第9話 監獄
「案外たいしたことないじゃない。どんどんいくよ!
お豆を
私の
コーヒーカップが発射される。中から黒い液体が飛び散る。
「シュート!」
ティアラの声。
バリスタの後方から半透明の液体が噴射。虚仮の目が鈍い赤光を放つ。虚仮の目がわずかに閉じて。すっと身を低くする。液体をかわす。
「ほらほらぁ、ローソクが消えたら死ぬんでしょ? 右に左に、まあうまく避けるもんだね」
バリスタの声は弾んでいる。
「
茶トラ猫の仮面の下で、虚仮はぐっと歯を食いしばった。
「大変そうだね」
「同情してくれるんですね。ありがとう」
男にしてはやたら高い声。ゆったりめのズボンにだぼっとしたカーディガン。刀は鞘に収まったまま。全身真っ白なコーディネートだったが、コーヒーに彩られている。
「あんた達、あんた達のせいで。私は、人並みの恋すらできなくなった!」
恋。
小生には経験の、縁のないもの。
「それは自業自得というものじゃないです?」
そして冷笑を
「女子から恋を奪ったら何が残るって言うの?
たった一回でいい。コーヒーがその火を消せればッ。死ぬ」
ゾリゾリ、コーヒーミルは回り、コーヒー豆の香りが立ちこめる。その他にも、コーヒーを溜めるフラスコや、豆の入った袋、やかんなんかがバリスタの背後を
小生を憎む温度だ。
「私とティアラは飲み物に関した
カップはコーヒーを
虚仮は近づかない。近づけない。ただ、ジュースとコーヒーの嵐から身を守るのみ。
虚仮はふと、顔を上げた。向こうで、ローソクの火がかき消えたのだ。
大造じいさんがやられた。逃げられなかったのか。
カッ!
ともかく。
右肩が熱を帯びる。両手を広げ。
「狂気が足りないのです!」
「もしかして何かあるの? ……あったら嫌だから。さっさとやっちゃった方がいいかもしれない。死ね」
虚仮は後退。逃げながら林に入った。コーヒーを撃ちながらバリスタが追う。
二人の姿が見えなくなった。
ティアラは迷った。
あたしが殺されたら、すべて終わり。こうして迷ってる間にも、戦闘は進んでいる。
未練を振り払うようにヤマザキの治療に向かう。
「あ……れ?」
バリスタの目がきゅっと細くなる。
「やっぱり何か変」
バリスタは首をひねる。虚仮は木の陰に隠れた。
「そうだ。ローソクの火の色が白くなった?」
と、虚仮がすぐに現れた。
「わっ! こ、今度は来るの? 虚仮が刀を持ち上げて、振り下ろす」
「
虚仮は歌うように刀を抜いた。
教えてくれてありがとうございます。
「衣」
「刀を跳びすさってよける」
「攻守逆転、か。
でも、そのローソクが筋肉の動きを教えてくれる。おかげで太刀筋が読める。ぜんぶよけてたら体力が持たない。カップで払って、受け流す。
大きなコーヒーカップ。取っ手を握って。小気味いい音をさせ、カップと刀が出会う。刀は勢いを
息つく暇もなく虚仮は太刀を振るう。
「絶え間ない攻撃でコーヒーを撃たせないつもり? 参ったな。
どうにかして、とっておきの、キリマンジャロを」
残る夕食は二人。のはず。
ボクは迷った。
バリスタは、どうやら遠くで戦っている。林の方から金属音が聞こえてくる。
ティアラの口ぶりでは虚仮はすごく強そうだ。
ただ、バリスタは自分が虚仮と戦うからボクは来ないでくれと言っていた。
そして、少々気は進まないが、ハラグチ。
戦ってる気配はない。
……と。
なんだ!?
ボクは駆け出した。
いくら夜目に慣れたとは言え、よく見えない。スピードを緩めつつ、近づいて。
直径3メートルぐらいの銀色の球体が、置いてある。周りを回ってみる。うなり声に右を向くと、異様に大きな洋犬がボクに
「ハラグチ?」
返事はない。
触ってみる。ひんやりして、つるつる。
もしかして。
「痛いっ!」
バリスタの声にボクはよそ見をした。優勢に戦っていたようだったが。
迷ってるひまはない。
距離を取って。
ダッシュ。そして、雪見だいふくのつまようじの
ダメか。でももっかい。
ぴきッ。
かすかに音がした。
ここだな。丹念に叩く。
ガキン!
割れた。
もっと穴を大きく。叩き割る。
「……何しに、来たんだ」
鼻につく声。
中から足が飛び出て、ハラグチが飛び出してきた。声とは裏腹に顔が必死だ。どうやらえげつない負傷もしている。ふらついて、転ぶ。
ハラグチは顔を上げる。腹に響く、重低音の唸り声。ライカのしっぽが高く立っている。
ハラグチは芝生に手をついた。しかし立ち上がれない。スイが前に出た。
ああ、でも。ハラグチは迷った。
ハラグチの唇が開く。声は出ない。
今まで、犬を敵だと思ったことはない。
犬は、友達で、仲間。たまに、子分。
でも今こうして、ボクに牙を剥く。
ぎゅうううっと目をつむる。震える。
ちくしょう!
ライカが飛びかかる。その長い口が迫る。スイはひとまず避けた。すぐにライカは着地後、すぐに襲いかかる。
どこまでよけ続けられるか。
「ああッ! 痛い!」
バリスタの声が暗闇を切り裂いた。
「虚仮に変わった動きはなく、距離があった。でも、今、私は斬られた。そこまで深い傷ではない。よく、よく見なきゃ」
「貴方は愉快な方です。
「なんて朗々とした声。虚仮は刀を持ち上げて」
「夜」
「振るう。対して後方に飛びすさる。空気の裂ける音とともに鋭い切っ先が弧を描き、淡い剣気の残り香が漂ってる」
「
「大きく振りかぶって、大きく振り下ろす。モーションが大きいから避けるのは難しくない」
「神。そうですね」
虚仮も同意する。
「
「後ろに
「
「右に。なるべくギリギリでかわして。痛っ」
バリスタはのけぞった。
「鋭い痛み。虚仮に斬られたんじゃない。何か、他の何かにやられた。……もしかしてここに何か?
コーヒーカップを思い切りぶつける! 音もなく、何かに弾かれる」
そしてバリスタは虚仮をにらんだ。「これは何?」
「そうですね。もう勝負は決しましたから。
「そう簡単には死ねない! 虚仮は一気に間合いを詰める。私は左に……痛い!
また……だ。
私の周りは、次元の境界に囲まれているんだ」
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