白衣を着た稲妻

牛屋鈴子

1.カツカレーを最初に作った奴はズルい

「カツカレーを最初に作った奴はズルい」

「何ですか急に」

 私は出前のカツカレーを食べながら、シラガミに語った。

「いや、カツカレーを最初に作った奴はズルいよなぁ」

「だからどういうことです」

 シラガミは首をかしげるばかりだ。

「だってさぁ、カツにカレーだぞ?カレーにカツ乗せるだけだぞ?誰だって思いつくじゃん。こんなの。でも最初に作った奴はそれだけで功績をたたえられるんだ。ズルくないか?」

 スプーンをシラガミに突き付ける。シラガミの端正な顔と綺麗な白髪が、スプーンに歪んで映った。

「別に……ズルくはないと思いますけど」

「いや、ズルい。あーあ、私がカツカレーが発明される前の時代に生まれていればなぁ。私がカツカレーを最初に作った奴になって、印税生活ができたのになぁ」

「印税……入るんですかね?」

 シラガミが自分のカツカレーをじっと見つめる。

「それに、なんだかんだ思いつけない物だと思いますよ。コロンブスの卵ってやつです」

「コロンブスの卵?」

 眼鏡をかけ直して、質問する。

「かの有名な航海者、コロンブスが残した逸話いつわですよ」

「良く知ってるなぁ。そんなの」

「まぁ、引っ越す前にこっちの文化を色々学びましたからね」

 シラガミが物知り顔で話す。

「コロンブスの新大陸発見をねたむ人が居たんです。『誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作ぞうさも無いことだ』……って」

「ふーん」

 カツカレーを食べながら相槌あいづちを打つ。

「そんな人々にコロンブスはこう言いました『では、誰かこの卵を机に立ててみて下さい』……イナヅマ先輩は、卵を真っ直ぐ立てられますか?」

 イナヅマ先輩とは私のことである。

「うーん……いや、無理じゃない?」

 脳内でいくつかシミュレーションしてみるが、どれも不可能だろうと私は結論付けた。だって卵は丸いもの。

「はい。そうして、誰も出来なかった後でコロンブスは軽く卵の先を割ってから机に立てました」

「え。それありなの」

「人々は『そんな方法なら誰でも出来る』と言いますが、コロンブスは『人のした後では造作も無いことです』と言い返した……という逸話です。つまり、誰でもできそうなことでも、それを最初に思いついて実行するのは……」

「でもそれってさ、卵を立てるのが難しいって話だろ?『大陸見つけるのは簡単』っていうことの反論になってなくない?話すり替えてごまかしただけじゃん」

「……え、いやだから……」

 シラガミの解説を無視する。

「やっぱり、カツカレーを最初に作った奴はズルい」

 私はカツをスプーンですくい、食べた。



・・・・・・



 六才の頃、私は俗に言うやんちゃ娘だった。

 気になったことは、とことんまで研究する性格だった。

 この街に、滑り台は何台あるんだろう。あの木の天辺てっぺんからは、どんな景色が見えるだろう。水の中で、どれだけ息を止められていれるだろう。

 私の好奇心を刺激する物を、ワクワクさせてくれる物を探して、街のあちこちを走り回る。そんなやんちゃ娘であった。

 そんな私の好奇心を、一際ひときわ刺激してくれた物がある。


 その日の記憶は今の私まで、直流で繋がっている。


 その日、私は母に𠮟られた。

 というのも、母は元々、私が好奇心にかまけて勉強もせず、友達も作らず、一人で走り回っているのをこころよく思っていなかった。

 何がきっかけだったかはもう忘れてしまったが、母のその思いが溢れ出し、私はとにかく怒られた。

 私はもう嫌になって、家出した。

 そして、第二の家として、とある廃ビルを選んだ。『立入禁止』という無粋な看板が掲げてあったが、それを理解し、また、従うような私ではなかった。

 そこは建設途中だったのか、解体途中だったのか、とにかく何かの資材が廊下に立てかけてあった。

 これ幸いと、私はその資材で家具を作ろうとして。手を滑らせて、資材に押し潰されそうになった。

 しかし、そうはならなかった。

 私が死を覚悟したその瞬間、耳をつんざくような轟音と共に、夥しい光が私の視界を支配した。

 稲妻だった。

 どこからともなく現れたそれは、廃ビルの廊下を真横にほとばしり、倒れる資材を打ち抜いたのだ。

 結果私は無事だった……荒唐無稽な話だが、私がこの目で見た本当のことだ。

 私は、その文字通り痺れる光景に魅せられた。あの稲妻は何だったのだろう。一体どうしてあんな場所に稲妻が発生したんだろう。もしかして宇宙人が光線銃で助けてくれたのか?

 助かった安堵よりも先に、好奇心が刺激されるのを感じた。

 それから、命を救ってくれた稲妻の正体を解明するために研究を続けていると、いつの間にか科学を志すようになり、部活まで作ってしまった。

 そうして出来上がったのが『電撃科学研究部』……通称『電科研』である。

 私は部長。シラガミが部員。さぁ、白衣を着よう。二人きりで今日も実験、発明、研究だ。



・・・・・・



「というわけで、今日は件の廃ビルへ調査しに行くぞ!」

 あの稲妻の解明こそが、我らの使命。電科研の部室で、シラガミに向かって高らかに宣言する。

 しかし、シラガミは乗り気じゃないようだ。

「廃ビル……って、先輩が死にかけた所ですよね?危ないですよ」

「あれは子供の頃の話だよ。ちゃんと気を付ければ大丈夫だって。あれからも一人で何回か行ってるし」

 その何回かの調査で得られたことは特にないが。

「だったら今更行く意味なくないですか?」

「こんな普通の高校のちんけな理科室に居ても意味ないだろ!現場百辺げんばひゃっぺん!刑事の基本だぞ!」

 椅子の上に立って説得してみるも。

「僕ら別に刑事じゃないですけど……」

 シラガミの否定的な態度は変わらない。

「うぅ……何でそんなに否定的なんだよぅ……」

「だって……危ないですし」

「じゃあ、いいよもう!私一人で行く!」

「えっ……」

 シラガミは教室を出て行こうとする私を、何故かじっと見つめた。

 急にそんなに見られると、照れる。

「な、なんだよぅ……」

 紅潮する私とは逆に、シラガミは少し青ざめた。

「……いや、やめときましょうよ。危ないですってやっぱり。怪我しちゃうかもしれませんよ」

「だからシラガミは来なきゃいいじゃん」

「いや、僕は先輩の心配をしてるんです」

「だから大丈夫だって言ってるじゃん」

 シラガミが額を抑えた。

「……どうしても、その廃ビルに行くんですか?」

「……行くよ。あの稲妻の正体を知るためなら、火の中水の中」

 私がそう答えると、シラガミは手の隙間から、呆れたような視線で私を一瞥いちべつした。

「……じゃあ、僕も行きます」

「うむ!じゃあ行くぞ、シラガミ!」

 満面の笑みで、シラガミの名前を呼ぶ。

 シラガミ。という名前はあだ名だ。白い髪をしているのでシラガミだ。分かりやすい。

 シラガミは私をイナヅマ先輩と呼ぶが、これもあだ名だ。(と言っても、シラガミ以外にこのあだ名を使う奴は居ないが)私の本名は新妻にいづま稲穂いなほ。苗字の新妻から『妻』、名前の稲穂から『稲』を取って『稲妻』、らしい。

 文字の並びが逆だがいいのか。と問うてみたところ、『逆……じゃあ空から地面へ落ちるんじゃなくて、地面から空へ昇る稲妻なんですね。かっこいいじゃないですか』という答えが返ってきた。私もかっこいいと思う。

 私は、後輩が付けてくれたこのあだ名を、心底気に入っている。



・・・・・・



「稲穂?」

 廃ビルへ向かう途中、私を呼び止める人間が居た。友達も居らず、唯一の後輩がイナヅマと呼ぶので、私を下の名前で呼ぶのは家族だけだ。

「……げぇっ」

 振り返ると、母が居た。

「先輩、あの方は?」

「私の、お母さんだ」

「……それで、『げぇっ』ってことは、あんまり……」

 おそらく、そのあとは『仲良くないんですか?』と続いたはずだが、母がそれをさえぎった。

「稲穂。どうしてこんな所にいるの?あなた、この時間は部活動をしているはずでしょう?」

 母が、かつかつと靴を鳴らせて私へ近寄る。黒いスーツが嫌に高圧的だった。

「えっと、あの……課外活動……みたいな……」

 気圧けおされ、しどろもどろな言い方しかできない。ただでさえ、やましい内容なのだ。

「この道……もしかして、またあのビルに行こうとしてるの?」

 バレてしまった。

「……昔から言ってるでしょう!稲妻がどうだとか、そんなくだらないことに執着してないで、ちゃんと勉強をしなさい。友達を作りなさい。って!」

「く、くだらないことなんかじゃ……」

 反論を試みるも、母は聞く耳を持たない。

「あんた、将来どうするの!勉強もしないで、誰かと喋ることもできなくて、どうやって生きていくの!」

「ちょっと、お母さん……」

「結局、普通に生きることが一番幸せになれることって、どうして分かってくれないの!大体……」

 ああ、私が六才の頃から、母も私も変わっていない。ずっと平行線のまま、同じ怒りをぶつけられ続けている。

 そうして私もいつも、同じように母の怒りが収まるまで、ずっと耐え忍ぶしかないのだ。

「逃げましょう!先輩!」

 シラガミが唐突に私の手を握り、引っ張る。

「へぇっ!?」

「ちょっ、あなた待ちなさ……」

 つられて、全速力で走る。母の声が遠くなっていく。代わりに、白衣が風を受ける音がした。



・・・・・・



「はぁー……っ、はぁー……っ」

 そして全速力のまま、廃ビルに到着した。

 母を撒き切ったのを確認して、膝に手を突く。ずれた眼鏡を直す。こんなに走ったのは久しぶりだった。

 息を整える。

「……ごめん。何か、情けない所見せちゃって」

「別に、そんな風に思わなくていいですよ。僕も、無理矢理逃げさせちゃってごめんなさい」

 シラガミは、あんまり汗を掻いていなかった。走るのに慣れているようだ。

「そうだな……今の、他の女子にはするなよ」

「え?」

「あの、いきなり手ぇぎゅってするやつ」

 ドキってするから。

「……はぁ」

 シラガミは生返事で、私の言いたいことがピンと来てないようだ。まぁ、ピンと来られても恥ずかしいので困る。

「……さぁ!気を取り直して!我ら電科研はこの廃ビルに侵入する!」

 立入禁止の看板をびしりと指差す。

「あれは無視だ。裏の方に一枚だけフェンスが歪んでて、ギリギリ人が通れる所がある。そこから行くぞ」

 廃ビルの敷地内を回り込み、フェンスとフェンスの間に体を滑り込ませる。

「そういえば、調査って具体的に何するんですか?」

 シラガミが私にならって蟹歩きしながら、問いかける。

「うーん。何かないか、歩き回る。新しく気付いたことがあれば、ノートにまとめる。そんな感じだ」

「ノート?」

「うん。私特製、稲妻ノートだ。覚えてる限りの稲妻のスケッチとか、撃ち抜かれた資材の強度とかが書いてあって、このビルに保管してるんだ」

「ノートって、あれですか?」

 フェンスを抜け、蟹歩きをやめたシラガミが私の後ろの、廃ビルの窓を指差す。

 窓の先では、幼女が一冊のノートを握っていた。

「いっ、稲妻ノートが!」

 慌ててビルに入る。

「お姉ちゃん達……誰?」

 幼女は新しく現れた私達を警戒しているようだ。

「そ、そのノートね?お姉ちゃんのなの。返して?」

「や!」

 幼女はその小さな体で、私の稲妻ノートを一生懸命に抱き締めた。そしてぷいっと勢い良く顔を背ける。

「これ、みぃが見つけたんだもんっ。だからみぃのだもんっ!」

 幼女の名は、みぃ。というらしい。そして私へノートを返すつもりはなさそうだ。

「で、でもみぃちゃんには難しくて読めないんじゃないかな~。だから、お姉ちゃんと一緒に読もう?」

 優しい声音を意識して、みぃちゃんと交渉する。

「お母さんに読んでもらうもんっ!」

「交渉決裂っ!」

「はやっ」

 もう何を言えば返してもらえるか分からないので、みぃちゃんへ飛びかかる。

 所詮、相手は幼女。私が本気でタックルをかませば簡単に捕らえることができるだろう。

「ほっ」

 みぃちゃんは華麗に身をひるがえし、私のタックルを避けた。

「ぐへぇっ」

 目論見とタックルは見事に外れ、私は床のコンクリートに鼻をぶつけた。

「べぇーっ!」

 みぃちゃんは這いつくばる私に舌を出すと、そのまま二階へ逃げていった。私は鼻の痛みに悶え、すぐさま追いかけることができない。

「……先輩。体育の成績は?」

 後ろからシラガミが、倒れている私を覗き込む。

「小中高と全部『1』だよ!悪いか!」

 顔を上げ、立ち上がる。

「くっ、お、追うぞ……」

 鼻を押さえながらシラガミへ振り向くと、窓とフェンスを一枚ずつ隔てた先に、人影が見えた。

「……やっぱりここに居た」

 私の母だった。

 ……そりゃあ、目的地がバレてたら、いくらいても意味ないよなぁ……。

「おっ、追いながら逃げるぞ!」

「はいっ!」

 シラガミと二人でもう一度走る。

 廃ビルの中で、幼女を追い、母に追われる。

 無差別級、二重鬼ごっこが始まった。

「うおおっ」

 だかだかと無様な音を立てながら階段を駆け上がる。ただでさえ体育は苦手なのに、先ほど全力疾走したばかりなのでスピードが出ない。

「シ、シラガミ!私を置いてあの子を追いかけろ!」

「え……っと、嫌です」

 シラガミは顔色を変えずに、そう言った。

「何で!」

「その、ほら、僕この廃ビルに来たの初めてですし。一人で走り回っちゃ危ないじゃないですか。だから、この廃ビルをよく知ってる先輩のそばに居ないと」

 ……どうにも別の理由があるように聞こえるが、どうやら私と別行動を取るつもりはないらしい。

「……まぁ、いい!お前の言う通りここは私の庭みたいなもんだ!地理的有利と、この電科研部長の灰色頭脳が合わされば、幼女さんの一人や二人、お茶の子さいさいよぉ!」

 階段を駆け上がり踊場へ、そのまま廊下の突き当たりを見る。

 みぃちゃんがどちらに逃げたか予想する。このまま階段を上がったか、廊下に逸れたか……。

 確か、廊下の先には幼き私の命を奪いかけた資材の山があったはず。わざわざそんな悪路を進んだりはしないだろう。

「このまま上に……」

 行くぞ。と言いかけた瞬間、がしゃん。と廊下の先から物が落ちる音がした。

 予想が外れた……と思うと同時に、青ざめる。

 もし、今のでみぃちゃんが怪我していたら、いや、押し潰されていたら。

「みぃちゃんっ!」

 踊り場からさらに階段を駆け上がり、廊下の突き当たりを曲がる。

 そして資材が放置されている場所を見に行くが、そこには埃が舞うだけ。みぃちゃんは居なかった。

「……あれ?」

 そして後ろの方から足音が、つまり、三階へ上がる階段を駆け上がる音がする。

「あっ、あれぇ!?」

 どうやらみぃちゃんはこちらの廊下ではなく、階段を上がったらしい。最初の予想は合っていたということか。

「いやでも、確かに、こっちから音が」

 シラガミが床から何かをつまみ上げる。眼鏡を持ち上げ、注視する。

「これは……糸?」

 その糸は資材の一つに結び付けてあって、階段の方まで続いていた。

「囮だった。ってことですね。にしても、この短時間でよくこんなトラップを……」

「これ、私が子供の頃に仕掛けたやつだ……忘れてた……」

「えぇ……」

 シラガミが呆れた声を出す。

「何が庭ですか、灰色頭脳ですか。聞いて呆れますよ」

「う、うるさい!忘れちゃってたもんはしょうがないだろっ!」

 そんな風に言い返していると、今度は別の足音が聞こえた。

 かつかつと、冷たく固い足音。母の物だ。

「ま、まずいですよ。ここまで距離が縮まっちゃあ……」

「……いや!」

 急いで階段まで戻り、母が踊り場まで来た所で

 廊下の先で、音が鳴る。

「……そっちね!」

 そして母が廊下の方へ向かったのを見てから、音が出ないように階段を昇る。

「ふふん。さすが親子。同じ手にまんまと引っかかってやがるぜ」

 ニヒルな笑みを作る。

「自分で言っててむなしくないですか、それ」

 シラガミの指摘を無視しながら、さっきと同じ形の分かれ道に当たる。

「この階の廊下か……それとも更に階段を上がったか……」

 そこで私はとある手がかりを見つけた。

「これは……よし!廊下だ!」

 そしてそのまま廊下をひた走る。途中の曲がり角も、全てを選んだ。そうして相手がどの道を行ったのかが分かれば、いくら体育の成績に差があろうと高校生と幼女。追いつくのは時間の問題だった。

「追いついたぁ……」

 幼女を追い詰める。逃げ場はなかった。

「ど、どうして……」

「ふふん。自分の姿をよく見てごらん」

 手のひらをみぃちゃんへ向ける。

「あっ……」

 その服には、多くの埃が付いていた。

「そう!おそらく二階での囮トラップを仕掛ける時に付着したであろう多数の埃!ここに来るまでの道には、ヘンゼルよろしく不自然に埃が落ちていた!我々はそれを辿るだけでよかったのだ!」

 ドヤ顔でびしっと決める。

「さぁ……その稲妻ノート、返してもらおうかっ!」

「うぅー……やだっ!」

 絶体絶命の状況でも、みぃちゃんの態度は変わらない。

「これ、もうみぃのだもんっ!これが何なのか、みぃがするんだもんっ!」

 シラガミ眉をひそめる。

「……ダメですね。分かってくれそうにないですよ」

「分かるっ!分かるぞみぃちゃん!」

「あんたが分かっちゃうんかい」

 私が分かっちゃうのであった。

「分かるぞ……初めて来る、誰も居ない場所で、訳が分からない物拾うんだもんな……。それが何なのか、何としてでも解明したくなるよな!」

 うんうん。と何度も頷く。みぃちゃんは、彼女は、私と似ている。何に代えても好奇心だけは譲れない。

「よしっ!合格だ!」

「何が?」

「何がですか?」

「電科研入部試験、合格っ!みぃちゃんも今日から電科研部員だ!私達と共に、稲妻の謎を解明しよう!」

(電科研に入部試験なんてあったんですか?僕受けてないですけど)

(今作った)

 シラガミの小声の小言に反論する。ここは方便だ。

 両手を広げて、みぃちゃんを勧誘する。しかし、それに応えたのはみぃちゃんではなかった。

「こんな部活に入っちゃダメよ」

 冷たい声と共に、私とシラガミの首根っこが抑えられる。

「お、お母さん!?どうしてここが……」

 母が私の白衣をゆさゆさと揺らす。すると埃がいくつも落ちた。

「……あっ」

「……さすが親子。ですね」

 母は、私達を捕獲したまま、みぃちゃんへにじり寄った。

「あなた。どこの子か知らないけど、二度とこんな所に来ちゃダメよ」

「で、でも、これ……かいめい。するんだもん」

 みぃちゃんが私の稲妻ノートを盾にする。しかし、母はそれを鼻で笑った。

「好奇心なんて、くだらない。早く捨てなさい。そんなくだらない物」

 冷たい視線に射抜かれたみぃちゃんは、目にいっぱい涙を溜めて、逃げるように母の脇を走り抜けた。

「みっ、みぃちゃん!」

 手を伸ばすが、届かない。

「さぁ、稲穂。帰るわよ」

 白衣がぐいと引っ張られる。

 母に完全に捕まり、幼女には逃げられる。二重鬼ごっこは私の完全敗北で終わっ……。

「ってたまるかっ!」

 素早く両腕を引っ込めてしゃがみ、白衣を脱いで拘束を解く。そのまま立ち上がりながら、掴まれたままの白衣を翻し、視線を遮る。

「なっ……」

「先輩っ!」

 そして走る!

 絶対に捕まえる。あの子は、六才の私と一緒だ。だから、間違ってないよ。って言ってあげるんだ。私があの子に、好奇心を思い出させてあげるんだ!

「待ぁてぇぇっ!」

「わぁっ!?」

 みぃちゃんを視界に捉える。二階の廊下へ曲がるのが見えた。

「うぅっ!」

 どうやらもう一度あの囮トラップを仕掛けたいらしい。

 けど、あれはある程度の距離が確保されていてこそ。罠を仕掛ける所を見せるなんて、愚策中の愚策だ。

 そのまま走って、後一歩の距離まで追い詰める。

「つーかまーえ……」

 みぃちゃんが手を滑らせて、資材を揺らした。

 資材がぐらつく。みぃちゃんが腰を着いた。

 みぃちゃんは逃げられない。資材が倒れる。このままだと、みぃちゃんは死ぬ。


 この距離なら、あと一歩で助けられる。あと一歩で逃げられる。


 一瞬の出来事だった。

 あの時の記憶がフラッシュバックする。私がこの廃ビルで死にかけた時のこと。 稲妻に救われた時のこと。

 躊躇ちゅうちょはなかった。

 死んじゃダメだ!この子はただ、知らない物を知ろうとしただけなんだ!子供にとってその冒険は当たり前のことで、それは誰かが助けてあげなきゃいけないんだ!そんな世界じゃなきゃダメだ!好奇心は否定されちゃダメなんだ!

 今度は私がこの子を助けるんだ!あの時の稲妻のように!

 シラガミがくれた名前のように!

「わっ」

 勢いを損なわず、みぃちゃんを突き飛ばす。みぃちゃんが影から脱し、今度は私に資材の影がかかる。

 ああ、死んだ。今度こそ死んだ。

 そんな風に、死を覚悟したその時だった。

 真横に迸る稲妻が、倒れる資材を打ち抜いた。

 あの時と、同じ光景だった。

「……コロンブスの言っていたことは、やっぱり正しいと思います。どんなに物理的に簡単なことでも、それを実行する勇気こそ、価値ある物なんです。さっきの先輩みたいに」

 後ろから声が聞こえる。

 素早く振り返る。そこには、シラガミがおもちゃの光線銃を構えて立っていた。

 否、それはおそらくおもちゃではなかった。光線銃の先からは、硝煙らしき煙が立ち上っていた。

「シラガミ……?お前、それ、どういう」

 かたかたと震えながら、シラガミを指差す。

「えっと……どうも、宇宙人です」

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