空蝉

 晴明が、消えた。誰の目にもそう見えた。

 葉の剣は勢いを止めることができず、砂の竜の首に深々と突き刺さった。剣はただちに引き抜かれたが、竜の身体は傷口から崩壊し始めた。

 消えたと思われた晴明は、それまでにいた位置から五間ほども離れた地点に立っていた。どんなに身の軽い者でも、一瞬で移動できる距離ではない。

 武久は怯むことなく、二の太刀を放った。すると、晴明の姿はまた消えた。いや、武久の目には辛うじて、晴明が地を蹴り、異常な速度で飛び退いていくのが見えた。

 火行の裏芸、空蝉うつせみ。炎の爆発力を利用した移動術。かつて、晴明が一瞬にして武弘と河童の間に立った時、さりげなく用いていたのがこの術である。

「如何に技を磨こうと、当たらなければ無意味。そうであろう、我が息子よ」

 いつの間にか武久の背後に回った晴明が、耳元で囁いた。

「我が父は、武弘ただ一人」

 言いながら、武久は振り向きざまに薙ぎ払ったが、剣は虚空を斬るばかりであった。

 速い。あまりにも速い。時折、嘲るように動きを止めたところを、一郎や二郎は多襄丸で、沙霧は先刻奪った太刀で、武久は葉の剣で斬りつけようとするが、得物を振り始めた時には、晴明はもう別の場所にいる。

「うざったい。ぶんぶん飛び回りやがって。まるで蚊だね」

 呟いた沙霧の目の前で、晴明が立ち止まった。

「蚊か。ならば血を吸わねばな」

 そう言って、晴明は左手で沙霧の顎を手に取り、唇を吸った。右手は乳房をまさぐっていた。

「てめえ!」

 一郎が叫んだ。二郎は無言で激昂した。武久も、かつて母がされたことを再現されているようで、怒りのあまり、蒼白となった。

 しかし、男たちの渾身の一撃も、虚しく空を斬った。

「なめやがって、クソが!」

 忌々しげに、一郎が吼える。

 捕らえられない。弄ばれている。最早刺客たちに勝機なしかと思われたその時、晴明の目が、何かを見た。そして、晴明はその何かから即座に距離を取った。

 高速で動く何かが、晴明を追った。晴明は身を翻し、手刀に炎を宿して、追ってきたものに対して向かっていった。閃光を発しながら、二つの影が交差した。

「持ち場を離れて良いのか、良秀?」

 と、晴明が言った。

「空蝉を使えるのは貴様だけではない」

 と、良秀が言った。

「問いの答えになっておらぬぞ。お主の本分は式神を呼ぶことであろう。すぐさま自慢の空蝉で、あの山荘へ戻るべきではないか?」

「ごちゃごちゃ言っていると、舌を噛むぞ」

 良秀の姿が消え、八方から晴明に向かって火球が飛んだ。晴明が消えた。八つの火球はぶつかり合って炸裂し、消えた。

 晴明の行く手に、木の葉の山があった。それが一瞬にして火柱となった。武久と良秀の結である。

 火柱を避けようとして、晴明が軌道を変えた。そこに良秀が追いつき、狩衣の袖と襟を掴んで、体を反転させ、背負い投げで晴明を地面に叩きつけた。

 驚愕している晴明の顔に、良秀は唾を吐きつけた。

「油断したな、晴明」

「お主もな、良秀」

 と、声がしたのは、良秀の背後からであった。

 水流の槍で太腿を貫かれ、良秀が苦痛に呻いた時、仰向けに倒れていた晴明の分身は消滅した。

「浅はかなことよ。万に一つ、私を捕らえられたとしても、老人の細腕で押さえておけるわけがなかろう」

「ああ、そうとも。力仕事は若い奴にやらせなきゃな」

 良秀が言い終わるのと、武弘が晴明を羽交い絞めにするのとは、ほぼ同時であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る