兄弟
「ここがバレただと? ふざけんじゃねぇぞ、猪鹿の婆」
夜半、羅生門の楼上で、一郎は思わず声を荒げた。
「バレたとは言うておらん。バレたやも知れんと言うたのじゃ」
「その検非違使は仲間に伝えろとはっきり言ったんだろ。つまりバレてるってことじゃねぇか」
感情が高ぶると、七年前の
「カマをかけてきただけじゃ。儂は何とも答えておらん」
「少なくとも相当怪しまれてるってことだよな?」
こちらを見もせず、死者の髪を撚りながら淡々と話す猪鹿の婆に、一郎はいよいよ腹が立ち、婆の襟首を掴んだ。
腕っぷしで一郎の右に出る者はいない。皆が黙って成り行きを見守っている中、一郎の弟、二郎が口を開いた。
「よせ、兄者。婆に非はない。ここが早晩、奴らに知られるであろうことは、はじめからわかっていたではないか」
「非はねぇだと? そうは思わねぇな。怪しまれたならすっとぼけてねぇでぶっ殺しちまえば良かったんだ。相手はたったの二人だったんだろ?」
「我らは義賊だ。無駄な殺生は、さ……」
そこで二郎は言葉を切った。後に何が続くはずだったか、一郎にはわかっている。
「何だ。言えよ」
「何でもない」
「言え」
「……沙霧の望むところではない」
「へぇ、そうかい。お前にゃ沙霧の気持ちがよーくわかるってか」
先代の頭領――猪鹿の婆のつれあい――が死んで二年、沙霧は若き女頭領として美しく成長した。先代の遺言がなかったとしても、あの聡明な女丈夫が後を継ぐことに、誰も異存は唱えなかっただろう。
沙霧は今年で十六。とても十六とは思えぬほど妖艶になることもあり、かと思えば年相応の無邪気さを見せることもある。
一郎が盗賊団に加わり、沙霧と出会ったのは三年前である。一郎の目を見た者は大抵、見てはいけないものを見たという顔をするが、沙霧だけは違った。二人はすぐに打ち解けた。将来は、夫婦になる。そう信じて疑わなかった。
このところ、沙霧は、二郎と近しい。一郎に気づかれぬよう――実際のところ一郎は気づいているのだが――しばしば二人きりで会っている。
いつか娶るつもりでいると、本人に告げていたわけではない。何の約束もなかった。抱いてもいなかった。いつか沙霧を抱くことになるだろうと確信していた一郎は、未だ女を知らない。
二郎はもう沙霧を抱いたのだろうか?
まさか、訊けない。身が焦げるほど、その問いの答えを知りたいが、いざ答えが是であった時、果たして正気を保てるかどうかわからない――いや、決して保てはしまい。既に狂いかけている。
容色に恵まれた弟に向かい、一郎は噛みつくように言った。
「お前はどうせ今夜沙霧がどこに行ったかもわかってんだろ?」
「いや、それは俺も聞いておらぬ」
「どうだか」
「本当だ」
「気ィ遣わなくていいんだぜ」
次郎と近しくなった頃から、沙霧は十日に一度の集まりに顔を出さないことが増えた。どこで何をしているのか、皆知らないと言っているが、二郎だけは知っているに決まっている。
「ま、お二人のことに深入りする気はねぇよ。問題はここが検非違使連中に見つかっちまったってことだ」
「恐らく、じゃがな」
猪鹿の婆がぼそりと言う。
一郎は無視して続けた。
「こうなった以上は、いつ奴らが踏み込んでくるとも知れねぇし、俺らが留守の間に荒らされちまうかもわからねぇ」
金子や武器、変装の道具などが、躯の下や細工した壁の中に隠してある。一目見たぐらいではわからないが、時間をかけて調べられたら十中八九見つかってしまうだろう。
「集合場所を変えるしかねぇぞ」
「だが兄者、そうするにも沙霧の指示を仰がねばならぬ」
「お前は何でも沙霧、沙霧だな」
「沙霧が頭領だ。当然だろう」
「この場にいねぇ頭領の指示をどうやって聞くんだよ」
猪鹿の婆が話に割って入った。
「儂がここで待つさ。次の集まりまでに、沙霧も一度ぐらいはここへ来るじゃろう」
二郎が気遣うように言った。
「ずっとか?」
「死体に囲まれて過ごすのには慣れておる。責任も取らねばならんしな」
と、猪鹿の婆は一郎を見た。
「ああ、そうだな。しかし、その間に検非違使が来たらどうすんだ?」
「そん時は、お前さんのお望み通り、返り討ちにしといてやるさ」
そう言いながら、猪鹿の婆は撚り合わせた髪の縄をぴんと張って見せた。あの縄で絞め殺された人間は数知れない。
「上等だ。じゃ、言伝は婆に任せるとしよう。もっとも、俺に言わせりゃ、二郎の方が婆より先に沙霧と会うはずだがな」
二郎はそれには答えなかった。
そして、その晩は解散となった。
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