第5話 心揺れて

 ティアラは、そう言いながら社会科の参考書をめくる。

「あたしにはね、今しかできないことがたくさんあるの。

 でもね。世間様は人の能力をざっくりと学力ではかる。日本はいまだにこうやって脳に出入力させる力を重要視しているわ。重要なのは知識じゃなく、それを活用する応用力なのに」

 ティアラはこんな感じでよく難しいことを言う。ボクは国語が得意でよく難しい言葉を知ってると言われるけど、ティアラには到底かなわない。週の半分は弁当を持って進学塾に行き、一番レベルの高いクラスで授業。9時過ぎに帰ってくる。


「ねえ。あたし、ストレスが溜まってるの」

ティアラはボクをぎゅっと見つめた。ボクはそれには気づいていないふりをして空を見上げる。

「……うん。こ」

 校門にさしかかった。

「ストレスが溜まってるの!」

 まあ、そりゃあ毎日毎日こんな生活をしていたら少々おかしくもなる。それを耐え抜くような、強い人間がレベルの高い学校に行ってすごい人になるんだろう。


「……やめればいいのに。そんなに大変なら」

「……そういうんじゃないのよ」と、小さくつぶやいてボクの目を見る。そしてつられたように顔を上げた。


「あたしはね、日本の救世主になるの。


 今政府がやってるのは金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政治。政府が新自由主義を推し進め、日本は少数の富裕層と多数の貧困層に分離し始めている。


 日本の閉塞感の全ての元凶は少子化。

 少子化のせいで年金が減って、将来不安、お金が使えなくて貯金に回り消費が落ちて、企業も不況に備え給料増やせないで貯め込んでしまう。景気が悪化する。中小企業に勤める若者には貯金する余力がない。子育て世代が貧乏だからますます少子化が進む。


 悪循環。


 で。少子化を移民で解決しようとした。もう給料が高くない日本に来てくれる移民の質は当てにならない。早晩、治安も悪化する。


 与党は給料を上げろと企業に要求するポーズだけ取って上げずともその内実、許容している。経団連……大企業が支持母体だから。


 多くの国はお金をバカみたいにって好景気を演出してる。新しいバブルよ。いつか弾けるわ。刷ったお金は貧困層に渡らず、富裕層がみーんな吸い上げてしまう。

 日本も迎合してしまった。物価を上げようとしてるけど刷ったお金を資本家のポケットにねじ込んでる。これじゃ得してるのは上級国民だけ。貧困層はおなかいっぱい子供に食べさせることもできない。ついに日本人の身長が低下傾向になったわ。


 公金を株に突っ込んで株価をげても実体経済が伴ってない。うわべだけの景気に過ぎない。株購入は麻薬。簡単に大企業の収支を改善できる。でも、投資家の通帳にその金は吸い込まれていく。日本は25年四半世紀に渡って赤字なの。満身創痍。不正や改竄も増えてるわ。そうして投資家のポケットに金が収まり、環流などしない。昔、馬鹿な経済学者はトリクルダウンなんてことを言ってたけど。金持ちは使っても使い切れないほどの金を保有しているわ。金持ちにとって有利すぎるのよ。リフレ派は。

 大企業と政治家と官僚は手を取り合って上級だけのパラダイスを創設しようとしてる。下級国民のしかばねの上にね。まだまだ人口は減り続ける。

 あたしは、闇で交わされる三者の癒着を断ち切る。


 そのために、あたしは官僚になって、政治家になって、そして総理大臣になって、いずれは世界のリーダーになるわ。


 難しいことはわかっているわ。特に日本は家柄が重要だから。でも、あたしは闘い続ける」


 ほら。意味不明。

 少なくとも、ボクが息をするこの世界には関係のない話だ。それこそ異世界。

「だってさ、あたしの名前、ティアラよ? どんだけキラキラしてるってぇ話よ! こんな名前で、普通の会社で事務してますって、ちょっと収まりが悪いでしょ? 名前負けしてるっていうか」

 ボクは笑った。ティアラはそっぽを向く。

 

「ないさ、そんなこと。 

 ティアラだったら、何をしていても。決まってる、似合うに」


 なあんてね。言った方がいいかな。いや、無理無理無理そんなこっぱずかしい。

「そうだわ、スイ。マッサージの練習をして。そして、毎朝、毎晩、あたしに奉仕するの」

 え? できないよ、それは。とボクは言う、つもりだった。でも。

「わかった」

 ティアラはうなずく。

 ボクはティアラに逆らえない。

 そして一歩校舎に入ると、ティアラはすました顔してバリスタとあいさつを交わす。


「あ、スイくん! おはよう! ……今日もかっこいいなあ」

「おはよう」

「よし、ついてこ」

 バリスタはボクの後ろを歩く。

「ここでいきなりスイ君が振り返ってさ。抱きついて私にキスするの。そしてみんながいるのに私のおっぱいに触って……」

 ……息が苦しい。

 廊下にいる全員がボクとバリスタを凝視している。

 いや、ティアラだけは一人、魔法をはじいたみたい。階段をのぼっている。


 全然知らないクラスの人もボクがスイと言う名前だということを知っている、ということかな。後ろでバリスタはまだモゴモゴ言っている。口をふさいでいるのだろう。ボクは早歩きで。一段飛ばしで階段を上がる。どうしてボクが恥ずかしくなるんだろう。バリスタは走ってついてくる。教室に飛び込む。


「ティアラ」

 またもハラグチはティアラの背後に立つ。

「俺は余命いくばくもない。……時間がないんだ。君だって後悔したくないだろう? おねがいだから俺と付き合ってくれないか」

「ないから」

 ティアラの鉛筆が動き出す。そしてハラグチの足下に便箋がこぼれる。

「ハラグチ君たら、また告ってる」

 バリスタが天真爛漫につぶやく。

「姫様を困らせたくはない。今日はここまでにしておくよ」

 


 六時間目。

 文字と式。のテスト。

 人生で初めて感じる、挫折ざせつ。どちらかと言えば算数は得意なはずだったのに。4年生までは。

 でも待てよ。ボクは九九が苦手だった。どうしても6×8ろくは=42って言っちゃうんだ。もともと算数は苦手なのかもしれない。

 ボクの横にはティアラがいた。ティアラは5分とかからずに問題を終えて理科の問題集を取り出して勉強している。

 遠いなあ。まぶしいなあ。

 違う世界に住んでいる。


 テストの時間だけバリスタは他の教室で問題を解いている。答え言っちゃうからね。

 思えば算数にはいい思い出がない。

 ドリルでバカみたいに筆算の練習をした。……今もしている。これにどんな意味があるのかな。不思議でしょうがない。


 ふと、教室のスピーカーを見上げた。

 バチン。

 ぶぉぉぉん。その向こう――放送室からスイッチを入れる音がした。

「危機管理センターより入電。情報収集衛星が6人ほどの夕食を観測。仙台市泉区に飛来すると推定。よって本件をティアラ騎士団の所管とする。速やかに出撃せよ。繰り返す……」

「先生、行ってきます」

 ティアラが立ち上がる。薔薇先生は寝ぼけた目でティアラを見やる。すると、一斉に最後列の4人も続いた。

「ほら、スイも」

 ティアラがボクの手を取る。ボクは黙って立った。

 

 純菜ちゃん、行ってくるよ。

「やっぱり、スイ君って、スクワイア様だったんだ」

 クラスの女子がひそひそ。

「ふえええええん。もう戦うの嫌だよお」

 廊下にフミョウ君の号泣が響く。


「怖いけど、わたし達が戦わなくちゃね」

 バリスタがつぶやく。

 昇降口を出て、ティアラは振り返った。ティアラを取り囲むように5人のクラスメートが並ぶ。と、ティアラの手にある手提げカバンから透明なつぼが飛び出して、空中にとどまった。表面がつるつるしていてやけに輝く。

「予想到着地点はこっから北西6kmほどだべ」

 壺はしゃべった。

 ティアラは唇を結ぶ。

「早めに現場に行って偵察するわ」まっすぐな目。ボクの目をとらえる。「あたしをおんぶして行って」

 え?

「……いいなあ」

 やっぱりバリスタ。

 

「ティアラさ、あのさあ。……小学生の割におっぱいが大きいじゃないか、君は。おっぱいが当たっちゃうよ、おんぶは」

 ティアラの頬がフルーツPARMパルムみたいに赤くなる。ボクは変なことを言ってしまったことに気づいた。

「わわわ……。スイ君が、おっぱいって言った!」

「スイ、そんな目であたしのこと見てたの? いやらしい……スケベ!」


 恥ずかしくて恥ずかしくて、頭がきゅううううううってなる。

 バリスタは口をふさいで何か言っている。ハラグチ君は薄ら笑い、フミョウ君とヤマザキは真顔のまま直立不動。

「いい? 緊急事態なのよ。夕食が何をしでかすかわからないの」

「マントが広がんなくなりそうだし、おんぶなんてしたら」

「……そっか」

 助かった。女子をおんぶなんて……。

「じゃあ、抱っこしてって」

「えっ!」

 ボクの代わりにバリスタが驚く。


「イクイップ ヘヴィ!」

 ボクは水着マント姿になる。

 まさか正面から抱きつくわけにもいかないよね。どうしよう。

「しがみついて。ボクの体に」

「重いなんて思ったら殺すわよ」

 ……思うだけでもだめなのか。


「ああ。……なんてうらやましい」

 バリスタがため息をつく。

「さ、俺らは車だ」

 ほかのメンバーは校門前に停まった黒いワゴン車に乗り込む。


 ああ、近い。いい匂い。気が狂いそう。唇を痛いぐらい噛んで落ち着かせる。ティアラの手がボクの首に掛かる。ぐっと体が押しつけられる。なんだよこれ。頭がくらくらする。


 ボクは右手でティアラの背中に手を回し、左手でスカートごとティアラのふとももを持ち上げた。いわゆるお姫様だっこだ。参った。おっぱいが当たるよぉ。まあ、軽いわけないですわ。女子って大きいもの。先月、女子にデカいって言ったらやっぱり殺されそうになった。このままじゃ後10分とたずに下ろしてしまう。でも、行かなきゃ。


 ボクはマントを広げる。飛び上がる。すると不思議なことにティアラの体が軽くなった。ボクは大きく口を開いた。いける!

 空におどり上がる。北西へ!


 わっと。

 暴風にあおられて、姿勢が乱れる。ボクは、ずれたティアラのスカートのすそを直す。ティアラの視線を感じる。

 ティアラは、ふっと伸び上がった。顔がボクの顔に近づく。


             あ


 何かやわらかいものがボクの頬をなでた。しばし、ボーゼンとする。

 ああ、止まっちゃダメだ。見下ろす。

 眼下一面が緑色だらけ。だけどところどころに池があったり、砂場が点在する異様な光景。

 ゴルフ場だ。


「アクエリ。夕食の位置は?」

 壺が答える。

「ここらで間違いねえだ」

「合流地点をあそこにしましょう。座標を送って」

 ティアラが見通しのいい道路を指さす。


 やがて車が到着すると、ボクはゆっくりと地面に降り立った。みんな水着姿になる。

「さあて、どこにひそんでいるやら」

「怖いなあ」

「うん……」

「お腹すいたなあ」

「お客はみんな避難したみたい。閑散かんさんとしてる」


「単独行動は禁止。いつ襲撃されるか判らないわ」

「こんなとこ初めてー」

 ゴルフ場にボールを打つやつが転がっている。

 ボクは無事ティアラを運べたことにほっとして全身の力が抜ける。ふわふわする。そして、右のほほに指を当てる。

 ハラグチが夕日を背にこちらを向くと、深呼吸。声を張った。

「聞いたことがある。

 18番ホールには、魔物がんでいるとう」

 便箋を落とす。

「18番ホール……」ティアラは唇を噛む。「行きましょう」


 気がつくと、ボクの手に青い先のとんがった棒と薄緑色のフォークが握られている。前にも使った奴だ。

 ……。どっかで見たことのある武器だな。

 ああ。これpinoに付いてるやつじゃん。こっちは……雪見だいふくに付いてるやつ。



 歩いてみて、ゴルフ場ってやつはいくつもの丘でできていることが解った。のぼったり下ったり足腰に来る。空を飛ぶのも地味に疲れるので徒歩で捜索を続けた。いつ戦闘になるか判らないのでのんびりもできない。



 ボク達はゴルフ場、1~17番ホールを散々彷徨さまよった。

 18番ホールがどうしても見つからない。ティアラがスマホで地図を見ている。

「そうよ。解ってるわ。でも! 10番ホールから西に行ってもいつの間にか他の場所に出ているのよ! 応援は! 来れないの?」

 ティアラがアクエリに向かって怒鳴る。

「あいづらにはあいづらの任務ってもんがあんだ」

「もう、お腹がすいて歩けないおおおおおおお」

 フミョウ君が下を向く。闇夜に浮かぶ細い月が舌なめずりした。


 ゴルフ場の外、様々な建物が灯りを投げかける。でも、ここはほぼ真っ暗だ。不思議なくらい静まりかえって車の音一つない。

「いっぱい休憩しましょう。タネガシマが見張りに立って」

 頭をかきむしり、ティアラがつぶやく。


 必然ファカルティ。それはよくわかんないけど異能の力。

「ボクはできるのかな。それ」

「スイは……Nノーマルカードだから無理ね」

 ティアラはカフェオレ片手にクロワッサンをかじる。こうばしい匂いとバターの香りが漂う。

 Nカード。

 圧倒的な才能の差。

 ボクはトボトボとフミョウ君の前に歩いて行った。

「缶詰を下さい。ボクに」

 フミョウの顔がぱあっと輝く。白桃とパインをいただいた。

「やっぱりさぁ、出来たてのものが人気あるからさあ、缶詰って、こういうときにたべてくれないんだよねぇ」

 よく太った背中が小さく見える。


 と、ハラグチがボクのそばに座り込む。振り返ってちらとティアラを見やる。急に小声になった。

「ところで、君さ、ティアラとどんな関係なんだ?」

 そこにバリスタが口をはさむ。

「ああ、ハラグチティアラちゃんのこと好きだから、気になるんだな。ティアラちゃん、スイ君と距離が近いしね。

 姉弟きょうだいなんだよ」

「ああ、それは知らなかった。安心したよ」ハラグチは立ち上がる。

「肉体関係」

 ハラグチは凍り付いた。くるっとバリスタの顔もこっちを向いて。

「にくたいかんけいってどういう意味? まさか……ね」バリスタはスマホをいじり始め「肉体関係 かっこ隠語かっことじ 性行為を交わした人間同士の間柄あいだがらを意味する俗語……」と、調査を終える。「え? 姉弟きょうだいなのに? え? ああ、ダメ!」バリスタは懸命に唇を閉じる。 

 

 せいこうい……? 

 ボクは、倒れた。

 風が吹き抜ける。木がばさばさ、あざわらう。 

「さ、再開ー!」

 向こうでティアラが呼んでいる。

 ああ、ダメになってる場合じゃない。

 休憩もそこそこに、ボク達はゴルフ場をさまよう。



 それから、バリスタはずっと口を両手でふさいでいた。

「何か足取りが変よ」

 ティアラが言う。

 バリスタは口をふさいだまま首を振った。


 やがて恐怖心にまぎれて、睡魔が襲ってくる。

「今、日付をまたいだよ。まだやるの?」と、フミョウ君。

 ため息をつく。


 ふえええええええええん。

 みんな、フミョウ君を振り返った。

「僕じゃないよお……」

 フミョウ君はぶんぶん首を振る。

「確かに、声が低いかな」

 これは、ティアラは多分高いと言いたいんだと思う。

 ふえええええええええん。

 おっさんじゃない。女の人の声、っぽい。

「あちらから聞こえるな」

「罠だったらどうしよう」

「行くわよ」

 おびえを振り払うようにティアラがつぶやく。


 うわわわわわわわわ~ん。

 うええええええええ~ん。

 闇夜のゴルフ場に響く声。地図にあった18番ホールの正反対、東の方。

「何か白いものが見える」

「四角いね」

「結構、大きい」

 その箱には、白い布が掛けられていて……その白い布はレースで。

天蓋てんがいベッドね」

 と、ティアラ。

 天蓋ベッドとやらにかかった薄い布が月明かりをかして中に人の気配を感じさせる。

「うあ……」

 ボクはうめいた。


「薔薇、先生……」

 薔薇先生が、ふとんの中で寝返りを打っている。

「眠れないよお……」

 と、薔薇先生はなげく。

「先生」

 ティアラが進み出た。レースのカーテンが開く。

「あら? 今日はみんな出撃したはずよね? どうしたの」

 もこもこした布地のワンピース姿。薔薇先生は上半身を起こした。

「夕食が見つからなくて……」

「それにしてもいいところに来たわね。スイ。さあ、いらっしゃい」

 薔薇先生が掛けぶとんを持ち上げ、ボクを手招き。

 バリスタが叫ぶ。

「は? 何言ってるのこの先生? 先生は同じ年の人と付き合えばいいでしょ」

「何それ。私は寝られなくて困ってるからスイ君にやしてもらいたいだけなの!」

「大人なのに。自分のことは自分で解決してよ」

 強気な物言いとは裏腹にバリスタは涙目だ。


「今はここで遊んでいる暇はあるんです」ティアラは足踏みを繰り返し草をさんざんいじめながら口を開く。「普通なことに18番ホールが見つからないのです」

「あっちにあるじゃない」

「それが……」

「行きましょ」

 薔薇先生はベッドを降りた。長い長いはらはらと光をまとって髪は風に遊ぶ。


「そりゃ確かにスイくんはかっこいいよ? おまけに優しいし。でもさ、教師という立場を利用してスイ君を思いのままにするのはおかしい。これって問題なんじゃないの!」

 バリスタちゃんの文句はずっと続いた。

「こんな……こんな! ずっと抱きついてるなんて……うらやましい」

 ボクの体にはぎゅううっと薔薇先生の体が巻き付いている。

「もう、心がはち切れちゃうよ! こんな……言っちゃうんだから。……恥ずかしい。少しは慣れたけど、スイ君には、聞かれちゃうと恥ずかしいの」

 声は湿っている。

「うお……」

 ボクはまたもうめいた。


 初めて見る光景。

「たぶん、ここが18番ホール」

 ハラグチが言う。

「どういうこと?」

 ティアラが薔薇先生に向き直る。


「おそらくね。私のせいなの」

 薔薇先生が進み出る。振り返って。

「私が汲詛きゅうその原因」

「汲詛……」

「最近、眠れなくて。

 ……だって蓮くんさぁ、もう別れようって。

 私、蓮君なしじゃ生きていけないッ!」

 

 ……めんどくさい。ティアラは両目に手を当てる。そして口を開いた。

「これは憶測おくそくに過ぎないのだけれど。たぶん、薔薇先生の感情が爆発して汲詛が起こったんだと思う」

「……ごめんね」

 感情で、そんなことが起こるのか。

 こっちの世界は大変だ。


 ラフ草むらに入り、坂を下る。

 闇の中に、丸い岩がのっそりと現れた。


 岩? 

 ティアラはくちびるを軽くむ。


 バリスタが鼻息荒く早歩きで前に出た。

「スイ君にいいところ見せて、アピールするんだから!」


 どんな顔をしていいかわからない。でも。スイはそっと安堵あんどした。今は人の顔なんてわからないぐらい暗い。思う存分苦笑い。

 きっとバリスタは、嘘をついたことがない。

 突然、バリスタがすすり泣く。

「ああん。スイ君、私のことどう思ってるんだろう。でも、こんなこともしゃべっちゃうから、全部筒抜けなんだよなあ。恥ずかしいなあ。もう死んじゃいたいよ……アッ」

 

 がっ。ざり。ぞり。りぎー……。


 ボクはまぶたに力を入れた。闇にまぎれ、草むらからぬっと大きなものが立ち上がる。バリスタの体が細長いものにつかまれている。

「痛い……」

 細長く、ギザギザしたもの、前足。

 カマキリだ。

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