死闘
道満は、光の粒となって消えた。今の道兼の力では一瞬が限界だったようだ。けれど、十分。狩衣は血で染まり、晴明は押し黙って頭を垂れている。
「今だ、武久! 治癒はもういい! たたみかけろ!」
父が叫んだ。
わかっている。今、行くべきだ。
しかし武久は治癒の術を止めることができない。
「何をしている! 急げ!」
駄目だ。明王に襲われた時、一度治癒が途切れた。これ以上血を流したら父の命が危うい。
「武久!」
駄目だ――!
沙霧が、負傷した一郎と二郎から多襄丸を受け取り、晴明に斬りかかった。が、刃が晴明に当たるより先に、晴明の足が沙霧の腹を蹴った。沙霧の体は三間ほども飛び、蹴りを受けた部分の衣が焼け焦げていた。空蝉を打撃に用いたのだ。
そして、晴明が哄笑した。肩の傷の痛みをまるで感じていないかのような声であった。ひとしきり笑うと、言った。
「治癒は済んだ」
矢が晴明の肩からひとりでに抜け落ちた。葉の刃でつけた傷もいつの間にか塞がっている。
「流石に土行の術で受けた傷には手こずった。惜しかったな。沙霧に頼らず、武久、そなた自身が迷わずに打ち込んできておれば、討ち取れたやも知れぬぞ」
動くのだ、今からでも。父はとうに命を捨てている。悲願を果たせぬままでは無駄死にではないか。動け。悔いている暇はない。治癒を止め、奴を――。
「この男が心配でならぬか。では、今、楽にしてやろう」
父の目が見開き、喘ぐように口を動かした。しかし声は出ない。羽交い絞めが解かれ、父は仰向けに倒れた。
「父に何をした!」
「あの女にかけたのと同じ、水行の禁呪よ。呼吸器を止めたのだ」
父の口は苦しげに空気を求めている。
「長くは苦しまぬ。感謝せい」
「父上!」
治癒の術を、喉にかける。
「無駄だ。治癒は通じぬ。あの女の声も取り戻せなかったであろう。禁呪を解くには術者を倒すより他ないのだ。すなわち、この私をな」
時間が、ない。
「もう一つ教えてやろう。肌が触れ合う程近寄らねば禁呪は使えぬ。故に、今すぐそなたの息を止めることはできぬのだ。もっとも、できたとしてもそんな無粋は……」
剣を地面に突き立て、柄を握ったまま、晴明に向けて傾ける。姿勢を低くし、念じる。
我が依代、父より賜りし木刀。木は火を生ずる。発火。燃焼。爆ぜろ。飛ばせ。
切っ先から生じた爆風が、武久の体を運んだ。
――入った。既に間合い。貫く。
剣は――跳躍した晴明の足元の空間を通り抜けた。
晴明は武久が先ほどまでいた場所に着地し、手を叩いた。
「つくづく驚かされる。見よう見まねで空蝉を使うとはな。我が血を引くだけのことはある」
もう一度。飛ぶ。振り抜く。
――当たらない。見切られている。
「さて、また次の式神を呼ばれては面倒だ。元を絶つついでに、珍しいものを見せてやろう」
突然、あたりが影に包まれた。黒雲が空を覆ったのだ。
「覚えておけ。雲は氷の粒でできているのだ。そしてその粒同士が擦れ合うと……」
光。遅れて、雷鳴が轟いた。山荘から火の手が上がった。
「このように、稲妻が生じる」
「道兼!」
「これぞ水行術の奥義。見た目は火行術だがな」
――怯むな。
飛ぼうとした瞬間、視界が失われた。真っ白な世界。雷鳴だけが聞こえる。何が起こった?
「光はこんな使い方もできる。しばらくは見えぬはずだ。大人しくしておれ」
「晴明!」
道兼の声であった。
馬鹿な、居場所を明かすなと、あれ程――。
水飛沫の音。道兼の水の矢を、晴明が打ち払ったのであろう。
「これはまた一本取られた。なるほど、この場所に式神を描くだけなら、何もあの山荘の広間である必要はない。絵図を折りたたみ、潜んでおったというわけか」
「父の仇、覚悟!」
姿を現して何になる? 決まっている。時間稼ぎだ。俺の視力が戻るまでの。
治せ。一刻を争う。早く。
雷鳴と重なって、道兼の悲鳴。
「直撃は免れたか。運の良い奴だ。しかし、その腕はもう使い物になるまい」
――回復した目に映ったのは、左腕を真っ黒に焦がされて倒れている道兼と、もう動かない父の姿であった。
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