3.宇宙で一番大事な戦争

 シラガミが電科研に入部して、間もない頃の話。


「おはようございます」

「あ、うん。おはよう」

「……」

「……」

 挨拶を終えると、お互い無言になってしまう。

 その頃、私とシラガミはあんまり仲良くなかった。それもそのはず、私は基本的に他人が苦手なのだ。

 一年間慣れ親しんだ部室に他人が居るという状況に私の頭は真っ白で、その時何を考えていたか覚えていない。

 シラガミが、そんな静寂を破ってこんなことを言った。

「あだ名を付けましょう」

「あだ名?」

 今思えば、任務の対象である私と打ち解け、警戒を解くためだったのだろう。

「先輩のフルネームは新妻にいづま稲穂いなほですよね?」

「うん。そうだけど……」

「にいづま……にいづまいなほ……。そうだ!『イナヅマ』なんてどうですか?」

「イナヅマ?何でイナヅマ?」

「『妻』と『稲』で、稲妻。イナヅマです。先輩が研究してきたことに、ピッタリじゃないですか?」

 ふむ。この電撃科学研究部の部長に、相応しい名だと言えるだろう。

「でも、文字の並びが逆だけどいいのか?」

「逆……じゃあ空から地面へ落ちるんじゃなくて、地面から空へ昇る稲妻なんですね。かっこいいじゃないですか」

「…………かっこいい!」

 我ながら単純だと思うが、かっこいい物はかっこいいのだ。

「よし、じゃあ君にもあだ名が必要だな。フルネームなんだったっけ」

山田やまだゆうです」

「やまだ……やまだゆう……。うーん……」

 何とも特徴のない名前だ。あだ名が全く思い浮かばない。後から聞いたところ、この名前はやっぱり偽名らしい。特徴がなくて当たり前だ。

 そして、思い悩む私の目に、白い髪が写った。

「……シラガミ!君は今日からシラガミだ!どうだ!?」

「あー……やっぱち、目立ちますか、これ」

 シラガミが切なそうに苦笑う。

「うん。その髪、すごいかっこいいと思う」

「え」

 シラガミは私の言葉に面喰っていた。

「何かサラーッとしてて、かっこいいと思うんだけど……やっぱそのまんますぎるかな」

 くしくしとシラガミの白い髪を撫でてやる。一本一本に淡い光が流れるようで、天の川を思い出す。

「……いえ、シラガミで構いません。っていうか気に入りました。シラガミでお願いします」

「よし!今日から私はイナヅマ。お前はシラガミだ」

 そうして、一緒にカツカレーを食べるくらいの仲になった。



・・・・・・



「何でそれ教えてくれなかったん!?」

 茜がすごい剣幕で私に迫る。顔が近い。

「え、何?」

「何であだ名があるって言ってくれんかったん!?言うてくれたらウチもイナヅマちゃんって呼ぶのに!シラガミ君はすぐシラガミ君や言うてくれたで!?」

「だって、あの時はそんなに仲良くなかったし……」

「ほぉ……なら、もうイナヅマちゃんって呼んでええやんな?」

 茜がジト目で私を見る。

「え?」

「ジャッジメント!あなたにとって私は仲の良い友達ですか!それともただの他人ですか!」

「う……な、仲の良い、友達……です」

 改まって口に出すのは気恥ずかしくて、尻すぼみになってしまった。

「やったぁ!」

 茜が万歳をする

「イナヅマちゃんっ!イナヅマちゃんっ!」

「な、何だよ」

「呼んでみただけ!」

「何だよ!」

「先輩!僕もイナヅマ先輩って呼んでいいですか!?」

「前からそう呼んでただろ!」

 顔が赤くなる。二人は楽しそうだった。

「せや、家族の人らには何て呼ばれてるん?」

「ん?いや、普通に下の名前で……」

「稲穂ーっ!」

 扉がピシャアーッという音を立てて開く。

 突如、謎の男が部室に現れ、私に抱きついてきた。ついでにスリスリしてきた。

「助けてくれぇ、稲穂ぉ……」

 一瞬、部室の空気が固まった。

「……先輩?その人は誰ですか?」

 シラガミが私に抱きついてる男を指す。表情がいつもと違う気がした。

「修羅場や!」

 茜が口に手を当てながら勢い良く立ち上がる。何か楽しそうだった。

「ごめんなぁ。えっと、お邪魔者は退散させてもらいますわ。ほな!」

 そして部室から出ていった。

「どうなったか後で教えてな!」

 と思ったらひょっこり顔を出した。そして今度こそどこかへ行った。

 どうやら、シラガミも茜も何か勘違いをしているようだ。しかし、好都合。先程まで私をからかった仕返しに、ちょっとからかってやろう。

「ああ、この人はな。私の彼氏だよ」

「……本当で」

「え?俺はお前のお兄ちゃんだろ?」

 兄がシラガミの声をさえぎって早々にネタばらししてしまう。そう。何を隠そうこの人は私の兄である。

「あっ、い、言うなよ!」

「えっ。何で」

「……お兄さん。なんですね?」

 シラガミがジト目で私を睨む。

「あ……うん」

「そういう嘘、もう言っちゃダメですよ」

「……はい」

 怒られてしまった。

「どうも。稲穂の兄のはるです。えっと、君はシラガミ君。かな?妹から聞いてるよ。うちの妹と仲良くしてくれてありがとう」

 兄が私から離れシラガミに挨拶する。

「いえ、こちらこそ……妹さんは、僕のことをどんな風に?」

「……言っていい?」

 兄が私を見る。

「いいわけがないだろ。それで?何の用でここに来たんだよ」

「ああ、そうだそうだ。母さんに取り上げられそうになったからさ。こいつをここでかくまって欲しいんだ」

 そう言って兄はかばんから据え置きのゲーム機を取り出した。

「ゲーム機……ですか」

「ああ、お兄ちゃんはプロゲーマーを目指してるんだ。結構強いんだぞ」

「母さんには、反対されちゃったけどな……」

 母は、私達が不確かな夢を持つのを嫌う。もっとテストで点が貰えるようなことを勉強しなさいとか、面接で褒めてもらえるようなことを努力しなさいとか、そういうことを言う。

 私達だってもう高校生だ。母の言うことが満更間違っていないと理解できない年齢ではない。ただ、親の言うことに無条件に従うだけの年齢でもない。

 お互いに折れることなく、親子の戦争は断続的に続いている。

「……でもそれは、先輩がお母さんに愛されてるからですよね?」

 シラガミは、平坦な声でそう言った。

「え?」

「あ、いや、すみません。知ったような口聞いて」

「……いや、いいよ。その通りだし。私も分かってるつもりだよ。お母さんも意地悪で言ってるわけじゃないって」

 ただ、シラガミのその声には、私をたしなめようとするだけでない、別の感情がこもっている気がした。

「よーし、セッティング完了だ」

 そんなことを考えている間に、部室にゲーム環境が整っていた。モニターなどどこから持ってきたのか。

「……まぁ、別にいいけど。どうしてこの部室に?学校に持ってくるより、友達の家に置いててもらうとかじゃダメだったの?」

 なんと兄は私と兄妹のくせに友達がいるのだ。

「…………絶交した」

「えっ」

「プロゲーマーなんかなれるわけないとか、なれてもこの先食っていけないとかバカにされて……喧嘩になった」

「そ、そう……」

 気まずい空気になってしまった。

「な、なんだよ。お前だって友達いないだろ!」

「いや、できた」

 さっきそのジャッジメントを終えたばかりだ。

「んなっ……!あ、兄の威厳が……もういいっ!俺にはこれがあるんだ!」

 兄が拗ねて背を向ける。そしてゲーム機の電源を点けた。

「え、ここでやるの」

「明日、大事な試合があるんだ」

「試合?どこでやるの?」

「いや、まだ予選だから、会場が用意されてるわけじゃないんだけど……それでも俺にとっては大事な試合なんだ。ここで練習させてくれ」

「もー……ごめんな?シラガミ」

「いえ、僕は別に」

 そしてシラガミと二人で兄の対戦を観戦する。

 ふと、懐かしい気持ちになる。昔もこうして、兄がゲームするのを眺めていた。自分でコントローラーを握ろうとすることはなく、兄から、見ているだけでは退屈ではないか。と質問されたことがある。私は、それでも楽しかった。

 今思えば、兄と一緒に居れることが、ただ幸せだったのかもしれない。

 ああ、そうだ。あの頃から兄はゲームが強くって、勝つたびに私は……。

『YOU LOSE!』

 画面から、敗北を告げる音声が流れる。画面には『YOU LOSE』という文字がデカデカと表情されており、その後ろでは兄が操縦していたロボットが黒煙を吹いて倒れている。

「待て」

 兄がゆっくりと振り返る。

「相手が悪かった。もう一回だ。次の相手には勝つ」

「う、うん。どうぞ……」

『YOU LOSE!』

『YOU LOSE!』

『YOU LOSE!』

『YOU LOSE!』

『YOU LOSE!』

「お、お兄ちゃん!それ私もやってみたいな!気晴らしに私と対戦してみようよ!ねっ?」

『YOU LOSE!』

「……おえっ」

 負け続けた兄がついに吐き気をもよおした。

「うわぁっ、ちょっ、ちょっと我慢して!」

 兄を担ぎ、部室に付いている水道に持って行った。兄はぶちまけた。部室に胃酸の匂いが漂う。

「だ、大丈夫?」

「全然大丈夫じゃない……!緊張で手が震える。頭が働かない。眩暈めまいがする悪寒おかんがする吐き気がするっ……!」

 兄は、明日に大事な試合があると言っていた。それは兄にとって本当に本当に大事で、緊張で吐くぐらい大事なものらしかった。

「……ちょっと、一人にさせてくれないか」

 いやここは私達の部室だぞ。という言葉も言えず、私とシラガミは部室を後にした。



・・・・・・



「お兄さんは今、『分岐点』に居るみたいです」

 部室から出て少し距離を取ったあと、シラガミはそう言った。

「えっ」

「『可能性』の数値がチカチカしていました。おそらく、明日の試合がそうでしょう」

 その後の人生を大きく左右する、『分岐点』。

「そ、そうか……なら、電科研としても、妹としても、お兄ちゃんを勝たせてあげねば……!」

 腕を組み、考える。

「……お兄さんと、仲良いんですね」

「あぁ、まぁな。お互い、お互いの夢を支えあって来たようなものだから。お兄ちゃんがプロゲーマーになるなんて言ってなかったら、私も科学を志さず、母に屈して普通の人生を歩んでいたかもしれん。お兄ちゃんの頑張る姿を間近で見ていたから。私も頑張れた。きっと、お兄ちゃんも同じように思ってくれているはずだ」

 恥ずかしいから、わざわざ言葉にしたことはないが。

「何というか、随分と信頼してるんですね。お兄さんのこと」

「……うん。さっき見た通り緊張に弱いし、情けなくて頼りない、おまけに友達もいないが、優しくて精一杯。私の自慢のお兄ちゃんだよ」

「……羨ましいです」

 シラガミが、切なそうに微笑んだ。

「僕も、先輩みたいな妹が欲しかったなぁ」

 ……それどういう意味……?

 それどういう意味!?

「いや、そのままの意味ですけど」

「……わ、私の方が年上だろうが!お前は弟だよ!弟!」

 動転のあまり、見当違いの反論をしてしまう。

「あはは。じゃあ先輩はお姉ちゃんですね。お姉ちゃん」

「うぅっ……」

 お姉ちゃん呼びに、少しキュンと来てしまった。話題を変えねば。

「お、お兄ちゃんだ!どうしたらお兄ちゃんを勝たせられるか、考えるぞ!」

 二人で腕を組み、考える。

「やっぱり、あの緊張が問題ですよね」

「ああ、そうだな。兄のゲームの実力は問題ない」

 それは間近で兄を見てきた私が保証する。しかし、その実力を満足に発揮できないのが問題なのだ。

 兄は手が震え、頭が働かず、眩暈がして、悪寒がして、吐き気がすると言っていた。どれがどの程度の重さなのかは分からないが、実際に吐くレベルの重さであることは確かだ。

 これを克服しない限り、兄に勝利はないだろう。

「つまり、お兄ちゃんには緊張を克服してもらいたいわけだが……」

 あの惨状から見て、それも一筋縄ではいかないだろう。

「手のひらに『人』って書いて、それを飲み込むとかどうでしょう」

「そんな民間療法で治るものだとは思えないな……」

「ですよねー……」

 それから何個か案を出し合い、脳内でシミュレーションしてみるが、どれも兄が吐いて終わった。

「うーん……僕らだけで話し合っててもらちが明かないですね。その手の人に聞いてみましょう」



・・・・・・



「緊張しない方法?」

 ベンチの裏、鉄也君は首を傾げた。

「私の兄が緊張に激弱げきよわなんだ。どうにかしたい。助けてくれないか」

「あぁ、例のお悩み解決ってやつか。まぁ、俺も世話になったし、あんたらに協力するのはいいんだけど。何で俺?」

「鉄也さんは野球部のエースとして、何度もチームを背負ってマウンドに立っていいますから、そういうことに詳しいだろう。と思いまして」

 自分以外のチームメイトの命運を背負って、大勢の観衆の中、グラウンドのど真ん中に立つ。兄がそんな重役を背負ったら、何かもう、死ぬんじゃないだろうか。

 鉄也君はそんなプレッシャーをどう乗り越えているのか。是非とも参考にしたい所だ。

「うーん……緊張をなくす方法か……そうだな。そういう時は、自分が一人じゃないって思いだすようにしてる」

 鉄也君が、グローブを見つめて語りだす。

「チームメイトのことはもちろん、応援してくれてる親とか友達とか……茜のこととか。俺が一人で背負ってるって考えるから、緊張するんだ。でも、皆と支え合ってるって考えれば気が楽になる。打たれても、後ろの仲間達が絶対に取ってくれる。ホームランを打たれても、仲間達が絶対に逆転してくれる。もし負けても、皆優しく慰めてくれる……。そんな風に考えたら、気兼ねなくピッチングに集中できる」

 ぽすっ。と、鉄也君がボールを軽くグローブに投げ入れる。

「まぁ、何ていうか、他人任せだし後ろ向きだし、あんまりいい考え方じゃないのかも知れないけどなっ」

 鉄也君がグローブに収まったボールを、そのまま頭上に投げた。

 そんなことないと思う。と私が口にしかけた瞬間、鉄也君の背後に人影が見えた。

「そんなことあらへーんっ」

 茜が後ろから鉄也君に抱きついた。

「うわっ」

 鉄也君はバランスを崩し、ボールが逸れてシラガミの頭頂部に落ち、私は赤面した。

「特に、ウチを思いだす。って所が最高やな!」

「あ、茜。どうしてここに?」

「何か、テツにインタビューしてる、私のポジション泥棒の気配がしてん。せやから休憩がてらここに来てみたら、この有り様や。やいイナヅマちゃん。いくら友達でもテツは渡さんで」

 茜がぐいと鉄也君を自分の方に引っ張った。

「ど、泥棒っ、そんなつもりじゃあっ!」

 顔を真っ赤しながら否定すると、茜はクスクスと笑い出した。

「……あははっ。そんな必死にならんでもええよ。イナヅマちゃんにはテツやのうて、シラガミ君が居るもんなぁ?」

 そしてにやにやと笑った。

「なっ、ち、違う!違うからな!」

「違うんですか?」

「!?」

 シラガミが私の顔を覗き込む。

「そっかー。違うんですね」

 ……それどういう意味……?

 それどういう意味!?

「いや、そのままの意味ですけど」

 そう言って爽やかに笑い流した。こいつはもう本当にあざとい。

「ははは!やっぱりイナヅマちゃんが人の物盗るなんて無理やな。そもそもテツは私から離れられへんもんなぁ?」

 茜が鉄也君にいたずらっぽく笑いかけた。

「…………」

 鉄也君は何も答えなかった。

「……何か答えろやぁ!不安になるやろがぁ!」

「……休憩終わるから、俺はこれで」

 鉄也君がこの場を去る。

「おい!」

 茜の呼びかけにも一切振り返らなかった。おそらく、本気で茜を避けているのではなく、少しからかっているだけなのだろう。鉄也君の背中からは、シラガミと同じものを感じた。

 まぁ、グイグイ行く茜にはいいお灸だろう。これを機に私をからかうのもやめてもらいたい。

「テツぅ!おい!」



・・・・・・



「……そんで、テツと何の話しとったん?」

 校舎に戻りながら、茜に事情を話す。兄がプロゲーマーを目指していること。緊張で吐いたこと。その緊張を克服するヒントを探していること。

「なるほど……つまり、あれは修羅場でもなんでもなかったんやな」

 少ししょんぼりしていた。何を期待していたんだ。

「それで緊張をなくす方法か……それなら、イナヅマちゃんが実際に克服してみるってのはどうやろ?」

「私が、実際に?」

 茜がスマホを構えた。

「写真撮ろ!新聞に載せる用の!」

「ええっ!?」

「言うたやろ?電科研の特集組むって」

「い、いや困る!」

 自分の写真が校内に貼り出されるなど、とても恥ずかしい。

「えー……でも、頑張って枠もろたねんで?」

 茜が上目遣いで私を見る。

「頼んでない!」

「いいじゃないですか。撮ってもらいましょうよ」

「なっ、シラガミ!お前裏切るのか!」

「裏切るも何も、光栄なことじゃないですか」

(それに、宣伝してもらった方が仕事しやすいですし)

 シラガミが小声で付け加える。おそらくそっちが本音だろう。

「それに、一枚ぐらい欲しくないですか?僕らのツーショット」

「うぐっ……」

 そんな言い方をされると、無下にしづらい物がある。

「先輩が一人で写るわけじゃないんですから。いいでしょう?」

「そうそう、んやから!」

 茜がさっきの鉄也君の言葉を引用して私をあおる。二人に詰め寄られ、私は白旗を上げるしかなかった。

「あー、もう!分かったよ!笑えばいいんだろ笑えば!」

 シラガミの隣に並び、精一杯笑顔を作る。

「あかんな。もっと自然にでけへん?」

「図々しいなぁ!」

 私とは打って変わって、シラガミは笑顔を作るのに慣れているようだった。



・・・・・・



 撮影を終え、鉄也君が言っていたことを兄に伝えるために部室に戻ると、扉の前に先生が立っていた。

「ん。新妻と山田か」

 私達に気付き、名前を呼ぶ。

卯木うつぎ先生。どうかしたんですか?」

 卯木うつぎ美奈子みなこ先生。私の担任であり、電科研の顧問になってくれた人だ。とっても美人だが、厳格な雰囲気のため生徒からは少し恐れられている。

「顧問だからな。ちょっと様子を見にきたんだが……あれは何だ?」

 先生が親指で部室の中を指す。そこでは兄がゲームをしていた。

「あっ」

「別に携帯ゲームをちょっと持ち寄るぐらいなら構わないんだがな。ここまで部室を私有化するのは……看過できんぞ」

 しまった。先生にバレるリスクを忘れていた。

「いや、これには深いわけがあってですね。その、明日一日だけ!お願いします!」

 両手を合わせて平に頭を下げる。

「しかしなぁ……見てしまったからには、一教師として取り締まらんわけには……」

「すいません。僕からもお願いします」

 シラガミも隣で頭を下げる。すると先生は首元を掻いて、何か考え始めた。

「んー……まぁ、一日だけなら、見逃してやろう。他の教師にはバレないようにな」

「あ、ありがとうございます!」

 先生は手のひらひらと振りながら、去っていった。

「いやぁ、融通ゆうづうの利く人で良かったですね」

「うん……でも何か、私とお前で態度が違ったような……?」

「まぁいいじゃないですか。それより今はお兄さんのことですよ。早く部室に入りましょう」

『YOU LOSE!』

 部室の扉を開けると、兄がまた負けていた。

「…………」

 暗い画面に、兄の死んだ眼が反射する。

「お兄ちゃ」

「稲穂ぉぉっ!」

「うわぁっ」

 兄が私に抱きついてくる……というか、すがり付いてくる。泣いていた。私の白衣に涙の跡が広がる。

「お、俺もうダメだぁ………勝てない。悔しい、辛い。辛いよぉ、稲穂ぉ……」

 これでもかと情けない声が部室に漂う。本当に私より年上なのかと疑ってしまう。妹ながらに将来を心配してしまう。

 しかし、ここまで弱っているなら、かえって効果があるだろう。

 私は、ぎゅうっと兄の顔を胸で抱きしめた。頭も優しく撫でてやった。

「大丈夫だよ。お兄ちゃん。お兄ちゃんは強いよ。それに一人じゃない」

「一人じゃ……ない」

「うん!どんな時でも、私はお兄ちゃんのこと、応援する!だから、頑張れ!」

 ガッツポーズをして、兄を励ます。

「稲穂……分かった。俺、頑張るよ!」

 私の応援は、無事に兄に届いたようだ。妹として、誇らしくなる。

「よーし……もっかい対戦で練習だ!今度こそ勝つぞ!」

 兄がコントローラーをもう一度手に取る。そして華麗な指捌ゆびさばきで画面に映るロボットを操縦する。

 そして体力ゲージをゴリゴリ減らす。

「あっ、やばい!死ぬ!助けて!」

「ええっ!?いや、助けてって言われても」

 そのゲームに協力プレイはなかった。

『YOU LOSE!』



・・・・・・



 下校時間になったので部室を出て、夕焼けが差し込む校舎を三人で歩く。

「だ、大丈夫!案外一晩寝れば大丈夫になるって!そういうやつだって!」

「あぁ……どうしよう……俺、進学とか就職とか何も考えてないのに……この大会で結果出さないとオファーもらえない……!本戦にすら出場できなかったら……あぁあぁあぁやばいやばい……」

 最早、私の励ましを聞く耳すら持たない。というか私が思っている以上に人生を賭けた勝負らしい。

 何もしてあげられないのが、歯がゆい。

(個人競技じゃ、鉄也さんの方法は使えませんね)

(せめて私以外にも応援してくれる人が居ればなぁ……)

 小声でそんなことを話し合っていると、兄が不意に歩みを止めた。

「あ……」

 兄が気まずそうな顔になる。視線の先には、一人の男子生徒がいた。その男子が反応する。

「新妻……」

 一瞬、私の名前を呼んだのかと勘違いしかけたが、すぐに理解した。おそらくこの男子生徒が、絶交したという兄の友人だ。

「……何だその顔。もう夢は諦めたか?」

「……諦めてない。俺は絶対プロゲーマーになる」

「声震えてんぞ。ガキかよ」

 男子の表情は険悪だ。二人の喧嘩は、戦争はまだ続いているらしい。

「なぁ、そんな夢捨てようぜ。プロになれたとして、それで食ってける奴なんてほんの一握りなんだぞ?もっと現実見て生きようぜ」

「捨てない。俺は、プロゲーマーになる」

 依然いぜん兄の声は震えていた。言葉から自信なんて微塵みじんも感じられず、ともすれば男子が言った通り、子供染みた駄々にしか聞こえない。

 しかし、兄を知る人間ならば、その言葉に確固たる決意を感じるはずだ。きっと男子も感じたはずだ。

「俺はゲームが大好きで、ゲームばっかりやってきた。勉強はできない。運動もできない。性格も良くないし、面白いことも言えない。俺にはしかないんだ。ゲームしかないんだよ……!」

「……だから!それが現実から逃げてるようにしか聞こえねーんだよ!そうやって、人生ドブに捨ててろよ!バーカ!」

 男子が捨て台詞を吐いて、去っていく。

「うっせぇ!バーカって言う方がバーカ!」

 兄も去っていく男子に向けて吠える。きっとこんな風に分かれるのも、二回目なのだろう。

「……悪い。二人で先に帰ってて。俺、部室に泊まるよ。もっと練習する。母さんには何か上手いこと言っといてくれ」

 そう言って兄は来た廊下を走って引き返した。

「ちょっ、泊まるって、本気で……?」

「……みたいですね」

 シラガミが兄の後ろ姿を見ながら遠い目で呟く。

「けど……まだ緊張を吹っ切れたわけじゃないだろ?結局それを解決しないといくら練習したって……」

 せめてさっきの友人と和解してくれれば。兄を理解してくれる人間が増えれば、プレッシャーは減るかもしれないけど……。

「どうする?さっきの人追いかけて、説得してみるか?」

「面識のない僕らじゃ、意味ないと思います」

「だよなぁ……でも、それじゃあどうすれば……」

 このままでは、兄は緊張を克服できないまま、大事な試合にのぞむことになってしまう。

「……作戦が、ないこともないです」

 シラガミがその作戦を説明しだした。



・・・・・・



「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

「んんっ……ああ、もう放課後か」

 ゆさゆさ揺すると、兄はゆっくりと体を起こした。本当にここに泊まっていたようだ。睡眠時間が短かったのか、精神衛生にいちじるしい問題があったのか、はたまたその両方か、目のクマが酷かった。

「あれからどうだった?勝てた?」

「全敗したっ……!」

 兄は両手を顔面にビタンと叩き付け、顔を覆った。

「えっと……その……」

 何か応援の言葉をかけてやりたかったが、ここまで来ると何を言っても空虚な物にしかならない気がした。

 それよりも、シラガミの作戦に賭けた方が懸命そうだ。

「ああ、それよりもうすぐ試合の時間だ。準備しなきゃ」

 鈍重な動きで兄がゲーム機へ手を伸ばし、起動する。

 それとほぼ同時に部室の扉が開き、シラガミが入ってくる。

「あ、シラガミ君。おはよう」

 もう、おはよう。何て時間ではないのだが、そこは無視して、シラガミを注視する。

 まばたき一つで、シラガミの眼差しが冷たい物に変容する。

 作戦開始だ。

「おめでとう、新妻晴。お前は選ばれた」

「……へ?」

 シラガミの脈絡のない台詞に、兄が目を丸くする。

「……何?選ばれた。って」

「地球と我がレビウル星の命運をかけた代理戦争。その代理人に、お前は選ばれた。今からお前が対戦しようとしているのは我らレビウル星人の代理人だ。次のその試合で、お前は地球を背負って戦うんだ」

「……ごめん。それ、何かの冗談?」

 兄は苦笑して、シラガミの話を信じる様子はない。当たり前だ。私だって絶対嘘だと思うし、実際嘘だし。

 ただ、それを信じ込ませる方法が一つある。地球にない、宇宙人のテクノロジーが証明になる。

 シラガミが私の肩を抱く、事前に知っていてもちょっとドキッとした。その後腰の光線銃を引き抜き、私の頭へ引き金を引いた。

 ピシャアッ。と空気が打ち震える。ただの威嚇射撃いかくしゃげきだと事前に知っていてもちょっときもが冷えた。

「……今ので分かったと思うが、これはおもちゃじゃない。これ以上わめくなら、本気でこの娘を撃ち殺すぞ」

 兄が青ざめる。

「は……?地球とか、代理戦争とか、全部本当なの……?」

「あぁ、本当だとも。今から行われる対戦はくだらんゲーム大会であると同時に、互いの星を賭けたなんだ」

「……っ、い、稲穂を離せ!」

「いいぞ?離してやろう。だがあまり意味はないぞ?どうせお前が負ければ、地球は木端微塵こっぱみじん。全人類は死に絶える。もちろんこの娘も、そしてお前自身もな」

 シラガミが高圧的な台詞で、脅し重ねる。

「そ、そんな……死ぬって、そんな……」

「現状が飲み込めないなら、何度でも言ってやろう!今お前に!お前の両手に!全人類の命がかかっている!」

 兄は顔を真っ青にして、冷や汗をダラリダラリと流し始めた。

「お、俺が、勝たなきゃ。ここで負けたら……負けたら……!」

 どうやら兄はシラガミの芝居を完全に信じ切ったようだ。緊張のあまり、喉が裂けそうな荒い息を繰り返している。

 そう。これがこの作戦の目的。どうしても緊張してしまうなら、更に緊張させる作戦。

(押してダメならもっと押せ。って奴ですね。緊張には集中力を高める効果もあります……上手く作用する保証はありませんが)

(なんなら緊張メーターがぶっ壊れるとか、そんな感じでもいいから、お願いだ。いつも通りの実力を出してくれ……!)

 そしてついに、その試合の時間が訪れる。

 兄のコントローラーを握る力が強まり、みしりと音を立てる。

「さぁ、試合開始だ。精々気張れよ、地球人……!」

「が、頑張れ!お兄ちゃん!」

 しかし、私達の思惑は外れた。

「あっ、ああ……!」

 昨日と同じ展開。みるみる体力ゲージがゴリゴリ減っていく。

 あぁ、やっぱりダメなのか……!

 そんな風に諦めかけた時、唐突に、乱暴に部室の扉が開いた。

「……新妻っ!」

 私を呼ぶ声ではない。私の兄を呼ぶ声だ。兄の友人の声だ。

「ごめん!」

 その男子は叫ぶ。

「俺、お前が羨ましかったんだ!何か打ち込める物があって、真っ直ぐ自分の夢を信じてるお前が、憎らしくて、まぶしくて、妬ましくて、羨ましかったんだ!」

 兄は意地になって、画面に被りついて振り向かない。それでも、確かにその声が届いているはずだ。

「酷いこと言って、本当にごめん!今更こんなことを言うのは都合がいいかもしれないけど、お前は俺の憧れで、お前に勇気をもらってて、だから、その」

 男子の次の台詞が分かる。シラガミと目を合わせ、頷く。

 今こそ、伝えるんだ。皆で!

がん……」

がん……」

がん……」

「うるせえぇっ!」

 兄が私達の台詞をかき消した。

「……えっ」

 一瞬、静寂が爆音で鳴り響いたあと、兄が泣きじゃくりながら吠える。

「どうでもいいんだよ!誰にバカにされるとか、誰が応援してくれるとか、地球がなくなるとか俺が死ぬとか稲穂が死ぬとかどうでもいい!関係ない!」

 兄の指捌きが変わる。力任せで粗雑。しかし、画面のロボットは完璧に操縦され、ありえない動きで敵の弾丸を避けて見せた。体力ゲージの減りがぴたりと止む。

「……負けたくない!負けたくない負けたくない!これだけなんだ!勉強もできないしスポーツもできないし面白いことも言えない!俺にはこれしかないんだよぉっ!これが俺の全てなんだっ、命なんだ!これだけは絶対に負けたくない!」

 敵の弾幕を紙一重で全て避け、敵機との距離を詰める。

「死にたくない!」

 

 ――極限まで追い詰められた時、困難から逃げる人間と、それに立ち向かう人間がいる。

 後者の方が優れているということは全くない。大きな困難に対して、大抵の場合は、立ち向かってもどうにもならない。蛮勇ばんゆうにしかならない。いさぎよく逃げる方が賢明である場面が多い。

 しかし、今回に限って言えば、立ち向かって行ける人間の方が優秀で。

 私の兄は、前者だった。


『YOU WIN!』



・・・・・・



「上への報告、終わりました」

 シラガミが改めて部室の扉をくぐる。

「ん、ご苦労」

「おかえり」

 兄もゲーム機やコードやモニターなどを片付けながら、応答する。

「本当、ありがとね。シラガミ君。君が追い込んでくれなかったら勝てなかったかも知れない……ちょっとやり方が突飛だったけど」

 兄が苦笑する。

 光線銃は電科研の活動で工作した物だと言い張って納得させた。兄にシラガミが宇宙人だということはバレていない。

 それにしても穏やかな顔をしている。ついさっき、獣のように吠えていたのが噓みたいだ。

「それで、そのゲーム機どうすんの?もうここには置けないし、家にも置けないし」

「あぁ、お前の助言の通り、友達の家を借りることにするよ」

 そう言って、兄はたった一人の友人に向けてはにかんだ。はにかまれた方も満更でもなさそうだ。どうやら、ちゃんと仲直りできたようだ。良かった。

「それじゃあ、こいつの家に寄るから、先に帰ってるよ」

「うん。バイバイ」

 そうして二人が部室から出て行って、シラガミと二人きりになる。しかし、シラガミはまた、落ち込んでいた。

「……どうした?今回はちゃんと作戦が上手く行ったじゃないか。何が気に入らないんだ?」

「いや、そのですね……お兄さんから、あんな言葉を引き出してしまったのが申し訳なくて……」

「あんな言葉って?」

「……ほら、『稲穂が死ぬとかどうでもいい』って……」

「あぁ、あれか。私は別に気にしてないよ」

 私がそう答えると、シラガミは意外そうな顔をした。

「でも、あんなに仲良さそうだったのに……今までお互いの夢を支えあって来たって。なのに、ゲームより下なんて……あんまりでは?」

「でも、兄妹だからって、必ずその人の一番になれるわけじゃないだろ?それに、一番じゃなきゃ満足できないわけでもないしな。まぁベスト10ぐらいには入ってるだろ。それで十分だよ、私は」

 一番以外は嫌われている。なんてわけでもない。

「そっか……そんな風に、考えられたら……」

 シラガミは風に消え入りそうな声でそう呟いた。

「私だって、お兄ちゃんが一番大事とは思ってないしな」

「じゃあ、僕は何番ですか?」

「……えっ、な、何番かって……」

「僕はイナヅマ先輩の中で、何番目に大事な存在ですか?」

 その質問のトーンが、いつものからかいなのか、それとも本気なのか、分からなかった。

「……なーんて、冗談ですよ」

 そしてシラガミはくすくすと笑った。

「お、お前……!」

 こいつとの戦争は、もう少し長引きそうだ。

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