最善

「次、お願いします」

「良かろう。しばし待て」

 土色の絵具を練って、この山荘の位置に天狗を描く。

 現れた天狗に向かい、武久が木刀を構える。その目に微かな緩みがあるのを、良秀は見逃さない。

「土行の敵は御し易かろう。だが、油断するな。先ほどのものより強いぞ」

「はい」

 気合いを発し、武久が天狗に突進していく。

 片や、道兼は部屋の隅で、じっと水盆を睨み続けている。こしらえの行。水盆の水で――あるいは土の塊や焚火で――何かを形づくる。式神を呼び出す為の修行である。


 沙霧が遣わした燕の式神と共に、二人の少年が現れ、稽古をつけてくれと言ってきたのは、昨日、三月一日のことであった。

 決戦は三月三日。男子三日会わざれば括目せよというが、それにも満たぬ、二日間しかないのだ。付け焼き刃とはまさにこのこと。一笑に付し、追い返そうとした。

 しかし、少年たちは引き下がらなかった。付け焼き刃は百も承知。それでも、最善を尽くしたい、と。

 かつて、絵の弟子ならいたが、地獄変を描く為に娘を焼き殺した時、皆去っていった。あれ以来、他人と話すことさえ稀であった。術を教えるなど、柄ではない。

 けれど、断る理由が見当たらないことに気付くと、良秀の行動は早かった。すぐさま、二人の力を測った。無駄な躊躇こそ性に合わない。

 結なる技を初めて見た。斬新かつ、実用的でもあったが、頼り過ぎてはならない、と直感した。二人も既にそれを理解しているようであった。相方が先に死ねば、もう使えない。それに、結局は各々の力量がものを言う。

 良秀は、別個の課題を与えた。


 道兼は流石にあの蘆屋道満の息子であった。呪力の総量だけなら現役の陰陽師連中にもひけを取るまい。この子は、ともすれば、式神を呼ぶ段階に達し得る。そう判断して拵えの行を始めさせたのだが、水は時おり球となって浮かび上がる程度で、未だ何かの形を成す気配は見られない。

 通常は一年、早い者でも半年はかかる修行だ。二日で修めようなどとは無茶な話なのだが、その無茶を通すぐらいでなければ、あの晴明とは渡り合えまい。これは賭けだ。納められなければ、それまでのこと。二日間は徒労に終わる。

 武久には実戦の経験を積ませることにした。式神を呼び出し、ひたすら戦わせる。

 敢えて、木行の武久にとって強敵ではない、土行の式神ばかりを呼んだ。この子は一人で戦うのではない。仲間がいる。故に、好機を見逃さず、力を発揮できればよいのだ。不得手な相手への対策は必要ない。

 良秀が驚いたのは、二人の休み方であった。そもそも、休みを取るという冷静さが注目に値する。

 倒れるまで続ければ、その後、格段に能率は下がる。それに、目前に迫った決戦に備えて体調を整えておかなければならないのだ。適度な休みは必要。しかし、頭ではわかっていても、なかなか実行できるものではない。

 道満が休むことの大切さをきちんと伝えていたのだろう。そして、二人は確かにを尽くそうとしているのだ。投げやりになっていない。

 休むと言っても、壁にもたれて僅かに眠るのみ。だが、その短い時間で、体力と気力を最大限に回復させている。休むことへの集中力もさることながら、武久の使う癒しの術もかなりの効果を上げている。

 少年たちの寝顔を見ながら、惜しい、と良秀は思った。

 彼らは描きかけの絵。まだ輪郭に過ぎない。時をかけて、丹念に描き込めば、大作に仕上がる可能性を秘めている。なのに、明日には送り出さなければならない。

 そこそこに勝算があるならばまだしも、極めて低いのだ。水行の晴明に対して、決め手となる土行の術者がいない。土の式神を送り込むつもりではあるが、それで勝てるなら苦労はない。

 金属は土中にて生じる。すなわち、沙霧と土行の式神は結を成せる。けれど、それは沙霧の術の助けとしかならず、逆はない。

 明日の戦いは、この世界が大地を欠いて、豪雨を浴びるようなものだ。受け止める器がない。ひたすらに溢れ返る。

 いっそ、二人をどこか遠くの里へ逃がし、落ち着いて修行を積ませると共に、仲間を探させるべきではないか? ――いや、それはの手ではないのだろう。百鬼夜行を黙認すれば、その損害は計り知れない。

 邪悪な絵に傾倒している良秀であったが、冥界の門の向こうには、さして興味は湧かなかった。

 地獄は、もう見た。愛する娘が悶えながら焼け死ぬ様。あれで十分だ。

 認めたくはないが、悔いていた。

 娘の骸骨を見やり、拳を握り締める。救うべきであった。若き命を。救える距離にいた。何故救わなかった? あれを見て得たものなど、命に比べれば、芥ほどの価値もない。

 不意に現れ、今は健やかな寝息を立てている二つの若き命に、神か仏か、何者かが祝福を与えることを、柄にもなく、良秀は祈った。

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