二、異能殺し(トモグイ)。
確かに
実は僕が愛明に将棋に関するレクチャーを行う際においては竜睡先生の提言に基づいて、積極的に盤面を主導する『攻め将棋』ではなくあくまでも守り優先の、いわゆる『受け将棋』の技術を中心に指導したのであるが、先生のお話では何でも愛明の『不幸の予言』は受け将棋においてこそ、その力を最大限に発揮できるとのことであった。
事実彼女の文字通りの負け知らずの快進撃ぶりは、賭け将棋サイト『SHINKEN』における『
その『不敗神話』は、年に一度だけ行われるネット上の賭け将棋の世界大会においてもとどまることを知らず、優に四桁を数える参加者の中であっさりとベスト4入りを果たし、まさしく今現在はこうして
言わばこの場に会している四名が四名とも数千人の凄腕の勝負師を相手に勝ち上がってきた、超天才級の精鋭揃いであることには間違いないのだが、その顔ぶれがあまりにも一般的な『将棋指し』のイメージからかけ離れているのは、すでに述べた通りである。
「……前年度チャンピオンの和服姿の壮年男性はともかくとして、確かにゴスロリ
現在の状況を見たまますべて膝の上のノートパソコンに向かって観戦記兼ネット小説『異能
「──ああ、まさにあの子たちが、件の私や愛明の同族である、幸福な予言の巫女ですよ」
「なっ⁉」
思わぬ台詞に咄嗟に対局場へと見やれば、同族の巫女を前にしてこれまでになく緊張し、顔面蒼白となってしまっている愛明の姿が目に飛び込んできた。
「ど、どうして、その存在自体が我が国における最大級の国家機密で、原則的に山奥の隠れ里に身を潜めているはずの幸福な予言の巫女たちが、匿名性を守れるネット将棋ならともかく、こんなリアルの賭け将棋大会なんかに参加しているんですか?」
「それはもちろん、この大会に愛明が参加していることを知ることによって、あの子と勝負するためにこそ、わざわざこんなところまで出向いてきたってところでしょうよ」
簡潔なる回答を示してくれる竜睡先生であったが、僕のほうはむしろ幾重の意味からも首をひねるばかりであった。
「……いやでも、このリアルの決勝リーグはもちろんのこと、ネット対局においてさえも、本名等の個人情報の類いは一切さらしていないというのに、何で愛明君が参加していることがわかったのでしょうか?」
「はあ? 何をおっしゃっているんですか。今あなた自身が、『愛明君』と口になされたばかりではないですか? そしてそれは──そう。あなたや私の言動を始めとして現在の状況のすべては、まさにあなた自身の手によってパソコンに入力されて、観戦記形式の小説『異能
あ。
「そ、そうだ、そうだった。僕の自作の観戦記兼ネット小説『異能
……つまり僕の小説こそが、現在のこの状況を招いてしまったわけなんだ。
おそらくはあの幸福な予言の巫女たちは、俗世間へと追放した愛明が本来なら秘匿していなければならない不幸な予言の巫女の力を、
確かに片手落ちとはいえ一応は予知能力である不幸の予言は、一般の将棋指しに対しては十分なるアドバンテージを誇り連戦連勝を可能としてきたものの、より完璧な幸福な予言の巫女を相手取っては、一方的に叩き潰されるだけに違いない。
……何てことを、僕ときたら、何てことをしてしまったんだ⁉
そのように僕が自分のうかつな行為を心から後悔していたら、思いも寄らずお気楽な声をかけてくる、当の不幸な予言の巫女の保護者殿。
「まあまあ先生、そんなにお気になさらずに。そもそも先生に観戦記兼ネット小説を作成していただいているのも、こうして彼女たちをおびき寄せる狙いもあったのですから」
「えっ? で、でも、相手が幸福な予言の巫女ともなれば、いかな『不敗の女王』の愛明君と言えど、分が悪いのでは?」
「あらあら、もう少しあの子のことを信用なさってくださいな。──大丈夫、心配には及びませんわ。あの子が先生の教え通りに『受け将棋』に徹している限りは、相手が幸福な予言の巫女だろうがどんな異能者だろうが、けして負けることなぞ無いのですから」
「は? 『受け将棋』に徹している限り、負けることは無いって……」
「まあ、ご覧になっていれば、じきにおわかりになりますわ」
その言葉に促されるようにして対局場へと視線を向ければ、確かに愛明は
「……しかしそれにしても、巫女さんのほうが攻めあぐねているのは、なぜなんですか? 何と言っても不幸な予言の巫女なんかよりよほど完璧な未来予知を実現できる幸福な予言の巫女なんだから、いくらでも有効な攻めの手を
「だから言っているではないですか? 不幸な予言の巫女である愛明は受け将棋に徹している限りは、何者に対しても無敵だって。それにあの巫女の子は確か、特に読心能力を得意としていたはずだから、愛明との相性は最悪だと思いますよ?」
「えっ、読心能力ですって? いやでも、彼女たち幸福な予言の巫女って、予知能力者じゃなかったんですか⁉」
「もちろん幸福な予言の巫女のメインの異能は予知能力ですが、それとは別に読心や別人格化や時間操作等々といった、それぞれの巫女ごとにオプションの固有能力も持っているのですよ」
「何そのここに来ての、サイキックパワーの大安売りは? それじゃまるで将棋の勝負ではなく、異能バトルそのものじゃないですか? もしかして今まさに執筆させられているこの文章って、将棋の観戦記なんかじゃ無く、SF小説やラノベの類いだったわけ⁉」
「何を今更。そもそも幸福な予言の巫女とか不幸な予言の巫女とかが登場している段階で、ただの将棋の対局の観戦記ではあり得ないでしょうが?」
「だって先生のお説では、彼女たちが実現している予知能力は、量子論──つまりは現代物理学に則った、あくまでも現実的なものだって話だったではないですか? それが読心や別人格化や時間操作すらも実行できるとか言い出したら、もはや量子論も
「いいえ、よく思い出してください。私はこう言ったのですよ? 『集合的無意識にアクセスさえすれば、どのような異能でも実現できる』と。そう、それは何も未来予知や読心のようなシミュレーション系の異能に限らず、人格の入れ替わりや前世返り等の別人格化系の異能だろうと、タイムトラベルや異世界転移等の多世界転移系の異能だろうと、場合によっては世界そのものの改変といった文字通り『全知』なる神すらも超えたいわゆる『全能』系の異能だろうと、およそSF小説やライトノベル等の
………………は?
「集合的無意識へのアクセスによってこそ、SF小説なんかに登場するすべての異能を実現できるですってえ⁉」
「そもそも集合的無意識へのアクセスによる各種異能の実現における根本的理論背景は、『実はこの現実世界そのものが何者かが見ている夢であるかも知れない可能性は、けして否定できない』ということでしたが、その肝心の夢を見ている主体は何も自分自身であるとは限らず、赤の他人であったりそれこそ『胡蝶の夢』のように蝶だったりする可能性もあるのであり、つまりはいわゆる『目覚めた後の自分』とは、自分自身とか赤の他人とか蝶とかに限定されず、この世の森羅万象すべてはもちろん、時代や世界の範疇すらも問わず文字通り『何者であり得る』のであって、極端なことを言えばこの現実世界そのものが実は、数百年前の戦国武将が見ている夢かも知れないし、数百年後の未来人が見ている夢かも知れないし、異世界人が見ている夢かも知れないし、私たちが小説や漫画やゲームの登場人物であると見なしている存在が見ている夢かも知れない──といった可能性だってあるわけで、言わば我々はほんの次の瞬間にでも、『この現実世界という夢から覚めて、真の現実世界へと目覚める』ことによって、戦国時代や数百年後の未来へのタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界へのダイブといった、いわゆる多世界転移系の異能を実現してしまう可能性があり得るわけなのですよ」
──あ。
「しかもこれまた前に述べましたように、『形なき夢の中の自分』は無限に存在し得る『形ある目覚めた後の自分』と常に『重ね合わせ』状態──つまりはお互いにアクセスし合っているような状態にあるのですから、もしもこの現実世界が夢だとすると、過去や未来や異世界や創作物すらも問わず無限に存在し得る『目覚めた後の世界』の中に無限に存在し得る『目覚めた後の別の可能性の自分』と、常にアクセスすることができるので、例えばあくまでも可能性の上では自分の『前世』ともなり得る、戦国武将や異世界人の記憶や知識を集合的無意識を介してアクセスすることで、まさにこの現実世界においていわゆる『前世返り』等の別人格化系の異能を実現できるのであり、更にはまさに今自分の目の前に存在している人物であろうとも、この現実世界を夢として見ている主体──つまりは『目覚めた後の未来の自分』である可能性があり得るゆえに、自分にとっての未来の無限の可能性の集合体である集合的無意識にアクセスすることによって、その記憶や知識を参照することができ、まさしく『読心』を実現し得ることになるといった次第なのですよ」
な、何と、ただ単にこの現実世界が何者かが見ている夢かも知れないという可能性があり得るだけで、集合的無意識には我々人間を始めとするありとあらゆる森羅万象の情報が文字通り集合していることになるゆえに、そこにアクセスさえすればどのような異能だろうが実現可能になるってことなのか⁉
「ただしこれは、とにかく話をわかりやすくするために、あくまでも極端な
「へ? 異能を自分の脳みそで
「読心なんてものは結局のところ、ただ目の前の相手の人となりを始めとして現状やこれまでの経緯を基にして、これからの言動を自前の脳みそを使って
「えっ、でも、集合的無意識って文字通りこの世の森羅万象に関するすべての情報が集まっているんだから、ただアクセスするだけで計算なんか必要とせず、ある人物の心のうちだろうがこれからの言動だろうが、何でもわかるんじゃないですか?」
「すべての情報が集まっているっていうことは、まさに集合的無意識においては情報の大洪水状態にあるようなものなんですよ? ただ単にアクセスしただけでは、欲しい情報のみを的確に
そりゃそうだよな。ただ単に集合的無意識にアクセスしさえすればどんな異能でも実現できて『何でもアリ』なんてことになれば、SF小説やラノベのような単なる『
「そしてこれは別人格化や多世界転移等の他の異能についても同様なのです。前世となり得る戦国武将や異世界人なんて普通に考えれば、自分自身の脳みそによって生み出された『妄想』のようなものに過ぎません。それに付け加えて集合的無意識にアクセスすることができるのなら、本来自分の知識にはない人物はもちろん史実的に実際には存在していない人物の知識や記憶をも参照できるだけのことで、それらの情報を自分の脳に刻み込み本人そのものになり切ることによって、いわゆる『前世返り』を実現したり、今まさに目の前にいる人物の人となりや現在の状況やこれまでの言動等に付け加えて、これまた自分には知り得ない知識や記憶を含む情報を集合的無意識にアクセスして取得し自分の脳に刻み込むことによって、『人格の入れ替わり』を実現したりできるわけであり、更にはこれらは言ってみれば、一時的とはいえ自分では本気で、戦国武将や未来人や異世界人や小説や漫画やゲームの登場人物になりきって、その一生や半生をまっとうしたようなものであるからして、まさしく戦国時代や未来へのタイムトラベルや異世界転移や小説や漫画やゲームの世界へのダイブ等の多世界転移系の異能を、集合的無意識で得た本来なら自分の記憶や知識に無い情報をも加えた、脳内の
それって、読心や未来予知のようないわゆる
「まあそうは言っても結局のところ、たとえ量子コンピュータ並みの計算能力があろうが、集合的無意識にアクセスしてありとあらゆる情報を取得できようが、これまで何度もお伝えしてきたようにこの現実世界の『未来には無限の可能性があり得る』のだから、100%正確な読心や未来予知なんて実現不可能なんですけどね。──とはいえ、実はそれで構わないのです。確かに不完全ではありますけど、例えば将棋の勝負の場においては、対局相手の人となりや現状やこれまでの経緯を踏まえてお互いに『読み合い』を行って、自身の脳みそによる計算力や長年培ってきた勝負勘等のみに基づいて、相手の出方やこれからの勝負の行方を見極めることができてこそ、真の将棋指しとしての正しい在り方なのですから」
「へ? それってつまりは、プロになれるような一定以上の実力を持つ棋士さんたちは、不完全ながらも量子コンピュータ並みの読心や未来予知を実現しているってことですか⁉」
「ええ、それというのも実は、集合的無意識って将棋で言うところの、『脳内将棋盤』のようなものとも言えるのですよ」
「脳内将棋盤って、プロ棋士や凄腕のアマチュア棋士の皆さんなんかが自身の脳内において見ることができるという、いわゆる現在の盤面の未来予想図のことですか?」
このように言うと何だか予知能力の一種みたいにも聞こえるが、別に特別なものではなく、ある程度の将棋の腕前があればプロアマを問わず誰でも持ち得る、現在の盤面を踏まえてこれから先の対局の推移をあれこれと検討するための、言わば脳内に設けた仮想的な『思考実験用の将棋盤』のようなものに過ぎなかった。
「そう。将棋指しは誰でも一つは自分の頭の中に将棋盤を持っていると言われていますけど、実は名人や竜王等の超トッププロ級の達人においては一つや二つにとどまらず、何と数え切れないほどの将棋盤を脳内で一度に展開することができ、凡人があれこれ必死こいて考えを巡らせて目の前の難局の打開策を講じようとするのに対して、ただ脳内の将棋盤を見るだけで、唯一絶対の解答──いわゆる『最善手』を見定めて、あっけなく難局を切り抜け一気に勝負を制することすら為し得るのです。──まさにこの数え切れない未来予想図って、無限の未来の可能性の集合体である集合的無意識そのものとは思われません?」
「──‼」
『集合的無意識にアクセスさえできれば、
「ああ、勘違いしないでくださいよ? 別にこれは異能でもインチキでもありませんから。──言ったでしょ、どんな異能であろうが結局のところ、自分自身の脳みそによって
あ。
「言わば対局中に集合的無意識にアクセスできるということは、まさに超ハイスペックのコンピュータを使いながら将棋を指すようなもので、すべての定跡や過去の棋譜をいつでも参照できるのはもちろんのこと、これから先の展開の
そのようにある意味SF小説等に出てくる論理性皆無の異能の全否定的な大変危ないお話を、実際の将棋の対局における超トッププロの達人たちによる華麗なる超人業の種明かしへときれいに軟着陸させた、竜睡先生のお言葉に促されるようにして再び対局場へと視線を戻すや、今やゴスロリJSとJK巫女との勝負は、更なる白熱した展開を迎えていた。
一見JK巫女のほうが怒濤の攻めを続けていて、ゴスロリJS──つまりは愛明のほうが、一方的に圧倒されているかのようでもあった。
しかしよく見ると、JK巫女のほうが焦りを隠せずさも苦々しい表情をしているのに対して、愛明のほうは涼しげな表情を保ち続けて、いかにも余裕綽々といった有り様であったのだ。
「何で防戦一方の愛明君のほうが平然としていて、攻め手の巫女さんのほうが焦りまくっているんだろう? ──ていうか、そもそも読心能力を持っているんだから、愛明君の出方なんて事前にすべて手に取るように知り得て、一方的な展開にだってできるだろうに。どうしてこんな拮抗した状況に──いやむしろ、愛明君のほうが優勢な戦況になっているんだ?」
「それはまさに、防戦一方だから──つまりは、あの子が先生の言いつけを守って、辛抱強く『受け将棋』に徹しているからですよ」
「え? 受け将棋だからこそ、読心能力者に対して、優位に立てるですって?」
「だって『受ける』ということは、終始相手の出方に合わせているだけなのであって、自分から何らかのアクションを起こすわけではないし、極端な言い方をすれば、『何も考えていない』ようなものだから、いくら心を読もうが何の意味も無いってことなのですよ」
「‼」
た、確かに、読心能力者に対しては、『何も考えない』ことこそが、最強の対抗策と言えるよな。
「つまり、不幸な予言の巫女であるとともに受け将棋に徹している現在のあの子こそ、まさしく『読心殺し』──いえ、あらゆる『異能殺し』とも呼び得るのですよ」
「……『読心殺し』というのはともかく、あらゆる『異能殺し』、ですか?」
竜睡先生の意味不明な台詞に、至極当然のようにして疑問を呈する僕であったが、
それと時を同じくするかのようにして、対局場より唐突に響いてくる、当の読心能力者であるJK巫女の、とても聞き捨てならない言葉。
「……ふうん。あなたって、自分の受け持ちの先生のことが好きなんだあ」
「──っ」
なぜだかその途端顔を真っ赤に染め上げて、完全に言葉に詰まり、これまでけして見せることの無かった動揺をあらわにするゴスロリJS。
……いやちょっと待て。愛明の受け持ちの先生って、つまり──
「まったく、まだ小学生のくせに、おませさんだこと」
「〜〜〜〜〜〜っ」
「あら、もしかして、この会場にいるの? えっ、あそこの観客席のノートパソコンを抱えた、スーツ姿の男の人がそうなの? 確かにお若いし真面目そうだけど、あなたのような可愛らしい女の子が惚れ込むにしては、いまいちパッとしない感じよねえ」
ほっとけ!
「──つうか、何ですか、あれって⁉ 何であの巫女さんってば、読心能力を使っているのかどうかは知らないけれど、勝負の行方とは全然関係ない、とんでもないことを言い出しているのですか⁉」
隣席へと向かって泡を食って問いただせばその眼鏡美人は、まるで大ピンチに陥ったネ○フの作戦部長であるかのような真剣極まる表情を浮かべながら、厳かに所見を述べた。
「さすがね。正攻法が効かないとわかったとたん、すぐさま自らの読心能力の使い途を、盤外戦術に切り替えるとは」
「盤外戦術って、あれが⁉」
お年ごろの女の子同士の、恋バナじゃなかったのかよ?
「だって完全に図星を突かれてしまって、愛明ったら見るからに手筋が乱れてしまっているじゃないですか?」
「ほんとだ! これまではまったくノーミスだったのに、何だか緩手が増えてきて………………って、いやいや、ちょっと待ってください! 何ですか、図星って。いったいいつ僕なんかが、愛明君から想いを寄せられることになったと言うんです⁉」
あまりにも心外な話に慌てて物言いをつけるや、心底あきれ果てたかのようにため息を漏らす竜睡先生。
「……まさかここまで、女心に鈍かったとは。あのですねえ、これまでずっとクラスメイトはおろか担任の先生にまで忌み嫌われてすべてに絶望して引きこもっていたところに、新しく担任になったあなたが颯爽と現れて救いの手を差し伸べてくださったのですよ? まさに女の子にとって、『理想の王子様』の登場以外の何物でもないではありませんか。しかも自分自身の教師としての本分を優先して無理やり学校に登校させようとしたりはせずに、何よりもあの子を立ち直らせることこそを第一にして、一文の得にもならないというのに自分の時間や生活を犠牲にして将棋の指導をつけてくれたりして。これで惚れなければ、嘘でしょうが⁉」
「い、いや、だって愛明君はまだ小学生なんだし、それにあくまでも僕は、彼女の担任教師に過ぎないんだし……」
「恋する乙女にとっては、相手との年齢や立場の違いなんて、まったく関係ありません!」
ええー。つまり僕って自分でも知らない間に、小学生の教え子との間に、『恋愛フラグ』でも立てていたってわけなのかよ?
……ひょっとしてこれって教職員にとっては、『死亡フラグ』でもあるんじゃないの?
そのように僕が焦りまくっているうちにも対局場のほうでは、JK巫女による『攻め』が更に勢いを増していた。
「だけど、お気の毒よね。彼のほうはあくまでも教師として、受け持ちの生徒であるあなたの力になってあげているだけで、あなた個人のことは何とも思っていないのよ?」
「……え」
「そりゃそうでしょう。大の大人が小学生なんて、恋愛対象にするものですか。──むしろ対象にしたりしたら、そっちのほうがヤバいしね」
「くっ」
もはやそれは『精神攻撃』とも呼び得るものとなっており、盤面においてもどんどんと、愛明の駒のほうが押され始めていた。
「──いけない!」
「へ?」
振り向けば竜睡先生が、先ほどより切迫した表情をして僕のほうを見ていた。
「このままでは愛明は勝負に負けてしまうどころか、精神そのものを壊されてしまいかねません!」
「な、何だってえ⁉」
「もはやこの窮地を救えるのは、先生の心よりの『お言葉』だけです。さあ、今こそ思いの丈をぶちまけてください!」
「僕の言葉って、いったい何と言えばいいのです?」
「決まっています! 『愛明、僕はけして教え子としてではなく、あくまでも君自身のことを、心から愛しているんだ!』です!」
「はあ? そ、そのような心にもないことなんて、言えるわけないじゃないですか⁉」
下手するとこの場で、通報されてしまうぞ?
「そんなこと言ってる場合ですか⁉ もうすでにあの子のほうも限界ですよ!」
その言葉に慌てて視線を向ければ、確かに今なお続く精神攻撃そのままな盤外戦術によって、愛明は身も心も崩壊一歩手前となっていた。
くそっ。──ええい、ままよ!
その時僕はほとんど一瞬とも言える短い間──将棋で言うところの『秒読み』の間で、自分の社会的地位と教え子の想いとを秤にかけて、熟考の末断腸の思いで決断を下し、対局場に向かって叫んだ。
「愛明! 僕は君が自分の生徒であるとかには関係なく、心から愛しているからこそ力になろうと思っているんだ! もちろん君の僕への想いも嬉しく思っている! だからこれからも二人で力を合わせて、一日も早く完全に立ち直ろう!」
その瞬間、まるで世界そのものが凍りついたかのように静まり返る、賭け将棋大会会場。
今この場に集まっている文字通りの
……いいんだ。これでいいんだ。僕は教師として、正しい選択をしたのだ!
そんな自己犠牲の甲斐もあってか、しばらくの間呆気にとられていた愛明の顔が、みるみるうちに輝き始めて、今やすっかり活気を取り戻していた。
そして将棋盤の向こうのJK巫女に対して、きっぱりと言い放つ。
「……すみませんが、この勝負、私が勝たせていただきます」
「──っ。な、何をちょこざいな。あんなのあなたを元気づけようとするための、
「へえ、あなた巫女のくせに、知らないのですか? 言葉には『
えっ、そうなの⁉
思わず一応は幸福な予言の巫女の一族の出身者である眼鏡美人のほうへと振り向けば、いかにも『してやったり』といった表情で、にっこりと微笑んでいた。
……もしかして、嵌められた?
「くっ。読心能力者である私に向かって、何を偉そうなことを。あの男の本心なんて、すっかりお見通し……………………な、何ですって⁉ 表層的には否定しているくせに、自分自身でも気づいていない深層心理的には、あなたのことを憎からず想っている、だと?」
おいっ、いきなり何てことを言い出すんだ、このインチキ巫女が!
人の心の
「たとえ読心能力があろうが、本当に人の心というものがわかるわけがないでしょうが! 私の心がわかっているのは、私だけよ! 私の先生に対する想いは、正真正銘本物なの!」
──ぐはっ! やめろ! もうやめてくれ!
おまえら、僕のことを殺す気か⁉ ──主に社会的に!
とはいえ、お陰で確かに愛明のほうはすっかり立ち直ったようで、ほとんど勝勢にあったJK巫女の猛攻を受け切り、今やその攻めを完全に切らさんとしていた。
「ちっ。さすがは不幸な予言の巫女とはいえ、腐っても予知能力者。こうなればこっちも読心能力だけでなく、本家本元の幸福な予言の巫女としての、予知能力こそを使うのみ!」
そう言うや、もはや形振り構わず、あの手この手の奇手や妙手を繰り出してくるJK。
しかしそれに対して少しも慌てず、完全に受け切り、とうとう相手の攻めを切らせてしまう愛明。
「ど、どうしてなの? どうして出来損ないの不幸な予言の巫女ごときが、予知能力を使っての読み合いで、幸福な予言の巫女である私に競り勝つことができるのよ⁉」
「──これが、愛の力というものよ‼」
その大喝とともに、この対局において初めて攻めへと転じ、王手をかける『不敗の女王』。
もはや指す手を完全に失ってしまっているJK巫女のほうはついに心が折れて、力尽きたようにうなだれるや、『
この瞬間、愛明の決勝戦進出が決まったのであった。
……良かった。これで教師生命を懸けた甲斐もあったというものだ。
「それにしても、精神攻撃によって動揺してしまった場面があったとはいえ、不幸な予言の巫女である自分よりも完璧な予知能力者であり読心能力までも有する幸福な予言の巫女に、ああも一方的に勝つことができるなんて、それほどまでに『不幸の予言』は、将棋の勝負の場においては有効だとでも言うのですか?」
確かに予知能力を持つ愛明が、凄腕の勝負師やプロ棋士とはいえただの人間に過ぎない人たちを圧倒し、これまですべての勝負に勝ち続けて『不敗の女王』とまで呼ばれるようになったことには納得していたけど、まさか同じ予知能力者で他の異能をも使いこなせる幸福な予言の巫女にまで、完勝してしまうとは。
「だから何度も言っているでしょう? 愛明の勝因は何よりも、『受け将棋』に徹しているからなのだと。何せ受け将棋こそ、予知能力を最大限に活かすことができるのですしね」
僕の今更ながらの根本的な疑問の言葉に答えを返してくれたのは、当然当の不幸な予言の巫女の保護者殿であった。
「……それって確かに何度もお聞きしましたが、そもそもどうしてなんです? 一応かつては高校生竜王であった経験から言わせてもらえば、将棋の勝負においても結局は、『攻撃こそ最大の防御なり』なのであって、どんなに
「だったらお聞きしますけど、元高校生竜王さん? たとえ量子コンピュータを使おうが将棋の神様の力を借りようが構いませんが、絶対この手なら勝てるという、『必勝の策』というものを生み出すことができると思いますか?」
ある意味これぞ将棋指しにとっての最大の命題とも言える質問であったが、僕はきっぱりと即答した。
「いいえ、けしてできません」
「ほう、それはまた、どうしてですの?」
「一言で言えば、将棋とは文字通り『筋書きの無いドラマ』だからです。たとえ『必勝の策』なんてものが存在していたとしても、必ずしもその通りに盤面が展開するとは限りません。──何せ、将棋のみならずすべての勝負事には、『相手』というものが存在していますから、まさしく相手の出方次第では──特にいきなり思わぬ奇手を繰り出されたりした場合には、その瞬間必勝の策も定跡もへったくれもなくなってしまうだけなのです」
「御名答。さすがは元高校生竜王殿、百点満点の解答です。よく『コンピュータがチェスの世界チャンピオンに勝った』なんてニュースが忘れた頃に世間を騒がせたりもしますが、別にチャンピオンに勝てたところで、そのコンピュータがチェスの勝負において最強の存在となったことが実証されたわけではなく、そもそもその人間のチャンピオン自身がほんの数日後にでも他の誰かに王座を奪われる可能性もあって、けして『絶対的な王者』なんかではないし、コンピュータ自体もチャンピオンどころかただの素人と勝負してあっさりと負けてしまう可能性だってあるのです。つまりたとえコンピュータだろうが神様だろうが、それこそ
は? 愛明が文字通り『必勝』を実現できているのは、むしろ『負ける未来』を予知できるからだって?
「これまた何度も何度も申してきましたが、この現実世界には無限の可能性がございますので、幸福な予言の巫女だろうが不幸な予言の巫女だろうが、『絶対に勝つ』未来や『絶対に負ける』未来を予知することなぞ不可能なのです。厳密に言えば、幸福な予言の巫女においては『勝てる可能性』を予知し、不幸な予言の巫女においては『負ける可能性』を予知しているだけなのであって、実は『幸福の予言』──つまりは勝てる可能性の予知を行ってみたところで、何とそこには負ける可能性も潜んでいるのであり、いくら幸福の予言ができたところで、絶対に勝負に勝つことなぞできないのです。それに対して『不幸の予言』──つまりは負ける可能性の予知においては、工夫次第で幸福を──すなわち絶対の勝利を獲得することが可能となるのです。例えばポーカーの勝負において、不幸の予言の力によって現在の持ち札に関して負ける可能性を予知したなら、必ず勝負を降りればいいのです。もちろん可能性はあくまでも可能性に過ぎないのだから、そのまま勝負を続けていても勝った可能性もあったでしょう。しかしたとえそうであろうとも、事前に『負ける可能性』をすべて潰しておけば、少なくとも負けることは絶対に無くなり、逆説的かつ必然的に、すべての勝負に勝つか最悪でも引き分けるかといった、幸福な結果をもたらせることになるのであり、特にそれこそ将棋等の原則的に引き分けの無い勝負においては、けして負けないということは絶対に勝てることになるのです。実際将棋の勝負の場においては、愛明が次の手を頭の中で選んだ瞬間に、王手をかけられたり自滅したりといった敗北の
「なっ。不幸な予言の巫女は未来の無限の可能性をすべて予知できる真の全知たる幸福な予言の巫女に対して、自分が負ける未来しか予知できないという片手落ちの予知能力者だからこそ、むしろ受け将棋のように専守防衛に限定した戦法においては、必勝を実現することができるですってえ⁉」
「言ってみれば、実は不幸の予言のほうこそ、真に人に幸せをもたらすことができるということなのですよ。つまり愛明が『不吉な魔女』などと呼ばれてもなお、クラスメイトたちに不幸の予言を行うことをやめなかったのは、彼らが実際に不幸に見舞われる前に、未然に回避するための警告を与えていたようなものなのです。──だってあの子は、本当は誰よりも思いやりに満ち溢れた、心優しい子なのだから」
「──っ」
……そうか、そういうことだったのか。
なんて馬鹿な奴らなんだ、去年の愛明のクラスメイトや担任教師ときたら。
愛明による不幸の予言を気味悪がったりせずに、親切なアドバイスを与えられたものと感謝すらしてちゃんと従っていたら、不幸なアクシデントを事前に防げたというのに。
つまり竜睡先生が愛明に賭け将棋なんかをやらせているのも、不幸の予言はけして災いを呼ぶものではなく、しっかりと役に立つことを実際に示させて、不幸の予言にも──そして愛明自身にも、ちゃんと存在価値があることを思い知らせて、自信を取り戻させようとしていたってわけなんだ。
「……だったら、もう十分ですよね。すでに愛明君のほうも不幸の予言の有用性を認識できているだろうし、別に次の決勝戦に挑む必要もなく、この際賭け将棋自体から足を洗ってもいいのでは?」
そのように珍しく小学校教師らしいことを、保護者さんに提案してみたものの、返ってきたのは思わぬ言葉であった。
「いいえ、あの子を真に立ち直らせるためには、是非とも『彼女』に打ち勝たねばならないのです」
そう言って並々ならぬ決意を秘めた表情を浮かべる竜睡先生の視線を追うようにして振り向けば、そこにはもう一人の準決勝戦の勝者の姿があった。
そしてここに来て初めて、端整な小顔を覆っていた目隠しを取り払う、巫女装束をまとった十一歳ほどの年ごろの少女。
「……愛明、君?」
そう。そこに現れたのは、自分の教え子そっくりの、黒水晶そのままに煌めく二つの瞳であったのだ。
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