歓迎
三月三日、正午。
黄金の塔の最上階で、晴明は最後の瞑想を終え、一人、口元を綻ばせた。
力が漲っている。明らかに達した。今なら冥界の門を――明日への扉を開くことができる。
これからは思う存分、本物の妖魔と戦うことができる。危うい自作自演はもう必要ない。本当の戦いをして、本物の英雄になるのだ。栄光がもう目の前にある。
道満と通じていたあの右大臣、あれから御所を離れることがなく、仕留め損ねたが、かえってそれで良かった。塔を出れば、ただちに刺客たちが襲ってくるだろう。望むところ。お手並み拝見だ。門を開く前の肩慣らしには丁度いい。道満亡き今、万が一ということはあり得ない。
道満を殺した後、あの右大臣と繋がっているのは誰か、即ち、誰が刺客たり得るかは把握した。金行は義賊の頭領沙霧、水行は道満の息子道兼、木行はあいつの息子――もとい、我が子――武久、火行は裏切り者の良秀。土行の術者はいない。恐るるに足らず。だが、殺すだけでは一瞬で終わってしまう。敢えて攻防をしてやろう。
期待に胸を膨らませながら、晴明は塔を下りていく。
「お帰りなさいませ、安倍晴明様」
左手に陰陽師、右手に検非違使。整然と居並ぶ男たちが、一斉に頭を垂れた。悪くない出迎えだ。英雄の凱旋に相応しい。
外はよく晴れていた。久々に見る空。澄み渡り、雲が流れていく。いかにも泰平。それも当然。今、都を脅かしているのは仮初めの恐怖に過ぎない。本物はこれから訪れる。
塔を出て数歩――左右から殺気。
(よしよし、そう来てくれねばな)
陰陽師と検非違使、それぞれに扮していた二人の刺客が、左右から同時に短刀で斬りつけてきた。両者ともなかなか鋭い。息も合っている。だが、晴明が危機を感じるほどではない。
ごく自然に、ふと立ち止まるようにして、晴明は短刀をかわした。
周りの人間たちが色めき立つ。
「手出し無用」
ゆったりとした声で晴明は言った。折角の歓迎、きちんと礼をせねばならぬ。
虚空から扇を取り出し、開く。と、扇は見る間に赤熱し始めた。
如何な手練れが扱おうとも、所詮はただの金属。金を溶かすは火。
刺客たちが仕掛ける。また左右同時。首と胴に迫る短刀を、熱の扇で素早く打ち払う。
短刀はあっけなく溶解する――はずであった。溶けない。払われたのみ。
刺客たちはすぐに体勢を立て直し、追撃を加えてきた。身をかわしながら、晴明は短刀を凝視した。
水を帯びている。さては金行の依代。だが刺客たちに呪力は感じられない。
「火なら効かねぇぜ。こいつは沙霧の愛刀、多襄丸だからな」
「兄者、わざわざ教えてやることもあるまい」
「構うもんかよ、二郎。冥土の土産ってやつだ」
なるほど、借り物の依代であったか。ならば、一度水を剥がされたら、再び結露させることはできぬ。
土埃の羽衣を纏う。刺客たちの攻撃を紙一重でかわし、羽衣を斬らせる。一度、二度。三度もかわした時には、水は完全に吸収され、刀身が剥き出しになった。こうなれば、依代とてただの金属と同じ。
晴明が言った。
「その短刀の持ち主はどこにおる?」
「誰が言うか」
「左様か。ならば、そなたの骨身ごと、溶かしてくれよう」
扇を投げ上げる。すると、扇は回転しながら、炎の鳥になり、刺客の一人に襲いかかった。
「兄者!」
と、もう一人の刺客が叫んだ時、空中から水の虎が現れ、爪で炎の鳥を引き裂いた。
晴明は目を細め、微笑を浮かべた。やはり、他にも刺客がいたか。そうでなくてはつまらぬ。
虎は着地すると、唸り声を上げ、晴明に向かって突進してきた。
愚かな。こちらはまだ土埃の羽衣を纏っている。水の式神が通じないことは明らかではないか。新手も大した使い手ではなさそうだ――と、晴明が落胆した時、虎は無数の木の葉に変わり、風と共に一気に吹き抜けながら、土埃の羽衣を切り裂いた。
左頬に微かな痛み。薄皮を切られていた。見事。この都に結を使いこなせる者たちがいたとは。
風が吹き抜けた先に、一人の少年がいて、木刀を構えていた――武久。我が息子。では、その近くの木陰に身を潜めている気配は、道兼のものだろう。
道兼は、この俺が父の仇だと知っているのだろう。だからこそこの場にいる。
武久は? 実の父親が誰なのか、知っているのだろうか? それとも友の仇討ちに手を貸しているだけか?
いずれにせよ、大した勇気だ。それに、実力も備えている。手傷を負うなどいつぶりのことだろう。
「強くなったな」
父親らしい言葉をかけてみる。さて、どう来るか。
武久は返事をせず、木刀を振り上げた。地面に散らばっていた木の葉が再び舞い上がる。
その表情には、動揺も疑問も浮かんでいない。全て知っている、ということらしい。この俺を、母を辱めた敵と見定め、討つと決意している――返り討ちにされることも辞さずに。健気なことだ。
武久が木刀を振り下ろす。木の葉の刃が一斉に向かってくる。
木は金属より脆い。太刀で容易に切り裂ける。袂から呪力の太刀を抜こうとして、晴明は瞬時、手を止めた。
良秀の山荘はここを見渡せる位置にある。つまり、良秀は呼び出した式神を操れるということだ。ここで俺が金行の術で応じようとすれば、奴が火行の式神でそれを潰しにかかるのだろう。
それでいい。火の式神を先に潰せばいいのだ。右手で黒鋼の太刀を抜きながら、左手に水行の呪力を練っておく。
木の葉が迫る。太刀を振りかざす。ここで火の式神が現れるはず――だが、来ない。買い被ったか? 来ないならばそれまで。結で力を増していようと、所詮は子供の術。切り伏せる。
振り下ろそうとした太刀が、突如意志を宿したかのように、晴明の手から離れた。
その太刀を、手に取る者があった。金色の手甲をした女。沙霧。
これは――磁力。金で金を封じたか。
葉の刃に肌を斬らせながら、晴明は昂奮に震えていた。
予想以上。立派な刺客たちだ。こうまで楽しませてくれるならば、殺してしまうのは勿体ない。敢えて逃がすのも一興か。
「さぁ、次は何だ?」
その気になれば、傷はすぐに治せる。だが敢えて放置した。希望を抱かせ、攻めさせる。来るがいい、思うさま。
通り過ぎた葉の刃たちが、再び武久のもとへ戻っていき、光に群がる羽虫の如く木刀に集い、巨大な緑の剣となった。
同時に、背後から殺気を感じた。振り向くと、砂の竜。良秀の作であろう。
葉の豪剣と、砂竜の牙。二つの脅威の狭間で、晴明はせせら笑った。
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