第4話 今更

「来たッ!」

 みんな一斉に自分の席に着く。スリッポンが不規則な音を立てて近づいてくる。

「あー今日も酔っ払ってる」

 バリスタは歯にきぬ着せない。


「うげええええええええ……」

 廊下からひどい声がする。


「コロナ?」

「まさか。薔薇先生だよ?」

 今日も目が半開き、生まれたての子鹿の足取りで教卓にたどり着く。そして、大きく口を開けると、盛大に未消化の食物を吐き散らした。教室にお酒の香りが立ちこめる。

「あ゛ーぎも゛ぢばるい……ずい。びずもっでぎで」

 うつろな目がボクを追う。ご指名に預かったので仕方なく廊下に出た。水飲み場にやってきたがコップなどあるはずもない。仕方なくそこに飾ってあった花瓶の百合ユリを抜いて、そこに新しい水をんで持って行く。

 我らが薔薇バラ先生はためらわずにぐいっといった。そして、ボクの首に腕を回す。その肌はとても白い。甘いにおいが追っかけてくる。


「スイきゅん……あどね、私、また振られちゃったのぉ゛。なぎゅさめてえ……」

 こっちの世界のボクはずいぶん先生と仲良しのようだ。っておかしいな。昨日初めて会ったはずなのに。おっと。服が汚れるからカンベンして欲しいなあ。……いや、まあ、なんというか。正直に言えば、女の人にこんなくっつかれてボクは。ああ、純菜ちゃんがボクを見ている。不安になる。

「え!? あの、私のスイ君に何してくれてんの?」

「やだ、ごわ゛ーい゛」

 薔薇先生はボクの胸に顔をすり寄せる。長く長いプラチナブロンドの髪がボクを襲う。

「ああもおおおっ。先生だからってぇずるいずるいずるいずるいッ!」

 バリスタは今日も吠える。


 薔薇 アールヴ。北欧人と日本人の混血クォーター、日本人の血は四分の一だとか。

 薔薇先生の授業はほとんど自習だ。昔ボクがいた世界では問題になって無理矢理薔薇先生に授業をさせたが生徒より勉強が解ってなくてみんなあきらめた。


 薔薇先生は隙あらばいつでもボクに抱きつく。・・・フクザツな気分。いや、だって純菜ちゃんにどう思われるか。

 ちょっと。、奇妙なのが。薔薇先生はボクに抱きついてるとき、なんだか悲しそうに見えるんだ。泣いているみたい。



「はい君たちはよくいなくなるからヒマそうなやつね」

 薔薇先生はボク達を強制的に保健係にした。ボク。ティアラ。ハラグチ。バリスタ。フミョウ。

 そして、いつも無口なヤマザキ。

 栗色の髪に茶色の瞳。そして、じっと見ていたらボクの方を向く。ボクは目をそらす。係ごとに分かれて机を並べ、模造紙を広げる。ティアラはサラサラとマジックで活動内容を書く。ほぼ埋まったが、まんなかにぽっかりと空間があいている。


「めあてどうする?」

 ティアラの字はめっちゃ綺麗だ。

「うーん……」

「めんどいなあ。誰か適当にやって欲しいなあ」

 バリスタはいつもホンネが出る。

「OK」

 ティアラの持つ黒マジックが『めあて けがをした人や、病気をした人にとどめをさします』と、書いた。

 背の高い人が机の上に乗って、模造紙が教室の後ろに貼られていくのを、ボクはボーゼンと眺めていた。それを薔薇先生が見上げ、しかしまた机に突っ伏した。4時間目。お腹がすいているのだろう。

 ティアラはまた塾の宿題に取りかかった。

「やべえ。もうケガできない……」

 おびえている人がいる。どうやら仕事が減りそうだ。



 給食を食べ終わるとトイレへ。便器の前でジッパーを下ろすと。ハラグチが入ってきた。

 視線が合う。ぷいっ。

 ハラグチも便器の前に。空気が凍る。ボクたちは今、おちんちんを出して無防備だ。

 

「あははははははははははははははははh!」

 ボクは震えて振り向く。

「うイーひぃひっひ! あはあああああああ!」

 ハラグチは、おしっこしながら体を後ろにそらし、大笑いしている。なんだかとても笑顔だ。

 ボクは怖くなって小走りで教室に戻った。


「よし。スイ君とお話ししよう。ああ。ドキドキする」

 振り返る。バリスタと目が合う。

「いい、かな?」

 バリスタははにかむ。

「……うん」

 

 やっぱり、女子と話すのは慣れない。でも、金髪碧眼へきがんのバリスタだから、そこは少し楽になった。なんでだろ。

「そんな感じなの? いつも」

「私ね、思ってること、ほとんどぜんぶしゃべっちゃうの」

 うすうすわかっていた。


「ああん。もぉ、恥ずかしくて死んじゃう。顔火照ほてっちゃう。ああ、暑い。でも、どうせバレちゃうんだからガツンといっちゃおう!」

 給食を食べ終わって昼休み。校庭ではボールの弾む音がする。ボクはサッカーを諦める。

「あのッスイ君って、つきあってる人いる?」

「いない」

「好きな人は?」

「……いる」

「私……じゃないよね? ああ! これは質問じゃなくてっ、いや聞きたいけど……」

 バリスタは一人、水中おぼれている。

 

 やりにくい。

 なんだか自分がひきょう者になったみたいな気がする。相手の心が読めちゃうなんて。ずっこいよね。


「ガチャで引かれたの? 君も」

「そう。そしてあっちの世界から来たの。そしたら、夕食を倒したとき、きゅうそを起こされたの」

「きゅうそ?」

「こう」

 バリスタはノートを取ってきて、汲詛と書いた。初めて見る漢字。

「この世の摂理せつりがねじ曲がる、呪いみたいなものかな。それで、こんな感じで話すようになっちゃった。こんなこと言ったら、スイ君優しくしてくれないかな。


 私、夢があるの。恋人をつくるの。

 こんな私だから、かないそうもないけど」

 小さくて、大きな夢。


 そして、バリスタは顔をゆがめて笑った。

「ね? 今ね私、どうしようもなくスイ君に夢中なの。ちゅーしたい、ちゅー」

 クラスメートはあやとりだの、お絵かきだの、それぞれの業務をこなしながらバリスタの言葉に耳を傾けている。ああ、純菜ちゃんも。ティアラだけ、勉強に夢中。

 そしてバリスタは、両手で口をふさいだ。バリスタは、たまにこうする。たぶん、どうしても口に出したくないことを言わないようにこうするんだと思う。その手を、引きはがして、何を言うんだか聞いてみたい。でも女の子には触っちゃいけないからしないけど。あれだけ好き放題言っておいてまだ言えないことがあるのかな。

 チャイムが鳴る。



 胸の中に、バリスタがずっと居座っている。変。

 ボクは。ボクには、純菜ちゃんが。

 気がつくと目の前にボクの家。ああ、今日何したかまったく記憶にない。

 家に入るとワンちゃん先輩がお出迎え。毎日大歓迎しっぽちぎれそう。

 

 静かだ。ワンちゃん先輩の爪音だけが響く。


 マダナイがしっぽを立ててペット用ドアから、1階のお父さんの部屋に入っていった。なんとなく、遠慮していたけど、今なら。ボクもドアを開ける。

 猫は普段、爪を引っ込めている。だからワンちゃん先輩と違って物音を立てずに歩ける。

 本棚には面白くなさそうな本が並んでいる。タンスのスーツ、ネクタイ、つまんないな。開きそうにない金庫、どっかに暗証番号書いてないかな。


 見上げる。マダナイは、タンスの上に置かれたダンボールの中にいた。6000万年ほど前から、こうやってひっそり木のうろなんかに隠れながら大きな肉食獣から逃れてきた。

 ボクはそんなマダナイの習性を見て、大昔の猫がどんなに大変な生活をしてきたかを想像する。


 気配を消して、ボクを見下ろしている。だからこそ、君たちは今ここにいるんだね。


「マダナイ」

 彼は目を細める。OK。明かりを消す。

 目がかすかに光って。


 椅子に上がり背伸びをしてマダナイに触れる。ダンボールの中にふわっとしたもの……毛布が敷いてある。死んだボクの父さんは、父さんの、人柄に少し触れたように思った。


 玄関が開く音がした。おっと、あわてて部屋を出る。階段を上がろうとしたところでティアラがボクに気づいた。

「今日ね、ママ遅いんだって」

「ふーん」

「だから、ご飯食べに行こう」


 ちょっと待ってくれ。2人でおでかけなんてまるでデートみたいじゃないか。……ああ、そうだ。ティアラは姉なのか。いや……。

「変じゃない? 子供だけで」

「別に高級料亭や三つ星レストランに行くわけじゃないんだから。スクワイアをえさせるのは嫌だしね」

 


 ボクとティアラは自転車をこぐ。

 午後6時前。太陽がいつ落ちてやろうか不敵に迷う。鶴ヶ谷団地を横目にティアラが先を行く。こんなとこ、人に見られたらどうしよう。なんて気をもむ暇もなくティアラは麺屋くまがい、という店の前で自転車を降りた。


 店の前には行列ができていて、開店と同時に中に吸い込まれていく。店の中の長椅子に腰掛けて大人に交じって順番待ち。

「はい」

 ティアラが濃厚塩鶏そばと書かれた食券をボクに渡す。食券機を見てみると750円。高! 自分で買うのなんてブタメンぐらいだ。十倍以上の値段。


 テーブル席に案内されて、緊張。コップに手を伸ばす。だって正面に、ティアラがいる。

「ねえ」

「うん?」

「スイってさ、ホモなの?」

 隣のテーブルの男の人がブハッと麺を吐き出した。苦しそうにむせる。ティアラはまっすぐボクを眺める。

 周りの客がくいっとボクを眺める。そうなの? と、顔に書いてある。小学生はもちろん高校生もいない。みんな大人だ。

 仮にボクがホモだとして。ホモだったらこんな感じで周りの人が驚くのが当然なんだろうか。ホモってそんなに変なのかな。

「……ち、がう、よ」

「だってさ、あんなに可愛い子に毎日思われてさ、平然としてるの、おかしいじゃない」

 ボクは小さな声で。

「いるんだ……好きな人が」

「ふーん」

 ティアラの視線の先、紫紺の空が狂おしく燃えている。


 ラーメンが届いた。

 うまくいえないけど。スープが濃い。なのにしつこくない。すごいうまみだ。油じゃなくて、何かがスープに溶けている。

「センチメントたるもの、外食の一つもできなくちゃ駄目よ?」

 そういうものなのか。ボクは妙に感心した。

「センチメントって?」

「私はナイト。あなたはスクワイア。そして、そういった感受性を武器に戦う人の総称をみんなひっくるめてセンチメントっていうの」

「夕食も、センチメント?」

 ティアラは大きなまばたきをした。そして、目を伏せる。

「そうね。連中も、きっと多感ね」


「この店は人気店だから」

 スープまで全部飲んじゃう。

「遠慮なく、いい食材を使って、スープを仕込めるわ」

 ふむふむ。

「でも。人気のない店は大変よ。もし客が来なかったら廃棄。だから食材にお金をかけるのが難しい。だからといって食材の品質を落とせばやっぱり客を満足させられない。

 

 ラーメンの濃さも考えどころ。濃いとパンチが出るけど、スープが飲みにくい。後半、飽きてくる。かと言って薄いと客が満足しない。


 で、この店は、ご覧なさい。スープの中に惜しげもなくゴロゴロタマネギが入ってる。スープを残す客はたくさんいるのに。スープを最後まで飲む客はこのネギを食べ中和しながらスープを飲むことができる。

 スープを飲むと塩分摂り過ぎ、でも野菜を食べていることで罪滅つみほろぼしにもなっている」

 ティアラはいろいろなことを考えるんだなあ。ボクはうまけりゃどうでもいいけど。

 


 家に戻りワンちゃん先輩の散歩を済ませると、久しぶりにホモビデオを観たくなってスマホをタップ。いや、違うんだってやっぱりボクはホモじゃない。

 ホモビは面白い。


 ただ黙ってホモセックスするんじゃなくて、ビデオの監督は出演者に場を盛り上げるような、観る人が興奮するようなことを言わせる。


「ぷももえんぐえげぎぉんもえちょっちょっちゃっさっ!」

 演技下手すぎ。噛みまくってるのに撮り直しもしない。無茶苦茶突かれながら意識あやふやで余裕がなくてアドリブがひどすぎて支離滅裂。レイプされてるのに笑ってる。スタッフの影が映り込んでいる。カメラのシャッター音まで聞こえる。

 でもさ、不思議だよね。男女のセックスは削除されるのに、ホモビはこうして観れる状態にある。


 きっと、ホモビはコメディなんだ。ボクはこうしてゲラゲラ笑うおかずとして使っている。でも、ホモの人からしたら、違うんだろうか。


「……スイ? スイ?」

 顔がこわばる。振り返る。

 母さんだ。

 体の力が抜ける。ティアラじゃなくてよかった。こっちの母さんはノックもせずにドアを開けるのか。

「何?」

「おみやげ買ってきたけど、食べる?」

「いらない。おなかいっぱい」

 まどろみ、ベッドに飛び込む。

 こっちの世界に来て、良かった。んだよね。

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