第3話 祈り
あかねのお葬式はこの町の葬儀場で行われることになった。式はひっそりと行いたいというのがあかねの家族の想いだったらしく、学校からみんなで参列というのはなかったが、俺は仲が良かったので行かせてもらうことになった。
その日は祝日で学校が休みだったので、俺は近所の神社にお参りに行くことにした。
柱が所々かけた、屋根が薄緑色の神社だ。山に二人で遊びに行った時、待ち合わせ場所にしていた神社。
境内に足を踏み入れてみると、その時のことが思い出された。その場でぐるっと回って、誰もいないことを確かめる。あの時は、俺が待っていると手を拭きながらあかねはやって来た。けれど、今日はしばらく待っても、現れることはない。
俺は上を向いて、震える息を吐き出すと、意を決して前を向いた。そして、ポケットから財布を取り出す。青いチェック柄の小銭入れ。そこから、一枚だけ入っていたピカピカの五百円玉を取り出す。
そして、社に近づくと賽銭箱に向かって投げた。五百円玉は格子に一度当たった後、中に入ってチャリンと音を立てた。
俺は今まで気にしたこともなかった作法を懸命に思い返していた。あかねのために、何としてでもうまくやらないと。
最初は紐を引いて鈴を鳴らす。思いきり紐を振ったのにあまり鳴らない。急に不安になりながら、腰から90度体を折って礼をする。頭が取れるんじゃないかという勢いで繰り返す。
そして、それから……手をたたく。辺りに響くくらい大きく二回。
最後に、もう一度、深々と頭を下げる。
どうか、あかねがあの世で楽しく暮らせますようにしてあげて下さい。お願いします――。
「それは無理だね」
あっさりとした、子供の声。
顔をあげると、神社の手すりにいがぐり頭の男の子が腰かけていた。白っぽい着物を着てやわらかく微笑んでいる。その表情が癪に障る。
「無理ってどういうことだよ!」
「そのままの意味だよ」
声を荒げる俺に応えると、いがぐり頭は手すりから下りた。
「なんで、そんなこと言えるんだよ」
「分からない?」
いがぐり頭は俺の方に向かって歩いて来た。顔には笑みが先ほどと同じく……いや、違う。何だか、怖い。それに、醸し出すオーラが……変だ。見たところ年齢は俺と同じくらいのはずなのに、気圧されてしまう。
そんな俺を見ながら、不気味な男の子は階段を降りてくる。一歩、二歩と。そして、俺は気づいた。
足音が……ない。
この神社は古い。床板はガタが来ていて、この前だって子供の俺やあかねが歩いただけで、きしんで音が出ていた。なのに、いたって普通に階段を降りてくるこの男の子は音を一切立てていない。
「気づいたかい?」
そう言って、彼は笑みを深くした。無邪気な、それでいて畏れを感じさせる笑み。
「僕はねえ、神様だよ」
「……神様」
普通なら突拍子もない発言だが、この時はあっさり受け入れられた。ここが神社だからだったのかもしれないし、男の子の風格があまりにもしっくり来たからかもしれない。
だが、それならそれで問題がある。
「なんで、あかねを幸せにできない?」
神様だ。どんなことでも、奇跡で引き起こしてしまうのが神様なんじゃないのか。それができないってなんだ。
もしかして、俺が気に食わないとか言うんじゃないだろうな……。
「違うよ」
まるで、俺の考えを読み取ったような発言。いや、神様なら実際にそうしているんだろう。
神様は階段を下りきったところで、腕を広げた。
「神様っていうのはね、この世の神羅万象……って言っても君には難しいかな。この僕らがいる世界の全てのものをつかさどり、操るものなんだ。君の思うように、僕たちはこの世のどんな望みだって叶えられる」
こんなことを神様は自信たっぷりに言い放った。けれど、そこで急に表情が陰った。
「けれどね、神にも限界はある。僕らの力はこの世界では絶対だ。でも、裏を返せば、この世界でしか通用しない。死後の世界にまでは、その力は及ばないんだ。君の友達が死後の世界でどうなるか。そこに僕たちが干渉することはできないんだよ」
そこまで言うと、広げていた手のうち、右手を賽銭箱にかざした。まるで、録画した映像を逆回しにするみたいに、その手にピカピカと輝くものが飛び込む。
「だから、これを受け取ることはできない」
俺の手に乗せられたのは、五百円玉。ついさっき、俺が投げ入れたばかりのものだ。間違いない。そのことが、願いが叶わないのだということを、俺につきつけた。
「なら、俺はどうすれば、いいんですか」
自分の口から出た、その震える声に驚く。でも、自分では止められなかった。そんな俺の目を覗き込むようにして、神様が語り掛けてくる。
「君にできることは、精いっぱいのことをして彼女を送り出してあげることだ。君があかねちゃんのことを一生懸命に考えて、ね。そうすれば、彼女もきっと喜んでくれるよ」
「精いっぱいのこと……」
「そう、君が必死になって彼女のことを考え、想いを伝える。それを見ればきっとあかねちゃんも、君の今の気持ちを受け取ってくれる」
神様は俺の肩に手を置いた。触れているかどうか分からないくらい軽く、それでいて温かな手だった。
「さあ、もうそろそろお葬式が始まる。急ぐんだよ。でも、心を込めることを忘れずに」
そっと押し出される。俺は、石段を降りようとして、立ち止まると神様に一度深々とお辞儀をしてから、走り去った。あかねのために、最後にできることをしなければならない。
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男の子は、転げるように石段を降りると、走り去って行った。その後ろ姿を眺めながら、神様は自嘲気味に笑う。あどけない子供の姿とは、全く合わない表情だ。
「なんであんなことを言ったんだか。……分かっているはずなのに」
人間がいくら尽くそうと、願おうと、そんなものは死者には届かない。見た目こそ子供だが、数千年の時を生きてきた神には分かる。これまで見て来た様々な人間たち。彼らは生まれて、泣き、笑い、恋をして、様々な人生を生きて、そして死んだ。数えきれないほどの人間の死を目にしてきて、一度として、生者と死者が交わったことなど見たことがない。死はあらゆるものを無情に引き離す。
「精いっぱいのことをしろ、か」
たった今、彼に訴えかけてきた男の子。幼馴染のために必死で祈ろうとした男の子。
きっと男の子は素直に彼の言葉に従うのだろう。届くことのない気持ちを一生懸命に表すのだろう。
残酷だと、自分でも思う。
けれども、一人の女の子のために必死な男の子を見ると、無視できなかった。せめて、彼自身が救われるようにしたかった。自分で納得して、その気持ちをきれいに納められるように。
神は空を見上げた。秋晴れという言葉がぴったりくる、抜けるような青空。今の気分に全く合わないことが皮肉だ。
「神の限界、か」
上を向いたまま、息をほうっと吐く。
「嫌なものだ」
静かに、強く握られたこぶしは、震えていた。
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俺は走っていた。息が荒れて、心臓がバクバク鳴っている。そのまま破裂するんじゃないかと思った。足がふらつく。
こらえきれずに、速度を緩めた自分を殴りつける。もうすぐ、お葬式が始まってしまう。急がないといけないんだ。
ふらつき、木の棒みたいに感じられる足を無理やりに動かして、俺はまた走り出した。手に持った一輪の花を守りながら。
お葬式の会場は、灰色の殺風景なビルだった。広めの駐車場が人工芝の植わった花壇に縁どられている。
今までは前を通るだけで入ったことはなかったが、看板があったので部屋はすぐに判った。会場に入ると、学校の教室二つ分ほどの大きさの部屋の正面に遺影が置かれ、その前に棺があった。本当に身近な人だけを集めたらしく、その時に会場にいた人は十人もいなかったと思う。みんな真っ黒な服だ。あかねの両親は、棺の右側のところに並んで座っていた。気丈に正面を向いてはいたが、二人とも目は真っ赤だ。
俺はポケットに入れていた子供用の数珠を取り出して、左手につけた。そして、花を持ったまま、お焼香に向かう。やったことはやっぱりなかったが、とにかく前に並んでいる女の人の真似をしようと思っていた。
「ちょっと、手島くん!」
あかねのお母さんが怖い顔をしてこちらに駆け寄ってくる。娘と同じ、クリッとした目を見開いていた。
「何なのよ!この花は」
顔を真っ赤にして怒鳴ってくる。
「縁起でもない、すぐに捨ててきて!」
彼女は俺の手の中にあった花を指さした。炎のような深紅の花。彼岸花。あかねと一緒に見た、あのあぜ道で摘んできた花だ。
本気で怒った大人はもちろん怖い。でもこれは、神様に会って、懸命に想いを伝える方法を考えて、そして選んできた花だ。すぐにでも走り去ってしまいたいのを必死で我慢する。
「あかねちゃんは、この花が好きだって言ってたんです。だから、どうしても、これを渡したいんです」
「でも、そんな花を入れるなんて」
「お願いします!」
「ダメよ!」
俺が頭を下げても、あかねのお母さんは許すそぶりを見せなかった。確かに、あまりこう言う場にはふさわしくないかもしれないとは思っていた。でも、俺が想いを伝えるにはこれしかないんだ。
俺は壊れたおもちゃみたいに繰り返すことしかできない。
「お願いします」
「ダメって言ったらダメよ」
「姉さん」
俯いていた俺の頭上から、そっと別の声が聞こえてきた。二人揃って彼女のほうを見る。お焼香の列で俺の前にいた人だった。
あかねのお母さんを『姉さん』と呼んだなら、この人はあかねのおばさんか。確かに、見比べてみると、髪形をそろえたらそっくりだ。
「でも、この子は、こんな花を供えるっていうのよ」
「いいじゃない。たしか、彼岸花には、親しい人との別れっていう意味があったから。その気持ちを伝えたいのよ」
ね、と言ってあかねのおばさんはこっちを見下ろした。俺は頷いておく。それにしても、花に詳しい人だ。そう言えば、あかねに花の図鑑を贈ったのはおばさんだったという話を聞いたことがあった。
妹のとりなしを受けて、あかねのお母さんは渋々ながら俺の献花を許してくれた。気が変わらないうちにと、急いで焼香を済ませると棺に向かう。
どんな顔だろうか。そう思っていたが、あかねは穏やかな表情をしていた。ちょっと昼寝をしているだけみたいな表情。もしも、顔色が普段よりも蒼ざめているのでなければ、死んでいるなんて信じられなかっただろう。
俺はそっと彼岸花を傍らに置く。あかねの柔らかな髪が俺の手をくすぐった。
自分の気持ちが分からなくて、俺は呆然とあかねを眺めていた。俺は結局分からないまま、棺から離れた。そしてその時初めて、自分が涙を流していたことに気がついた。
俺は葬儀場を出てすぐのところで、往来を眺めていた。と言っても、特に何かを見ていたわけではない。
俺はただただ、脈絡もなく浮かんでくるあかねの思い出に飲まれていた。泣いた顔、怒った顔、そしてそれらの何倍もの笑い顔。時系列もへったくれもなく浮かぶ記憶。
やがて、出棺の時間になり、お茶椀が割られてあかねは送り出されていった。俺はその姿が見えなくなるまでずっと、視線をそらせなかった。
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