くっそ長いプロローグ やっと終わり

 ミスラの背後の風景が、霧がかかったようになっている。その霞の中には机があり、その前に男が立っている。


 霞がかった風景の中にいる黒髪の男は、見慣れない意趣の白い薄手の服に身を包み、無精ひげに覆われたアゴをさすりながら目を丸くしている。

 その男が何かに驚いているような声を上げた。


「何だ、左腕が転送されてきた……!? しかも、動いている!?」


 男の前の机の上に妙な、しかも見慣れたような棒状の物体が置かれている。男はそれに見入っていた。

 僕は身を乗り出して目を凝らす。

 あれは……僕の腕じゃないか。

 ミスラの黒い文字に飲み込まれた僕の腕が、あそこにある。


 突然、その左腕の甲に何かの感触を鮮明に感じた。

 ――触られて、いる。


「わああっ!」


 僕は怯え、手を引こうとする。

 アゴ髭の男がまた声を発した。


「子供の声!? そうか、誰かが“あっち”から体の一部を転送しているのか! ――おい、俺の声が聞こえるか!?」


 そういって男は僕の腕を更にひねくり回す。

 恐怖に僕はもう、発狂しそうだった。


「うわああーーっ! やめろ、やめろぉーーッ!」


 叫んで体をよじる僕を、ミスラが楽しそうに見つめていた。


「おいおい、脳の一部をイマジナリー化するとこうなるのかよ! ははははっ!」


 どうやら、ミスラは狂ったように暴れる僕をしばらく観察することにしたようだ。

 と、ヒゲの男が唐突に僕の腕から手を離した。


「そうか、この子供、脳の一部もイマジナリー化されているな? だから意識がこちらにアクセスを……。ミスラか? 悪趣味な野郎だ」


 男は何かを考え込み、口元を覆った手の指先で頬をとんとん叩いている。

 こっちが必死だって言うのに。

 学者然とした態度に僕は何故か頭にきた。


「お前、誰だよ!? 僕は今、大変なんだ! 虚獣を、殺さなくちゃ……!」


 男は再びびっくりしたようにまわりをきょろきょろしだした。


「おおっ!? 虚獣? 虚数存在のことか? ――そうか、坊主。いいモンやるぜ」


 また、僕の手に感触。今度は硬くて冷たい。


「いいか、坊主! 良く聞け! お前の腕は位相が変わってるだけだ。なくなっちまってるわけじゃねえ! 落ち着いて、手を握ってみろ!」


 男のぶっきらぼうな言い方の中に、僕を案じる気持ちの残滓を感じた。

 だから、言うとおりに左手を握りこんでみた。


 金属の、大降りのナイフの柄を掴んだような感触。人差し指が何かに引っかかった。


「いいか、それは銃型のアンチ・イマジナリー・イコライザーだ! それで虚数存在を撃て!」


 何かを、渡された。

 目を見張る僕の目の前で、霞が晴れていく。男の姿も一緒に消えていってしまう。


「――接続が……! 坊主! 虚数存在を消し去れ! でないとお前の……!」


 消えていく男と共に、声も聞き取りづらくなっていく。

 焦る男の顔が完全に見えなくなる瞬間。

 僕の心をいっぱいにしていたのは、どうしてだろう、寂しさだった。


 あの男の人と、もっと話していたかった。


「……はあっ! はあっ! はああっ……!」


 詰めていた息が解放され、僕は大きく息を吐いた。

 それを見たミスラが頭の後ろを掻いている。


「んー、飽きてきたな。そろそろ死んじゃう?」


 軽い口調でミスラはそういい放ち、僕に腕を向けた。

 僕の頭の中で、男の声が鳴り響き続ける。


 ――虚数存在を撃て!


 左手はいまだ黒い文字列に覆われたまま。だけど感覚は戻った。

 それに、手のひらにはあの金属の感触。


 僕は、ゆっくりと左手を持ち上げた。


「イマジナリー化している腕なら、俺の攻撃を防げるかもしれないってか? 甘いねえ。俺の変換炉はお前らの“パレット”の比じゃねえんだぜ」


 模様に覆われた手のひらは、何かを持っているようには見えない。ミスラにも見えていないだろう。

 だけど、僕には分かる。この手に掴んだ“モノ”の感触を。


 どうやってこれを使うのか――そう考えていた僕の足元を、何かが駆け抜けていった。

 それはスピードを増し、ミスラへと突進する。

 トラ柄の毛皮をした、僕のかわいい――猫。


「トラ!」


「あ? 猫か?」


 ふかーっ! と唸りながらトラは走る。

 トラは、僕を助けようと――恐怖をねじ伏せて、ミスラに立ち向かっているのだ。

 ミスラは面倒くさそうに首を鳴らすと、


「邪魔ぁ、――だッ!」


 ミスラは文字に包まれた黒い足でトラを蹴り飛ばした。

 高く細い声をあげ、トラは地面に転がる。

 その体を、文字が覆い始めた。


 ――トラも、奪われてしまう。


「うおおおおおあああああーーーーーーーッ!!」


 感情が爆発する。何が何でもミスラを、消し去ってやる!

 その怒りに突き動かされるまま、ミスラに突きつけた左手を思い切り握った。

 重い手ごたえとともに人差し指が何かを引き、かちり、と音がした。


 左腕が跳ね上がる。そして視界を焼くまばゆい光。

 遅れて轟音が耳をつんざいた。


 ――僕の左腕が、火を噴いた。


 ミスラを見る。

 奴の体は、腹の辺りに大穴が空き、皮一枚で上半身と下半身がつながっていた。

 更に体を覆う文字が消し飛び、藍色の髪をした男の顔が露わになっている。


 ミスラが、大量の血を吐いた。

 口元を血に染めた凄まじい形相で、僕をにらみつける。


「ごぼっ! こいつ――イコライザーを!? まずい、意識がッ!」


 頭を抱え、血を撒き散らしながらミスラは叫び続ける。

 僕に向けた憎悪の視線で。

 僕は真正面からそれを受け止める。


「……殺してやるぞ、小僧! お前は必ず俺が殺してやる! ぶっ殺してやるぞォォッ!」


 喚くミスラはなんと、人差し指をこめかみに突っ込んだ。根元まで指が頭に埋まり、血が溢れだしてくる。

 途端、あいつの足元から闇が噴きだしてきて体を覆っていき、球状になった。

 あの闇も、黒い文字で構成されているようだ。

 その黒い球体は小さくなっていき――母さんと同じく、空気に溶けるようにして、消えた。


 体を脱力感が襲う。

 ミスラを撃退した高揚は――ない。

 僕は這いずって、トラの下へ向かった。


「トラ?」


 トラの全身は完全に覆われ、黒い文字列の塊となっている。耳と尻尾の形だけが猫であった面影を残している。

 抱き上げようとした右手はトラの体を通り抜けてしまった。

 猫と同じく文字の塊に変わってしまった左でもう一度。

 柔らかな毛皮の感触と、温かな体温が伝わってきた。


 にゃあお。トラが鳴いた。もぞもぞと体を動かす感触。


 その瞬間、僕の頬を液体が伝う。


 ――トラが、生きていてくれた。


 僕は左手に感じるトラの感触がなくならないことに安堵し、トラへの感謝の涙を流し続けた。






 その後、僕は村を歩き回って人を探した。

 崩れた家。ぐちゃぐちゃに荒らされた畑。


 まず、ヘンリーおじさんの家に行ってみた。

 おじさんの姿はない。シーナもいない。虚獣に『イマジナリー化』されてしまったのだろう。


 僕は全ての家を周った。

 小さな村なので、半日もあれば周りきることが出来た。


 優しく、よくお菓子をくれたアンおばさんは自分の居間で倒れていた。

 首から下が炭化した無残な姿で。


 年上ぶってよく僕をこづいてきた14歳のクレイグは、10歳の弟、マルコをかばうようにして道端に打ち捨てられていた。

 石の杭が2人の腹を一緒に貫いているのを見たとき、僕は吐いた。

 2人の両親は見つからなかった。

 死体がないことに安堵するべきなのか、息子たちと二度と一緒になれないことを悲しく思うべきなのかわからなかった。

 僕は兄弟の所に戻り、2人をつなぎ止める杭を抜いてやった。

 寂しいとマルコが泣くといけないので、後で一緒に土に埋めてやろう。


 薬屋のおじいさんは、腰から下がなかった。

 自分の家から腸を長く引きずり、血を吐きながら這いずって道に出て、それから死んだようだ。

 両手に、傷薬の軟膏をもったまま。

 きっと最後まで村人のことを案じていたのだ。傷を癒そうと必死で外に向かったのだ。

 目を見開いた凄まじい顔だったので、いたわるように優しく目を閉じてあげた。


 後は、誰もいなかった。

 本当に、誰も、誰もいなかった。





 農家から拝借してきたスコップで土を掘る。

 深く、深く、深く。

 手にマメができ、潰れて血が噴き出す。

 左手がスコップをつかめないので、ひどく苦労した。腋や腹、胸など全身を使って掘る。


 ようやく、3つの穴が地面に開いた。

 まず、クレイグとマルコの兄弟を穴に横たえる。


 次に、アンおばさん。気をつけて運んだのだけど、炭化した体は触れるとぼろぼろと崩れてしまった。

 ごめんなさい、ごめんなさいと謝りながら、おばさんを穴に寝かせた。


 最後に、薬屋のおじいさん。

 ずっと薬屋さんと読んでいたので、名前が分からない。

 この人も文字は読めなかった。仮に自分の名前をどこかに記していたとしても、僕が読むことができない。

 名前を呼ぶことが出来ない代わりに、顔を良く見た。

 絶対に忘れない。この人の顔を、絶対に。


 土をかけていく。顔が見えなくなる前に一旦手を止め、みんなにお別れを言った。


 みんなを埋葬し終わると、急に空腹を覚えた。

 おいでと声をかけると、退屈そうに横になっていたトラが立ち上がり、素直についてくる。

 蹴られた後遺症はなさそうで、元気に歩き回っているので僕はほっとした。


 自分の家に戻る。何か食べ物があるはずだ。

 ――後で、そのことを心底後悔することになるとは。


 木のドアを開き、中に入る。

 おかえり、という声が返ってこないことで、もうここには母さんがいない事実を突きつけられ、目に涙が浮かんだ。

 棚に、ジャガイモがあった。

 調理する気力などなく、僕は水がめの水を飲んでから皮ごと生のジャガイモにかじりついた。

 ぼりぼりとジャガイモを咀嚼する。味など感じない。空腹さえ満たされればいい。


 お腹が満たされると、不意に血の匂いを感じた。

 体に染み付いているのか? と思い、腕を嗅いだ。


 ――――違う。この匂いは、僕の部屋からだ。


 ふらりと立ち上がり、部屋に向かう。

 頭のどこかで、やめろ! と引き止める声がする。

 それでも足を止められず、魅入られたように部屋へ。


 ドアを開いた。

 そこは、今朝のまま。僕が起きたときのままの乱れたシーツ。簡素な机。


 ――いや、一つだけ。


 ベッドの奥、窓際との隙間に何かがいる。

 血の匂いをさせる何かが、潜んでいる。


 虚獣だろうか? 僕はトラに身振りで『待て』とやった。

 猫は素直に腰を下ろして座る。


 左手に持つ『何か』を構え、そろりそろりとベッドに近づく。

 後3歩でその姿が見えるというところまで来たところで、僕は一気に駆け寄った。

 そして、ソレを見た。


 うずくまるようにして頭を抱える小柄な何か。

 その背中から、石が生えている。

 ちらりと、丸めた体の隙間から見えるものがあった。


 茶色の、三つ編みにした、女の子の、――髪。


 僕は絶叫しながら家を飛び出した。


「殺す! 殺す! 殺してやるぅぅぅうッ!!」


 きっと彼女は、助けを求めていたのだ。


「僕はお前らを殺す! 一匹残らず!」


 誰に助けを? 決まっている。……僕にだ。


「待っていろ、虚獣どもッ!!」


 シーナは、僕に助けを、求めて。


「必ず、僕がッ!」


 その日、僕は死んだ。

 幼く、頼りなく、甘ったれの僕。

 少年時代の僕だ。


「ブッッ殺して、やるぅぅぅあッ!!」


 死んだ少年の代わりに、復讐鬼が生まれた。


 虚ろな化け物どもを、狩り尽くしてやる。

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