第2話 カモられるシングルマザー

 離婚調停中、新たな仕事が加わる事となった。事業拡大というより、プラス別部門が増えるという感じだ。それについて勉強しなくてはと思い、離婚調停がそろそろ終わる頃、私は起業について、専門家の元を訪れていた。


 起業相談と言っても、市の役所の一角で行なっている。市内で起業したい人を応援する、無料の相談所である。無料なので込み入った内容はやらないが、初心者向けのさらりとした表面を教えるといった風で、私のようにとりあえずお話だけでもという人にはぴったりだった。


 予約を入れてから二週間後、役所を訪れた。パーテーションで区切った個室に入ると、男性が一人入ってきた。四十代半ばか後半か。背の高い人だ。

 挨拶をし、私がこういったことでと話すと、なぜか旦那の話になった。女一人で来るのはイコールあれだろうと思うらしい。


 離婚しました、と伝えるとスタッフの顔が変わった。


「シングルマザーは大変! 僕、シングルマザーは何人も何度もお話してるから得意なんですよ。わかりますよ、大変なの。それはしっかりと勉強しなくてはいけませんね。シングルマザーを応援したいんですよ」


 ニコニコと害のない笑顔で言った。人懐っこいというのか、距離が近いというのか。私は「はあ」と頷く。


 市のものだし、と思い、次も予約してみた。そしていくつか話をしたら、今度はこちらの職場まで行くという。シングルマザーで大変だからだ、との事。ふむ、と言われるままに来てもらう。


 三回目の話し合いで、次回から形式が変わったと言った。ふむ、と思ったがその形式がよくわからない。市役所を通さなくなったのだ。何かおかしい。


 そして、男性スタッフは「今まで無料だったけど有料になる。でも僕はシングルマザーを応援したいから、無料枠でなんとかなるようにする」と言った。私は市の関係なら有料なら役所を通すのではと言っても話が通じない。


 五回目、内容的にそんなに充実したものはなく、無料とはいえ面倒な形式になったのでやめると言ったら激昂した。


「シングルマザーだから優しくしてやってるんだろ! 今まで無料になるようにしてやったのになんだそれ! 金払え!」


 とまあ、わけがわからない。役所に電話したらこの男性スタッフは退社して別会社になってるとのこと。


 おお、カモられた。


 早く気づいて身を引けという話だが、タイミングが今になってしまった。これ自体はこの人が文句を言って勝手に身を引いたので全く害がなかった。金も払わなかったし、その後も音沙汰はない。役所にも伝えてあるので、何かあっても何とかなると思いたい。


 私が嫌になったのは、シングルマザーという響きだ。


 名義上、そりゃシングルマザーなのだが、自分から言うことはない。あんまり好きな言葉じゃないからだ。だからといって抗議するわけではなく、音とか字面とかが良くないな、程度だ。


 このスタッフは私個人ではなく「シングルマザー」という人種として括っていた。そのため、


「シングルマザーでしょ? もっときっちりやるべきなのに、こんなに何もできないシングルマザーは初めてだよ。そんなのでこれからやっていける? 子どもなんて見れないでしょ。これだからシングルマザーは子どもを放棄する」


 人種差別を受ける人はもしかするとこんな気持ちかもしれない。私のうっかりやらボケやら記憶力のなさや不器用さなどのいわゆる短所はシングルマザーだからではない。私個人の持ち物だ。それに難癖付けて一括りにするなんて、こいつ大丈夫か。他のシングルマザーに謝りなさいよ。しかし私は反論せず、そっと逃げた。関わって、声を荒げて、起業云々も交えてシングルマザーという単語について相手を説き伏せたとしても、一人のおっさんを倒したに過ぎない。勝手に言わせとけというやつだ。


 やれやれ。シングルマザーという看板はややこしい。


 女が一人で子どもを育てるのは、世間的立場の弱い人だと、枯れた花かなんかだと固定概念がある。

 確かに、こうなる前まで、シングルマザーや離婚した人をざっくりした感情で「大変だな」と思っていた。夫婦が揃っている、夫婦と子どもが揃っている、その形を家族だと、それが当たり前だと信じ切っていたから、それから外れたらさぞかし大変なのだろうと漠然と感じていた。


 実際シングルマザーになって、それが違うと言えば嘘になるが、「生きてるって素晴らしい」と魔族がぞっとするような生の賛歌を熱唱してしまうレベルの大変さ。一言に直せば、毎日充実し過ぎるくらいの大変さとなる。まあ、私は割と呑気なシングルマザーなので全員が全員ではないが、少なくても私は今を嘆いていない。


 つまるところ、シングルマザーやら家族やら夫婦やらなんやら、結局のところ「みんなそれぞれ違うのよ」ということで、このおっさんは起業をアドバイスしている場合ではないと深く憐れみ、同じ土俵に立つなど愚かしいと、なんの感情も抱かないのだった。


 何はともあれ、二つ名のような名称にはどうにも踊らされる。

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