ちいさな物語。

花祭暁平

ちいさな恋。

 わたしの大好きな子は、学校にはいません。

 わたしの周りの友だちは、誰々君がかっこいいだとか、誰々君と付き合いたいだとか、そんな話ばかりしています。そして必ずみんな、わたしに聞くのです。気になる男の子はいないのかと。

 わたしの大好きな子は、もっとにぎやかで華やかな場所に囚われています。

 高校生になってから、わたしもみんなと同じように、アルバイトを始めました。最初は家の近くのコンビニで、その次はレストラン。本屋さんにもカラオケ屋さんにも行きました。でも、どれもすぐに辞めてしまいました。わたしはお金のためじゃなく、家と学校以外の居場所を探していたのです。わたしがもっと夢中になっていられるような、そんな居場所です。

 居場所を探して、わたしはその後もアルバイトを転々と変えました。どんな職種でも挑戦していく覚悟でいたので、バイト先を見つけるのは簡単でした。ただ、長く続くことはありませんでした。今思えば当然のことです。働く目的が、居場所づくり以外になかったのですから。お金を稼ぐという明確な目的があれば話は別ですが、そうでなかったわたしは、目的のないアルバイトをただしていることが、耐えられなかったのです。

 しかしながら、冬のある日のことです。空が灰色の雲に覆われていて、木々が緑の外套がいとうを失くして寒そうにしていました。私は憂うつな顔で、学校の制服にコートを羽織はおって、歩いていました。学校終わりだったので、また新しいバイト先を探そうと、駅の方まで遠回りで帰っていたのです。普段は使うことのない駅ですが、周りは少し栄えていて、お店はたくさんありました。

 寂しい商店街をひと通り歩いて、ふと疲れて立ち止まったとき。一目見て、そのお店が気に入りました。一目惚れというのは、きっとこういうことなのだと思いました。窓ガラスに張りつけられた「アルバイト募集」の張り紙を見つけると、わたしの足は考えるより先に歩き出していました。

 さて、今日もまた私は、いつものユニフォームに着替えてフロアに出ています。ガヤガヤとレトロな音楽がにぎやかで、あちこちで光が瞬いています。光に照らされたお客さんの顔には、喜び、怒り、無念さ、名残惜しさといった、色々な感情が浮かんでは消えていきます。

愛おしいこの環境に浸っていると、急に「すみません」と、お客さんから声をかけられました。お客さんから求められていることは単純です。わたしがするのは“なおすこと”、それだけです。

ガラスの檻に囚われた彼らを“なおす”ためには、店員だけが持つ鍵が必要です。もちろん、わたしも鍵を持っています。わたしが鍵でガチャリと開けば、ガラスの中の彼らは少しばかり外の空気を吸うことができるのです。

 そのとき、わたしが“なおし”に行ったところには、ウサギが住んでいました。ちいさくてつぶらな瞳は、濡れているはずがないのに、うるんでいるように見えました。それに、わたしの顔がゆがんで映っているようです。彼らはわたしのことを、怖いと思うのでしょうか。それとも、わたしのことを憎んでいるでしょうか。わたしは彼らをそっと“なおす”と、またガラスの檻に鍵をかけました。声をかけてきたお客さんは、わたしが“なおしている”様子を興味深そうに見ていました。ガラスの中のウサギたちは、いつまでも寂しい目でわたしを見ていました。

 わたしはたまに、ガラスの檻の中の世界に行ってみたいと感じることがあります。お菓子に満ちあふれた世界があったり、動物たちがいっぱい住んでいる世界があったり、強そうな戦士や美しい女性が立ち並ぶ世界があったりするのですから、行ってみたくなるのは当然です。ガラスの檻の中は一つひとつが違っていて、色とりどりで多種多様な世界が広がっているのです。

でも、それぞれ異なる世界にも、共通していることがひとつだけあります。それは、時間がすべて止まってしまっているということです。強そうな戦士や美しい女性は、永遠に動くことがないのです。ずっとずっとそのままです。ある意味では、幸せなことかもしれません。強さと美しさを保ったまま、永遠に存在できるということなのだから。

しかしながら、そんな永遠の時間をおかしに来るのが、お店に来るお客さんたちです。お客さんたちは、わたしたち店員が“なおした”世界を、唯一侵略することのできる人たちです。みんな必死に、ガラスの中の世界に機械の腕を伸ばして、永遠を生きるちいさな住人たちを我が物にしようと息巻くのです。今日も多くの住人たちが、大勢のお客さんの元へ行きました。わたしが愛をこめて“なおした”住人たちが、お客さんの元へ旅立つときは、うれしさよりも寂しさの方が大きいです。

ただ、定期的に新しい住人たちがやってくるので、わたしが寂しさに打ちひしがれ続けることはありません。出会いと別れは繰り返すものです。

そういえば、わたしの大好きな“あの子”も、新しい住人としてここへやってきたのでした。

ちいさな青い瞳。黒く乾いたちいさな鼻。固く結んだちいさな口。丸っこい耳が2つ、頭の上についていて、彼は柔らかい赤茶色の毛皮を持っていました。そして彼の体躯たいくに合わせて作られた黒いタキシードは、彼の紳士的な性格を表すものなのでしょうか。

彼は、黒いタキシードを着たクマのぬいぐるみです。

 ある日店長が、倉庫を掃除していて見つけたそうです。いつ作られたものなのか。誰が作ったものなのか。どうして1体だけ、ポツンと残されていたのか。それは誰も知りません。彼は今、お店の端の方で、ただひとり座っています。ガラスの中に囚われた、永遠の時間を生きる住人として。

 わたしの大好きな子は、クマのぬいぐるみです。

 わたしは彼を愛しています。心の底から愛しています。

 あのつぶらな瞳に見つめられると、わたしの心はとろけてしまいます。幸せな時間が、永遠に続いていくような気がしてきます。聞こえるはずもない愛のささやきが、私の耳をくすぐります。わたしの顔が火照ほてるのは、決してお店の中が暑いからではありません。

 わたしはついに、わたしが夢中になれる居場所を見つけることができました。

 わたしのお店の中での立ち位置は、必ず彼のいるガラスの檻の前だと決めています。ここなら、彼のまなざしを独り占めにできるからです。そしてお客さんの誰かが彼にいじわるをしても、すぐに“なおして”あげることができるからです。

 わたしは彼を、誰にも渡したくありません。

それでもお客さんたちは、わたしの恋路をいつでも邪魔しにやってきます。特に、お金にものを言わせて住人たちをさらっていっては、どこかに売りさばいているという悪いお客さんが来たとき、彼にもいじわるをしそうだったので、「もう帰ってください」と怒ってしまいました。

 だから先週は、彼が座っている床に滑りにくいクッションを敷いてあげました。わたしがバイトに来る以外の日に、絶対に盗られないように。でも、効果はまあまあでした。彼を動かすことはできなくなりましたが、強い機械の腕の力で、倒されてしまいます。とてもかわいそうです。

 そこで一昨日は、機械の腕をいじって、強くつかめないようにしました。店長にはナイショです。これはなかなか効果がありました。お客さんの誰もが、数回で諦めてくれるようになりました。でも悪いお客さんは、なかなか諦めてくれないみたいでした。

 最終手段として昨日は、機械の腕をいじって、下まで降りられないように制限をかけました。店長にはナイショです。これのおかげで、もうお客さんはほとんど寄りつかなくなりました。悪いお客さんたちも、もうちょっかいを出しに来ません。うれしいかぎりです。

 これからもずっと、彼の近くにいられたらいいなと思います。

 ピンク色をまとう風が窓の外を吹く季節も、太陽の熱が地面に幻を見せる季節も。

 色づいた木の葉が寂しさと共に落ちていく季節も、白いつぶてが窓をたたく季節も。

 ずっと彼の優しいまなざしを、独り占めにできたらいいなと思います。

 お客さんがどれだけ彼の心を揺り動かしても、わたしは彼を“なおし”続けます。

 わたしが彼に返すことのできる愛情は、“なおす”ことだけだからです。

 わたしは今日も、彼のことを“なおして”あげます。

 彼の温かいまなざしが、わたしのことを永遠に包みこんでくれるように。

 ガラスの檻を外から眺めながら、そう祈り続けます。


 わたしの大好きな子は、ずっとずっと、ここにいます。


 ちいさな町の、ちいさなゲームセンターの、お話です。

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ちいさな物語。 花祭暁平 @HANAMATSURI

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