2.逆転サヨナラピッチャーライナー
私が高校一年生だった頃の話。
「新妻は、どの部活に入るんだ?」
担任の先生が私に問う。
私が通う
「あ、科学部に入ろうと思っています」
もちろん、あの稲妻の謎を解明したりできないかという淡い希望を持っていた。
「科学部……は、一昨年、廃部になった」
先生が部活リストを広げてそう言った。
「えっ」
どんな学校にも科学部くらいはあると思っていた。
「じゃ、じゃあもっかい作りますっ!科学部!」
「お前以外の誰も入らないと思うが?」
先生が切れ長の目で私を見る。
「一人じゃ創部できないんですか?」
「んー……。まぁ、扱いは創部じゃなくて再開になるから、そういう意味では、部員の数は気にしなくていいだろうが……はっきり言ってお前、浮くぞ。いいのか?」
「大丈夫です!」
小学生の時も中学生の時もあの稲妻を解明することに尽力してきた。この高校でも同じように過ごすつもりだ。
あと、稲妻の解明に夢中だったから、今まで友達は居ないし今更新しく作れるとも思わなかった。
そんなこんなでついでに名前を好きに変えて、『電撃科学研究部』が爆誕した。
やっぱり部員は私だけで、やっぱり友達はできなかった。
そしてそこから一年経って、私が二年生になったばかりの頃の話。
部室の前に、一人の男子生徒が居た。
白い髪が目を引いた。
視線を落とし上靴の色を見る。ピカピカの緑色であることから、一年生である事が
それから、腰に光線銃を差していた。
……何で光線銃を?という疑問をぐっとこらえて、話しかける。
「えっと……入部希望者?」
「あ、科学部の人ですか?ある人を探してるんですけど……」
「どんな人?」
「ちらっと見かけただけなんですけど、白衣を着てて……多分、科学部の人じゃないかなって」
「なるほど。正解だよ。この学校で白衣を着てる奴なんかこの部にしか居ない」
そして、部室の扉を開き中に入る。椅子にかけたままの白衣に袖を通し、
「それで、部員は私しか居ないから、必然的に君の探し人は私。ってことになるんだが……」
「あ……本当だ。あれはあなただったんですね」
男子が白衣を着た私をじっと見つめたあと、合点が行ったように頷いた。男子は真正面から見ると中々綺麗な顔で、じっと見つめられるのは少し
「それで、何か用か?」
「あ、その……」
男子が何かを言いかけて、口に手を当てて
「僕、科学部に入ります」
少し間があったけれど、結局は入部希望者らしい。
「うん。まぁ科学部って名前じゃないんだけどな」
電撃科学研究部。通称、電科研。
私は男子にそう教えた。
これが、私とシラガミのファーストコンタクトだった。
・・・・・・
この地球から遠く離れた宇宙に、とある惑星があった。名はレビウル。
レビウル星で暮らすレビウル星人は地球とかけ離れた科学技術、政治体系、道徳理念を獲得していた。
そんなレビウル星で、とあるプロジェクトが始まった。
それは、『他の星の生命体の進化の手助け』または『可能性の発達の促進』。
「他の星を我がレビウルと同じ文明段階まで引き上げる。それはその星のためでもあり、我らの貿易相手を増やすことにも繋がる」
そんな偉い学者さんの言葉に扇動され、たくさんのレビウル星人がたくさんの星へ派遣された。
自分はそのレビウル星人の一人で、地球はその星の一つなのだと、シラガミは語った。
場所は部室、時は放課後。シラガミが、二人きりでないと話せない。と言うので一日待った。
「……っへぇー……」
シラガミが言ったことを嚙み締める。
「へぇー……」
それしか言えなかった。
「……これは極秘事項です。ですから、上の判断を仰ぐためにも、先輩には一日待ってもらいました」
「えっ、私に言ってよかったの?プロジェクトとか色々」
「これの発砲を見られたからには、説明しない方がかえって危険だろう。というのが上の判断でした」
シラガミが腰に差した光線銃をちらと見る。あの光線銃はもちろんおもちゃではない。レビウル星人のものすごい科学技術により作られた、資材を打ち抜く程の稲妻を発生させる装置であるらしい。
私が追っていた、稲妻の正体。
「なぁ、それがどうやってできてるか教えてくれないか?」
「さぁ……僕も詳しい仕組みは知りませんね」
「じゃ、じゃあ分解させて!」
「地球人に渡すのは禁じられています」
「ならせめてもう一回撃ってくれ!録画させてくれ!」
「これは非常用です。
「ちぇー……」
シラガミが腰を抑えて光線銃を隠す。どうやら、結局私が自力で解明するしかないらしい。
「私が小っちゃい頃の時も、お前が助けてくれたのか?」
「いえ、その頃の僕は小学生くらいですし……僕ではなく、別のレビウル星人が派遣されていたのでしょう」
人は違えど、これで二度もレビウル星人に命を助けてもらったことになる。感謝してもしきれない。
「あっ、そうだ。その……言うのが遅れたけど、ありがとう。助けてくれて」
シラガミに向かって、頭をぺこりと下げる。私が今こうしてられるのも、シラガミが光線銃で倒れる資材を打ち抜いてくれたおかげなのだ。
「いえ、気にしないでいいですよ。それが仕事ですし」
「仕事?」
「はい。『可能性の発達の促進』って奴ですね」
「……その『可能性の発達の促進』って具体的になんなんだ?」
「そうですね……人間は、誰しも種全体に影響を与える『可能性』を持っています。このコンタクトレンズは、それを数値として見ることができます。スカウターみたいなもんですね」
シラガミが
「子供や、何かの才能を持っている人ほど、その『可能性』は高くなります。しかし『可能性』は持ち主の選択一つ一つで常に変動します。努力せずに無為に日々を過ごせばそれは刻一刻と失われて行き……死んだら0になります。僕らの仕事は、その『可能性』が大幅に減らないように、もしくは増えるように手助けすること」
「ほー……それで私を助けたから、私の『可能性』が0にならずに済んだと」
「そう。先輩はいつか世界を揺るがす大発明をするかもしれない。僕はその『可能性』を守ったわけです。これこそ『他の星の生命体の進化の手助け』。そして『可能性の発達の促進』であるわけです」
「なるほど……ん?」
口振りから察するに、シラガミが電科研に入部したのも、私の廃ビル調査に付いて来たのも、私の『可能性』を守るためなのだろう。
ならば、それが達成された今。
「や、やめるのか」
「ん?」
「電科研。やめちゃうのか?」
「…………」
シラガミの顔が固まる。
「や、やめない方がいいぞ。この学校は部活が義務付けられているし、宇宙人だってことが他の人にバレちゃまずいんだろ?じゃあ既に正体を知ってる私一人しか居ないここが都合いいだろ。それに私ならその仕事手伝えるし。それなら同じ部活の方が何かと便利じゃないか。っていうか、また光線銃の稲妻見るために、私もなるべく一緒に居たいし、稲妻見るために」
何故か、喋っている内に早口になってしまった。そんな私を見て、シラガミは微笑んだ。
「……じゃあ、もう少しここに居ます。電科研に」
そうして、『電科研』の活動内容に『地球人の進化の手助け』が加わった。
・・・・・・
シラガミと二人で校内を歩く。
「まずは『分岐点』に立つ人を探します」
「また知らん言葉が出てきたぞ」
と言っても、何となく意味は分かるが。一応、説明してもらおう。
「人生は選択の連続です。その選択一つ一つで『可能性』が変動するって言いましたよね?その中でも取り分け大きな選択。それが『分岐点』です」
人生の中での、大きな選択……。
「受験とか?」
「そうですね。そういう大きな分岐点を前にしている、もしくはその真っ最中の人は、ものすごいスピードで『可能性』の数値が上下します。二桁になったり四桁になったりチカチカします」
「へぇー。私の時はどんな感じだったの?」
「1と2000がチカチカしてました」
「1……って」
「死ぬと0、0で死ぬわけですから、生きるか死ぬかの瀬戸際でしたね」
「おお……その、本当にありがとう」
改めて感謝する。
「あ、何か恩着せがましい言い方になっちゃいましたね……本当に、気にしなくていいですから。そんなにペコペコされると落ち着きませんよ」
謙虚……というよりかは、自己評価が低い。そんな話し方だった。まぁ、本人が落ち着かないとまで言うのならば、ここまでにしておこう。
「それで、その『分岐点』に立つ人ってのは、見つかりそうか?」
グラウンドでは、野球部が練習をしていた。シラガミがグラウンドに降りて、野球部員達をじっと見る。
私も何度かあんな風にじっと見つめられていたことを思い出す。あれは私の『可能性』を計っていたのか。
「うーん……あっ。あのピッチャーの人」
シラガミの視線を追随する。その生徒は、マウンドの上で腕を振りかぶっていた。
そして小さく風を切る音がした後、ぐわきぃんと気持ちのいい金属音がグラウンドに鳴り響いた。
「……打たれちゃいましたね」
「打たれちゃったな」
「数値がチカチカしてます。すごい才能を持ってるはずなのに、それが満足に発揮されていない」
シラガミが呟く。
「じゃあ、あの人が次のターゲットか」
「
ベンチから監督らしき人の怒号が飛ぶ。
「まだ一年の頃の方が良い球投げてたぞ!レギュラー外されてえのか!」
「……っはい!すいません!」
鉄也。と呼ばれたそのピッチャーが頭を下げる。その顔には悔しさと苛立ちが見て取れた。
「一年の頃の方が……ってことは、あの人、鉄也さんは今スランプなのかも知れませんね」
そう言ってる間にも鉄也君はまた投げて、また打たれていた。
「なるほど……あの不調を乗り越えられるかどうかが、彼にとっての『分岐点』なんだな」
そしてその『分岐点』を、良い方向へ導いてやるのがシラガミの、ひいては電科研のお仕事なのだ。
「それで?どうやってそのお仕事を達成するんだ?」
「まず何が原因なのか調べましょう」
「ふんふん。要は聞き込み調査やな?」
……やな?
気付くと、すぐ隣に知らない女子生徒が立っていた。
「だっ、誰!?」
飛びのき、シラガミの背中に隠れる。
「先輩の知り合いじゃないんですか?」
シラガミが首をこっちに向けて問いかける。
「し、知らない知らない!」
「あははっ!そらそうやろなぁ。ウチもあんたらのこと知らんもん。自己紹介するわ。ウチは二年の
その女子生徒は笑いながら、堂島と名乗った。赤みがかった茶髪をしていて、関西弁だった。
「一年。シラガミです」
「二年。新妻稲穂です……それで、堂島さんは私達に一体何の用で?」
「いやぁ、何かウチのテツのこと……才能があるやらなんやら、
テツ……おそらくさっきのピッチャー、鉄也君のことだ。呼び方から察するに、それなりに親しい関係なのだろう。
それをシラガミも感じ取ったのか、堂島さんに質問する。
「鉄也さん……スランプみたいですけど、何か知ってますか?」
「せやねん。あいつ今絶不調やねん!ウチ新聞部やからあいつのかっこええ所バシーッと撮ってやりたいんやけどな。ここ最近へなちょこ球しか投げへんねん。撮れる写真もへなちょこばっかりなんよ。んで今日な、その理由を聞こうと思ってんねん。あんたらも気になるんなら、一緒に行こ!」
そう言って堂島さんは私とシラガミの腕を掴んで、ずんずんと歩き出した。
「え、ええっ!?いきなり本人に聞いちゃうの!?」
このグイグイ行く感じの性格。ずっと友達がいないからか、私はこういう性格の人を苦手だと感じるようになってしまっていた。
「まぁ、でも先輩。すぐ分かるならそっちの方がいいですし、ここは堂島さんに付いて行きましょう」
シラガミがそう言うので、おとなしく引きずられた。
ベンチに近づく。今は休憩時間らしかった。
「テーツー!」
堂島さんがベンチ全体に行き渡る声量で鉄也君を呼ぶ。こういう急に大きな声を出す所も苦手だ。
「あぁ、茜か……誰だ。その白衣の人達は」
鉄也君がベンチからひょっこりと顔を出し、引きずられた私達を訝しんだ。当たり前の反応だと言える。
「お前の隠れファンじゃい」
ファンということになってしまった。まぁ、わざわざ否定する必要もないのでシラガミと二人で、どうも。と手を振っておいた。
「こんなファンが見てくれとるゆうのに、お前なんやあのへなちょこ球はぁ!」
「ぐっ……」
鉄也君はばつが悪そうに顔を
「ここ最近ずっと調子悪いよなぁ。何でや。お姉ちゃんに言うてみぃ!」
「わ、分かったら苦労しねぇよ……」
これまたばつが悪そうに答える。
「どんな小さいことでもいいです。何か、心当たりはないですか?」
シラガミが質問する。仕事を手伝うと言ったからには、私も情報収集に協力せねばなるまい。質問を捻り出す。
「何か……悩みがあるとか?」
「お!?何か悩んどるんか!?お!?」
堂島さんも勢いで問い詰める。一度に質問され、鉄也君は困った顔をした。
「だ、だから、分からないって言ってるだろ……っ」
「はーいっ、休憩終わり!集合!」
そこで、野球部監督から集合がかかった。
「そ、それじゃあ」
「あっ、待たんかいこらぁ!」
鉄也君は、
・・・・・・
「テツとウチはな、
次の日、私達は引き続き鉄也君に聞き込み調査を行うため、グラウンドの端でマウンドを見ながら野球部が休憩に入るのを待っていた。鉄也君はまた投げて、また打たれていた。
「ウチ、小二の頃に大阪からこっちに引っ越して来たんやけど、最初はあんまり打ち解けられなかったんよ。なんや、関西弁喋ったら、こっちの奴らにバカにされると思とってな。かと言って、いきなり標準語喋るんは技術的にも精神的にも無理やった。何か負けたような気がしてなぁ」
無口で、誰とも喋らない堂島さんを想像する。さっきのグイグイした性格を見たばかりでは、上手く想像できなかった。
しかし、そんな
「そんな時なぁ、テツが少年野球に誘ってくれたんよ。多分、気まぐれやったんやろうけど、ウチはなんか、求められてるみたいで嬉しくてなぁ。そしたらこっちの人らは敵じゃないって気付いて、この関西弁も恥ずかしいことじゃないって分かった。そんで今もバリバリ関西弁
マウンドに立つユニフォームを見て、堂島さんは懐かしむように目を細めた。
「あいつが居らんかったら、今の私はもっとずっと暗ぁい感じやったと思う。ウチが今も明るくいられるんは、あいつのおかげや。やから、今度はウチがあいつのために何かしてあげたいんやけどなぁ……」
堂島さんは、歯がゆそうにそう言った。
「……んじゃ、次はあんたらの番や」
「え?」
「ウチとテツのこと話したから、次はあんたらの番や。どういう関係か、とか、何でテツのこと気にかけてくれるんか、とか。教えてーな」
「えーと、電撃科学研究部って部活の先輩と後輩で……」
「電撃科学研究部!何かけったいな名前やな」
堂島さんが部名に難色を示す。命名者の私としてはムッとせざるを得なかった。
「僕達は電科研って呼んでます」
「はー。電科研。何する部活なん?」
「電撃の科学について研究する部だったんだけど……最近、お悩み解決……みたいなことも」
「それでテツのスランプを……」
「はい。そういうことです」
何だかよく分からん部活になってしまったなぁとしみじみ思う。
「へぇー。よく分からんけど、面白そうな部活やな!あんなへなちょこピッチャーより、電科研の特集組んだ方がおもろいかも知れんな……」
そう言って彼女はポケットからスマホを取り出した。
「ちょっと写真撮っていい?」
「えっ、いや、困る」
慌てて手のひらで顔を隠す。シラガミも不服そうな顔を見せた。
「そうですよ。スマホなんかじゃなくて、もっとキチンとしたカメラで撮ってもらわないと」
いやそういう問題じゃない。
「ええやん、撮れたら何でも。はいチー……」
堂島さんがシャッターを構えたその時、突然その右手首がぶるりと震えた。
「あっ」
その震えで、スマホが地面に落ちた。
「あっちゃー……またやってもうた」
シラガミが心配そうな目で堂島さんの手首を見る。
「手首、怪我してるんですか?」
「あぁ、中学ん頃にな。骨と神経がどうたらで、あんまり力が入らへんねん……しかし、今のだけでよう分かったなぁ。これが怪我やって」
「僕も、似たような怪我をしたことがあるので」
中学の頃……結構、付き合いの長い怪我のようだ。何か、人のデリケートな所に触れてしまったようで、コメントに困る。
黙って、落ちたスマホを拾い上げた。そして青ざめる。
「うわっ」
画面がバッキバキに割れていた。
「あぁ、これ?今のでこうなったんちゃうよ。前からやねん」
「え?」
そういえば、またやってもうた。と言っていた気がする。
「わ、割れた画面そのままにしてるの?」
だとしたらガサツ過ぎないだろうか。
「んー?ちょっと見にくいけど、写真もアプリも普通に動くし、何も問題あらへんで?そんな気にせんでも……そういやテツも、私のスマホ割れた時、顔青くしとったわ。自分のでもないくせになぁ。要はあいつ、気にしいやねんな。細かいどうでもええことばっかり気にして。スランプの原因もどうでもええことに違いないわ。この前も、授業中にな……」
そしてそのまま堂島さんの幼馴染トークが始まった。
何というか、好きなんだなぁ。というのが分かる、内容だった。
(何か、聞いてるこっちが恥ずかしくなりますね)
(だな)
シラガミと小声でそんな話をしている内、堂島さんのトークが中断された。
「茜先輩、ちょっとお話が……」
「ん?どうしたん?」
また別の女子生徒が話しかけて来たのだ。二人は知り合いのようで、新聞部の後輩らしかった。
「今週号の原稿のデータがぶっ飛びまして……」
「……え?じゃあ、あれとか、あれもか!?締め切りすぐやなかったっけ!?」
「はい……だから、今すぐ手打ちで復元しないと、今週号は……」
「うおおおこうしちゃおれん!ごめんな、シラガミ君に稲穂ちゃん!ウチちょっと新聞部の方行ってくるわ!」
そうして堂島さんはばたばたと校舎へ走っていった。
「……どうする?」
「うーん……僕らだけで聞き込み調査しても、意味あるんでしょうか……」
昨日、鉄也君は自分自身でも原因が分からないと言っていた。
「この件の解決には、鉄也さんをよく知る堂島さんの力が必要な気がします」
「じゃあもう帰るか」
「そうしましょう」
二日目も、大した進展はなかった。
・・・・・・
そして次の日、三日目。
「来ませんね……堂島さん」
「……うん」
今日のグラウンドの端は、私とシラガミの二人きりだった。昨日はこうしているだけで堂島さんと合流できたのだが。
「折角、あんなに好調なのにな!」
スパァンッと、金属音とはまた別の気持ちいい音が鳴り響く。ボールがキャッチャーミットに叩き付けられる音。
しかも一回や二回ではない。何度も何度もミットにボールが吸い込まれる。今日の鉄也君は絶好調だった。
「いいぞ鉄也ァ!その調子だ!」
監督のお墨付きだ。
「いやぁ、結局私達の出る幕はなかったな。何だか知らんが、スランプは解決されたみたいじゃないか」
「いや、解決されてないです」
「え?」
シラガミがじっと鉄也君を見る。
「『可能性』の数値の変動が収まってない。
「……あんなに好調なのに」
「おそらく、一時的な物です。根本は解決していません。何故、今日だけ調子が戻ったのか……それも含めて、原因を探る必要があります」
「でも、まだ新聞部の方が忙しいのか、堂島さん来ないしな……。どうする?今日もすぐ帰っちゃうか?」
「うーん……不本意ですが、そうするしかないですかね……」
そうして、グラウンドから引き返そうとすると、呼び止める人影が一人。
「おーい」
「えっと……キャッチャーの人」
鉄也君のボールを受け止めていたキャッチャーが、私達に話しかけて来た。
「お前ら、新聞部だろ?」
違いますけど。と言う暇もなくキャッチャーの人がまくし立てた。
「今日のあいつのピッチング見ただろ?スランプの日もあるけど、週に何回かは今日みたいに良い球投げるんだよ。だからさ、もしあいつの写真とか撮るなら、そういう日にしてやってくれないかな」
シラガミが目を開く。
「今何て言いました?」
「あ、いや分かる。ジャーナリズムって奴だよな。確かに偏向報道ってのは……」
「そっちじゃなくて!週に何回かは良い球を投げる……って、本当ですか?」
「え?ああ、そうだ本当だとも。バッテリーを組んでる俺が言うんだから間違いない」
「シラガミ?どうしたんだよ……」
シラガミが険しい顔をして考え込む。何だか、悪い予感がした。
・・・・・・
「……で、俺はいつになったら帰れるんだ?」
鉄也君がむすっとした顔でそう言った。ユニフォームから制服に着替え、帰る気満々の格好だが、私はそれを足止めしなければならない。
「えっと、そのもう少しで後輩が帰って来るので、それまでちょっと……」
僕が戻ってくるまで鉄也さんを足止めしてください。とはシラガミの命である。
「多分、あれだよ。お前へのインタビューって奴だ!快く受けてやれよ」
何故かキャッチャーの人も一緒になって足止めしてくれている。私は新聞部じゃないということは黙っておいた。
そうこうしていると、校舎からシラガミと堂島さんが出て来た。こちらに向かっている。
「ほら!お前の幼馴染、新聞部だろ?やっぱりインタビューだよこれ」
「お待たせしました」
「……何だよ一年。何の用だ」
鉄也君が不機嫌な声を出す。当たり前の反応だと言える。
「あなたの、スランプの理由が分かりました」
「え?ほんま?」
堂島さんが驚いた顔をする。シラガミは一瞬、何かを
「……堂島さんは、鉄也さんが『ここ最近へなちょこ球しか投げない』と言いましたね?それは、本当ですか?鉄也さんが好調な日を、一度も見たことがありませんか?」
その剣幕にたじろぎながらも、堂島さんが答える。
「お……おお。ほんまや。どっかの日を境に、テツはずっと絶不調や」
「違います」
シラガミがすっぱりと言い切る。
「鉄也さんは毎日が不調なわけではなく、好調な日と不調な日を
「ああ、そうだよ。それはバッテリーを組んでる俺が保証する」
キャッチャーの人が胸を張る。
「え……?ウチ、結構テツの練習見とるで?何で、ウチだけテツの好調な所を見られへんねや」
「鉄也さんの好調な日を堂島さんが見てないのではなく、堂島さんが見てない日が鉄也さんの好調な日なんです」
「やめろ」
鉄也君が短く呟く。シラガミは無視した。
「スランプの原因は、あなたです。堂島さん」
「は……?」
堂島さんは、何が何だか分からないといった顔で、シラガミを見つめた。
「あなたのその手首の怪我。もしかして、鉄也さんに付けられた傷なんじゃないですか?その傷が理由であなたは誘われた野球をやめた。鉄也さんはそれに負い目を感じて、堂島さんの前では調子が出ない……違いますか?」
鉄也君と堂島さん、二人同時に問いかけるような口調だった。
堂島さんが手首を押さえる。
「いや、確かにこれはテツと練習しとった時にできた怪我やけど……ほんまに、そうなんか?」
問われた鉄也君は、顔を苦渋に歪めた。
「……悪い。お前が居ると、あの時のこと、思い出して……」
多くは語らない、語りたくない。そんなか細い声だった。ただ、それだけで彼女には全て伝わったようだ。
「……そっか。ウチのせいやったんやな」
堂島さんの声は震えていた。
「それなら、もうウチが
「茜っ……」
それじゃあ。と、堂島さんが言いかけたのを、遮った。
「ダメだっ!」
鉄也君とキャッチャーの人が呆気に取られた隙に、二人の持ち物からグローブボールとミットとバットを漁り取る。それから、鉄也君にグローブとボールを、堂島さんにバットを、キャッチャーの人にミットをそれぞれ押し付ける。
「鉄也君はマウンド!二人はこっち!」
キャッチャーの人と堂島さんの腕を引っ張り、バッターボックスへ走る。今度は私が堂島さんを引きずる番だ。
堂島さんとキャッチャーの人を構えさせ、その後ろに私が立つ。
そして拳をかかげ、高らかに宣言する。
「プレイボール!」
「……先輩?」
「稲穂ちゃん?」
「新聞部の人?」
「……は?」
これは一体何だ。という視線が四人分、体に突き刺さる。それでもいい。
「プレイボールったらプレイボール!鉄也君は、堂島さんはそれでいいのか!こんな終わり方でいいのか!ダメだろ!ダメに決まってる!」
「……俺は……」
鉄也君の言葉を、堂島さんが遮る。
「気が変わったァ!」
ブゥン、と金属バットが空を切る。
そうだ。それでいい。
「やっぱ、お前の練習見るのやめへん!むしろこれから毎日頭に
「いや、お前、手首の怪我は……」
「投げろ!テツ!」
堂島さんは構えを解かない。鉄也君もそれを察し、振りかぶって、投げた。
そして小さく風を切る音がした後、ぐわきぃんと気持ちのいい金属音がグラウンドに鳴り響いた。
「こんのボケ!カス!こんな球しか投げられんのなら辞めてまえ!」
堂島さんが打ち返す。
「仕方ねぇだろっ!」
鉄也君が投げる。
「中学の頃は平気だった。でもこの前、お前がスマホ落としたの見て、あの怪我がお前の体にずっと残ってるの見て、怖くなった!」
鉄也君が投げる。
「お前から野球を奪った俺を、恨んでるんじゃないかって。俺だけがのうのうと野球してていいのかって。また誰かに怪我させるんじゃないかって。お前を思い出す
鉄也君が投げる。
「ボールが投げられないんだよぉっ!」
鉄也君が投げる。
「……ウチが、お前を恨んどるかも知れんやと……?アホ抜かせ」
堂島さんが、腕にぐっと力を溜める。
「恨んどるに決まっとるやろうがっ!」
堂島さんが打ち返す。
「ウチ、中学まで本気でプロ目指しとったんやぞ!それが手首ダメんなって、どんだけ泣いたか!めちゃくちゃ恨んどるわいっ!」
堂島さんが打ち返す。
「それでも!お前を直接どつかへんかったのには、理由がある!野球選手よりも、なりたいもんがあったからや!」
堂島さんが打ち返す。
「お前のお嫁さんになりたかったからじゃいっ!」
堂島さんが打ち返す。
「お前はウチの夢だけじゃなく、大好きな人の笑顔まで奪う気か!罪悪感なんて感じてるならなぁ!ニッコリ笑って、お前の分までプロで活躍したるとか言うてみたらどないやねんっ、このへなちょこがぁっ!」
堂島さんが打ち返す。
それは色んな想いが詰まった、渾身のピッチャーライナーだった。
大きな音を立てて、鉄也君のグローブへ真っ直ぐ入った。
「投げろ!テツ!これからも!ずっと!」
鉄也君は返事をしない。ただ、受け取ったボールを振りかぶった。
鉄也君が投げる。
堂島さんが空振る。
スパァンッと、金属音とはまた別の気持ちいい音が鳴り響く。ボールがキャッチャーミットに叩き付けられる音。
「……ゲームセット!」
試合終了には、その一球で十分だった。
・・・・・・
「上への報告、終わりました」
シラガミが改めて部室の扉をくぐる。
「いや~。ほんまありがとうな!感謝してもしきれんわ」
堂島さんが電科研の部室に高そうなクッキーを広げる。
「いや、お礼なんていいよ」
「ええ、本当、僕は何もしてませんから……」
シラガミが若干やさぐれた感じで言った。
「……何でこの子へこんどるん?」
「だって先輩が居なければ、鉄也さんと堂島さんはあのまま別れたっきりに……」
ということらしい。
「いやいや、お前が居なきゃスランプの原因だって分かんなかったんだから。お前の手柄だよ」
「でも……」
「じゃあじゃあっ」
堂島さんが私とシラガミの手を取り、繋げる。
「二人の手柄って、ことで!」
「……うん!電撃科学研究部は、二人で一つ!」
「……はい!」
二人で頷く。電科研の結束が一段と強まった。
「……それで、これはいつ離せばいいの?」
顔の温度が上がり始めた。口の水分がどんどん無くなっていく。
「さぁ、ちょっと分かんないです」
シラガミがぎゅっと手を握る力を強めた。
「……っへ」
ドキリと心臓が跳ねる。眼鏡がずれる。
私の顔の温度がぐんぐん上がるのに対して、シラガミは余裕ある微笑みを
こいつは、もう。本当にもう。ズルい。
「ええやん。ずっと繋いどったらぁ~?」
堂島さんが口元に手を当て、ニヤニヤする。
「ク、クッキーを食べます!」
ぶんと腕を振り、手を離す。両手が
「あっ、ほんでな?今度の試合、テツが投げるんやって」
鉄也君は完全に本来の調子を取り戻したらしい。堂島さんが居ても居なくても絶好調。我が都造高校野球部のエースへと返り咲いたとのことだ。
そしていずれは大リーグボール一号のような魔球を投げ、野球界に革新をもたらすかもしれない。これこそ『他の星の生命体の進化の手助け』。そして『可能性の発達の促進』であるわけだ。
「一緒に見に行こなっ。稲穂ちゃん」
「うん。茜」
ついでに、茜と仲良くなった。
私の友達一号である。
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