第1章 波

1話 苔を手に入れろの依頼を手に入れろ!

 目が回りそうなほどの空腹を宥めすかしつつ、俺はハンターズギルドで依頼を物色しているところだ。

 ここ2週間ほど仕事にありつけていない。手持ちの金は底を尽き、最後に買ったパンも二日前に胃の中へ消えてしまった。新たなパンを手に入れなければ。


 おまけに家賃の支払期日も迫っている。簡単すぎる依頼をこなして手に入る小銭で糊口を凌いだとしてもジリ貧なのは目に見えてる。

 男が21歳にもなって、その日暮らししているのはみっともないと思われるかも知れない。少なくとも俺は思う。

 思うが、想いの力だけでは腹は膨れない。ボードに張られた取りどりの羊皮紙を見ながら、なるべくカロリーを消費せずにこなせる実入りのいい依頼を見つけ出そうと躍起になっていた。


 そんな依頼そうそうないかと諦めかけた俺の目に、一枚の依頼用紙が飛び込んできた。

 『スライムリザードの苔を400グラム納品してくれ』。これだ!


 スライムリザードってのは、ここセムの街から出てすぐに広がっているベール平原に生息するモンスターだ。

 その背中に生えている苔は魔力を帯びていて、薬にするとケガによく効く。この依頼も薬屋から出されたものだろう。

 スライムリザードはすばしっこく、ぬるぬるした体液に覆われた体表から苔を採取するのは難しい。

 だが、行動パターンが単純なので慣れたヤツなら簡単に取っ捕まえられる。檻に押し込んじまえば苔をむしるのは朝飯前。そして俺はそれに熟練している。


 それでいて報酬は400ジュラ。破格だ。家賃を払った上で1週間分の食料を買って余りある。

 俺はうきうきとその羊皮紙を剥がしにかかった。

 ――が、毛がもさもさ生えたムサイ男の腕が俺の手を掴んで押し止めた。その隙にもう一本の腕が羊皮紙をかっさらっていく。


「よう、『間隙』。お前にゃこの依頼は荷が重いぜ。俺が貰ってやるよ」


 男を見ると、そいつは腕ばかりか口回りも剛毛に覆われた大男だった。

 双斧のガロ。セムの街でブイブイ言わせてる中級ハンターだ。


「いやいや、待ってください。ようやく俺にも出来そうな依頼があったんです。このままじゃ飢え死にしてしまいますよ、これは俺が――」


 食い下がる俺に、汚ならしい歯を剥いてガロが顔を近づけてきた。


「引っ込んでな、能無し。どうしてもってんなら腕ずくで依頼をもぎ取ってみろよ」


 助けを求めて周りを見た。

 上級ハンターの連中は小銭拾い合戦など眼中になく、クールに酒を飲んでいる。

 初級、中級ハンターの奴らはいい暇潰しを見つけたとばかりに目を輝かせて傍観の姿勢。


 そこへ、小さな少女が近寄ってきた。

 小さな少女って表現は頭痛が痛いみたいで頭悪そうだ。

 でも、そう言うしかない。


 肩まで伸びたぽわぽわした栗毛を揺らし、大きな目をした愛らしい顔の少女は御年18歳。思春期真っ盛りの女の子。

 ただ、身長が俺の腰くらいまでしかない。

 それは彼女――サビネという名前だ――が、ホビット族だからだ。

 ホビットの人々は、成人しても身長が1メートルを超えないくらいで成長が止まるのだ。

 とにかく、サビネが肩を怒らせ、


「ちょっと、ガロ! またアルドきゅんをイジめてるの!?」


 その大きな目でガロをにらみつけて詰め寄っている。全く迫力ないけど。

 魔法が使えないため、強力なモンスターの討伐依頼を受けられない俺はギルド内で浮いており、たびたびガロのような気性の荒い奴らに笑いものにされている。

 サビネはそんな俺を哀れに思い、助けてくれようとしているのだ。


 俺の耳は店内の奥にあるテーブルからひそひそ声を鮮明に拾い上げる。

 

「なあ、『間隙』のヤツ、またあの嬢ちゃんに助けられてるぜ」

「いくつだあの子? まあ、9歳より上ではねえだろ」

「おいおいおいおい、羞恥心ってモンはあの野郎にはねえのか?」

「俺だったら舌噛んで死ぬ」


 ちくしょおおお! モブどもが、好き勝手言いやがってえええ!


 俺はサビネの肩を優しく掴んで振り向かせた。

 まん丸の目がハート型になって俺を見つめてくる。


「なあにアルドきゅん? 今あたしがあのヒゲヅラアホ野郎をぶちのめして――」


「ありがとうございます、サビネさん。でも、ここは俺に収めさせてください」


 ぷー、とサビネがほっぺたを膨らませた。


「むぅ、しょーがない。オトコのプライド? を尊重してやるか」


「ありがとうございます!」


 強張った笑みで振り向くと、耳を小指でほじるガロが半目で俺を見ていた。


「茶番は終わったか?」


「はあ。すみません」


 こほん、と咳払いを一つ。


「ガロさんもこの依頼を受けたいのはわかりました。それなら折半にしませんか? 俺がスライムリザードを捕らえる。ガロさんが苔を採取する。これで一人頭200ジュラ――」


 情けなく妥協案を出す俺に対し、ガロは拳で返答をよこすことに決めたようだ。

 奴は俺を殴るために腕を引いた。一瞬の後には矢のようなパンチが俺の顔面に突き刺さっているだろう。


「あっ、あれはなんですか!?」


 俺はあらぬ方向を指差しながら叫んだ。

 ガロはそんなくだらねえ引っかけに釣られるか、と顔を歪め――。


 突然呆けた顔をして俺の指が指す方向に目を向けた。チャンスだ。

 緩んだガロの指から羊皮紙を掠めとり、急いで受付に向かった。


「コレ。ウケマス。オレガ」


「慌ててるのはわかりましたけど、カタコトになってますよ?」


 茶色の髪を三つ編みにしたあどけない顔の受付嬢に呆れられつつ、手早く受諾の書類を書いた。

 サインをし終わったところで、背後から凄まじいプレッシャーを感じ、恐る恐る振り向いた。


 頭から湯気を上げていてもおかしくないほど顔を紅潮させたガロが、ギリギリ歯を軋らせている。


「やめろー! アルドきゅんに手を出すなー!」


 よく見るとサビネがガロの足にしがみ付いているが、体重が足りなさ過ぎて何の抑止力にもなっていなかった。


「てめえ、どうなるかわかってんだろう――」


 な、を言い切る前にガロは殴りかかってきた。俺はとっさに指を足下に向ける。

 途端、俺の顔面を目指していたはずのガロの拳は急激に軌道を曲げ、床板を割り、肘まで床に埋まってしまった。


「て、てめえっ!」


「じゃあ、二、三日中には終わらせます! できればモノの受け渡しと報酬のやり取りはギルド以外でお願いします! しばらく顔を出しづらいので!」


 床板から腕を引き抜こうと奮闘するガロを尻目にして、きょとんとした受付嬢に手早く用件を告げた。逃げるようにギルドを後にする。

 サビネが「どーだ、アルドきゅんの力を思い知ったか!」と高笑いしている声は耳から締め出した。






「フフフ……」


 薄汚い路地裏を歩きながら俺は依頼の紙を見てニヤけていた。

 これで久しぶりにイイものが食える。奮発して肉食うか、肉!


 まだ見ぬたんぱく質に思いを馳せつつ、いったんヤサに戻って支度をしようと角を曲がった。


「おわっ!」


 途端に人とぶつかりそうになり、慌てて足を止めた。

 魔術師か? ボロい灰色のローブを頭からかぶった小柄な人物だ。


「おっと、失礼しました」


 魔術師は苦手だ。軽く詫びつつ横をすり抜けようとしたところで、そでを掴まれた。


「『間隙』のアルド、かな?」


 女の声だ。しかも思ったより若い。

 厄介事の気配を感じつつ、ギギギと軋み音を立てながら振り向いた。


「な、名が知られてるなんて俺も有名になったんですかね? ど、どちらさまで?」


 女はゆっくりとフードを脱いだ。

 真っ直ぐ伸びた薄桃の髪。シミ一つない真っ白い肌に紫の目。

 整いすぎた美貌だ。しかし、目尻の垂れたおっとりした表情がキツさを感じさせない。


「私はファーレン・ザルツバウト。騎士です」


 騎士。城の貴族に取り立てられている、剣術と魔術のプロ。

 気に食わない平民はその鋭い太刀筋で一刀両断! もしくは火炎魔術で尻の穴までこんがり焼かれちまうともっぱらの噂だ。


「へ、へえ。その騎士様が俺に何かご用でしょうか?」


 ザルツバウトと名乗った女は、愛想笑いを浮かべて腰を低くする俺をきょとんとした顔で見返した。


「私、何か脅かしちゃった?」


 騎士を目の前にしてビビらない平民がいるか。


「いやあ、お偉い騎士様を目の前にしちゃあ腰も引けるってもんですよ。まあ俺が臆病なのは間違いありませんけど」


 へらへらと下げた頭の後ろに、なおも女の視線を感じる。


「その腕、どうしたの?」


「え? ああ」


 俺は左腕全体を覆うようにぐるぐる巻きにした分厚く黒い包帯に触れた。

 オヤジに習った特別な縛り方をしてあるので、結び目を知らなければそうそうほどけないようにできている。

 更に布の中には細い金属の糸が織り込んであり、剣で切られようが裂けないという代物だ。


「昔、皮膚の病を患いまして。人に触れると感染うつるんで隠してるんですよ」


「ふうん」


 ザルツバウトは俺の包帯をしげしげと見ている。

 冷や汗が流れそうだ。


 いきなりザルツバウトが身を離し、ぽん、と手を打った。俺は飛び上がりそうになる。


「ごめんねじろじろ見ちゃって。えっとね、あなたに用があるっていうのはね。私の仕事を手伝ってもらいたいんだ」


「え?」


 いきなり何を言い出すんだ、この女は。


「ええと……。どのような?」


 えへん、と何故か胸を張る女(張るだけあってなかなかの胸だ)は、ドヤ顔で口を開いた。

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