第3話 ボクは王子ではない。そりゃまあ、少し、なりたいけど。

 お風呂から上がった。

 真っ裸で鏡の前に仁王立ち。

 うう~ん……自分で自分にドキッとしちまうよ。


 ボクは体を横に振る。腰を回すように意識して。するとおちんちんが遠心力……いや神の手によって引っ張られる。くるくる回る。くらくらする。

 フォーーーーー! foooooooo!

 ボクは叫ぶ。


 ガガガガガ……。

 !?

 ボクの背後、ドアが開いた。ティアラだ。

 ここで急に動きを止めたらボクはティアラに驚いたことを認めてしまう。ボクは回転を続けた。


 ガガガガガ……。

 ティアラは唇を結んだままドアを閉めた。 

 階段を上がっていく音が聞こえる。

 そのカビパンを見るような目が、ボクの裸にこびりつく。急いで服を着て、部屋に戻った。物音を立てないようにして、ひっそり過ごす。

 そうしていると、隣の部屋からティアラの息づかいが聞こえてきて、なんだかドキドキしながらベッドに横になる。



 嫌でも朝は来る。ボクは家を出る。 

 アスファルトに穴が空いたと思うと、中から毛むくじゃらの生き物が姿を現した。もぐらかな? こっちのもぐらはずいぶんときがいい。


 玄関を出てきたティアラは……笑顔だった。

 ボクは気味が悪くなった。てっきり昨日の変態行為について説教されると思っていた。でもティアラは楽しそうに通学路を行く。


「はい、これが私達の学校よ」

 知ってた。

 赤茶けたレンガに校名のプレート。仙台市立南光台小学校。

「一緒のクラス? ティアラは」

「そうみたいね。ここで待ってて」

 ティアラは職員室に入っていく。じきにティアラが出てきて教室に向かう。次に担任が出てきた。担任までおんなじ。うながされてついていく。

「♩ああ、君がもう少し早く生まれていたらなあ。♪……条例が憎いわ」

 薔薇先生はボクを見つめる。薔薇先生はいつも歌うように話す。その瞳は赤みを帯びて。色の薄い口が開くと、やっぱりお酒のにおいがする。その背後に、薔薇先生を取り囲むようにラベンダーの花が満開キラキラ咲きほこる。

「♪きれいな花になりなさ~い」


 階段を上がって、6-2。ここも、同じ。


 呼吸を忘れる。


 純菜あやなちゃん。

 ……良かった。


「♩ほい、転入生だ~」

 薔薇先生がボクの名前を黒板に書く。そしてボクをうながした。

四十九院ツルシイン スイです。よろしく」


「また、会ったね」

 その女子はつぶやく。あ、彼女の背後にきらびやかな真紅のカーネーションの湖が広がっている。

「私の、運命の人」

 彼女の目が突き刺さる。

「私の、彼氏になる人」

 いや、それは困る。薔薇先生が一番後ろの席を指さして。そこにひまわりが生けられた花瓶が置いてある。花瓶を、三つ編みの女の子が廊下に持って行く。

「𝅘𝅥𝅯じゃあそこの空いてるとこに座って」 

 困るから、気にしないで座る。でも、そっと純菜ちゃんの横顔を盗み見て。


 朝の会が終わる。と、すぐにベランダに出た男子がいる。昨日、重そうな鍋を抱えてた奴だ。手すりに飛び乗った。ボクはあわててベランダに出る。

「危ないよ!」

「そう!」奴は微笑して。「なにか、こう……ヒリヒリしてたいんだよ」

 嫌な奴だけど、こんなところで死なれるのはちょっと。

「カレーパンマン。……カレーをくれよ」

 カレーパンマンかあ。うーん。

 だって脇役じゃん。口がぐんにゃぐにゃだし。せっかく異世界転生したなら、主役になりたいじゃない? そう――


 ヒーローにさ!


「ほら、この前召喚されたスクワイアだよ」

「やっぱそうだよね。……狙っちゃおっかなあ」

 振り返る。ぷいっと女子はそっぽを向いた。

 教室を見回す。教室の後ろの方はめまいがしそうな変な人ばっか。ヒヨコのきぐるみを着込んだ人。でも顔だけ出ててその人はどう見ても小学生に見えないおっさん。全身鎧を着込んだ顔も見えない人。真っ黒なヤギがうろうろ、真っ白なヤギがうろうろ。すげえ肉のにおいがする。あれ? じゃあ誰がいなくなったんだろう。クラスメートを眺めながら思いだそうとしたけど、誰一人思い出せない。変なの。


「カレーパンマンはケチだよなあ。アンパンマンはあんなに自己犠牲の精神でたくさんの動物たちを救っているのにさ!」

 と、また便箋びんせんがぺらりと床に落ちる。

 そんなことを言われるとなんだか少しはカレーパンマンをかばいたくもなってくる。ほらだってしょくぱんまんだって顔を食べさせたりしてない。なのにカレーパンマンばかりめられるのは。

「ハラグチ、今日は?」

 と、ティアラがく。

「3パーもないはず」

 戦闘に鉄鍋を使っていた奴……ハラグチは、いつのまにかティアラの背後に立っている。呼吸が荒い。どうやらティアラのにおいをいでいる。うれしそうだ。


「せんせーい、ヤギにプリント食べられたぁ」

 見るとヤギがモグモグやっている。薔薇先生も慣れたものでその度に予備のプリントが渡される。


「どうして、僕は。こんなところに……」

 きぐるみのおっさん……おじさん? が、ぼやいている。ああ、昨日見かけた人達、みんな最後列に勢揃い。

「ああ! もお! やだあ!」いすの音。おっさんが立ち上がる。

「フミョウ! 静かにしろやあ!」

 薔薇先生が眠りこけながらどなる。

 フミョウ君はすすり泣いて座り込んだ。



「これっぽっちじゃあ、おなかがすいちゃうよお……」

 給食。フミョウ君はぼやく。そのふとっちょ……ましゅまろぼでぃには小学生の量では足りないのかもしれない。


 こんなとき、ボクがアンパンマンだったなら。

 ……あれって、顔をちぎるとき、痛くないのかな。

「食べれば」

 後ろからにゅっと手が伸びて、あんぱんを皿に乗せる。ポニーテールの黒髪がゆらゆら。無表情にすっと下がって自分の席に戻る。確か、昨日の戦闘にもいたと思う。 

 この女子はさっき、理科室で薔薇先生にヤマザキと呼ばれてた。

「ほっかほかだあ! ふええええん! 舌をやけどしちゃうよぉ」

「うわあ、ハゲてるなあ。じゃあ、私からはこれをあげるね。アイスにしたよ」

 おしゃべり女子がグラスを机に置く。

 今度はコーヒー。氷が入っている。フミョウ君はすすり泣いている。まあ、確かにがっつりハゲてるけど。

「ふえええん。苦いよお」

 ボクは牛乳をコーヒーに入れてあげた。振り返ってく。

「どっから持ってきたの? あんぱんとかコーヒーなんて」

 今朝からずっとしゃべってる女子が答える。この子が言うには、ボクは彼氏になるらしい。

「ああ、優しいんだね。……ますますれちゃうよ。わたしの、ファカルティfacultyで出したの。必然とも言うね」

「ファカルティ……」

「あん! わたしってば思ってることぜぇーんぶしゃべっちゃうから、スイ君のこと好きだってこと、バレちゃうよねえ。わたしは、バリスタ。これからよろしくね!」

 バリスタはほほを真っ赤にして。右手を差し出す。教室みんな、ボクたちを見ている。ああ、純菜ちゃん 。

「……うん」

 おずおずと、右手で握る。バリスタは口のを上げた。

 

「先生、フミョウばっかずるいよ!」

「フミョウはオトナコドモだからいいの」

 薔薇先生は答えた。フミョウ君はほっぺにあずきをつけてにっこにこだ。


 次の授業は体育。

 バリスタはバスケしながらずっとしゃべっていた。困ったことに「よし! 佐々木君がフリーだ!」とかしゃべるものだからプレーが筒抜け。おまけにバリスタはボクがボールを持ってもディフェンスに来ない。ボクのチームはさんざん点を取った。


 授業中も休み時間もテストんときも、ずうぅっとしゃべりっぱなし。

 その半分以上はボクへのほめ言葉だった。それ以外にもドキっとするようなことを色々しゃべる。

「ああ。スズキ君て、やっぱティアラちゃんのこと、好きなんだなあ」

 突然、スズキ君は立ち上がったかと思うと黙って教室を出て行く。薔薇先生はちらっとそれを見るが構わず授業を続ける。ティアラは淡々たんたんと塾の宿題をこなしている。

 スズキは、確かお父さんが東京に働きに出ている。冬、景気が落ち込み、加えてコロナウィルスで客足が遠のき、南光台でやっていた小料理屋がつぶれた。スズキ、よく店を手伝っていた。美味しい魚料理をごちそうになったことをよくおぼえている。

「ああ! またやっちゃったー!」

 バリスタは机に突っした。


 異世界なのに、見慣れた景色。児童館にでも行こうかな。ビッグにでも寄ってアイスを買おうか。

 いや。


 人影がない。絵にならない校舎裏。

「イクイップ ヘヴィ!」


 黄色のマントが風にひるがえる。

 ボクは強く地面を蹴った。

 

 大空はボクのものだ。どこまでも行けるだろう。開けた世界に息が苦しくなる。

 風がごうごう言いながら耳を舐めまわす。みるみるうちに地上が遠くなっていくのがわかった。でも、下は見ない。見たくない。


 アンパンマンは愛と勇気だけが友達だそうだ。

 ……まあ、人付き合いがメンドウに感じるヒーローなんだろう。そういえばカレーパンマンもしょくぱんまんもそういうのは得意ではなさそうだ。……ボクもだけど!


 SNS、昔は結構やってた。

 けど、きりがない。永遠に時間を吸われてる感じがして、引退した。

 便利だけどさ。やっぱ会って話した方がいいって言うか。

 

 どこまでもいけそう。だけど少々冷えてきた。でも、もう少し。

 時々、目の前がぼやけた。体に水滴がついて、震える。雲を突っ切っているのだろう。雲を見下ろす。すげえ違和感。


 黒い点にしか見えなかったそれは、長方形の板になり、やがて花が咲き乱れる庭園を並べた中央に構えたお屋敷やしきを認めた。

 むこうにも、空に漂う家々を確認できた。これが浮遊層の住まいなのだろう。けっこうな高さにある。巨大な板のふちに高い壁をめぐらせ、その中に居住空間を設けてあった。


 今日の音楽の時間、勇気一つを友にしてという歌を合唱した。

 そういえば。ボクはいつまで飛べるんだろう。トウトツにそんなことを考え出すと、身震いした。イカロスみたいにちるかもしれない。怖くなって、ボクは物かげを選んで中に敷き詰められた芝生に降りた。

 イカロスも、友達少ないタイプかい?


 夏に燃える木々の緑はあきれるぐらい鮮やかで、ボクを少し落ち込ませる。


 植え込みから物音がした。うなり声。真っ白な毛に覆われた、とても大きな、犬。

 ロシア産のサモエドだ。

 ボクは亀のように丸くなった。できるだけ体を小さく見せる。サモエドはハアハアいいながら、太い足が芝を踏みつける気配が近づく。


 敵意がないことを示す。噛まれにくいように体を丸くする。これで正解かどうかは知らない。

 そして、ゆっくりと顔を上げる。サモエドはつぶらな瞳で不思議そうにボクを見下ろしていた。ボクはそっと手を伸ばす。

「捕まえた」

「わたしもー」

 ?

 振り返ると真っ白なワンピースに身を包んだ、女の子がボクの背中に抱きついていた。

「な……」

 わたしも……捕まえた? ああ、そうだ。ボクは不法侵入をしでかしたんだ。


 ……やっちまった。どうしよう。


「ずっと! 待ってたの! 王子様!」

 ???

 ボクはブーメラン型の水着一枚にマントという威風堂々としたで立ち。タキシードとはいかないまでも、こんな格好、通報されても仕方ない。

 これが王子様だって?

「白馬はどこ?」

 真っ白い大きな犬がボクを襲う。背中には女の子でサンドイッチ状態。サモエドはボクの顔をベロンベロン舐めた。

「誰? キミは」

「わたしは」女の子はボクから手を離した。正直、そのぬくもりが名残なごり惜しい。「わたしはフィヨル。生まれたときからずっとここに閉じ込められてるの。でもね! 今、王子様が助けに来てくれたの! わたしの王子様」

 こんな王子がいてたまるか。

「あと。かぶとをかぶってるの。どうして?」

 フィヨルはすっと空を見上げた。フィヨルの頭には無骨ぶこつな鉄兜がっている。兜の両脇からツインテールが風になびく。フィヨルはこんなに寒いのに汗をかいていた。小さな手のハンカチで顔を拭く。

「命を……狙われてるの!」

 フィヨルはおなかをかかえて体を震わせながら笑った。色とりどりの花々が咲き乱れ、ミツバチが行き交う。ソプラノの声が庭園に舞い踊る。ちょうちょがフィヨルにドン引きしてどこかに隠れてしまった。


 フィヨルは目に涙をいっぱいめてボクから手を離した。フィヨルと向き合う。甘い匂い。あれ? どうしたんだろう。ボクは頭をかかえる。

「胸がドキドキする。息が苦しい」

「ここは、標高4000メートル。高山病じゃない?」

 ……恋かと思った。

 いやいやいけないいけない。荒く息をつく。ボクには純菜ちゃんがいる!

 

 ボクは真っ白な太陽を薄目でのぞいた。

 イカロスはろうの羽根だったからちてしまった。ボクのはけはしないだろうけど、こんな有様じゃあとても宇宙を越えられそうにない。

 あ……れ? 

 何か、なんだろう。何か忘れている。

 

「わたし、ここにいるのきちゃった」

「学校は?」

「家庭教師が毎日来るの」

 フィヨルはぐいぐい来る。ボクとの距離は10cmもない。

「ねえ、わたしをここから連れ出して、王子様!」


 これって、現実?

 異世界って、現実なのか? ……今のボクにとってはすでに現実か。

「フィヨル様? どこにおられるのですか?」

 屋敷の方から女の人の声がする。フィヨルはぴくんと震える。そしてボクをじいぃっと見つめた。そんなに見られたら、照れる。目をそらした。

「時間がないの。今すぐに……」

「ゴメン!」

 ボクはジャンプした。飛び立つ。

「また! 来てね! 王子様!」

 ボクは庭を飛び出て、体の力を抜いた。

 まもなく、ボクの体は地球の質量おもさにぎゅっと握りしめられ、ボクのすみかに吸われる。

 目をつむった。


 目を開けるともう地上間近だった。慌ててマントを広げる。

 眼下には、仙台駅が見えた。

 あれ、こうやって飛んでる所って人に見られていいのかな。

 ボクは不安になって人影のない藤崎デパートの屋上に降りた。神社の陰で息をひそめる。

 そうそう。ティアラに教えてもらった言葉。

「リバート ミー!」

 ボクは元の格好に戻った。何食わぬ顔して神社の参拝客を待ってそこにまぎれ、青葉通りに降りる。


 人波を眺めながら仙台駅西口へ。

 変わらないものがあればまったく元の世界と違うものもある。


 仙台名所、高架歩道ペデストリアンデッキとかいうチョコレートアイス色した通路に上がった。なんだか人がたくさん。アーケードのそばに大きな車が停まっていて、その上に乗った男が黒い紋付きはかまに下駄でマイクを手に演説をしている。

 国粋鷹党、と描かれた旗がひるがえる。

「我が党の結成は江戸時代に興った政治結社までさかのぼり、党名こそ変われども以後300年間連綿と日のもとを支えて参りました。これからも我が党は……」

 ボクは階段を上る。


 新幹線乗り場へ続く階段の隣でセーラー服の女子が男の子に白いビニール袋を渡す。小さな男の子が大好きなアイスを口にした時の笑顔で走り出した。その危なっかしい足取りにボクの足がぐらつく。


 あ、れ?


 さっきの中学生、灰皿を持ってた。

 そして、そこがやけに光っていた。

 タバコに火がいていたのかな。いけないんだ。


 そうさボクは、正義のヒーロー。

 ボクはきびすを返すと、中学生を追いかけた。

「下さい、ちょっと待って」

「何?」

 ボクは女子が右手に持った灰皿を掴んで持ち上げた。その手から、ひっそりと燃えるローソクが生えていた。

「見ちゃったね!」

 前髪パッツン、女は笑みをもらした。そしてさっと背を向け、駆けていく。なんかヘンなにおいがした。

 どうしよう。

 女の背中が人波に沈んでいく。



 どのくらい、そうしていただろう。

 ボクは空腹を覚え、帰ることにした。南光台というところは電車で行くには不便な所だ。だからまた空を飛ぼう。


「すみません。体の、調子が……」

「おなかいたい……」

「うぼぁ゛ああああ。げぼあぼあぼあぼあぼろっ……」

 変な声が聞こえる。ボクは仙台駅構内をのぞいた。

 たくさんの人が体をくの字に折り曲げ、倒れ、うめいている。くさい。吐いたり漏らしたりしている人がいる。立ち尽くしているとガスマスクみたいなのを付けた男がボクに出て行けと指さす。

「立ち入り禁止! 今すぐここを離れなさい!」

「あったんですか? 何が」

「わからない。いいから! ほら! 早く!」

 ボクは仕方なくその場を離れ、また藤崎の屋上から飛び上がる。サイレンの音が耳にこびりついて。



「おぉそおいぃ!」

 ティアラの声がする。ボクは庭に降り立った。

 ティアラ?

 

 いない。

 けど。うちの玄関前に、自動販売機が横を向いているのが目についた。通れないじゃないか。

 自販機の正面に回る。つめた~い あたたか~い ~はなんだろう。

 つめたい。あたたかい。よりも、やわらかい表現になるのかな。

 ボクはボタンを押してみる。

「エッチ」

 自販機がしゃべった。ティアラの声で。

 自販機の中。ジュースの向こうにティアラがいる。よくよく見ると自販機左右から両手が突き出ている。

 エッチって。自販機に触ってダメなところがあるっていうのか?

 自販機が輝く。強烈な光。目をつむる。

 自販機はどこへやら。ティアラは元の姿で平然とたたずんでいた。玄関を開ける。


「ティアラ。役割は? 君とボクの」

「夕食の殲滅せんめつ

 体の奥がずううんと重い。


「人に見られていいの? ボクが空を飛ぶ所って」

「厳密に言えば見られない方がいいわ」

 ボクは空を飛んでもいい人らしい。 


 居間のテレビではつまらないニュース。日本レフトウィングという党が融和とか人権とか言って怒っている。ボクはチャンネルを変えた。

「あッ……」


 仙台駅。

「……入り口のシャッターは閉められ、中をうかがい知ることはできません。駅周辺は大パニックになっており、交通がマヒ。バス乗り場には長い行列ができています。これから、帰宅する人々が増えると予想されます。現場は陸上自衛隊、特殊防護隊が……」

 テレビ右上に『またも夕食のテロ! 仙台駅に生物兵器散布!?』とテロップが出ている。


 顔に白い布を掛けられた人々がたくさん、床に並んでいる。

 ……あ。

 嘘。でも、間違いない。


 ビニール袋を持ってった男の子のなきがら。

 

 ボクはぐったりしてソファーに座った。ワンちゃん先輩がしっぽふりふりボクの手をなめる。ボクは何かにすがりたくなってワンちゃん先輩を抱きしめる。

 自分をしたう犬と猫のいる生活。それは幸福を約束する。


 犬と猫を飼ったことのない人は犬は猫に噛みつこうとしているとか、BSプレミアムでやってるトムとジェリーみたいに仲が悪いと思ってるかもしれないが、案外そんなことはない。

 たいてい、二匹は色々な関係を築く。


 ワンちゃん先輩を抱っこする。ワンちゃん先輩はボクが抱っこしたいんだなと察してされるがままにじっとしている。


 マダナイを抱っこする。するとマダナイはボクの腕から脱出しようとする。「お前の思うがままにはならない」とでも言っているかのようだ。気位きぐらいが高い。

 「離せ」と鳴くわけでもなく、ただ黙って身をよじる。それがちょっと嫌だった。「自分のことは自分で処理する。お前に『離せ』なんて言わない」って、言ってるみたいで。


 つまりボクは、マダナイにワンちゃん先輩みたいに服従してほしいんだと思う。上に立ちたいのだ。でもほとんどの猫はドライだ。デレデレしてくれない。


 犬は本来、群れで生活する。ボクと違って犬は集団生活に適した性質をしている。上下関係を守ろうとする。

 猫は犬に対して対等以上の関係でいようとする。大抵、猫が上位に立つ。飼い主に対してさえ、そうだ。


 でも、たまに見せる愛情のかけらみたいなものが、ボクにとってはいとおしい。いわゆるツンデレってやつ。



 ワンちゃん先輩はずぅっとじっとしたまま、ボクにされるがままになっていた。マダナイはソファーの上でゴロリと横になる。ボクはワンちゃん先輩を床に降ろすとマダナイの体をなでる。マダナイはそれには抵抗しない。どこを触ろうがされるがままだ。


 少し、落ち着いた。階段を上がる。

 ノック。

「どうぞ」

 ティアラの部屋。

 ぱっと目に付いたのは壁一面を覆ったモニターだ。ざっと数えて12台。それら全部でグラフやら表やらが蠢いている。

 きっとこれは株、って奴だ。


 モニターの下に机があってそこでティアラは、今日も勉強している。明日も塾だ。

「仙台駅で事件があったよ。今日さ」

「さっきニュースで観たわ」

 ティアラはボクをチラ見して、やはり問題集に目を落とす。その問題が何を意味しているのか理解不能。ティアラがどこか遠い世界の生物みたいに思える。


「何?」

 ボクはティアラの肩に手を触れた。……無意識に。

 ティアラはボクを見つめる。

「ない。何でも」


 ボクの鼻がクウクウ鳴った。

 ボクは、たぶんティアラに心配して欲しかった。


「大丈夫かな? 少し現場に近づいたんだけど、ボク」

「大丈夫。あなたはスクワイアになったのよ。そこらのウィルスにかかることはないわ。体の周囲に凝集するフォンスパイエラが殺菌してるはず」

 ボクは下を向いて。「そこで夕食を見たよ。中学生ぐらいの」

 ティアラの椅子がくるり、こちらを向く。瞳孔どうこうがぶわっと広がり、やがて鎮火する。


「解ったでしょ? 奴らの卑劣さが」

「うん」

「ためらわないで。今度は、殺すのよ。それはあなたの義務」


 ボクは指さして。

「誰の部屋? そっちの部屋って」

 キュイッ。いすが回転。ティアラは壁を見つめる。

「気にしちゃ駄目。絶対に開けないで」


 ううん……。鶴の恩返しみたい。

 

 その日、ほとんど夕食を食べられなかった。でも、夜の10時になるとやっぱりお腹がすいた。なんだかくたびれた。ひどく眠い。空を飛ぶのは楽じゃない。

 ワンちゃん先輩にまとわりつかれながら冷凍庫をのぞく。ハーゲンダッツのバニラを見つけた。

「ねえ、食べていい? これ」

「食べていいって、アンタが後生ごしょう大事に取っておいたやつでしょ」

 と、母さん。

 そか。昔のボクには悪いがいただくぜ。食卓で、スプーンをハーゲンダッツに突き刺す。

 こっちの世界でも、おいしい。

 ふと、昔youtubeで聞いた『アイスクリームのうた』を思い出した。

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