式神
全力で締め上げる。決して離さない。この男の心臓が止まるまで。
平然とした声で、晴明が言った。
「久しいな、兄弟」
腕の力をさらに込め、武弘が言った。
「貴様に兄弟呼ばわりされる筋合いはない」
「そう邪険にするな。同じ女を抱いた仲ではないか」
「何のことだ?」
「とぼけるな。見ておったのだろう。あの日、藪の外から」
「知らぬな。俺はただ検非違使として、都の平穏を脅かす黒幕を討たんとしているだけのこと」
「左様か。思い出せぬのならば仕方ない。順を追って話してやろう、私がどのようにそなたの妻を抱いたか」
「好きに喋れ。何が末期の言葉となっても構わぬならな」
その時既に、武久の葉の剣は、晴明の脳天目がけて打ち下ろされている途中であった。
晴明が地を蹴り、飛び退こうとする。だが、武弘が全力で取り押さえ、晴明の体は僅かに下がっただけだった。葉の剣の切っ先が、晴明の烏帽子をかすめた。
「浅いぞ、武久。俺ごと斬れ」
「はい!」
武久が構え直す。
晴明が言った。
「私の子供に人殺しなどさせないでくれ」
「俺の子だ」
「真実を歪めるな。そなたらがどう信じようと、あれは私の胤だ。過去を変えることはできぬ」
「ならば、それでいい。我が子の手にかかって死ね。貴様の放った忌まわしき精が刺客となって返ってきたのだ」
横殴りに、葉の剣。晴明は瞬時に地面から木を生えさせ、盾とした。金属で防いでは沙霧に奪われる為である。
木行の術同士がぶつかり合い、千切れた葉が舞う。
その時、側面から近づいてきていた沙霧の太刀が、木の盾を断ち割り、そのまま晴明の胴に食い込もうとした。
晴明は武弘に阻まれながらも、僅かに身を引いて、太刀をかわした。刃は狩衣を横一文字に大きく斬り裂いたが、肌には届かなかった。
晴明が言った。あくまで平然と。
「よくぞここまで私を追い詰めた。褒美を取らせよう」
冷たく、鋭利なものが、武弘の全身に突き刺さった。無数の
痛みなど意に介さぬが、血を失って倒れるわけにはいかぬ。
「治せ、武久!」
叫んだ時には、既に治癒の術はかけられていた。氷柱は刺さったままだが、血は流れず、冷気で凍傷になることも防がれている。
十分だ。これなら押さえ続けられる。
「目論見が外れたな、晴明」
「そうは思えぬな。先に癒し手を消せば良いだけのこと」
武久の背後に、炎の輪を背負った像が現れた。明王。六本の腕にそれぞれ武器を持っている。そのうちの一つ、
「後ろだ!」
叫ぶと、武久は前方に転がり、辛うじて避けた。しかしその時、治癒の術は途切れ、武久の全身から血が噴き出した。
さらに、明王の
二人の義賊が、明王に向かって突進した。
「よせ! お前たちじゃ無理だ!」
沙霧の制止も聞かず、義賊たちは短刀で斬りつけようとし、明王の
「兄者、無事か!」
「てめえの心配をしてろ、二郎。俺の顔は元々潰れてるからよ、このぐらい、どうってことねぇ」
刺客たちの攻め手が止まり、あたりは静寂に包まれた。
腕の力が抜けそうになる。治癒は再開されたが、冷気が全身にまとわりつき、筋肉の働きを妨げている。
晴明が嘲るように言った。
「もう打つ手なしか?」
武弘も嘲りを込めた声で返した。
「どうだろうな」
その時、静寂を引き破るように、大音声を放つ者があった。
「聞け、皆の者!」
右大臣、頼忠であった。
「あの者らは賊にあらず。安倍晴明こそ、帝と民とを陥れ、この都を我が物にせんとする悪党である」
明王が頼忠に向かって歩き出した。頼忠は構わず続けた。
「これまでの妖魔騒ぎは全て奴の自作自演である。手下に式神を召喚させ、それを妖魔と偽っておったのだ」
「その通り。この儂こそ、その手下よ」
と、応じたのは、足に重傷を負い、跪いたままの良秀である。
聴衆に、狼狽の気配があった。
「そして、百鬼夜行なる予言も、奴の企みだ。門を開こうとしているのは冥界の王などではない。奴自身だ。奴こそが魔王なのだ」
「そんな話を、誰が信じる?」
落ち着き払った声で、晴明が言った。
「信じようが信じまいが、構わぬ。だが、いずれにせよ、者ども、そのまま大人しくしておれ。この戦いに巻き込まれれば命はない」
「妄言で民衆を惑わせた罪だ。そなたの命こそ、今燃え尽きる」
明王の剣が、火の粉をまき散らしながら、頼忠を襲った。
しかし、木陰から飛び出した何かが明王の腕に絡みついて、動きが瞬時止まった。そこへ、全身が水でできた仁王像が現れ、明王に組み付いた。明王は消えこそしないものの、身動きを封じられた様子である。
晴明は木陰に向かって言った。
「ほう、我が子以上だな、道兼。褒めてつかわすぞ。先ほどの虎といい、その若さでこれ程強力な式神を操れるとは」
「いや、まだまだよ、あの小僧は」
言ったのは良秀である。
「晴明、貴様は三つ誤解している。一つ、虎も仁王も、呼び出したのは道兼だが、あの小僧はまだ何の助けもなしに式神を呼び出せるようにはなっていない。二つ、砂の竜を呼んだのは儂ではない。道兼だ」
「矛盾しておるではないか。未熟なる者が、本行以外の式神を扱えるわけがない」
「最後まで聞け。三つ、あの木陰にいるのは道兼ではない。あれは沙霧の配下の一人、猪鹿の婆と呼ばれる老婆よ」
晴明が僅かに動揺したのを、武弘は気配で感じ取った。
「気付いたようだな。沙霧が男たちに多襄丸を持たせたように、依代の貸与は可能。道兼は今、山荘におる。儂の絵図を使って式神を呼び出しておるのだ」
そして、晴明の前に、弓を構えた男が現れた。蘆屋道満であった。
「これはこれは、風変わりな式神だな」
「余裕ぶっていていいのか? これこそ、あの小僧が思い描く最強の式神。土行の覇者、蘆屋道満だ」
矢が、放たれた。
晴明が再び木を生えさせ、受け止めた。石の
――そう来ることは、わかっていた。
武弘は晴明を捕らえたまま、横へ飛んだ。その先へ、既に二の矢が放たれていた。矢は、晴明の右肩に突き刺さった。
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