森林とセムの街は国境に程近い。魔昌石が森林で発見されたことが知れ渡れば戦争の火種にもなりかねない。だから目立たないように平民の格好して一人で行ってこい。――というように聞こえたんだが?」


 俺にもそう聞こえた。が、藪蛇をつつきたくないので黙っていたんだ。ロブのバカ野郎。


「……ふふふ、気付いてしまったか。知られたからには――お前達にはここで死んでもらおう!」


 なんちゃって。とファルが舌を出した。冗談めかしてはいるが、ロブの発言を否定しない。

 俺とロブはファルに向かって勢いよく顔を寄せた。一気にまくし立てる。


「なんちゃってじゃないですよ! これ本当にヤバい情報じゃないですか!」


「勘弁してくれよ! この情報が他国に漏れた場合、いの一番に俺とこいつが疑われるんだろ!? うわー、聞かなかったことにしてぇー!」


「つついたのはお前だろ、ロブ!? なんでお前は口を閉じていられないんだ!」


「俺がお喋りだからだってのか!? それをいうならお前が『他に何かあるんですよね?』とか知った風な口をきいたからだろうが!」


 今にも取っ組み合いを始めそうな俺たちにファルが割って入り、


「ちょ、ちょっと待ってよ! 私が君達を売るとでも思ってるの!?」


 心外だとぷりぷり怒っている。

 しかし、


「あのなあ。そういうのはベラベラ喋んじゃねえよ。騎士としての心がけが足りねえんじゃねえか?」


「なにか起きたとき、俺達をスケープゴートにしようとしてる可能性も考えられますからね」


 と呆れ顔の俺たちに反論されたファルはうっ、と胸を押さえ、俯いて口を尖らせている。まるで子供だ。


「だ、だって。隠し事してたら信用されないんじゃないかと思ってぇ……」


「情報を小出しにするから怪しいんですよ!」


「ふえー! ごめーん!」


 ファルは首を縮めて小さくなっている。

 ロブが俺に向かって眉を上げた。


「おいアルド。虚獣退治の報酬はいくらなんだよ?」


「あ? ……ああ、2000だそうだ」


 ロブが固まった。


「その金額の時点で超怪しいな。……なんで受けたんだよ、アルド」


「最初は断ったよ! ファルがあまりにも食い下がってくるから渋々受けざるを得なくなったんだ!」


「ふえええー!」


 非難されていると感じたのか(実際しているが)、とうとうファルが泣き出した。

 改めて周りを見ると、


「なんだなんだ? 痴話喧嘩か?」

「お、能無しの『間隙』じゃねえか。それと衛兵のチャラ男」

「あいつら、すげえ美人と飲んでる! しかも泣かしてる!」

「よし、この俺が颯爽とあのかわいこちゃんを助ける」

「いやまて俺が行く」

「僕はくま太陽」


 なんだ最後のやつは!


「やべえ! アルド、ずらかるぞ!」


 俺は泣きじゃくるファルの手を引き、ロブと連れだって酒場を逃げ出した。

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