依代
「何だ、能無しではないか」
背後から聞き知った声。道兼。武久は無視して陰陽院への道を歩き続けた。
「つれないな。今後は学友となるのだ。これまで通り、仲良くやろうではないか」
「お前と仲良くした覚えはない」
「つまらぬ意地を張るな。旅は道連れ、世は情けだ」
「取り巻きがいなくて不安なのか?」
図星だったらしく、次の言葉にやや間があった。
「それにしても、お主が陰陽師を志すとはな。どういう風の吹き回しだ?」
「お前には関係ない」
「まぁせいぜい励むがいい。だが、才がないとわかっても落胆はするなよ。蛙の子は蛙。鳶から鷹は生まれぬ」
才ならある。だが、すぐにわかること。今言い返す必要はない。
問題は使い物になるかどうかだ。母に禁じられて以来、研鑽を積んではこなかった。木の葉や木刀を操れる程度では妖魔とは戦えまい。芽はあれど、育つかどうかはまだわからない。
「おい、能無し」
「その呼び方をやめろ。俺には武久という名がある」
「ふん、これから能有りになろうとしているのだしな。良かろう。名で呼んでやる」
どこまでも高慢な奴だ。こちらからは名など呼んでやるものか。
「武久。お主、今から何を学びに行くか、わかっておるのか?」
「陰陽術」
「そうとも。剣術ではないのだぞ。なんだ、その腰の木刀は」
今のところ、自分が術を行使できるものの一つ。学びの助けになるかと思い、差してきた。
「何を持っていようと、人の勝手だろう」
「捨てていけ、そんなもの」
「うるさい。お前に指図される筋合いはない」
「チャンバラごっこへの執着を捨てねば、身に付くものも身に付かぬぞ」
「剣術を愚弄するな。黙らねば打ち据えてやるぞ」
「打ちたくば打てばいい。だが、木刀で妖魔が倒せるか?」
その時、一陣の風が吹き抜け、どこからともなく声がした。
「心を柔らにせよ。何事も決めつけてはならぬ。陰陽術は森羅万象を操るもの。木刀も立派な武器となる」
その言葉に続いて、周囲の地面が一気にせり上がって壁となり、武久と道兼は中に閉じ込められてしまった。いや、それだけではない。壁は内へ内へと迫ってくる。このままでは、潰される。
あまりにも突然の出来事に、道兼は口を開けたまま固まっていた。しかし、武久は己を失わなかった。
わかる。土ならば、木が制する。
「任せておけ」
そう言って、木刀を抜いた。大きく息を吸い、振り上げる。そして、身体の力と陰陽の力、両方を自然に働かせ、振り下ろす。
土の壁に亀裂が入り、粉々に砕け、何事もなかったかのように元通りの地面に戻った。道兼は未だ口を開けたまま武久を凝視している。
「見事」
声の主は、白い犬であった。かと思うと、犬は狩衣姿の若者に姿を変えた。
「晴明様!」
道兼が叫んだ。
この男が、安倍晴明。噂は父からさんざん聞かされていたが、武久が実物を見るのは初めてであった。
「蘆屋道満の子、道兼であるな」
「は、はい!」
「これでわかったであろう。ただの棒きれとて、侮ってはならぬ」
「はい。ご教授ありがとうございます。私が未熟でございました」
と、道兼は地面に額をこすり付けた。今日は珍しいものを随分見る。
「そこな少年、よくぞ我が術を破った。既に陰陽術のいろはは掴んでいるものと見える」
「いえ、立ちはだかったものが土以外の壁であったなら、私にはどうすることもできませんでした」
「ほう」
晴明は細い顎に手をやり、微笑んだ。
「にほへあたりには達しておったか。将来が楽しみであるな。
「よりしろ?」
と、武久と道兼は声を揃えた。
「陰陽術の助けとなる道具を依代と呼ぶのだ。あるとないでは術の威力がまるで違う。少年よ、その木刀、大切にするがいい」
そう言い残して、晴明は再び白犬の姿になり、去っていった。
素質を認められたらしい。しかし、武久は浮かれてはいなかった。
ここまでは、知れたこと。慢心することなく、学ばねばならぬ。母の病を治す為に。
「槌音が聞こえるでしょう。この堂の隣に、今、金箔貼りの塔を建てているのです。選抜され、その塔へ入ることが、諸君らの当面の目標というわけです」
講師、蘆屋道満は、糸のように細い目をした、温和そうな男であった。父上と呼んで駆け寄ろうとする道兼を睨みつけた時だけ、恐ろしい形相になった。道兼は驚き、それきり大人しくなった。どうやら道満が講師であることを知らされていなかったらしい。日頃父親が陰陽師であることを自慢していた割に、父子の関係は円満とは言えないようだ。
「とは言え、塔へ入ることが終着点と思ってはなりません。あくまでも通過点。ゆくゆくは……いえ、実を言えば一刻も早く、諸君らには立派な陰陽師になってもらいたいのです。あの安倍晴明様を超えるほどのね」
俄かに堂内がざわついた。晴明を超えよとは、初日から随分過激なことを言う。
「それではこれより、入学試験を行います」
その言葉に、今度は一同、水を打ったように静まり返った。
武久の隣にいた道兼が手を挙げ、言った。
「父上」
道満は無視して、桐の箱を開け、紙を取り出している。
道兼はもう一度言った。
「父上!」
武久は道兼の袖を引き、囁いた。
「わからぬか、道兼。ここでは父と子ではない。先生と呼べ」
道兼は不満げであったが、やがて諦めたように言った。
「先生」
「何です?」
と、道満は子供たちに紙を配りながら答えた。
「入学試験があるのですか?」
「ええ、今から」
「試験があるなど、聞いておりませぬ」
それは武久も同じだった。
「陰陽術は天賦の才が物を言う呪法です。才がなければ、ここで過ごす時間は一切無駄になってしまいますからね」
「見込みのない者は去れと」
「そういうことです」
唐突だが、もっともな話だった。事前に知らせておくかどうかは、教える側にとってはさして重要ではなかったということだろう。
「試験の方法を説明します。配った紙を見てください」
そこに描かれていたのは五芒星だった。一筆書きの星、さらにその五つの角全てに接するように円が描かれている。陰陽術を象徴する紋章。この堂の破風にも刻まれていた。
「今から丸一日、その紙を肌身離さず持っておき、明日のこの時間、私に返してください。以上です」
「父上……いえ、先生、それだけですか?」
「簡単でしょう? では諸君、また明日」
そう言って、道満は堂を出ていってしまった。残された子供たちは、誰一人動こうとしない。
紙を持っておくだけ? そんなことで才の有無がわかるのか?
「お前ら、知らないのか?」
堂の隅で声がした。声の主は、大人びた口調に反して、随分と幼い少年だった。恐らくこの中で最年少――七、八歳だろう。
「これは
武久が立ち上がり、少年に言った。
「ならば、右下の角が開けば、火の力を持つ証ということか」
「まさしく」
「何故そんなことを知っている?」
「俺は一年前からここで学んでいる」
「一年前から? なら、どうしてここに?」
「正式に習っていたわけではない。金がなくてな。忍び込んで、天井裏や床下で講義を聞いていた。ある時とうとう見つかってしまったんだが、それまで見つからずにいた腕を認められ、晴れて授業料は免除ということになった」
大した奴だ。
「才がなければ、どうなる?」
言ったのは道兼だった。
「そんなこともわからんか、七光り。才がなければ、どこにも穴は空かん。当然だろう」
七光りと侮辱されても、道兼は何も言い返さなかった。不安なのだろう。先刻、晴明に試された時の様子からしても、道兼はまだ自分の才の有無を知らない。
「まぁ、気楽にやるといい。念じても祈っても、結果は変わらん」
少年が去ると、他の子供たちもそれぞれ帰路についた。
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