承、灰と塵
あの日から、世界は変わった。俺の住む町だけでなく、邪心皇帝の軍勢は至るところに現れ、世界を大混乱に陥れた。人類を襲う影達には、通常の兵器は一切通用せず、人間達はただ狩られる一方だった。
しかし、希望もあった。転生天使達だ。影の軍勢の出現に呼応するように、世界中に何人もの転生天使が現れ、これと戦い始めたのだ。
「ご覧ください! 可憐でありながらも頼もしいこの勇姿! 今日もまた、天使リンカネルが我々の平和を……」
テレビ画面に、次々と影を打ち払う彼女の姿が映し出される。転生天使の中でも最強とうたわれ、連日のようにその活躍をニュースで取り上げられているのが、リンカネルだった。世間は彼女を、英雄だ救世主だともてはやした。
前世の記憶と秘められた力に目覚め、人類を守るため、巨悪相手に果敢に立ち向かう。もし、この世界が物語だとすれば、彼女は間違いなくその主人公であり、ヒロインだろう。
それに比べて俺は、なんなんだろう。……モブ、凡人、その他大勢。……俺には、何もない。前世の記憶も、秘められた力も、崇高な使命も、何ひとつ。
テレビを消し、家を出る。世界は滅茶苦茶になってはいるが、それで日常が消えるわけではない。自棄になって、犯罪や自殺に走る人間もいたりはするが、ほとんどの人はかつての暮らしをそのまま続けていた。邪心の軍勢は神出鬼没で、いつどこに現れるかはわからない。そして、もし目の前にやつらが現れても、人間にはどうすることもできない。ただ、一刻も早く転生天使が助けに来てくれるのを祈るのみだ。そうなると、結局対策も何もありはしないのだ。
逃げる。どこへ? やつらはどこにでも現れる。逃げ場なんてどこにもない。
身を守る。どうやって? やつらには銃どころか大砲もミサイルも効かない。身を守る手段なんてない。
結果として、人々には日常を続ける以外の選択肢はなかったのだ。いつ来るかわからない襲撃に怯えながら、上辺だけの日常を、ただ、続けていた。
お隣の六道家をぼんやりと見上げる。家のカーテンはすべて閉じられ、ひっそりと静まり返っていた。あの日以来、凛奈はここには帰ってきていない。おじさんやおばさん……凛奈の家族は、親戚を頼ってこの町から出ていってしまった。
いつまでもここでこうしていても仕方がない。俺は学校への道を歩き始めた。
いつもの癖で隣を見ても、凛奈はいない。空席が目立つようになった教室で、授業を受ける。意味がないとわかっていても、別の町へと避難する人間は少なくはなかった。この町は最初に邪心皇帝が現れた場所でもあるわけだから、気持ちはわからないでもない。それに噂ではあるが、人の多い都市部のほうがやつらが現れる可能性が高いから、田舎へ逃げたほうがいい、なんて話もあった。
そしてもちろん、やつらの犠牲になった人間も何人もいた。最初の襲撃で、数え切れないほどの住民が命を落としたのだ。
ふと、矢幡のことを思い出す。凛奈は、いや、リンカネルは、矢幡だったもの――あの邪心兵を、何の躊躇もなく消し飛ばした。決して、仲良くはなかった。どころか、凛奈からすれば鬱陶しい存在だったかもしれない。……でも、でもクラスメイトだった。顔を、名前を知っている人間を、必要だから、仕方ないからと、簡単に消すことができる。それが、転生天使なのか。
あいつは変人だった。いい歳して中二病で、いつも何を言っているかわからなかった。でも、悪人じゃなかった。冷血でもなかった。突飛な行動をしても、人を傷つけるようなことはしなかった。動物や小さな子供に優しかった。あいつはちょっと変わってるだけで、実際は普通の女の子なんだって、俺は、そう、思ってたんだ……。
上の空のまま授業を終え、帰路につく。あの日から、太陽が顔を見せる日は少なくなり、天気予報はほとんどが曇りへと変わった。灰色だ。この町も、この世界の行く末も、そして、俺の過ごす毎日も。
毎日に、意味が、ない。俺は、何をすればいい? どこへ行けばいいんだ? 俺は、一体……。
「きゃああぁ!!」
突然、悲鳴が聞こえてきた。顔を上げると、道行く人々がそろって空を指差している。つられて空を見上げると、そこには、見覚えのある、黒。
「やつらが……やつらが来やがった!」
一人が叫ぶ。みるみるうちに黒色が空に広がり、次々とやつらが地上へ降りてくる。――邪影の群れだ。
皆我先にと逃げ出した。ぼーっとしてる場合じゃない。俺もさっさと逃げなければ!
「いやああぁぁ!!」
「助けてくれえ!」
逃げ遅れた人が次々と影に呑まれ、灰へ変えられていく。先ほどまでの平穏は仮初のものだったということを、改めて思い知らされる。
「ぐ、え、ゲェェェ!!」
背後から、寒気を覚える異様な叫び声――邪心兵!
影に呑まれると多くの人間は灰になって消えてしまうが、時折邪心兵へと変わってしまう者もいた。そして、その危険性は邪影以上だ。辺りはますます混乱の度合いを増していく。
「ギィィィ!」
「く、そっ……! なんで、こっちに……!」
どうやら、邪心兵に目をつけられてしまったらしい。邪心兵の体は人間よりも一回り二回りほどは大きい。ならばと細い路地や障害物の多い道を選んで逃げるが、邪心兵は進行方向にあるものを薙ぎ倒しながら猛然と追ってくる。必死に足を動かすが、とても逃げ切れそうもない。
「グルルァ!!」
「はっ……! はっ……!」
徐々に、相手との距離が狭まってくる。もう、足が……!
「灼光!!」
突如飛来した強烈な閃光が、俺を捕えようとしていた邪心兵の腕を消し飛ばした。
「リン、カネル……」
光り輝く純白の天使が、舞い降りた。
「天輪剣!」
腕を失いたじろぐ邪心兵の胸に、光の剣を突き立てる。
「
突き刺さった刃から爆発的な光が溢れ出し、邪心兵を内から焼き尽くした。
気がつけば、辺りに溢れ返っていた影達は既に姿を消している。リンカネルがたった一人であれを蹴散らしたのか……。
「今ので、最後のようだな……」
「待ってくれ、凛奈!」
声をかけずにはいられなかった。何を話すべきか、話しかけてどうするかなんて、頭の中には何もない、それでも。
隣に凛奈がいないことが、こんなにも辛くて寂しいってことを、俺は知らなかった。なんでもいい。なんでもいいから、とにかく凛奈と……。
「……どこかで見た子羊だな。悪いがかまっている暇はない。未だ生命の樹のざわめきは消えていないのだ」
「え……」
どこかで、見た。
「お、俺だよ、凛奈……。甲斐だ……村田、甲斐……」
「……聞いていなかったのか。邪魔だ。失せるがいい」
凍てつくような、冷たい視線。それは、人間を見る目じゃない。まるで……。
「リンカネル様!」
空からもう一人、天使が降りてくる。リンカネルと同じ白い衣装に、短く切りそろえられた金の髪。日本人離れした美しい顔立ちの少年の天使だ。
「遅いぞ! ルプエル!」
「もうしわけありません! しかし、上空からも次々と邪影共が湧いてきて私一人ではとても……」
「泣き言を漏らすな! まったく、そんなザマでは私の背中は任せられんぞ」
口では不機嫌そうに叱っているが、その表情はどこか優しげだ。
転生天使ルプエル。リンカネルと並んで、ニュースで取り上げられていた。常に彼女と行動を共にし、共に戦う天使。リンカネルの同僚、友人、あるいは……。
「あの、リンカネル様。その子羊は……?」
「ん? ああ、なんでもない、気にするな。そんなことより、
「はい!」
こちらに一瞥すら寄越さず、リンカネルは空へと上がり、ルプエルもすぐにその後を追う。二人は凄まじい速度で上昇し続け、あっという間に見えなくなった。
なんでもない。そんなこと。
「はは……」
そういえば、俺、あいつにちゃんと名前を呼ばれたこと、あったかな。
「っはは……」
なんで今まで気づかなかったんだろうな。
「ははは……!」
あいつにとって、俺は、ただの子羊だ。そこらにうじゃうじゃいる、有象無象の一人にすぎなかったんだ。
「ははははは!」
そして、もうひとつ。
「ははははははは! あっはははは!!」
俺は、こんなにも、あいつのことが好きだったんだ!!!
「ああああああ!!! がああああああああ!!!!」
誰もいなくなった町で、俺は一人、叫び続けた。
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