2話 vsスライムリザード
「虚獣?」
間抜け面で聞き返す俺に、ファーレン・ザルツバウトは片手を腰に当てた教師のポーズを取った。
「そ、虚獣。知らない?」
「いや、虚獣は存じておりますが。何故俺に頼むのでしょうか?」
ファーレン・ザルツバウトはとつとつと語り出した。
「私、イルバート城の騎士なんだけどね。ちょっと前にこのセムの街の近くにあるベルランド森林で大型の虚獣が現れたから、調査に行ってこーいって上から言われたの。
でも、私一人じゃ土地勘もないし、何より危ないし。だから、最近名の売れてきた『間隙』に御助力をお願いできないかなーって」
だから、お願い! と手を合わせて頭を下げられた。
正直、この街のギルドで未だ何の実績もあげてない俺に頼むのはひどく不自然だ。だからそこをつついてみる。
「名が売れてきた、ですか。魔法が使えないからちょっとしたお使い程度のことしか出来ない能無しだって評価なら分かりますが」
ザルツバウトは唇に指を当てて考え込んだ。美人なのでとてもサマになっているが、あざとい仕草の女だ。
「んー、噂を聞いたんだよ」
「噂、ですか。どのような?」
「『間隙』は、人やモンスターの意識を一瞬だけ逸らす技能に長けている。味方にすれば必ずや役に立つであろう! ――って噂」
「はあ」
俺は頭を掻いた。
「買いかぶりですよ、それ。確かに気を散らすのは得意ですけど。そもそも魔法が使えない俺を虚獣退治に連れていったって――」
ザルツバウトが指を一本立て、俺の言葉を遮った。
「それ。『気を散らす』。実はさ、見てたんだよねー。さっきの」
「あ、それはお恥ずかしいところを」
ガロとのいざこざを見られていたようだ。つまり、ザルツバウトはギルドから俺をつけたらしい。かわいい顔して強かな女だ。
「んーん、勝手に観察してごめんね。――というかアレ! スゴくない!? どうやってあのパンチの軌道を曲げたの!?」
苦笑いを返す。
「いやあ、たいしたことじゃないです。俺を殴ろうとしているガロさんの意識の矛先をほんの一秒だけ床板に向けただけですよ。手品みたいなものですね。練習すればザルツバウトさんにも可能だと思いますよ」
軽く言う俺に、いやいやいやいや、と手を目の前で振っている。それに合わせて胸も揺れ、目で追わないようにするのに全神経を集中するハメになった。
「できないって! ……やっぱりスゴいなあ。ねえ、お願いだから手伝ってよ。ちゃんと報酬も払うし。今、立候補してくれればなんと驚きの! 2000ジュラ払いまーす!」
おー! と右手を突き上げるザルツバウトに苦笑しつつ頭を下げた。
「勘弁してくださいよ。いくら高額の報酬だからって、命あっての物種でしょ? 申し訳ないけどお断りさせていただきますよ。というか、ザルツバウトさんはお一人なんですか? こういう任務って複数人で遂行するものだと思ってたんですけど」
そっけない俺の言葉に、たはー、と困ったように笑っている。屈託の全くない笑顔だ。
「それがさー。今、城のみんながバタバタしててさあ。人手がぜんっぜん足りないの。――あっ、そうだ! 私も君の仕事手伝うから! 後、虚獣退治の詳細も話す! それから決めてよ、ねっ!?」
ぎゅっ。俺の右手を両の手で握り、困り眉で懇願してくる。
断る言い訳がもうなくなった俺は渋々承諾した。
家に戻り、捕獲用のケージを持ってベール平原にやって来た。
足元一面に丈の長い草が鬱蒼と生い茂っている。
「おー、城から来るときは街道を使ったから草原に入るのは初めてだなあ。……青臭っ! 鼻の奥に匂いが直撃! ぬわー!」
深呼吸したザルツバウトは鼻を押さえて悶えている。俺は呆れ顔で、
「スライムリザードは臆病なんで、あまり大声を出さないで下さいよ。あと、ぬかるんでるんで足元に気を――」
「おわー!」
言ってるそばから滑って転んだ。派手に尻餅をつき、ローブの裾が泥だらけになっている。俺は片目を手で覆い、手をさしのべてやった。
「大丈夫ですか?」
「うぬぬ、騎士たるこの私が足元をすくわれるとは……!」
「卑怯な手にあったみたいに言ってますね。ベール平原の土も心外でしょう」
えへへ、と恥ずかしそうに笑ってザルツバウトは俺の手を取り立ち上がった。
気を取り直してスライムリザードを探そうとしたが、ザルツバウトが手を離さない。俺の右手をじっと見ている。
「んーむ、君さ。今いくつ?」
突拍子もなくぶつけられる質問に若干狼狽した。
「え? ああ、21ですよ」
「ほほう」
ザルツバウトは指で俺の手のひらをなぞり、ひっくり返して手の甲を眺め、しげしげと観察している。
「農作業? 違うな、このマメのできかたは……」
俺はやんわりと手をはずさせ、指先をひらひらさせる。
「よくわかりますね。鉱山で鉄鉱石を掘っていたことがあります。その前は農家の手伝いもやっていましたが」
彼女はうんうんと頷き、突然背を向けた。
「おっし、スライムリザードを探そうか」
いきなり興味を無くしたかのようなザルツバウトに面食らうが、それより依頼だ。
俺達はようやく魔物の捜索を開始した。
ザルツバウトは意外にも黙ってついてくる。もっとあれこれ質問攻めにされるのかと思った。
と、前方で草が揺れる。風が吹いているわけではない。草の隙間から色味の違う緑色が見えた。
スライムリザードの体表だ。
手振りでザルツバウトを制すると、彼女はまばたき一つで了承の意を表した。
俺は息を殺して草をかきわけ進みだす。
スライムリザードまで15メートル。10メートル。7メートル。
ここらが限界だ。これ以上進めばスライムリザードは俺の気配を察知し、一目散に逃げ出すだろう。
後は――。
ばさばさばさ。スライムリザードの後方で音がした。
その音に怯え、パニックを起こしたスライムリザードは、一直線に俺が身を潜めている場所へと突進してくる。
ほんの刹那だけ面食らうことになったが、俺は気を取り直しスライムリザードを迎え撃つ姿勢をとった。
粘度の非常に高い液体が動物の形をとったような姿が草むらを四つ足で走ってくる。
ぶるぶると震えるゲル状をした、緑色のトカゲ。こいつがスライムリザードだ。
俺は急く気持ちを押さえつけ、ギリギリまで引き付ける。
スライムリザードが俺に激突するまで後5秒。
4、3、2――。
今だ。右手を薙ぎ払った。
突如スライムリザードが方向を変える。
しかし勢いのついた体は止まらず、バランスを崩して頭を地面に突っ込んだ。足をバタつかせてもがいている。
俺は素早く駆け寄り、ナイフで背中の苔を削ぎ始めた。
ぬるぬるする苔は指では掴みづらい。ナイフの刃を当て一気にこそぐと、はらりと落ちてきた苔を左の手のひらで受けた。包帯の上に緑の苔が降り積もる。
頭を土から抜いたスライムリザードは、恐怖に駆られて脱兎のごとく逃げ出していった。
ぱちぱちと拍手が聞こえ、振り向く。
ザルツバウトがにこにこして手を叩いていた。
「やー、お見事。『間隙』の名は伊達じゃないね」
俺はスライムリザードを脅かした音の発生源にあごをしゃくる。
「あれ、ザルツバウトさんですか?」
「うん。うまくいったね」
俺は苔をビンに納めた。100グラムと言ったところだろう。
「モンスターを人にけしかけるような真似はどうかと思いますよ」
半目で睨んでやると、ザルツバウトはわたわたと手を上下に振っている。
「ご、ごめん! 怒った!?」
「怒りますよ、やるなら事前に教えてください」
なおも睨む。ザルツバウトはしゅん、とうなだれている。
「ごめんよ、 正直言うと……」
「俺の能力を見たかった。ですか?」
彼女は口をもにょもにょさせ、手を胸の前で突き合わせた童女のような格好で上目遣いに見上げてくる。
肩をすくめ、苦笑いを向けてやった。
「ご納得頂けましたか?」
「ご、ごめん! 悪かったと思ってるんだよ、これは――」
俺は笑顔を作り、ぽん、とビンを叩いた。
「いえいえ、お陰で労せずして苔を手に入れられました。この調子で後二、三匹やっちゃいましょう」
我ながら嘘臭い笑顔だと思う。
ほんの10分も探さないうちに二匹目を見つけた。まだ遠目に見ているだけなので、小声なら話をしても気付かれはしないだろう。俺はザルツバウトに声をかけた。
「さっきの、遠くで音を鳴らしたのはザルツバウトさんの魔法ですか?」
いきなり自分の話題になるとは思っていなかったのか、桃髪の女性は目を丸くした。
「あえ? ……うん、そうだよ。ちょっと風を起こしたの」
「へえ。得意な魔法は他にもあるんですか?」
ザルツバウトがいたずらっぽい顔をした。
「おやおやー? 私に興味が湧いてきたのかな?」
「俺ばっかり能力を探られるのは面白くないですからね」
「あいたー、こりゃ一本取られたー」
俺の嫌みに無邪気な笑顔で額を叩いている。
と思ったらすぐ向き直り、真正面から目を見つめてくる。くるくるとよく表情が変わる女の人だ。
「私の得意なのは風と、物質の膨張」
「膨張?」
あまり聞かない魔法の種類だ。
ザルツバウトはおうむ返しの俺に片目をつむり、「やって見せるよ」とスライムリザードの方に手をかざす。
その手のひらから放たれた魔力の流れが空気の中を飛び、直進していくのを感じた。
どおん! 爆発音と共に、彼女が魔力を飛ばした方向に土の山が出現した。
現れた黒い土の小山は、スライムリザードを飲み込んでいる。
呆気にとられる俺にザルツバウトが再びウインク。
「指向性を与えた魔力を具現化しないまま飛ばし、物質の内部で一気に膨らませる。魔力はその物質を構成している元素に同化して強靭な粘り気を与え、激しく伸縮させても破壊されないようにする。……分かりづらいね。簡単に言うと、土とか石とかをびょーんって伸ばして敵を拘束する魔法、かな?」
俺は頷いた。
「よくわかりました。ザルツバウトさんは、魔力を熱やその他のエネルギーに変換するのではなく、物質に干渉するタイプなのですね」
わずかにザルツバウトが目を細めた。
「ふうん」
俺はきょとんと頭を掻いた。
「俺、何か悪いことでも言いました?」
そう言った途端に泣き顔で顔を歪めた。
「だってー! 私の魔法が虚獣に効かないってわかったんでしょ!? だから手伝ってくれなんて言ったんだって思ってるんだー! ふわああー!」
虚獣を倒すには、魔法が必要だ。
やつらの肉体を構成しているのは、マイナスの値を持った仮想のエネルギー。本来この世にあらざる物質。物理的な攻撃はすり抜けてしまう。
そこで、プラスのエネルギーである魔法をぶつけることでその肉体を実数値に変化させ、そこを叩く。
だが、大気に干渉して風を起こしたり、物質を変化させるタイプの魔法では効き目が薄い。熱や電気などの“現象”を起こす魔法がもっとも虚獣に効果的なのだ。
魔力に指向性を与えるパレットの働きは個人差が大きい。ザルツバウトは物質干渉を得意とするパレットの持ち主なのだろう。
「いえ、そこまで高レベルの魔法を操る人はそういませんから。純粋に尊敬してますよ。それに、どんな能力だって使い方次第。俺はそう信じて生きてきました」
土の山に近づき、右の手のひらで少しだけ掘り起こし、モンスターの頭部を露出させる。
スライムリザードのライムグリーンをした丸い目が、当惑に揺れているような気がした。
「悪いな。ちっと貰うぜ」
更に土を崩し、背中をさらけ出させる。
こいつは当たりだ。
もこもこした苔が、背中一面を覆っている。これで仕事は完了だ。
苔を剥ぎ取り終え、土を完全に取り除いてやると緑のぶよぶよしたトカゲはダッシュで逃げていった。
「ありがとうございます。それじゃ、帰りましょうか」
丁寧に礼を言う俺を、ザルツバウトはポケっと見つめていた。
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